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平成25年11月 第2542号(11月6日)

高等教育の明日
 われら大学人 〈40〉
 医師で、テレビ出演も多い
 鎌倉女子大学家政学部教授
 木下 博勝さん(45)

 医師であり、講演やテレビ出演なども多く名前と顔は知れわたっている。鎌倉女子大学(福井一光学長、神奈川県鎌倉市大船)家政学部教授の木下博勝さんは忙しい先生である。2004年、女子プロレスラーのジャガー横田と電撃結婚、オシドリ夫婦としても知られる。現在、同大学家政学部保健学科で、個々の疾患、解剖学、生理学などを講義する。教授生活は「人を育てることはおもしろい。心をこめて接すると、返ってくるものがある」。医師の仕事は「医師としても手術をしないと腕が落ちるので週1回、病院に出ています」。講演は家庭円満のテーマが多い。テレビ出演など芸能活動はひかえるようにしているとか。大学5、病院2、芸能活動3、と生活の比率を心がけているという。そんな木下先生に、「医者になるのは五歳の時、決めた」という生い立ちから、現在の大学生活、医師の仕事、講演・芸能活動などを聞いた。それから、夫婦円満の秘訣も。

人を育てるのは面白い
奥さんは女子プロレスラー 若者の将来に役立ちたい

 北海道深川市で生まれる。どんな子どもだったのか?「家に居るのが多かったですね。父親の勧めで、柔道、相撲、冬はスキーをやらされました。スキーは続けましたが、柔道や相撲は中学までで、高校ではやりませんでした」
 中学、高校時代の思い出。「高校2、3年の時、当時のインディーブームに乗って、バンドをやっていました。4人編成で、ぼくはギターとボーカル、札幌まで特急で2時間もかけて出かけ、ライブハウスに出演していました」
 北海道では結構名の知れた人気バンドとなって、レコードも2枚出したという。「このバンドに熱中したのがたたって、1年間浪人することになりました」と笑った。
5歳のとき医師志す
 北海道深川西高等学校から杏林大学医学部に進む。医師を志したのは「5歳です」と言うから驚きだ。親戚がほとんど医者で、父親も病院勤めだった。それにしても、5歳で医者を志すとは、どうして?
 「5歳の時、叔父の病院に遊びに行きました。叔父が患者に注射をしたんですが、患者さんは『先生、ありがとう』と言ったのです。痛いことされた患者さんから感謝される。なんて有難い、いい仕事なのか、幼心に、そう決心しました」
 杏林大医学部の学生時代。「入学したころは、世の中がバブルの後期で、勉強を除けば楽しい毎日でした。先輩が夜になると飲みに連れて行ってくれました。先輩の乗る車は9割が外車でした。最近の学生に外車は1人もいませんね」
 卒業して医師国家免許を取得。東大医学部附属病院第一外科に属し、関係する病院に勤務。その後、東大大学院医学系研究科博士課程を修了、癌研究会研究所で大腸がんの研究に従事。埼玉県所沢市の病院副院長として、自らも診察を担当していた。
 そのころ、ジャガー横田と知り合った。「当時、女子総合格闘技のリングドクターを務めていました。そのころ、知り合った女子レスラーから、格闘技の会場で、いまのカミサンを紹介されました」
 ジャガー横田の一言に参ったと言う。「女子プロレスの世界に入って、世界チャンピオンになれるのは100人に1人。みな志半ばでやめるけど、やめる子も『この世界を志してよかった』と言っている、という話を聞いて、この人は人間的に素晴らしい、と思いました」
 結婚までは長い道のりだった。「年齢や職業のこともあって、両親は大反対。1年間、会ってくれませんでした。最後に、母がカミサンと30分だけ会ってくれました。そのあとで、母は『この人ならいい』と言ってくれました」
 友人も反対が多かった。「ぼくは、ジャガー横田の現役時代を知らないんです。友人らの反対には葛藤しました。結婚で彼女を選んだ以上、ついていくしかないと必死に頑張りました。いまは(友人との間に)緊張感はないですね」
