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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.102
評価システムへの批判と注文―横山氏(日経新聞編集委員)に答える

私学高等教育研究所主幹 喜多村 和之

 私学高等教育研究所が、去る11月18日の第14回公開研究会で発表した「私学評価システムの基本的な考え方」(本欄100〜101号に転載)に対して、横山晋一郎氏(日本経済新聞社編集委員)が「第三者評価・課題に早急な対応を―第14回公開研究会の議論から」(本欄99号、11月27日付)として寄稿された。当事者側としてはまずこの第一の反響に心から感謝している。さすが当代屈指の教育ジャーナリストとして、正確な内容把握のうえで簡にして要をえた紹介をしてくださったこと、同時に急所をついた批判や注文を突き付けながら、基本的にはわれわれの考え方にエールを送って下さったことにお礼を申しあげたい。
 特に横山氏は本案の全体的内容には賛意を表しながらも、肝心なところで「歯切れの悪さ」や「積み残した重要課題」があることを率直に指摘されている。いずれも第三者としては当然抱かれるであろう尤もな意見だと受け止めている。そこでせっかくいただいた貴重な御意見に対して、当事者の側からの考えをさらに突っ込んで説明し、場合によっては反論を表明させていただくことにしたい。それはわざわざ見解を披露する労をとってくださった横山氏の御厚意に対する当然の礼儀であり、かつ説明責任でもあるだろう。
 横山氏はなぜ大学に評価が必要とされるのかという基本的な問いに対して、われわれの考え方が「第三者評価という社会的要請に、私立大学としてどう応えていくかというひとつの回答である」とし、ひとつの立場として評価していただいている。そして氏は私学評価システムの骨子を要領よく紹介したうえで、「全体として感じるのは、一元的評価システムを排して私学の特性に適合した私学固有の評価システムを作ろう、大学の質の維持・向上は大学自らの手でやるべきで、そのためには第三者評価による質の保証こそが必要だという、強い意志の表明である」とし、これに賛意を表明されている。
 同時に氏はジャーナリストらしく大変的を射た批判も率直に表明されている。
 横山氏は新設予定の評価機関が、国が認証する「認証評価機関」に申請するかどうか、質の「段階的評価」を行うのか、適否の「認証」を行うのか、具体的な評価結果の公表の仕方をどうするかなどの肝心な点について、改正法が成立した時点なのに今後の「検討課題」にしたのはあまりにも中途半端ではないか、と批判されている。
 「私学評価システム案」がこうした「第三者評価機関としての性格を左右する重要課題」に明確な方向性を出していないことが物足らないという指摘は確かにその通りであり、ほとんどの方が同じ感想を持たれるであろうことは、当事者としても認めざるを得ない。
 しかし、逆にそれほど重要な課題だからこそ、あえてわれわれは設立母体である団体の慎重な審議による意思決定に委ねるという立場をとったということも御理解いただきたいのである。
 その理由はふたつある。ひとつはもし設置母体がこのような課題を自己自身で主体的に考え抜くことをしないで、慎重な審議による意思決定によらず、ただ当研究所の提示するがままを受け入れることになるならば、この新制度のもつ意味を十分に受け止めることにならないと考えたからである。設置母体である日本私立大学協会には当然多様な意見があり得るし、われわれの考え方に反対の人もあり得るであろう。したがってこの重要課題には設置母体の責任ある意思決定の過程が不可欠である。そうした過程を経ることによって、横山氏がいわれる「要はやる側の覚悟の問題」が現実となるのではないか、とわれわれは考えたのである。
 いまひとつの理由は、国によって「認証評価機関」として認証される基準がまだ明らかにされていないからである。どんな条件が評価機関の設置条件になるか分からないうちに、認証評価機関に申請する意志を表明することは先走りの危険が大きい。申請するかどうかは設置の基準が明らかになってからでも間に合うのであり、幸い評価関係の法律施行時期は2004年4月からである。その間、慌てずに評価基準の内容を見定めるべきだと考えたのである。
 また、第三者機関が、その評価の方法として、段階的評価をおこなうのか、それとも二者択一的な合否の判定である認証をおこなうのかという選択肢も、何れが私学の評価として適切かを慎重に検討してから決めるべき問題であると考える。評価機関がいずれの方法をとるかで評価の性格は根本的に異なってくるのであり、それはひとえに設置母体がどのような評価を行うべきかと判断するかで決定されるべき問題とわれわれは考えたのである。
 評価とは評価を受ける側、実施する側、これを利用する側にとっても、極めて多面的でデリケートな営みであると同時に、その評価結果を世間が信頼し、承認するかという問題とも深く関わっている。したがって評価の公開という課題も確かに世間の承認を得るためには重要である。われわれは公開に反対するわけでは決してない。ただ情報公開というものは何でもあからさまに公表すればよいというものではなく、必ず両刃の剣という側面も孕んでおり、公開を絶対視すれば評価がかえって組織を萎縮させたり、陰鬱な隠ぺい工作をもたらす恐れもあり得る。だからそういう負の面を拡大しないような公開の仕方を慎重に工夫した上で公開すべきだとわれわれは主張しているのにすぎない。
 「私学の特性に配慮した評価システム」は「一歩間違えば私学に都合のよいお手盛り評価システム」になりかねないという指摘も率直に自戒とさせていただくが、まだ実績を見もしないうちから「お手盛り」だとたたくのは、ジャーナリズムの常套句である。或る大新聞は評価システムを見もしないうちから「お手盛り」説を繰り返しているのは、甚だワンパターンで鼻白む思いである。その点、横山氏は基本的には「私学自らが責任を持って第三者機関を作る意義は大きい」と支持していただいていることは、大変心強いことである。われわれも御期待に背くことのないよう全力を尽くすつもりなので、今後も変わらず暖かい御理解と厳しい御助言をいただけることを心からお願いする次第である。

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