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平成26年2月 第2551号(2月5日)

大学経営から見た  通信教育課程 C
  二人三脚の大学通信教育
 

佛教大学生涯学習部  松尾俊秀

 佛教大学通信教育課程は1953(昭和28)年4月から始まった。開設学部学科は当時の佛教学部佛教学科のみであり、入学定員は500名(収容定員2000名)、専任・兼担・兼任を含む51名の教員と10名の事務職員、学生数54名でのスタートである。現在では、大学院4研究科12専攻、学部6学部10学科(学生募集停止学科を除く)と拡大している。表@は、本学通信教育課程の在籍者数の推移である。54名で始まったが、1997(平成9)年に3万5564名となり、それをピークに右下がりが続いている。2013(平成25)年度は収容定員1万9056に対し1万2535名という状況である。経営という面からは、この数値は危機的状況であるとしても過言ではない。ピークまでの本学にとっての社会状況は、設置当時の大学数や大学への進学率、経済的状況等からの大学通信教育への期待、小学校教員免許状取得と1989(平成元)年以降の社会福祉士国家試験受験資格取得等を掲げることができる。私立大学としては珍しく小学校教員免許状が取得できること、関西のどの大学にも先駆けて社会福祉学科を開設していたことなど、先人達の先見性に1989(平成元)年〜1995(平成7)年まで、当時の通信教育部に所属していた私としては、深く感謝するばかりであった。大学通信教育は、18歳人口だけを対象とするものではなく、現代の少子化問題だけの影響を受けるものではない。社会全体の高学歴傾向など日本人の学歴等に対する充足感・満足感の影響によるところが大きい。
 一方で表Aは大学院の状況である。2013(平成25)年度収容定員256名に対し353名となっている。
 大学全入時代の今、大学通信教育のニーズは、より学歴・専門性の高い大学院へとシフトしていると指摘できる。本学だけに限らず大学院へ入学する社会人の数の推移から、「社会人の再社会化」という視点での大学院の今後の充実が求められている。
 さて、1952(昭和27)年の設置申請書類には次のようにある(上・囲み)。
 原文は手書きの縦書きである。「目的及使命」の欄が、たった3行で事が済んでいるのは現在の設置申請等の一端を担う者にとっては羨ましいが、このたった3行を大切にしたい。この3行に本学通信教育が果たさなければならないことが凝縮されている。教育の機会均等と本学の建学の理念の普及、何よりも人格識見高邁にして活動力ある人物を養成し世界文化の向上と人類福祉の増進に貢献することを使命としているのである。私立大学にとって経営は度外視することができないのは重々承知しているが、大学の使命や教育の目的に視点を置いた場合、学生数の多い少ないに拘わらず最善を尽くすのが我々の使命である。まさに、たった3行であるが、されど3行である。
 また、近年、問題となっている大学生の学力低下は大学通信教育でも皆無とは言い難い。大学院を除き入学試験がない分、卒業・修了に苦慮する学生が多く、《入り易く出難し》の状況がある。それだけに最近では「大学通信教育にこそ学びの原点があるのではないか」と感じるようになった。大学通信教育は、印刷教材による学習(自学自習)が中心となる。どのように科学技術が進歩しても、また、教材や学習形態がデジタル化されようとも文章(文字)を読む、文章(文字)を書くという行為をせずして学習を進めることができない。学ぶ者の読み・書きの能力を自ら向上することが求められるとともに、得ることができ、大学通信教育の役割は学歴追求だけではなく、個人の能力向上に直結するものである。それがいかに古臭く、堅苦しく、理屈っぽく見えても、この学び方が大学通信教育の根本であり、教育・学習の原点だと考える。キャリア教育等の一端を担っている者として「人は生きるために働き、働くために学ぶ」ということも大切にしたい。我々は一生涯、その内容に拘わらず何かしらの学習をし続けている。その学習に役立つ一つの機会・環境が大学通信教育である。大学通信教育で学びたいと願う一人ひとりにその機会を提供すること、学びをサポートすることに最善を尽くすこと、経営を意識しつつも手を抜くことができないものである。今後、大学通信教育で学ぶ人口は、ますます減少すると予測する。だからこそ、学びのサポートを充実させ、簡易な言葉で表現するならば顧客満足(学生満足)を充実させることが経営に直結する。学び機会の提供者と学び機会の利用者の二人三脚ができてこそ大学通信教育の発展があるのではないだろうか。「ここには学びの場がない、求めている環境ではない」という理由で退学する学生が幸いにも少ない本学をみていると、強くそう思うこの頃である。


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