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教育学術オンライン

平成24年7月 第2491号(7月25日)

大学は往く 新しい学園像を求めて 〈51〉
  日本女子体育大学
  「身体知」備えた学生育成
  全人教育で高い就職率 一般企業への就職増加

 スポーツ・ダンス・健康・幼児教育…自分が好きな分野をじっくり学べる大学。日本女子体育大学(永島惇正学長、東京都世田谷区北烏山)は、体育学部に運動科学科(スポーツ科学専攻・舞踊学専攻)とスポーツ健康学科(健康スポーツ学専攻・幼児発達学専攻)の2学科を備えた女子専門の体育大学。開学以来、競技スポーツ、舞踊表現、楽しみや健康のためのスポーツ、幼児の発達等の研究教育を通して教養ある有能な女性指導者を育成してきた。近年、「身体知」を備えた同大の学生の就職率は高い。日本女子体育大学は、二人の人物を抜きにしては語れない。創立者の二階堂トクヨとオリンピックで日本の女子選手として初めて出場して800メートルで銀メダルに輝いた人見絹枝。この2人のこと、教育研究や「身体知」と就職、そして、大学のこれからなどを学長に聞いた。(文中敬称略)

二階堂トクヨと人見絹枝 2人の教え、脈々と

 ロンドンオリンピックが女子サッカーなど一部競技で始まった。日本選手の活躍に国民はテレビの前にくぎ付けだ。日本女子体育大学からは卒業生を含めて4人の選手が出場している。
 フェンシング女子フルーレの西岡詩穂(スポーツ科学専攻4年)。新体操の田中琴乃(スポーツ科学専攻3年)。卒業生では、陸上女子20キロ競歩の大利久美と女子サッカーの岩清水 梓。岩清水は、なでしこジャパン日本代表として2011年W杯優勝メンバー。
 ロンドン五輪4人出場
 学長の永島が選手たちにエールを送る。「新体操では、北京五輪に出場した遠藤由華も出場が確実視されていましたが、5月に左足骨折をして離脱してしまいました。出場する4人の選手は遠藤君の分まで頑張ってほしい」
 日本女子体育大学は、1922年に開塾した女子体育指導者の育成を目的とした二階堂体操塾が淵源である。1926年、日本女子体育専門学校となり、1965年、日本女子体育大学として開学。現在、体育学部2学科4専攻に約2200人の学生が学ぶ。
 学長の永島が大学を語る。「二階堂体操塾の伝統を受け継ぎ、長きにわたって体育教員の養成に傾注。創立者二階堂トクヨの目指した狭義の『体育』を越え、広くスポーツ、舞踊、健康、保育に関する専門教育、加えて広範な教養の修得、すなわち全人教育を行っています」
 永島が4専攻の特長を説明する。スポーツ科学専攻。「スポーツ方法、スポーツコーチング、スポーツコンディショニングの三つを柱に学習。アスリートや体育教員の育成はもちろん、コーチや地域スポーツの指導員などを幅広く育成します」
 舞踊学専攻。「舞踊芸術、舞踊指導法、舞台制作を柱に学習。表現力を高め、舞踊家として、また、舞踊指導者として芸術的感性豊かな人材を育成します」
 健康スポーツ学専攻。「学校や地域の体育・スポーツ活動の指導や、幅広い年齢層への健康運動指導、また、スポーツを支援するシステムづくりや運営を学んでいます」
 幼児発達学専攻。「子どもの健康と発達、子どもの運動能力や感性、子育て支援を柱に学習。幼児期の情操教育に不可欠な運動を学びながら、幼児教育や福祉など、新たな社会のニーズに応える保育者を養成します」
 さて、同大ゆかりの二人の人物。二階堂トクヨは、宮城県三本木生まれ。福島県師範学校を経て東京女子高等師範学校文科(現お茶の水女子大学)を卒業。赴任した石川県立高女で、国語が専攻なのに、最も苦手な体操も受け持たされた。
