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教育学術オンライン

平成21年5月 第2360号(5月27日)

社会人大学院生増加のシナリオ
 早稲田大学教育・総合科学学術院 吉田 文教授に聞く

 生涯学習の実現などの社会の要請、18歳人口減少への対応として、大学院への社会人受入れが大きな課題となっている。東京大学大学院の金子元久教授の授業で行なった調査によれば、社会人の受入れをうたっている大学院研究科・専攻数は、2007年12月時点で831研究科・専攻。日本の大学院の修士課程の研究科数は約1700程度であるから、約半数が受入れているという。しかしながら、社会人の大学院入学者数は伸び悩んでいる。学校基本調査によれば、修士社会人は8000人前後、博士社会人は5000人前後、専門職社会人は3500人前後で推移している。社会人大学院生を増加させるには今後どうしたらよいのか。特に経営、法科、コンテンツ系の専門職大学院の社会人学生の動向について、最近研究成果をまとめられた、早稲田大学教育・総合科学学術院の吉田 文教授に話を聞いた。

「大学院有効」エビデンス示せ
専門職大学院を3分野に分けて調査

 ―このたび、専門職大学院生の動向についての調査をされました。
 昨年、専門職大学院の学生がどのような知識、能力、態度を身につけ、卒業後にどのような進路展望を描いているかについて全国調査をしました。
 分かってきたことは、専門職大学院にはまだまだ問題点はあるものの、カリキュラムを工夫したり、実務家教員とアカデミック教員の組み合わせを工夫したり、かなり努力をして教育の質を上げているということです。しかし、多くが定員割れをしているのもまた事実。加えて、社会の評価もまだまだ低い。これは何故かということです。
 調査では、専門分野を大きく三つのカテゴリに分けました。@経営系(MBA、公共政策、ファイナンス等)、A法科系、Bコンテンツ系(IT、ファッション、映像など)です。
 ―まず、経営系の大学院生の特徴を。
 「フルタイム社会人」学生の比率が高く、「ストレートマスター(学士課程後、すぐに修士課程に進学する学生)」の比率は低いことがあげられます。会社辞職者もわずかにはいます。
 また、「大学卒業」の時点で、論理的思考力などの能力が身に付いたと感じるかについて聞いてみたところ、「フルタイム社会人」と「ストレートマスター」では差がありませんでした。しかし、「現在、そうした能力を身に付けているか」と聞いてみると、「フルタイム社会人」は「身に付けている」と回答する比率が圧倒的に高くなりました。これが第一の発見でした。
 次に、専門職大学院の教育効果について、ソフト面とハード面の環境要因がどのくらい影響しているかを調べました。すると、講義内容の質、カリキュラムの体系性、研究指導等の「ソフト面」が充実していると認識している学生は成績が伸びていました。施設設備や教員の数、本の数といった「ハード面」は、成績に影響はありませんでした。
 「フルタイム社会人」は仕事があるので学習時間は少ないのですが、特にソフト面の環境をうまく利用して密度の濃い学習をしています。仕事と大学院を相対化しながら、うまく能力の獲得に結び付けているようです。
 また、同じ社会人でも年齢により学習効果が違うようで、30代が最も効果的です。10年の職業経験の後に、「仕事を見直したい」と考える社会人がうまく大学院を使っています。
 ―法科系の特徴は。
 会社を辞職した社会人が多いということです。彼らは進路意識が非常に明確で、背水の陣を敷いて入学している。司法試験以外の選択肢を考えていないのです。一方、「ストレートマスター」や「フルタイム社会人」の学生は、単にキャリアアップのためとか、卒業後は法曹職以外のキャリアを考えている人も多い。
 能力面でいうと、辞職者が司法試験に必須な専門知識と論理的思考力を伸ばしている。学習量も多く、学習熱心なので、能力の獲得に結びついていると言えます。
 一方、辞職者は、相対的に大学院教育に対する評価が低い。明確な進路意識があるからこそ、大学院だけには依存しないで、自律して勉強しようとする姿勢があるからでしょう。司法試験が当初の思惑と異なり狭き門になっているので、大学院だけに依存できないような状況になっているのかもしれません。
 一方、大学院をポジティブに捉えているのが、「ストレートマスター」や「フルタイム社会人」です。多様なキャリアの選択肢を考えているから、大学院をもう少し好意的に評価しているようです。
 興味深いのは、「資格の準備を目的としてカリキュラムや授業を組み立てている大学院では、逆に学生の能力が伸びていない」との結果が出ていることです。現実の課題に即した学習や、職場での実践能力を伸ばす学習を提供している大学院の学生の方が、結果的に能力を伸ばしているようです。
 ―最後にコンテンツ系の特徴は。
 コンテンツ系は「フルタイム社会人」、「ストレートマスター」が半々です。学生全体の特徴としては、入学以前にその領域を学習し、それなりの専門知識を身に付けている者が多いこと、卒業後に起業を考えている者が多いことをあげられます。また、他の領域と比較して専門学校から、学部を経ずに大学院へ入学した者が多い。就業経験のある者は概して職場の条件に不満があり、大学院を経由してステップアップを図ろうとしています。IT系の場合、社会人と社会人経験のない学生とで、能力の向上の度合いにもっとも顕著な差が表れています。どの知識・能力の項目でも社会人の能力の伸びは非社会人を大きく凌駕しており、社会人と専門職大学院の親和性の高さは明瞭です。
 三つの分野全体に言えるのは、専門知識もさることながら、論理的思考能力、問題に取り組むための見方や手法、コミュニケーション能力、プレゼンテーション能力、時間管理能力などを獲得しているということです。仕事と大学院での学びの相互作用でこうした能力やスキルが伸びています。現場での多様な経験を、大学院において論理的に整理して行くプロセスが進行していると考えられます。