 ジャガー横田とのおしどり夫婦ぶりはつとに知られる。07年には、講談社主催の「ナイス・カップル大賞」を受賞。夫婦揃ってテレビや講演などで活躍。押しが強く怖い妻と、「良い人だが気弱で、ちょっと頼りない」夫というキャラが人気の源だ。
 講演では、どんなことを話されているのですか?「主催者は、夫婦円満の秘訣、ということで体験談を期待しているようです。でも、講演する時間の半分は病気や健康についても話しています」
夫婦円満の秘訣は?
 それでは、お聞きしますが夫婦円満の秘訣は?「第1が、お互い病気をしないこと、第2が、妻主体、恐妻家であるべし。昨今、若年離婚が多いと聞きますが、夫がえばりんぼー、だからではないのですかね」
 09年4月から鎌倉女子大学家政学部教授に。「医師か医学経験者募集というのを見て応募しました」。大学教授を志したのは?「いまの高校生らを見ていると、ぼくらの時代と違って、将来に希望を持てず、自分がないように映ります。若者の将来に少しでも役立てば、と思ったのが動機です」
 現在、家政学部保健学科で、個々の疾患、解剖学、生理学などを学生に講義している。「保健学科の学生は、学校の保健室で生徒の面倒を見る養護教諭を目指しています。目的がはっきりしているので、学生はみな一生懸命、勉強しています」
 有名人だから学生の人気もすごいのでは?「人気はないですよ。ご父兄は、知っている方も多いですが、若い人はあまり…(関心がないようです)」
何事にも素直な学生
 先生の学生時代と今の学生とで違う点は?「子どもっぽい、というのか、何事にも素直ですね。ぼくらの学生時代は、自分なりの考えを持っていたし、さまざまな矛盾に日々悩んだような気がします」
 医師、教授、そして講演と毎日が忙しいのでは?「大学の講義は週4コマで。週3回通っています。医師としても手術をしないと腕が落ちるので週1回、病院で診療もしています。テレビ出演などの活動は出来るだけひかえるようにしています。大学5、病院2、芸能活動3、という比率を心がけています」
 小学校1年生の男の子がいる。「英語のインターナショナルスクールに通っています。母国語が大事だと国語の塾など週5日は塾通いです。妻の希望に因るものです。どっちに似てる?勝気なところは妻似ですかね?」
 大学教授としてのこれから。「小さい時から先生になるとは思っていませんでしたけど、人を育てるということはおもしろい。心をこめて接すると、すぐに結果は出ませんが返ってくるものがあります。近年、母親の起こす事件が多い。優しいお母さん、日本の宝である子どもを育てる、そうした学生を一生懸命に教えて育てていきたい。学生時代は、個々の人生を左右することが起きることもあります。そうした学生には心を持って全力でぶつかって行きたい」
 ご自身のこれから。「ぼくも45歳になります。終わりを意識する年齢です。人生を折り返し、残された日々を大事に、『この日は人生に2度なし』という気概を持って全力で、これまでも、これからも、そうして生きていきたい」
「一燈照隅」が座右の銘
 最後は、座右の銘を語った。「最澄の『一燈照隅』が座右の銘です。自分にできることはわずかですが、全力で頑張ってやろう、この気持を忘れずに、これからも歩んでいきたい」
 こう話した時の顔は、テレビなどで見かける表情でなく、大学教授の顔そのものだった。生活の比重が大学7、医師2、芸能活動1に映った。

きのした・ひろかつ  1968年、北海道深川市で生まれる。医師、鎌倉女子大学家政学部保健学科教授。杏林大学医学部卒業、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。東京大学医学部附属病院第一外科に勤務していた2004年、女子プロレスラーのジャガー横田と結婚した。おしどり夫婦ぶりは有名、夫婦揃ってテレビや講演などで活躍している。専門は消化器外科。社団法人日本外科学会専門医、日本大腸肛門病学会会員、日本癌学会会員、愛読書は、致知、四書五経全て。座右の銘は、最澄の「一燈照隅」。著書に「ボクに宇宙一の幸せをくれたジャガー―ボクらの出産顛末記」(日本テレビ放送網)など。


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