 トクヨは、この予期せぬ事態に、「女子体育を天職とする」という決意を固める。その後、イギリスのキングスフィールド体操専門学校に留学。マダム・オスターバーグ女史に出会い、「体育の技術だけでなく、広い教養を身につけた優れた体育教師を育成しよう」と独力で二階堂体操塾を創立する。
 「塾創立時から生理学・衛生学・解剖学・国語・英語・音楽・心理・倫理などが教育に組み込まれていた。トクヨの心にある『女らしい教育』とは、男性と対等であり平等である『女性』のための教育であり、目指すところは家庭教育や社会教育までを視野に入れた女子教育でした」
 イギリスで目にし、体験した寄宿舎での全人教育。トクヨは教育と生活の場の一体化を目指して二階堂体操塾を全寮制にした。この二階堂体操塾の第3期生として入学してきたのが人見絹枝だった。
 絹枝は、岡山県御津郡福浜村(現岡山市)生まれ。県立岡山高等女学校在学中、走り幅跳びで女子日本最高記録を出した。二階堂体操塾を卒業後、京都第一高等女学校の体操教師などを勤めたあと、大阪毎日新聞社に入った。
 運動部記者として活躍する一方、スウェーデンで行われた世界女子オリンピックでは、走り幅跳びで世界新をマークして優勝。アムステルダムオリンピックで銀メダルに輝いた。
日本の女性史に残る
 「人見絹枝は、銀メダリストだけではなく、女性は社会の中でどう生きるべきか、を常に考える教養豊かな文化人でもありました。日本の女性史にも名前が残る人物だと思います」
 人見絹枝は、「身体知」を備えた女性アスリートだった。この「身体知」が現在の日本女子体育大学の教育の柱の一つになっている。永島が説明する。
 「大リーグのイチローは、身体だけでなく脳も知も総動員できるからこそ活躍できるのです。走り幅跳びを例にとると、どう走って、どう跳ぶかと仮説を立ててから、実地に跳ぶことで問題解決します。この一連の過程に身体知が働きます」
 具体的には?「かつて体育大学の学生は元気で明るく上司の言うことは素直に聞く、ことが期待されていました。いま、企業が求めているのは、スポーツや舞踊で培った独自の知性、すなわち身体知なのです。人間が人間らしく生きるうえで、身体知が求められているのです」
キャリアセンターの力
 この同大の学生が体得した「身体知」が、就職力の源泉にあるようだ。ハード面では、平成18年設置の「キャリアセンター」が就職率向上に貢献している。
 キャリアセンターは、それまでの就職課を再編して開設された。「現在はキャリアカウンセラーが常駐しています。学生への就職先の紹介にとどまらず、職業や労働についての学生の意識向上、進路の選択・資格取得の支援、就職先の開拓、各種の資格講座や就職合宿の実施など幅広く活動しています」
 平成23年度の就職率は99.2%で、12年連続で就職率90%を確保した。就職先は、近年、一般企業44.4%、教員23.6%、生涯スポーツ分野17.8%というように一般企業に就職する学生が増えている。
女性の自立と社会貢献
 最後に、大学のこれからを聞いた。「開学以来、女性の自立と女性による社会貢献という旗を掲げて、社会に一定の影響力を持ちながらやってきました。女性だけの大学だから、カリキュラムの『女性と仕事』といった女性の自立に関する科目も、身体知を備えた学生の育成も進めることが出来た」
 こう続けた。「これからも、学生の情熱を大切にし、競技スポーツだけでなく、幼児から中高年までが楽しみ、健康向上に貢献できるスポーツやダンス、幼児教育を学び、保健体育の教員、幼稚園の教員・保育士のほか、多方面で活躍できる女性を育成していきたい」
 創立者の二階堂トクヨの「全人教育」と、日本の女子選手として初めてオリンピックで銀メダルに輝いた人見絹枝の兼ね備えた「身体知」は、日本女子体育大学の底流に脈々とある。


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