平成25年10月 第2541号(10月23日)
■改革の現場
ミドルのリーダーシップ <54>
教育の本質への深い洞察に基く独創的改革
四国学院大学
四国学院大学は、1949年、米国南長老教会L.W.モーア宣教師を学園長に、リベラルアーツカレッジ「四国基督教学園」を設立したことに始まる。1962年に四国学院大学を設立、一時は学部自治が強くなったものの、現在は文学部、社会福祉学部、社会学部の3学部を設置するも、メジャー制度を導入し、学生は幅広い分野から主体的に学ぶ。この改革について、杉本孝作副学長に話を聞いた。
長年、学部による専門教育が行われていたが、1991年の大学設置基準の大綱化に伴い、教養部が教授会として独立し、この教授会により教養教育の強化が志向された。大学の原点である「リベラルアーツ」に舵を戻すには、更に五つの段階があった。
一つ目が、2003年の末吉高明学長就任である。末吉学長は教養部所属、更には国際基督教大学出身者であり、学部の縦割りを排除し、教養を重視したリベラルアーツカレッジを強く推進していた。就任後すぐに、法人と大学の事務体制を一体化。理事会と歩調を合わせ、学長の実務執行を補佐する機関として総務課学長室を置いた上で、原則として全職員が学長を支えることとした。
二つ目が2004年の私立学校法改正である。「教員は学部・教授会中心という観念からなかなか抜け出せません。法改正によって理事会を中心としたトップの権限が大きくなったので、大学協議会(全学教授会のような役割)や月1度の部長会等で全学の決定を行い、教授会に周知する体制にしました」。大学ガバナンスの構築が行われた。
三つ目が、2007年の受験者数激減。「1996年に短大が定員を割って、2004年に募集停止しました。このままでは大学は短大と同じ運命になると危機感を抱き、まずは収容定員の削減計画を立て、525名を390名に。また、学生募集に力を入れて、年に数回、教職員で高校回りをするようにしました。そのこともあって、入学者数はある程度キープできるようになりました」。同時並行で教育改革に着手。この際にリベラルアーツの方向性が明確に位置づけられた。
四つ目が、2009年にスタートした教員免許状の更新講習だった。「方向性は示されたものの、学内でもまだ半信半疑でした。ちょうど同じ時期に更新講習が行われたのですが、様々な科目を用意したところ、非常に好評でした。この経験が2010年に導入された「メジャー制」の理解を深めることになりました」。また、香川県の西部には競合校がない。「教育さえしっかりとやれば、地域的な強みを出せることが分かりました。大学の規模もコンパクトで、それなりに社会に向かって発信ができる。学生に応じたきめ細かな対応もできます」。
最後に2011年、こうした一連の教育改革の全体像を、学長自らが取りまとめた。それが、「D&D=知のポストモダン共同体―研究者共同体から、21一世紀型教養の本拠地=知のポストモダン共同体へ」である。時代背景から構想の概要、そして、この構想を具体化する17のプロジェクトをまとめた冊子である。学内での周知会を数回行い、意見をもらって修正を加えつつ完成した。
こうして、同大学のリベラルアーツが再構築された。学部の壁を取り払い、全学で気持ちが一致していないと大学が存続できない、という危機感が特に変革を促してきた。ゼミナールは、学生を囲い込むものとして廃止し、代わりに「ポストモダンカフェ」を作った。これは全学生対象で、教員からテーマが示され、関心をもった学生が「この指とまれ」方式で課外で学習するというもの。卒論準備も、論文作成指導の科目を学部横断で用意し、図書館に論文作成の指導員を配置した。
カリキュラムは、リベラルアーツの特徴でもある「メジャー制度」、著名な劇作家、平田オリザ氏自らが全面プロデュースする「演劇教育」、資格取得を超え自分の生き方を考える「キャリア拡充コース」の三つが柱である。「2年次からは学部を超えて19のメジャーから専攻を選びます。転学部もしやすく、学びのモチベーションを継続させています。この仕組みによって学力のある学生もない学生も満足した学びが出来ることが分かりました」。
就職率は良いが、あえてPR材料にはしない。「学生がどういう生き方をしていくのか、それに繋がる就職支援でないとおかしいと考え、学内でキャリアについての勉強会をしました。単に資格を取るのではなく、よりよい生き方と合わせて考えさせるようにしています。ただ、世間的には、就職率が重要ですから、広報内容は相手に合わせています」。
