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平成25年6月 第2525号(6月5日)

高等教育の明日 われら大学人〈35〉
 講演、著作、TV…と活躍する
 文化ファッション大学院大学教授
 小杉早苗さん

 行動し、主張する大学院大学の女性教授である。小杉早苗さんは、学校法人文化学園(大沼 淳理事長、東京都渋谷区)のファッション分野で日本初の専門職大学院の文化ファッション大学院大学(大沼 淳学長、同)の研究科長を務める傍ら、海外での講演や著作、テレビ出演などで幅広く活躍している。文化服装学院デザイン科で、ファッションデザイナーとして有名な山本耀司らと共に学んだ。結婚して家庭に収まったが、子育てが一段落した頃、恩師から教員になるよう説得されて同学院教員に。講義のほか、内外のファッションデザインコンテストの審査員、経済産業省や日本アパレル産業協会など関連団体の委員など業界での仕事も多い。院生には「大学院大学の2年間という時間をフルに活用して、自分ブランドの立ち上げに自信を持てるようにしてほしい」とメッセージを送る。小杉さんにファッション人生を尋ねた。

行動し、主張する女性教授
次世代の人材育成に傾注  自分ブランドに自信を

 フランス、オーストリア、ロシア…と世界を飛び回っている。昨年11月には、ロシアのサンクトペテルブルクのファッションコンテストに審査員として招かれた。「世界中から920点が参加、本学の卒業生が3位に入賞しました」
 このコンテストを主催したロシア国立技術・デザイン大学で、同大の大学院生を対象に日本のファッション事情について講演も行った。今年3月には、文化学園と同大の提携が実現した。
 文化服装学院といえば、団塊世代には、新宿西口にそびえる円筒形の校舎の印象が強い。1919年の創設以来、文化服装学院(現在の学校法人文化学園)は日本のファッション教育の主導的役割を果たしてきた。
 卒業生には、高田賢三、山本耀司、熊谷登喜夫、コシノヒロコ、コシノジュンコ、松田光弘、金子功、渡辺淳弥、ドン小西ら日本を代表するファッションデザイナーがキラ星のごとくいる。
 現在、学校法人文化学園は、文化学園大学(旧文化女子大学)、文化服装学院、文化ファッション大学院大学、文化外国語専門学校などを擁するファッションを中心とした総合学園。円筒形の校舎は今はなく、その跡に高層の校舎が建つ。
 文化ファッション大学院大学は、2006年に開学。アカデミックな教育だけでなく、実践的なビジネスも学べるカリキュラムを体系化し、グローバル市場に通用する独自のブランド、新しいビジネスモデルの創造を研究。次代のファッション界を担う人材を輩出するのが目的だ。
留学生65%の国際性
 小杉さんが同大学院大学の特色を説明する。「知財創造ビジネスを国際社会にという建学の精神にのっとり、ビジネス(経済系)とクリエイション(芸術系)を同列に展開しています。そして学生の65%が留学生という国際性です」
 小杉さんは、愛知県生まれ。どんな子どもだったのか。「小さいころから縫うことは好きでした。小学校で、スカートや布のバッグをつくって一等賞をもらいました。中学の時には、用務員のおばさんのブラウスをつくって500円いただいたのが初の作品。家でも妹たちの洋服をつくってやったりしてました」
 高校時代は、体操の選手。高校卒業のとき、日体大から誘われたという。「就職の道を選び、商社に合格したのですが、洋裁がやりたくて、愛知県の文化服装学院に進みました」。ここで2年間学んだあと、東京の文化服装学院に編入する。
 デザイン科で、小池千枝さん(文化服装学院名誉学院長)に付いて学んだ。小池さんは、文化服装学院で、高田賢三、山本耀司ら多くのファッションデザイナーを育て、日本のファッション界を世界的レベルに押し上げた。
 「小池先生に、どっぷりつかりました。学生への接し方は、優しくて厳しい先生でした。感覚、感性を大事にされて、ファッションの技術だけでなく人間として、いかにあるべきかを学びました。今、感謝の気持ちでいっぱいです」
 同学院を卒業するさい、山本耀司さんとともに教員として学院に残る予定だった。しかし、小杉さんは当時、結婚していて子どもが生まれる時だった。「学院に残るのはやめて、7〜8年間は子育てに専念しました」
