平成26年8月 第2575号(8月20日)
■大学が医療費を下げる
地域の健康づくりに貢献せよ
学生と被災地の健康づくりに寄与
仙台大学健康管理センター長 橋本 実
増え続ける日本の医療費を抑制する最も望ましい解決策は、あらゆる人々が健康な生活を送り、病院に行かなくなることだ。多くの病気の原因は生活習慣にあり、特に運動と食事が重要な鍵を握る。超高齢社会の今だからこそ、寝たきりや認知症にならないように、運動と食事によって元気になり健康を維持し増進する必要がある。
本学では平成13年から地域の高齢者を対象にした「転倒予防教室」を開催し、そのプログラムに学生を参加させてきた。若い学生と一緒に運動することで高齢者は元気になり、学生も高齢者に対する運動指導の現実的なノウハウを知ることができ、大学も地域の健康づくりに役立ち地域貢献を果たすことができて三者に利点をもたらす活動となっている。
平成19年度から、これらを発展させた「地域密着型の健康づくり支援システム」に取り組んできた。養成講座終了後に地域の健康教室や介護予防教室などに参加して、運動指導の知識やスキルなどを身に付けた学生を「健康づくり運動サポーター」として認定し、地域全体の健康づくりに貢献しようというプログラムである。これは体育系大学として初めて文部科学省の現代GPにも採択され、本学が立地する柴田町の住民のみならず、近隣の市町村や企業などへ出張して同様のプログラムを実践している。
健康づくり運動サポーターの養成講座は、安全に、楽しく、効果的に運動指導できるようになるために、医学的な知識や地域の高齢化率の状況などを学ぶ講義とレクリエーションの技術や筋力向上トレーニングの方法などを学ぶ実習から成り立っている。初級、中級、上級の資格があり、初級は健康教室の補助ができる、中級は運動指導や健康講話ができる、上級は自分自身で健康教室を立案運営できることを条件に決められた現場実習参加後のレポートや試験にて判定される。平成19年度から開始したこの講座は、健康福祉学科ではカリキュラムに組み込まれ、他学科は時間外に講座を設け養成を続けている。平成25年度末で初級302名、中級46名、上級19名を養成しており、実際に健康づくりの分野に就職し活躍する多くの卒業生がいる。
また東日本大震災以降、この資格を持つ学生を中心に被災地に赴き、避難所や仮設住宅に住む被災者の健康づくりを行ってきた。現在も定期的に女川町、美里町、亘理町の仮設住宅や復興住宅の集会場で運動と茶話会を組み合わせたプログラムを実施している。1人住まいの高齢者は孤立しやすい状態が生まれ、孤独死も問題になり、これまでの運動に加え茶話会も行い参加者同士のコミュニケーションも図るようにしている。
避難所では最初は声がかけられないような状況から支援を始めたが、回を重ね顔見知りになるにしたがって参加者が増え、運動する輪が広がり、パンフレットを壁に貼り毎日運動していると言ってくれる方も現れた。運動後は学生が肩もみをしたりして交流を図るうちに、津波に巻き込まれ九死に一生を得たことや肉親が流され行方不明になっていることなどを話してくれるようになり、話すことで心の傷が少し癒されているようであった。また、血液データが改善していると主治医から褒められた話や、杖が不要になったなどの声も聞かれるようになった。運動は1人で続けることが困難で、動かなくなれば廃用性萎縮が進行しやすくなる。仮設に住む方々からも是非続けて欲しいとの要望もあり、仮設住宅が無くなるまで大学として支援する予定である。
高齢者の健康づくりに大切なのは、下肢筋力の改善である。下肢筋力の低下は、健康維持増進の要である歩行に悪影響を与える。筋力が低下すれば転びやすくなり、大腿骨頚部骨折などになれば寝たきりになり、認知症、誤嚥性肺炎を起こし死に至ることもある。筋肉量が減れば体温の低下を伴い免疫力も低下し、感染症などに罹りやすくなるだけではなく悪心生物などの発生も起きやすくなる。また、下肢の筋肉は第2の心臓といわれるように、血液の循環を助ける働きもしている。更に、筋力低下は関節や骨への負担が増し変形性膝関節症などを増悪させる原因ともなる。
