アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.312
大学院改革と専門職大学院 ―第34回公開研究会の議論から―
恒例の公開研究会(第34回)が昨年11月22日にアルカディア市ヶ谷で行われた。テーマは「大学院改革と専門職大学院」である。平成14年の学校教育法改正によって創設された専門職大学院制度は、それ自体の意義によってのみではなく、一般の大学院や、更に学士課程教育の在り方に大きな問題を投げかけるものであり、今後の大学改革の流れ全体に強いインパクトを与え続けるものと思われる。このテーマを選定したのは、このような趣旨からであったが、ご登場いただいた3人の講師の先生方からは、専門職大学院の意義と今後の課題について、それぞれ異なった立場からのお話しを頂き、この新しい制度の諸問題を多角的に理解するうえで大変有意義な研究会にして頂いたと思う。
b専門職大学院創設の背景、現状、課題
最初の講師、専門職大学院の所管課である文部科学省高等教育局専門教育課の藤原章夫課長からは、専門職大学院の制度創設の経緯と現状及び今後の課題についての総括的な説明があった。わが国では大学院課程の目的が曖昧で、高度職業人の養成との結びつきが弱く、そのことが社会科学の基盤の弱さを生んでいるという認識があり、社会科学分野での「理論と実務の架橋」を目指す専門職大学院制度が大学院改革の一環として創設された。その後の設置数は、19年度までに、法科大学院の六八校を含め154校になり、分野はビジネス・MOT、会計、公共政策、公衆衛生、知的財産、臨床心理等にわたっており、来年度からは更に教職大学院(申請21校、認可19校)が加わることになる。
社会人学生の比率は、一般の修士課程が、10.5%なのに比べ30〜40%と高く、とくにビジネス・MOT系では89.5%と最も高く、30代が一番多い。
今後の課題としては、この制度が大学院の変革を促すという期待がある反面、専門学校の大学院化ではないかとの批判もあるように質の面での懸念もあり、教育の質の向上に向けた業界や職能団体との連携・協力が不可欠であって、とくに評価体制の確立が重要な課題だとされた。
b専門職大学院の意義と質の維持向上
二番目の講師、青山学院大学学事顧問の伊藤文雄先生は、同大学の専門職大学院である国際マネジメント研究科の研究科長をされると同時に、経営分野の認証評価機関「ABEST21」の立ち上げに尽力され、理事長を経て現在その会長である。まさに現場にあって専門職大学院の課題に取り組んでこられた立場から、この制度の意義と質の維持システムの重要性について熱く語って頂いた。
大学教育は常に環境の変化に対応して行かなければならない。今は経済のグローバル化、技術の高度化、情報化等の進む中で人口構造の激しい変化が起こっている。大学がマス化の中にあってエリート養成をしていかないと日本は人口減少に対応できない。このため青山学院大学では、大学院制度の弾力化に沿い、平成2年に、筑波大学に次いで私学としては最初の夜間大学院「国際ビジネス専攻(修士課程)」を設置した。平成13年にはこれを、やはり私学では初の専門大学院に改組し、更に平成15年には専門職大学院制度の発足と同時に専門職大学院「国際マネジメント研究科」に移行した。
変化する環境の中での教育の質の維持向上のためには常時の「改善」が不可欠であり、自己点検・評価を核としたPDCAの経営サイクルを確立しなければならない。専門職大学院の場合、教育の質の視点としては、学術的視点と実践的視点とともに国際的通用性というグローバルな視点が大事になる。このような改善の努力を支援することが認証評価機関の使命である。
b大学院の二元制の行方
最後の講師、東京大学名誉教授の天野郁夫先生は高等教育研究の第一人者であり、高等教育関係の政府審議会等には長く関わり、わが国の高等教育政策の形成に中心的な貢献をされてきた。それだけに、わが国の高等教育の歴史の中で、専門職業人養成の位置づけがどのように議論され、どのように変化してきたかを先生に跡付けして頂いたことは、専門職大学院の意味を理解する上において大変貴重であったと思う。
天野先生は、研究か職業かという教育目的による大学院の明確な二元化を志向するものとして、専門職大学院制度創設の意義は評価するものの、今後この二元化が円滑に進行するかどうかには疑問を呈した。わが国では専門職の確立が遅れているという背景もあって、専門職大学院は専門職性の明確でない分野に広がりつつある。一方、医歯薬学部をはじめ学部は依然として専門学部制を温存しており、一般の大学院も教育目的により明確に分化する方向には動いていない。結局、専門職大学院の制度が出来ても、新設のみで、既存の大学院・学部から移行するものは無く、大学院の機能別の再編へは進んでいないとして、大学院の教育目的についての真剣な問い直し無くしては、大学院改革の進展は望めないのではないかとの強い懸念を述べられた。
b専門職大学院と職能団体の関係
以上のような、それぞれ異なった視角からのお話を聞いて、一つ問題意識として頭に残ったことがある。それは専門職の職能団体と大学とはどのような関係に立つべきなのだろうかということである。大学の教育が高度な職業人の養成を目的とし、職業資格の取得を目指すとすれば、そのカリキュラムはその職業の資格要件を満たし、あるいは資格試験の科目に対応できるようにしなければならず、大学の教育の自由は大幅に制限される。そのような立場に置かれた大学を「棒を飲まされたヘビ」と自嘲的に比喩していた大学人もいた。その「棒」はその職業を所管する省庁や関係の業界・職能団体が作るが、それはしばしば硬直的であり、学生の就職のためにはそれを飲まざるを得ない大学との間に軋轢を生む。
これまで大学教育は、とかく職業にあまり密着することを避けようとする傾向があったし、むしろ大学の予備校化だとして否定的な見方をしてきたと思う。そのようなアカデミズムへの固執が大学の社会化を難しくし、特に社会科学分野の研究の成熟を妨げてきた面もあるのだろう。大学が「棒」を飲んで突っ張っていることも問題があるが、大学が特定分野の職業人養成という教育目標を明確にしたとき、そのカリキュラム・ポリシーや教育の質の保証について誰がどのように責任を持つべきかは難しい問題である。
法科大学院はもともと司法制度改革の一環として構想されたものであり、設置後の第三者評価は法曹サイドの機関でやるのだという根強い議論があったと聞く。理念的に言えば、確立された専門職については、その職業上の基準、職業資格、人材養成の質などについて専門職集団が自ら責任を負うという考え方は頷けるところであり、法科大学院と法曹との関係は、単なる「連携と協力」という柔らかい関係だけではなく、責任と地位・権限の調整というシビアーな問題があるのだと思う。
天野先生のご指摘のように、いま専門職大学院は専門職化の未成熟な分野に広がりつつあり、その結果一般の大学院との機能的分化にも曖昧さを残している。しかし一面では、そのような曖昧さが、業界や職能団体との関係をあまり厳しいものとせず、「連携・協力」という関係に止まることを可能にしているようにも思われる。
集団志向の強い日本的な組織文化の中で、職業の専門職化がどこまで進むものかは未知数だと思うが、仮に専門職とその職能団体が各分野で活躍する横型の社会が生まれるとしたら、専門職大学院は、これまでのようなアカデミズムと自主・自律の大学文化を根本から改革するものになるのかも知れない。