 家庭にいる時は、洋裁の仕事で忙しかったという。「知りあいの方や企業から女性のブラウス、スーツ、コートなどの注文が殺到しました」。子育てが終わった頃、小池先生から連絡が来た。「学院に戻ってきなさい」
 03年から文化ファッションビジネススクール校長を務め、06年から文化ファッション大学院大学研究科長を務める。文化ファッション大学院大学の研究科は2専攻・3コースで構成される。
 今年度の在学生は、141名(男性43名、女性98名)で、留学生は88人。評判を聞き口コミで集まったという。「留学生には、日本をただ押しつけるのではなく、日本の文化的なシステムを学んで帰国したら仕事の上で日本で学んだことを生かして活躍してほしい」
 小杉さんは、ファッションクリエイション専攻(ファッションデザインコース)で教えている。専門分野は、ファッションデザインとパターンで、研究テーマは、ピエール・カルダンやマドレーヌ・ヴィオネの作品研究。
 ファッションデザインコースは、オーナーデザイナーとして起業できる幅広い知識・技術の修得と、自らのブランドを生みだすための研究活動が教育の柱。基本的な衣服製作技術とデザイン表現能力、理論を学ぶ期間を経て、デザイナーとしての感性と技術、ビジネスに必要な論理性をともに身につける。
講義テキストは自作
 「私の講義のテキストは自作です。自分の理論を伝えています。院生がつくってきたものをチェック、デザインには触らず、バランスやシルエットなど技法をみます。色や丈などについて院生と問答しながら指導しています」
 院生は、2年修了時までに25〜35点程度の作品を提出する。「優れた作品はコンテストに出すよう強く勧めています。自分を客観視することができ、レベルアップにつながり、賞を取れば卒業後の指針にもなります」。「教え子がコンテストで賞を取ったときほど、嬉しいことはありません」と付け加えた。
 小杉さんの学生時代との今の学生の違いは?「私の時代は、買ってきた生地で製作しました。いまはプリント、シルクスクリーンなどが発達、自分でテキスタイルをつくります。私の頃は表現力を磨くためデザイン画を1日30枚も描きましたが、いまは1日1枚も描かない学生もいます。山本耀司のようなプロ意識の強い1匹狼が少なくなりました」
 これまでのデザイナー人生を振り返る。「学生を教えて37、8年になりますが、子どもの頃、先生になるとは考えたことがなかったですね。自分の原点は母ですが、小池先生との出会いも大きかったですね。(独立を考えたことは?)山本耀司から一緒にやらないかと誘われたことはありましたが…」
 小池先生という言葉を出した時、短く笑った。「自分も、小池先生に似てきたのかな」という思いが胸をかすめたのかもしれない。
3本の矢で世界進出
 これからについて。「学生は、卒業後は海外でイニシアティブをとるようなデザイナーになってほしい。三宅一生、山本耀司、川久保玲のように、日本に軸足を置いて、世界に出ていってほしい」、「うちには、三つのコースがありますが、ファッションデザインはすばらしい作品をデザインし、ファッションテクノロジーは、それを製作し、ファッション経営管理は世界中で売ってほしい。それが、本学の役割だと思います」
 自分のことは、眼中にない。学園や、学生たちのこれからのことばかりを熱心に語り続けた。小杉先生は、そのように真摯に学生と向き合ってきた。これからも、きっとそうなのだろう。

 こすぎ・さなえ 愛知県出身。文化服装学院デザイン科卒業。文化服装学院専任教授を経て、2003年から文化ファッションビジネススクール校長を務め、06年から現職に。本年6月から文化学園理事、文化服装学院学院長を兼務。日本人間工学会衣服部会役員、ファッションビジネス学会会員、経済産業省産業構造審議会臨時委員、日本アパレル産業協会委員会委員などを務める。『ミセスの服』シリーズ・「ミセスのふだん着」「ミセスのお出かけ着」「ミセスの旅行着」(文化出版局)、『ジャケットとコートの手ほどき』(文化出版局)など著書も多い。




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