本学の健康づくりのための運動プログラムは、下肢筋力向上を目指す運動を中心に構成されている。特に、腸腰筋、大腿四頭筋、下腿三頭筋を鍛える運動を「もしもしカメよ」などの昔の童謡を口ずさみながら行うことを勧めている。歌いながら運動をすると、苦しい運動も楽にできる。また、レクリエーション指導にも力を入れている。現場で求められている運動は、楽しみながらできるトレーニングであり、レクリエーションの要素が大切となる。軽い運動を伴ったレクリエーション活動で参加者の気持ちを引き付ける技術があれば、主運動にスムースに導くことが出来る。
健康日本21の第二次計画がスタートしているが、なかなか成果が上がっていない。厚生労働省ではこの施策を推進し、「1に運動 2に食事 しっかり禁煙最後にクスリ」というキャッチフレーズを掲げている。健康づくりには、それぞれの身体の状態に応じた適切な運動が不可欠であり、標語の最初に運動を掲げることで、その重要性の周知を図ろうとしている。
しかし、実際の健康づくりの現場では、運動の必要性が認識されているにもかかわらず、そこで働いている人の中には、運動について詳しい知識や技術を学んでいないことがあり、具体的な運動指導ができないという現実がある。健康運動指導士の資格を取る人の中には看護師や栄養士の資格を持つ人が多くいるが、健康教室などで栄養や食事の話をしたり病気の話をしたりは得意だが、正しい運動の知識を備え具体的な運動指導をおこなうことができる人が少ないのが実情である。
昔の中国の言葉に「上工は未病を治し、下工は病を治す」とある。工は医師のことであるので「上手な医者はいまだ病にならないものを治し、下手な医者は病気を治す」ということになる。下工を増やすには医学部を新設し医師を増やし病院を増やさなければならないが、上工を増やすのは適切な運動指導を楽しく、安全に、効率よく行える人材を増やせばよいので難しいことではない。
本学は「Sports ^nfor All」を基本理念とし、健康な人だけでなく、すべての人にスポーツを通して幸福にすることを目指している。特に健康づくり運動サポーター養成では、運動を通じて人々の健康を育むことができる人材の育成に努めている。国をあげて進めている健康づくりを実効あるものにするには、運動こそが大切であるという意識を社会に浸透させることや、1人ひとりが具体的な運動を行い、継続することが重要である。
病院や医師が増えれば病気を治すことはできるかもしれないが、予防したり改善したりはできない。病気を防ぐことをできるのは治療に忙しい医師ではなく適切な運動指導ができる人であり、健康・スポーツ系の学部・学科で健康づくりを教育された人材であると考えている。そのためにも、運動やスポーツ、レクリエーションに親しむ喜びを知っている健康・スポーツ系大学での人材養成が、ますます重要になると確信している。
健康増進から地域活性へ
松本大学大学院健康科学研究科教授 根本賢一
はじめに
周知のように、今日、我が国は本格的な高齢社会に突入しつつある。本学の位置する長野県、そして松本市を含む周辺地域もまた同様であり、各自治体は競って対策に知恵を出し合っている。多言するまでもなく、その焦点の1つが健康づくりである。
人間健康学部は、そうした状況をにらみつつ、「食と栄養」(健康栄養学科)と「運動とスポーツ」(スポーツ健康学科)という2つの側面から健康(問題)を研究・教授すると共に、その先頭に立つ人材育成に取り組んでいる。本稿では、後者について報告する。
健康づくりの効果と必要性
