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アルカディア学報

No.105

教授法理論化への挑戦――第16回公開研究会の議論から

メディア教育開発センター教授  吉田 文

 昨年12月20日に開催された私学高等教育研究所主催の第16回公開研究会は、立ち見がでるほど多くの聴衆に囲まれた講演であった。演者の一人が、カーネギー財団上級研究員にして知識メディア研究所のディレクターである飯吉 透氏である。氏は、「アメリカの高等教育におけるパラダイム転換―スカラシップ・オブ・ティーチングと知的フィランソロフィー」と題して、ITの高等教育への浸透が、教授・学習の質の向上を組織的に行おうとする動きをもたらしていることに関して、各種の取り組みの実践事例を含んで講演された。その内容をここで簡単にご紹介したい。
 「スカラシップ・オブ・ティーチング・アンド・ラーニング」とは日本では、まだ、あまり馴染みのない概念である。これを定義すれば「教授実践を記録し公開し、それを教員が相互に検討しあって、教授・学習に関する実践的知識を蓄積する研究」ということになる。これを積極的に行っているのが、カーネギー財団知識メディア研究所であり、ここでは、効果的な教授法から、テクノロジーやメディアを利用して「知」を引き出し、それを理論化し資源とすることで、大学や教員を支援することをミッションとしている。とくに、「Carnegie Aca-demy for the Sch-olarship of Teach-ing and Learning(CASTL)」というプログラムのうち、一九九八年から始まっている「カーネギー教員プログラム」では、毎年、全米の大学から24の学問分野の教員20~40名を自薦・他薦で選出し1年間のフェローシップを付与している。これは、教授法の改善を目的とする教員のワークショップであり、選ばれた教員は、自ら研究テーマと設定して教育実践に取り組み、その教育実践研究の目的・過程・成果を記録し、相互に共有して検討するのである。もう少し具体的にいえば、教員は、自らの授業をビデオに記録するとともに、コースのシラバス、開発あるいは使用した教材、学生の中間レポートや評価データ、教員自らの研究レポートなどを資料とする。
 そして、これらの資料を共有し相互に検討し、さらに蓄積するために登場するのがITなのである。ここで、知識メディア研究所が、開発したオンライン支援ツールが威力を発揮する。教員の実践記録はマルチメディア・ポートフォリオとしてデータ・ベース化されるのである。これは、カーネギー財団のウェッブ・サイトのKMLギャラリー から見ることができるが、授業実践にかかわる資料が掲載されているだけでなく、議論用の掲示板において相互の検討がなされている場合もある。授業記録の動画、授業で利用した図版や写真などの静止画、学生のレポートなどのテキスト、これらをさまざまに組み合わせて、なお、遠隔地から同時に共有できるという、ウェブの特性が有効に利用されている。
 問題は、その先にある。授業実践とはたぶんに経験と勘に頼って行われるものであるため、そこから他者にも有効に利用できる要素をどのように取り出し、それを伝達可能な形態にし、さらに、そうした知をどのように体系化して理論化していくかということだ。たとえば、ある新しい試みをもった授業をしたが、学生は充分に理解できないといった問題があることが明らかな場合、その問題の所在を突き止めることが必要だが、試みそのものに問題があったのか、教え方に問題があったのか、学生とのコミュニケーションが不足していたのか、それを探し出すことは容易ではない。また、その問題を突き止めた後、それを解決するための方法を考えることも容易ではない。そのうえ、そうした個別の事例から得られた知見が、他のどのような場合に適用可能かを検討して理論化していくことは、困難を極める。大学教員の第一の役割であり、日常的に繰り返している「教授・学習」とは、これほど複雑なメカニズムをもつシステムだということである。知識メディア研究所では、ITの力を利用して、全米の大学の教員のコミュニティを形成していくことで、それに挑戦しているのである。その企画の壮大さと実践力に驚かされる。
 だが、これは必ずしも知識メディア研究所における排他的な試みではないと、氏は言われる。教授・学習過程の質の向上が、アメリカの大学の意識化された課題となっていることに加え、近年「教授活動の公開」が「知的フィランソロフィー(慈善)」だとする動きが生じていることが関係しているのだという。その例として、MITが、同大学の200以上の講義で用いられている教材をインターネット上で無料公開するとしてはじめたオープン・コースウェア・プロジェクト(OCW)や、同じくMITがスタンフォード大学やミシガン大学と共同で行っているeラーニングのプラットフォームの開発プロジェクト(OKI)、eラーニングで利用可能な教材を集めるメロー・プロジェクト(MERLOT)などがあげられている。ITの浸透が、これらのプロジェクトを可能にしているのだが、ITの公開性という特性が、教授活動の公開が教授・学習過程の質の向上につながるという考え方を促している側面があるのかもしれない。
 ただ、ここであげられた3つのプロジェクトは、授業にかかわる教材の公開であって「授業」の公開ではない。ここにCASTLとの違いがある。CASTLと同様の試みとしては、ジョージタウン大学のビジブル・ナレッジ・プロジェクト(VKP)やバンダビルド大学のファカルティ・イノベーティブ・プロファイル・プロジェクト(FIPP)などがあり、教授・学習過程を分析して研究しようとする動きも徐々にはじまっている。
 確かに、これまでもアメリカにおいては優秀教育賞を設けている大学は多く、「授業」を重視する風潮は強かった。だが、それらと、ここであげたCASTLをはじめとするプロジェクトの違いは、授業の上手さを結果として評価するのではなく、教授・学習の過程を分析して体系化・理論化しようという点、そのために教授・学習過程を蓄積し、体系化・理論化を専門とする研究者と教員とのコミュニティを形成して行おうという点にある。
 日本でもファカルティ・ディベロップメント(FD)の必要性がいわれ、2001年度には61%の大学が実施したと報告されているが、多くが講演会で終わっているのが実情である。授業の公開も、教授・学習過程を分析しつつ、研究者と教員との知的なコミュニティを形成しようという動きも、ごく一部で行われているに過ぎない。今後、日本におけるFDがどの程度実質的に定着するか、まだ不明な部分が多いが、知識メディア研究所で行っているような教授・学習過程の実践的かつ理論的研究は、現実的問題への対処としても、高等教育研究の一領域としても必要になってくるのではないだろうか。