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平成26年11月 第2588号(11月26日)

 地方私大からの政策提言

  私立大学の使命と3つの提言

帝塚山大学 学長   岩井 洋

 平成26年、帝塚山大学は創立50周年を迎え、「伝統と革新」をキーワードに大学改革を推進している。平成24年の学長就任以来、「プロジェクトの帝塚山」を標榜し、産官学の連携による政策提案や商品開発等、プロジェクトを通した学びを「革新」の核に置いてきた。そして、奈良にある大学としてのアイデンティティと奈良で学ぶことの意義・意味を再認識し、奈良全体を学びのフィールドとする「奈良まるごとキャンパス」構想を打ち出し、地域を教育資源としたプロジェクト型学習を推進している。
 本学を含め、日本の大学の約8割を占める私立大学の使命は、いわゆるエリートの育成ではなく、社会を根底から支える「分厚い層」の育成にあると考える。その意味では、プロジェクト型学習は、社会で求められる「行動する力」「協働する力」「表現する力」を総合的に育成するのに適した教育方法のひとつといえる。現代の学生気質を私なりに表現すれば、「体温は低いが沸点も低い」ということになる。つまり、何事にも興味を示さず、無関心にみえるが、一度火がつくと燃えやすい、ということである。このような学生気質を考えるとプロジェクト型学習の効果は高く、本学でも新設の文学部文化創造学科1年生の成長はめざましい。
 さて、前述の私立大学の使命を踏まえるとともに、地方大学の立場から、以下の3つの提言をしたい。すなわち、わかりやすい教育政策、学修時間の内的質保証、そして日本版「K―16」である。
 第1に、教育政策をわかりやすくシンプルに表現することを提言したい。高等教育が進むべき方向性を示すのは、いうまでもなく中央教育審議会(以下、中教審)の審議・答申とそれにもとづく教育政策である。他の省庁の諮問機関から具申された答申と比較して、中教審答申の際立った特徴は、用語解説なくして、その内容を十全に理解できないことである。もちろん、高等教育に関わる者に答申の内容を理解する知識と能力が求められることはいうまでもない。しかし、一般教職員にとって、外国生まれの多くのアイデアを含む答申は理解の範囲をこえ、答申の内容を理解するためのFD・SDさえ必要な状況である。管見では、平成17年の「我が国の高等教育の将来像(答申)」にすでに用語集が登場し、略語を含め50近い用語が解説されている。その後、最近の答申に至るまで、用語集・用語解説が付されている。このような状況は、アクティブラーニング、ポートフォリオ、ルーブリックをはじめ、外国産のアイデアが、その社会・文化的文脈から切り離されて日本に輸入され、一部の研究者のみが十全に理解する知識として「秘儀化」される傾向を生む。初年次教育、ポートフォリオ、アクティブラーニング等の分野で、様々な大学にFDの講師として、私のような者をお呼びいただくのも、まさにこのような「秘儀化」の証左である。我が国全体の高等教育の改革を推進するためにも、わかりやすくシンプルな教育政策の表現が求められる。
 第2の提言は、学修時間の内的質保証についてである。ここ数年の中教審の議論では、大学生の学習時間が諸外国と比べて少ないことを起点として、教育改革のひとつの始点として、学修時間の増加・確保が論じられている。スポーツや音楽の例をだすまでもなく、知識・技能の習得には一定の時間を要し、その時間の蓄積が知識・技能の質を向上させる、いわば「量から質への転換」が起こることは容易に理解できる。しかし、中教審の議論は「教育の質を量(という外形基準)で測ればよい」という誤解を生じやすい。このような理解の行きつく先は、「時間さえ増やせば、ひとまず質は向上する」という本末転倒かつ短絡的な考えである。学修時間の増加・確保が「もっと大学生に勉強をさせろ」というメタメッセージであると解釈すれば、重要なのは量を増加・確保することそのものではなく、勉強させる仕組みを整備すること、いわば学修時間の「内的質保証」である。教育政策においては、このことを丁寧に提言すべきである。本学のように、プロジェクト型学習を全学的に展開する大学にとっては、学修時間の考え方は特に重要なものである。
 最後の提言は、日本版「K―16」についてである。「K―16」とは、アメリカで策定されている、幼稚園から大学にいたる教育の連結・一貫性を見通したマスタープランのことである。大学においては、高大接続(入口)、カリキュラム内の接続(教育内容)、社会との接続(出口)の3つの接続がうまく機能しない「3つの接続問題」がある。大学は、社会人に求められる基礎的な能力を身につけた学生を送り出してほしい、との強い要請を社会から受ける。一方、様々な意味で多様な学生を4年間で教育し、社会に送り出すことに大学は苦闘している。もちろん、学生の多様化を言い訳にして、教育の困難さを正当化することは許されない。また、受け入れた学生の能力を4年間で伸ばすことが大学の責務である。とはいえ、小中高の教育の蓄積が大学生の能力に具現化されているとすれば、大学までの教育のありかたに対して疑問を呈さざるをえない。前述の3つの接続問題を解決するには、大学の努力だけでは困難である。そこで、日本版「K―16」とまではいかないまでも、少なくとも小学校から大学までの、広い視野に立った教育の連結・一貫性に関わるマスタープランを策定すべきである。もちろん、このことは簡単ではない。しかし、社会への出口に一番近い学生の教育に責任をもつ大学としては、教育全体を見通す策定と推進が望まれる。
 本稿では、私立大学の使命をふまえ、地方大学の立場から3つの提言をした。いずれの提言も、一方的な要望ではなく、そのまま本学の教育改革にも直結する課題でもある。このことを真摯に受けとめ、大学改革を推進していきたい。

いわい ひろし
 奈良県出身
 1962年生、1991年上智大学大学院博士後期課程単位取得退学。
 帝塚山大経済学部教授、副学長を経て、2012年より現職。

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