 引き出しを増やし棚卸しをする
 ―企業は何故こうした特徴に目が行かないのでしょうか。
 これまで企業は、「能力は現場で身に付けるもの」という先入観で大学教育を軽視してきました。しかし、大学での学びの成果は実際の職業遂行上にすぐに目に見えるのではなく、じわじわと影響するものだから目に見えづらいのです。
 確かに、現場の問題を論理的に分解して因果構造を明らかにしていく力は、現場の経験を通して身につけることができます。しかし、現場の体験と大学で学習する理論を相互的にまとめていくことで、現場だけでは気付かない、より深い理解にたった問題解決の可能性が高まります。更にその問題に類似したさまざまな事例を学ぶことは、自分の「引き出し」を増やし、用途に応じて使い分けるチャンスを増やします。
 それらを現実にどう使いこなしていくかは、更に仕事を重ね、場数を踏むことで「引き出しの開け方」がうまくなっていくのでしょう。日本の経営者がMBAに疑問を持つのはこの辺の“タイムラグ”なのだろうと思います。大学の機能をもう少し長い目で見て頂きたいですし、大学側も、大学院は即戦力の学びを提供するものではないが、仕事の深い理解に繋がり長期的に見れば生産性の向上に寄与するものだとPRしていかなければなりません。
 それに、大学院は、知識や能力の獲得の場であると同時に、キャリアの棚卸しの機会でもあります。自己成長、精神的な成長、あるいは自信と結びつくような。調査の中でも、30歳以降の学生の相対的な満足度はすごく上がっている。今の経営者は、過去に自分を振り返る必要がない社会情勢だったのかもしれませんし、今もなお、そのモデルが続いているようです。しかし、今後、それだけでいいのかどうか…。
 こうしたタイムラグや棚卸しを、企業が「投資」と考えてくれるかどうか。投資と考えて、若干の補助や支援を考えてくれるかどうかですね。また、大学側も産学連携、相互交流を行ない、ニーズに合ったプログラムを提供することも必要だと思います。
 ―企業にはどのようにアピールすべきですか。
 日本の企業は、これまで人材を大事にしてきたと言ってきましたが、それは終身雇用や福利厚生のことであって、大学教育に期待をしたり、企業外で知識や能力を身に付けさせる、ということではなかったようです。能力の向上はOJTが重要という考えですね。
 また、“数”の問題があります。工学系は別として社会系の大学院修了者は少なく、職場に一人か二人いるかといったところですから、その効果は分からない。まだまだ「専門職大学院って何?」という状況です。一定以上のマスにならないと効果は見えてこない。
 今後、知識基盤社会、グローバル社会で競争していく中で、社員の人材育成を内部の研修やOJTのみで担っていくのは限界があるでしょう。しかし、社会人の再学習を浸透させるには、これまで述べてきたように「確かに効果がある」ということをエビデンスで示してアピールすべきです。
 ―欧米では、社会人の大学院教育が重視されています。
 アメリカでプロフェッショナル・スクールが増加したのは、1960年代以降であり、その後、多様なプロフェッショナル・スクールが設立されました。その多くは、各種の専門職団体がその職種の高度化をめざしたことによるものです。アメリカのプロフェッショナル・スクールのうち、MBAを取得できる経営大学院は近年、ヨーロッパや中国、インドなどに広がりを見せています。これをアメリカの世界標準化とみることもできますが、いずれも、ビジネスのグローバル化と大きく関係した現象といってよいと思います。

