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アルカディア学報

No.106

IT基盤整備の課題―教育の質的改善実現に向けて(上)

カーネギー財団 上級研究員・同知識メディア研究所ディレクター 飯吉 透

 昨年12月20日に開催された私学高等教育研究所主催の第16回公開研究会では、「アメリカの高等教育におけるパラダイム転換―スカラシップ・オブ・ティーチングと知的フィランソロフィ」と題した講演をさせていただく機会を得た。講演の詳しい内容については、メディア教育開発センター教授(私学高等教育研究所研究員)の吉田 文氏が、アルカディア学報105(第2090号) でまとめられているので、そちらを参照していただきたいが、「アメリカの高等教育界でIT(情報技術)基盤の整備が急速に進められていく中で、高等教育の質的改善のための様々な新しい試みが行われている」というのが、話の骨子であった。この講演の内容を踏まえ、今回と次回の2回に渡って、現時点でこれらの試みが提起するもの、またこれらが相互に作用しながら今後のアメリカの、ひいては世界の、高等教育をどのように変えていくか、という可能性について考察してみたい。
 講演の中で、「大学にITが浸透していくにつれ、やがて日本の高等教育界でも、現在アメリカで見られるような変革が起こるのか」という問いに対し、私は「それは、わからない」と答えた。一般的に「e―ラーニング」と呼ばれているネットワークを利用した遠隔学習システムは、今後日本の大学でも普及が進むだろう。しかし、これが半ば自動的に教材や教授法、教員の教授能力の質的向上を促進するわけではない。それどころか、安易に講義や教材をオンライン化したために、かえって教育の質的低下を招くという事態もあり得る。実際、アメリカの大学でも講義のオンライン化が進む中で、このような問題は頻繁に起きている。「ITを活用すれば教育は必ず改善される」というのは盲信であり、技術的な観点だけではなく、文化的・制度的な観点に立った未来像と戦略がなければ、ITを利用した教育システムの質的向上は望めない。
 「教育実践と学びの知的コミュニティ」が教育の質的向上を図る際に欠かせないのは、カリキュラムや教材、実践を通して得られた教授法と学習に関する知識の「共有」「吟味と深化」「蓄積」である。この各々のプロセスを、テクノロジーが効果的に支援することができれば、ITを利用した教育の質的向上が可能になる。15世紀中頃、グーテンベルグが印刷機を発明してからわずか50年の間に、ヨーロッパの約350の都市で1000以上の印刷所が作られ、約3万種、推定900万冊の書物が発行された、という。それまで一部の限られた人々に占有されていた知識が、コミュニティ全体に広く普及することになったのは、まさに革命的な出来事だった。このように、活版印刷技術が知識の広範な共有を可能にしたわけだが、ネットワーク技術は、単に知識をまとめて書物のような形で頒布するだけではなく、知識を生み出すプロセスそのものを共有することを可能にする。  例えば「Harveyプロジェクト」は、人間生理学のオンライン教材を、様々な機関から集まった教員、研究者、プログラマーなどがオンライン上で協力しながら作り上げているプロジェクトだ。このように作られた教材は、オープンソース化(一般に公開し、非営利目的であれば、誰でも無償で利用できるようにすること。知的所有権は保護されているが、内容の修正や改変は自由に認められている場合が多い)され、インターネットを通じて頒布される。さらに、「MERLOT(Multimedia Educational Resource for Learning and Online Teaching)プロジェクト」は、同様の試みを複数の学問分野(現在、生物、ビジネス、化学、工学、歴史などの13分野)に渡って可能にするためのオンライン教材データーベースを構築している。既に何百ものオープンソース化された教材が収容されており、その数は増え続けている。これらの教材は、実際に利用される過程で吟味され、必要に応じて手直しされていくので、その質は次第に高められていく。また、以前にも紹介したMIT(マサチューセッツ工科大学)の「OCW(Open Course Ware)プロジェクト」は、同大学の2000余りの講義用教材を、全てネットワーク上で一般無料公開し、世界中の大学や教員に自由に使って貰おうという、まさに「知的フィランソロフィ」と呼ぶのにふさわしい試みである。
 知的生産物とその生成過程を共有する「オープンソース・モデル」を機能させるためには、共通した価値観と目的を持った有志によるコミュニティの形成とその維持が不可欠であるが、アメリカの高等教育が、個々の教員や大学の利害を越えて、このような文化を受け入れ、かつ享受しているのは、ある意味で驚異的といえる。そこには、公益としての高等教育の進展を、そのコミュニティに属するものの責務として支援しようという、民主主義的な理念と姿勢すら感じられる。
 知的コミュニティにおいて「オープンソース・モデル」を機能させるために必要なもう一つの要素は、「知識」を自由に流通させるための基盤の整備だ。例えば、世界的な金融システムとその発展は、各国の通貨をスムーズに交換可能にする流通機構の確立なしにはあり得なかった。創設されてから既に半世紀以上になるIMF(国際通貨基金)の設立当初の役割は、外国為替相場の安定を図るために、国際通貨に関する加盟国間協議を行うことだった。
 知的コミュニティとしての高等教育における「通貨」は「知」であり、世界に拡がる金融ネットワークシステムのように、個々の教員や高等教育機関が自由に「知」を流通させられる「知のネットワークシステム」が求められている。そのようなシステム作りを主導するには、IMFのような組織が必要だが、現在アメリカの高等教育界において、そのような役割を果たしているのが、IMS Global Learning Consortiumや、Advanced Distributed Learning(SCORM)と呼ばれる非営利組織だ。これらの組織は、大学や企業、政府などの共同出資によって運営され、オンライン学習システムやデジタル・ライブラリ・システムなど、各大学が共用可能なシステムのための基準やガイドライン作りを行っている。
 オープンソース化された次世代のオンライン学習システムを開発しているMITのOKI(Open Knowledge Initiative)、前出のMERLOTやOCWなどのプロジェクトも、IMSやADL(SCORM)と緊密な連携を取りながら開発を進めている。もし、個々の大学やプロジェクトが、自己本位なITの導入や情報システム作りを進めれば、知のコミュニティは、オンライン上で「無数の離れ小島」のようになってしまうだろう。その意味で、IMSやADL(SCORM)の存在は、10年、20年先を見越した長期的な展望に立った「ITを利用した国家規模での高等教育システムの改善」を確実なものにしていると言える。
 最後に指摘しておきたいのは、これらの試み全てが、どれ一つとして政・官主導で進められているわけではない、ということだ。現在日本では、教育システムの地方分立化や国立大学の法人化などにより、「中央集権的な教育政策」のあり方が抜本的に見直されている。そのような改革の最中にあって、是非考えてもらいたいのが、「『知的コミュニティ』としての高等教育を、『総体』として改善し続けるための基盤整備」に関する戦略だ。アメリカでは、コミュニティ・カレッジから大学院大学まで、全ての教育機関が連携を取りつつ、ITの導入によって高等教育を生まれ変わらせようと努力している。「トップ30校だけを政府が重点的に支援する」というような教育政策には、疑問を呈せざるを得ない。