人間の体力が20歳代でピークとなり、30歳からは毎年約1%ずつ低下していくことが知られている。そして、20歳時を100%とした体力が加齢などで30%落ちると、食事や排泄、入浴など日常生活に必要な諸動作が自分ではできなくなるADL(日常生活活動動作・行為)機能不全閾値に達するとされる。いわゆる「寝たきり」であるが、おおよそ74歳くらいと考えてよい。いっぽう、WHOの「2014年版 世界保健統計」によれば、2012年の日本人の平均寿命は84歳(男性80歳、女性87歳)である。この数字には健康や病気に関わらず全ての寿命が含まれるので、数字だけでいうと、74歳から83歳まで9年間もの「寝たきり」が想定されることになる。
そこで、私たちは、元気な高齢者を増やそうとしているのである。高齢化に伴う心臓・血管機能の低下、血圧の上昇などを未然に防ぐ「予防医学」、いわゆる「健康寿命」を延ばす取組である。トレーニング群が寝たきりラインに達するのは、非トレーニング群よりも約20年遅い90歳代。つまり、運動習慣を身につけることで体力の低下を遅らせ、健康で元気に過ごせる期間を長くできるのである。
他方、これまた周知のように、昨年度の国民医療費が過去最高を更新して38.6兆円となり、初めて国民1人あたり30万円を突破した。それが国家財政を揺るがし、社会保障改革はもとより税制改革までも迫っている。そうした切迫した状況からすれば、医療費抑制に直結する「予防医学」の取組がもはや待ったなしであり、運動指導を含む健康づくりがその有力な選択肢であることも容易に理解できよう。
高齢者が健康で元気だと外出や旅行が増え、活動が活発化し関連消費も増加する。そうした個人レベルでの効用はもとより、地域・国家レベルでの課題解決という意味でも、健康づくりへの期待は高い。健康で長生きすることは、本人の人生を豊かで充実させるだけでなく、国民医療費を抑制、削減させ、国内経済を潤し内需を拡大することにもなるだろう。
アウトキャンパスを活用した健康運動指導士養成
運動習慣を身につけるために大切なのは、1人ひとりの健康状態や体力に合った運動を行うことである。そうした指導をできるのが、医学や運動生理学の専門知識を持ち、高血圧や糖尿病などのハイリスク者にも安全で効果的な運動指導ができる、厚生労働大臣認定資格の「健康運動指導士」である。
幸いにも、松本市は最重点施策として「健康寿命延伸都市」を掲げており、1977年には中高年者の健康維持・増進を目的に「熟年体育大学」を設置している。そこに蓄積データとフィールドがあり、学生たちの実践に大いに活用させて頂いている。加えて、諏訪市の「カラダ改善セミナー」や安曇野市の「あずみのピンキラ体操教室」、さらに南箕輪村の「自分みがきプロジェクトてくてく塾」や池の平ホテル&リゾーツなど多くのフィールドで、それぞれ結んだ連携協定に基づいて、運動指導を中心に健康づくり教室や講座を実施している。
学生たちに、それらの教室や講座(アウトキャンパス)で、学内(インキャンパス)で学んだ知識や技術を用いて実際に指導させると、「専門知識が十分に習得できていないこと」や「相手に伝えることの難しさ」など、自らの課題を実感、明確にして戻ってくる。それによって、学生の学ぶ姿勢や意欲が大きく変化するのを、私たちは毎年経験している。
健康のために運動が必要なことは多くの人が理解しているものの、なかなか実行できないのが実情である。「平成24年国民栄養調査」によれば、運動習慣のある者の割合は、男性約36%、女性約28%に過ぎない。そうした状況であるからこそ、科学的根拠に基づいた指導や運動の必要性を伝えることが重要なのだが、同じように、“カラダを動かす心地良さや楽しみ”を付加しながら指導できる人材が必要であり、求められるのである。