 日本企業はアメーバ式
 ―働き方も違います。
 そう、欧米と日本では人事システムが大きく違いますね。一言で言えば、ジグソーパズル式とアメーバ式。
 アメリカは、ジョブディスクリプション(職務記述書)が明確です。ある企業のある課のあるポジションは、これとこれが出来る人、あるいはこの学歴と明確に決まっています。だから、ジグソーパズル式。要求される事項が明確なので、転職に必要な能力や知識を取得するモチベーションとなる。MBA修了が大きなキャリアアップにつながる可能性もありますし、大学院は転職や昇格の重要な要素の一つです。採用側は、その条件においてアプライしてきた求職者の中から一番良い人を取るという方式です。
 一方、日本の場合は、融通無碍と言えば聞こえは良いのですが、要するに「ある部課に仕事」があって、そこの「全課員で」仕事をしているわけです。周囲との相互協力のもとに仕事をこなしていく。良い悪いではなく、そういう仕事の仕方だから、求められる能力や知識の範囲が見えにくい。これがアメーバ式です。だからこそ大学・大学院でどのような能力を獲得してほしいか、採用基準は何かについて、企業側は曖昧な形でしか提示できないということだと思います。
 そうなると、企業の採用基準は外からは見えない。コミュニケーション能力等とはいわれますが、「何が出来たらコミュニケーション能力があるのか」はよく分からないし、企業も言語化できていない。面接をやってみて、「ああ、この人はできそう」「この人は合わなそう」となってしまっている。
 日本の大学院学生もキャリアアップのために、あるいは、仕事の幅を広げるために専門職大学院を利用することはありますし、日米のMBAの学習内容が、かけ離れているかというとそんなことはありません。
 要は、大学院を修了したことで能力があるとみなしている社会と、二年間では変わらないと評価する社会との違いということです。
 ―グローバル社会、知識基盤社会の中で、大学院が果たす役割は。
 これまで企業は、組織内で教育すればよいと考えていたと思いますが、グローバル社会、知識基盤社会に転換するにつれ、それがうまくいかなくなってきたのが現状ではないでしょうか。
 例えば、2000年以降、非正規雇用が増加しました。彼らは正規職員のように、職業経験を蓄積できません。今後、彼らが40歳代になり管理職・経営層になる年頃に、OJTによる知識・能力を獲得していない者が多く出てくることになります。
 彼らが中堅になりつつあるときに、本当に組織の中堅として支えていけるのか。そういうことを考えて欲しいと思います。大局的に見て、日本の社会を担っていく労働力をどう育成していくか非常に大きな問題です。企業経営者は目先の利益だけではなく、きちんと人材に投資をして日本の将来を見据えて欲しい。大学院側も、こうした人材の問題にうまく対応できていければよいと思います。

 流動モデルでの学歴評価を
 ―大学にアドバイスを。
 大学側でもできることはあります。例えば、学部時代にいわゆる「学び習慣」を向上させておくことも必要だと思います。大学院での研究の楽しさを学部時代に少し経験させると、大学院に対する期待を持たせることができるかもしれません。学習に対する「向学心」はある日突然できるのではなく、それまでの蓄積が重要です。仕事をしながら「もう一回勉強したい!」と考える人は、学びの蓄積があるのだろうと思います。調査結果をみても、専門職大学院の在学者は、高校時代の成績もよく、周囲に大学進学者が多く、学部時代も比較的勉強していた者が多くなっています。
 これまで日本には、およそ20歳前半に教育が終了し、その後は就職する、という“固定モデル”しかなかった。右肩上がりの工業化社会、人生60年ならば、これでよかったのでしょう。しかし、人生80年で考えたときに、20歳から60歳までの40年間の職業生活を、大学の学部時代の四年間に習得した知識・能力だけですごしていけるかというと、そうではないだろうと。
 今まで「学歴が社会でどのように評価されるか」という研究も、“固定モデル”を前提として行われてきましたが、教育と労働市場を交互に行き来したり、同時並行で経験する“流動モデル”の中で教育の効果は何なのか。私は「遅れて取得した学歴」と呼んでいますが、いったん社会に出てから再取得した学歴がどのような効果があるのかを明らかにしていく必要があると考えます。このたびの研究を始めた動機でもありますし、今後もう少し詳細に分析をしていきたいと考えております。

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