高校からは、今の若い人には合っている学び方と評価された。しかし、「1年目は、どうして資格を強調しないのかと、散々言われましたが、救われたのは学生の声でした。とても面白いと評価してくれました」。
教養と資格。「地域のニーズに合わせたリベラルアーツカレッジ」という新しい試みはまだ始まったばかりだ。
メジャー制度、演劇教育、ピア・リーダーなどで特色化を推進
桜美林大学教授/日本福祉大学学園参事 篠田道夫
「D&D(注1)=知のポストモダン共同体」へ。四国学院大学が掲げる中期戦略は、地方・小規模大学の存在意義、教育への深い洞察と本質的改革の方向を鋭く提示している。
一見難解なタイトルと中身を私流に読み解くと「研究者中心の大学運営、エリート教育の伝統から脱却し、21世紀型の教養教育の本格的な構築、他大学の模倣でなく新たな教育価値の創造に全構成員を挙げて取り組む」となる。地方・小規模大学では、常識にとらわれない独創的な教育作りこそが大学存立の条件であり発展方向であることを鮮明に示す。
単なる横並び型の大学改革では、圧倒的な規模を占める学歴市場に知らぬ間に取り込まれる。学歴・学校歴社会の中で都市型・大規模大学と同じ土俵で競争しようとすれば初めから勝負がついている。地方大学に残された選択肢は、特色ある教育創造、ニッチ市場の開拓、だれも、どこでもやっていない斬新な企画を作り上げる以外にない。
しかし、受験生や社会が当座求めるのは、旧来型の大学像、昔ながらの選択肢であり、独創的な教育を浸透させるための広報は、こうしたニーズにも対応しながら、しかしニーズに迎合せず、ニーズを作り出す困難な2面作戦が求められる。
生き残り、サバイバルは最優先だが、それはこれまでの教育の付け足しでは実現出来ず、確固とした理念での本質改革が不可欠だ。その点では急がば回れである。
この推進のため教職員による17のプロジェクトチームを立ち上げた。ここ香川・善通寺から意気高く創造的事業の発信を目指す。
この方針に基づき創立60周年、2009年に建学憲章を抜本改正、2010年には学部横断の本格的なメジャー制度を立ち上げた。根幹にはキリスト教主義に基づく創設時からの伝統、リベラルアーツ教育がある。学部専門分化の再統合による教育刷新を学院の歴史の決定的な分岐点と位置付ける。広い視野を持つ人間育成、そのための少人数、教養教育重視、自主学習スタイルの3本柱を掲げる。文学部、社会福祉学部、社会学部の垣根を壊し、19のメジャーとする。1年次は全員が共通の教養教育を学び、2年次からメジャーを専攻する。特定のメジャーを一途に学ぶことも、途中で変更することも、二つ以上のメジャーを組み合わせて学ぶことも自由にできる。この運営を担うのが、学部とは独立した総合教育研究センター教授会である。
そして、クラスター・アドバイザーとピア・リーダーがこの学習スタイルを支える。学生を20人程度のクラスターに分け、そこに教員アドバイザーとともに、所定の養成課程(単位認定)を修了し学長に任命された上級生2〜3人が徹底的にサポートする。
同大学は演劇教育を重視する。これも生き残りの宣伝手段ではなく、また俳優養成が中心目的ではなく、人間力育成に有効と判断したからだ。今の学生が苦手とする自己表現、身体表現、コミュニケーションを、セリフを通してその人になりきることで体感的に育成しようというもの。1年次の全員必修科目ドラマエデュケーションなどにも取り入れられ、例えば福祉関係を目指す人は高齢者の役をすることでその人の気持ちを理解する。平田オリザ客員教授・学長特別補佐をはじめ一流の演劇人が講師に名を連ねる。
こうした改革の背景には2007年から始まる入学生の大幅な減少がある。しかし小手先の改革ではだめ、ただ率を上げる就職対策では限界があり、本物の力を付ける教育のみが生き残りの根源だという強い認識がある。
このため、私立学校法の改定を機にトップ機構の権限を強化、これまでの学部中心の運営を大きく転換した。部長会と大学協議会を全学意思決定機関とし、全員参加の全学教学連絡会で議論・浸透させる。全学カリキュラム審議会や学募戦略会議が全学的な改革方針を提起するとともに、17のプロジェクトで多くの教職員を改革行動に巻き込む。職員も、CEO、COO(注2)、事務統括部長をトップに指揮を一本化、部長制を廃止してフラットな組織で改革推進を支える。
地方の厳しい環境に立ち向かい、教育への深い洞察による独創的改革こそが地方私大発展の唯一の道であること、その困難さと展望を明らかにし挑戦を続けている。
(注1)Think Different, Act Differentの略称。「あなたがたの考えは間違っている。その考えを変えよ。」と訳す。
(注2)事務局長、同次長に相当。