平成19年1月 第2258号(1月10日)
■エッセイB 健康の調整
前二回の連載では、第一回はWHOによる健康の古典的憲章とその改正の提案を述べ、第二回ではセリエによるストレス学説と健康障害について述べた。
今回は、ルネ・デュボス(1901-1982)による健康に関するダイナミックな、または健康の調整に関する考え方について述べたいと思う。ルネ・デュボスは、フランス生まれの生物学者であったが、その後米国に国籍を移して、ロックフゥェラーにて活動を続けた。彼の名著「人間と適応(Man Adapting)」には次の言葉がある。
「健康な状態とか、病気の状態というものは、環境からの挑戦に適応しようと対処する努力に、生物が成功したか失敗したかの表現であるということがこの主題である」
この考えは、古くはクロード・ベルナール(1813-1872)の次の名句に基礎を置くものといえよう。
彼は今日の水と電解質の生理学の基礎を作った学者とも言えるものと思う。次の体液に関する言葉がそれである。
「人間は環境の中の生物であるけれども、内部環境をもっている。細胞というものが体液に浸っている。その体液のバランスが崩れると健康も冒される」
健康を完全無欠な不動のものとして理想化したものでなく、個体が環境にうまく適応する状態を重視し、その意味で健康をきわめてダイナミックに捕らえた定義である。体内の血液や組織内外の体液がいつもpH=7.4という生活上で一番好都合な状況に調節させるようなバッファー(緩衝剤)の仕組みによって保たれていることが、一つの健康のシンボルであると理解した。
私たちの健康というものは、高度な機器で検査をすればするほど、例えばペットスキャン、その他、性能の高い電子顕微鏡下に人間の組織を調べると、奇形や異状は必ず発見され、そのような意味では人間には純粋な意味での健康はありえない。
そこで、私たちが与えられた環境の中で生活する時、上手に環境に対応できる調節性を巧みに活用すれば、ストレス下でもバランスを失うことなく、困難な環境の中でも上手にこれを乗り切り、健康を保つことができるのである。
最後に私の健康に対する見解を次のごとく述べたい。
「健康というものには、外へ向かうからだの健康と同時に、内に向かう心の健康があり、後者の大切さがややもすれば忘れがちである。心が健康であるためには、肉体が健康であることが望ましいのは勿論である。肉体が病むと心がうずき、食欲もなくなり、生きる気力を失う。しかし、肉体の健康には限度がある。肉体の健康がいろいろな原因で失われても、人間の心の中に内的な生きる上での充実感があれば、それは肉体の欠陥を補って余りあるものとなるかもしれない。そのような場合は、私たちは孤独ではなく、寂しくもなく、また体は病人でも、その苦しみに耐えうる力が与えられる」