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平成19年1月 第2258号(1月10日)

校名と私の教育ヴィジョン

就実大学・就実短期大学学長 押谷善一郎

 創立一〇三年目の本学の校名「就実」は、日露戦争の勝利に浮かれた国民への戒めとして、明治四十一年に発せられた明治天皇の詔書の一節「華を去り実に就く」に由来しています。
 私たちの教育方針の根底には、まず表面的な華美を追うのではなく、内面の充実に努め、実用的なちからを養うことという、この「去華就実」の精神が流れています。もっとも、実用的とはいっても「心の充実」があってこそ人間としての十分な能力発揮が可能となり、その能力の発揮において誤りなきを期することができるという意味で「就実」を単に「実に就く」とのみ解するのではなく、「成就すべき心の充実」と解しています。
 そこで「心」とは、となるのですが、私はそれを二つに大別しています。一つは、情緒、情感、倫理性など人間本然の特性で、英語のハートに相当する心であり、他の一つは、思考とか知性などと結び付いた知的要素の濃厚な、英語のマインドに相当する心です。
 大学教育の主眼が後者に置かれるのは当然ですが、私はハートの方の心の涵養にも意を注ぐ必要があると思っています。大学生にハートの涵養など時期を失しているという意見もありますが、私は今の大学生には、それが必要だと考えています。
 大学が時代の要請に応えなければならないのは当然です。私たちも五年前に、薬学の進歩に応えるべく薬学部を創設し、本年四月には、小学校の英語教育も視野に入れ、真に実践力のある教員養成を目指した初等教育学科を開設します。
 とはいうものの、私はいつも、目先の戦略のみに気を取られることは避けなければならないと思っています。大学は何よりも大いに学ぶところであり、学問をしっかり教えるところだという大学の原点を忘れては、大学は自らの存在価値を放棄することになるという自戒の念を持っています。
 子どもが親の背中を見て育つように、学生も先生の背中を見て育ちます。教育第一という名に隠れて、教員自身が勉強を怠ることは許されません。学生を惹きつける生き生きとした授業は、教員の絶えざる勉強の裏打ちがあってこそ実現します。
 今こそ大学の原点を大切にすることが必要、などといえば、何を今どき(または、何を今さら)と笑われるでしょうか。

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