講座終了後に、受講者の方からよく手紙をいただく。「半年間の講座でしたが、毎回学生さんに会えるのが楽しみでした。…中略…学生さんたちの優しい気持ちが本当に嬉しかったです。現在では、友人とおしゃべりをしながら歩くことも継続しています。ありがとうございました。良い指導者を目指して頑張って下さい」。こうした感謝の言葉が、学生の学びを励まし更なる飛躍へと導くだけでなく、学生を指導する私たち教員を勇気づけているのは、改めて述べるまでもない。
松本大学とリゾートホテルの連携による取組
健康づくりによる地域貢献・活性化という場合、先の健康教室・講座の実施を指すのが通常である。しかしながら、未曾有の高齢社会には、これまでの経験や想定をはるかに超えた健康関連の要望や欲求(ニーズ)を呼び起こす可能性が潜在している。それを捉えた事例として、本学と協力・協同関係にあるリゾートホテルという異業種からの健康領域・分野への参入を紹介しよう。
池の平ホテル&リゾーツと本学は、3年前に連携協定を結び、運動指導を中心に行う「いきいき診断ルーム」を開設した。ここには卒業生3名の健康運動指導士が雇用・常駐しており、中心となって生活習慣病予防や転倒予防、体力増加や美容・ダイエットを主なメニューに、「健康いきいき診断プログラム」や「キレイに歩こう!! ウォーキング講座」などを継続的に展開、開催している。
この取組は、八ヶ岳山麓の白樺湖畔に位置する同ホテルが、準高地という立地条件に加え、医療機関ではなく非日常的な空間としてのリゾートホテルで、サービスとして提供するという特性を有している。それを活かし、リゾート地で気分を一新してきっかけをつくり、豊かな大自然の中で楽しく効果的に運動を行うのである。これが、伸び悩む余暇市場、とりわけ行楽・旅行分野で苦戦を強いられている宿泊業に、新たな付加価値を与えようとする試みであるのは間違いない。
このほか、病院や老健施設などはもちろん、住宅建設やマンション管理などの住宅関連産業、カラオケやパチンコなどの娯楽産業からも、同様の相談が寄せられてきた。健康運動を取り入れ自業種と関連させることで、同業他社との差別化を図りたいとのことであり、すでにいくつかが具体化されている。こうした取組が多様に展開されれば、当該企業・業界は言うまでもなく、それぞれが位置する地域の活性化にも繋がっていくはずである。期待はますます膨らんでいく。
波及効果に行政も注目
先の池の平ホテル&リゾーツの取組は、行政の施策対応にまで影響を及ぼしつつある。従来、「観光」に限った行政による財政的支援は、地域へのリターンが少ないことを理由にほとんど皆無であった。しかし健康との結びつきは、「健康食と地域農業」、「定住化による人口確保への期待」、「医療補助負担の軽減」等の観点からメリットが多く、関与しやすいと判断しているようである。機を同じくして、茅野市と立科町が主導する、白樺湖1周3.8kmをウォーキングロードとして整備する事業計画が認可された(今年度中に完成予定)。運動指導によるリゾートホテルの健康づくり事業が、行政に評価されたことの証左であると言えよう。
また、一昨年4月には、両自治体が関わる「白樺湖活性化協議会」が発足した。市長と町長が機構に名を連ね、その中で、健康を意図したソフト面での施策について、白樺湖周辺の宿泊・商業施設といった業者と、行政や外部のイベント・広告業者等が一堂に会し、昨年6月以降、月に1度のペースで会議を重ねている。それがどのような具体物を生み出すのか、期待しつつ注視しているところである。
それはともかく、縷々紹介し述べてきたように、運動を含め健康づくり関連事業が、他分野・領域に種々の波及効果をもたらすと評価され、期待されているのは確かである。私たちもまた、そうした視点に立って、更に協力・協同の実をあげるべく多様かつ多角的に取組を進め、それを担う人材育成に一層力を注いでいく所存である。こうした活動が、学生募集や大学の活性化、経営の安定化にも繋がることを、大いに期待している。