アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.85
大学学長の世界―IAUP第13回年次大会に参加して(上)
谷岡一郎大阪商業大学学長が副会長を務める世界大学総長協会(IAUP)の第13回年次大会が6月末、オーストラリアのシドニーで開催された。会議の概要は既に本紙の7月10日付けで掲載されているが、同行した筆者が分科会での議論やパーティの席上での会話を通して知り得た世界の大学学長の関心事や最近の事情について報告する。
IAUPの活動は1987年の第8回大会以降、私立大学を中心とした多くの日本の高等教育機関がその活動に積極的に参画し、93年には日本が主催国となって設立30周年記念を兼ねた第10回年次総会を神戸で開催した経緯がある。
世界的な大学関係の団体としてはもう一つIAU(国際大学協会)があるが、IAUが機関加盟を前提とし、その国を代表するような歴史と伝統のある大学が多く参加しているのに対して、IAUPは名前が示すように大学の学長・総長の個人加盟を原則とし、参加校はどちらかといえば、歴史的に新しい大学が多いのが特色である。設立の趣旨も、多忙を極める総長・学長がしばらく現場から離れ、自由に議論と相互の交流と意見交換をするというように、当初は、週末にご夫人同伴でのんびりと美味しいものを食べながらインフォーマルな会談を行うリトリートクラブ的な性格を持っていた。しかし最近の会議では、世界の大学が直面する数多くのアジェンダが掲げられ、大学内外の専門家も多数参加する国際的な会議として発展・変化してきている。その一方で、自由闊達な意見交換と個人的交流を行うという基本的な性格はあちこちに見受けられた。
最近では女性の学長が増え、これまで同伴者といえば夫人であったが、今回、会長になられたオーストラリアのニューイングランド大学のモーゼズ学長は女性で、ご主人が私は同伴者だからといって会場の隅でおとなしく座っておられ、レセプションでも内助の功を発揮する姿を拝見した。
また、学長職の在任期間についての話題で話が盛り上がった際、「最近どこの大学も学長がよく替わるが、ワンクールも経験しない学長が増えているのはどうなのだろう、3年制大学なら3年間、4年制大学なら最低4年間はその職に居なければ、改革や変革は難しいのではないか」という意見が出れば、「しかし10年以上に亘って在職するのはやはり問題だ」などと10年近く学長を務めるアメリカの州立大学学長が発言すると、南米ブラジルの私立大学学長が「私の父が作り、大きくした大学の伝統を正しく継げるのは自分以外にいない」とキャリア25年を誇るといった具合いである。
女性の学長・管理職が増加しているのは世界的な傾向だが、興味を覚えたのは国を越えた学長就任という出来事である。事務局長に就任したニュージーランド国立大学協会会長・マッセイ大学のマックワー学長は、この秋からオーストラリアのアデレード大学の学長に就任するという。またオーストリアの国立グラッツ大学の新学長にはドイツ人のゼッヒリン氏が就任した。話を伺うと同じ言語圏だから当然といった様子。EUの統合が進むヨーロッパでは、企業のトップの30%近くが外国人、アメリカのメジャーリーグで活躍する選手の26%は外国人なのだから、大学学長の世界にも当然そのような傾向は益々広がるだろうという。2人の事例は共にその国の国立大学でのことである。日本では10年ほど前に国立大学における外国人教師の資格をめぐる議論が展開されたが、高等教育の国際化は、学生の移動からカリキュラムや教師・学長職の世界にまで広がってきているようだ。日本についても、野球のイチロー選手やサッカーの中田英寿選手の例を向こうから示され、日本人の学長も世界の大学からヘッドハンティングされたり、多くの外国人学長が日本の大学で活躍する時代がすぐ来るから心配ないだろうとの話だ。
国際会議で日本人の3S(Smile, Silence, Sleep)が揶揄された時代は昔のことと思う反面、オーストラリアと日本が中心に進めているアジア版のエラスムスプログラムであるUMAP(環太平洋大学交流機構)がなかなか具体的な活動に進展しない理由の一つは、参加する学生の語学力だけでなく、参加校の担当責任者や教員の語学力が不十分なため、実際に活動する局面で問題が派生しているような気がする。エラスムスプログラムでは、例えば経済の分野では各国の商法の違いだけでなく、商習慣の違いなどを具体的に教えるカリキュラムが開発されている。教育分野でも新たなヨーロピアンという共通概念を学生にも教員・職員の中にも作り上げようとしていると聞いており、表敬訪問や体験留学・語学研修を超えたカリキュラムの共同開発や国際的なファカルティ・ディべロップメントも要請されている事を認識させられた。
大学の財政問題があまり議論にならなかったのは、もはや国立大学システムを固持する国々においても、少なくとも先進国では公的援助はもうこれ以上増加できないという状況判断とそれに対する対策が軌道に乗っているからではないかとの印象を受けた。アメリカの州立大学の授業料が高騰し続け、私立大学を圧迫しているとの記事がクロニクル紙に報道されていたが、37校の国立大学が中心となっているオーストラリアでも、国庫援助が大学総予算の30%しかない大学から100%のものまで自助努力が多様化し、成功しているとのこと。
ちなみに80%の援助を受けているのがACU(オーストラリア・カトリック大学)で、名前からは私立大学のように思われるが、れっきとした国立大学である。学長によるとオーストラリアの大学は歴史的に英国国教会と密接な関係があり、カトリック教徒はそのような環境のもとで独自の教育を長い間推進してきたので、現在援助を受けるのは当然とのこと。改めて、それぞれの国には固有の大学の歴史と発展形態が存在していることを知らされた。意地悪く、他のキリスト教宗派も似たような経過を辿ったのではないかと質問すると、言下にカトリック教徒ほどの苦難と貢献をしてこなかったとの返事だった。現在ではACU Nationalというロゴを多用し、別なカトリック系私立大学との区別化を図っている。
〈つづく〉