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教育学術オンライン

平成25年1月 第2508号(1月1日)

2013年 新春座談会
 高等教育政策の大転換を期す!
 −質の充実・私立と国立の格差是正・教育投資の拡充・震災復興支援など− 


●出席者
▽大沼 淳氏=日本私立大学協会会長 文化学園大学理事長・学長
▽黒田壽二氏=日本私立大学協会副会長 金沢工業大学学園長・総長
▽福井直敬氏=日本私立大学協会副会長 武蔵野音楽大学理事長・学長
▽佐藤東洋士氏=日本私立大学協会副会長 桜美林大学理事長・総長
▽小原芳明氏=日本私立大学協会常務理事 玉川大学理事長・学長
▽小出秀文氏(司会)=日本私立大学協会事務局長 

 平成25年の新春を迎え、日本私立大学協会の大沼 淳会長をはじめ、別掲の6氏に『高等教育政策の大転換を期す!』をテーマに、種々の視点から議論していただいた。昨年は高等教育にて、いろいろな提言や改革論議があった。国家戦略会議での『大学の統廃合や私学助成の配分方法』、田中前文科大臣の『大学が多過ぎる』などの発言もあった。また、大学改革実行プランや中央教育審議会『質的転換』答申も提言された。これらの高等教育、特に私学に関連する発言等は、厳しい社会情勢を背景に“高等教育への期待の裏返し”ではなかったか。将来の社会を支える人材育成の8割を担う私立大学等にとっては、高等教育政策の大転換とともに、特に厳しい経営環境にある特色ある“地方私学の灯を消さない”方策も重要だ。『地域の発展なくして国の発展はない』のである。

高等教育のパラダイムシフト目指す 私学振興の諸課題に向けて

私学振興なくして国の発展なし
学部学生の8割の人材育成は私立大学が担う

○小出(司会) 新年明けましておめでとうございます。
 平成25年は、癸巳(みずのとみ)歳に当たるそうです。万物が新しい状況に徐々に形作られる、変革機運の高まりを実感する新年となる予感があります。希望の新年としたいものです。
 昨年は大学や教育論の根幹にかかわる問題が次から次へと起こった1年でした。年末には国政選挙も行われましたが、私ども日本私立大学協会は、全国の私立大学を振興する立場にあり、本日は重鎮の先生方にお集まりをいただいていますので、昨年1年を振り返ってのご感想、新年の抱負等を交えて、まずはご挨拶をお願いしようかと思います。
○大沼 明けましておめでとうございます。
 昨年は、波乱に富んだ1年という気がします。日本が戦後、特に高度成長時代を通じて先進国の仲間入りをした時は、私は既に壮年期になっていましたから、その時代と比較してしまうのですが、そのときに達成して良かったことが行き詰まって、あちこちで問題が起きているという、そんな感じがします。
 特に、「震災の復興なくして日本の復興はなし」と言われながら、我々も及ばずながら努力をしてきたのですが、それらもいまだに道半ばどころか三分ぐらいしか進行していません。教育に関しても、全てに問題が噴出していると言ったほうがいいと思います。
 加えて、平成22年来の民主党による政権が不安定で、遂に、昨年末、解散総選挙が行われ、政権が自民党に移行しました。安倍政権が再度発足し、新年から具体的にスタートすることになりました。
 安倍政権といえば、平成18年に制定された改正教育基本法は、その政権によって作られ、大きな期待が寄せられました。その具現がこれから行われることを期待せざるを得ません。特に、同法の第8条に「私立学校の振興」についての条項が、新たに設けられたことはご存知のことで、安倍内閣に多大な期待をもち、今年は大いに努力してゆきたいと思っております。
○小出 続いて佐藤先生、いかがでしょうか。
○佐藤 明けましておめでとうございます。
 昨年1年を振り返りますと、東日本大震災からの復興・回復もまだまだという中で、一つは、8月28日に中央教育審議会答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて〜生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ〜」で、高等教育のパラダイムシフトということが言われ、特に従来と比較した『国公私から私国公へ』という形で、大学のあり方について少し光が当てられたと思っています。同時に、高等教育はそれ単独の問題ではなくて、中等教育も含めて整備をしていかないと解決ができないという意味では、従来と違った答申だったと思っています。
 また、戦後初めて、在籍者がいるままでの学校法人の解散命令という答申を大学設置・学校法人審議会から出しました。これと関連をすると誤認されたこともありますが、田中眞紀子前文部科学大臣から設置認可関係の発言が色々あって、多少混乱した面がありました。ただ私は、現在、同年齢の約60%が大学に進学する構造の中での議論だったと思っています。
従って、本年は、私学のファンディング・補助のあり方等含めて構造がどのように変わっていくかに取り組まなければならない年になると感じています。
○小出 続きまして、小原先生からお伺いいたしましょう。
○小原 明けましておめでとうございます。
 日本の大学の流れをみますと、より多くの大学卒業生を人材として社会に供給するという要望に応え、大学は多くの卒業生を社会へ送り出してきました。大学は量の面での拡充は行われてきました。しかし、時代とともに量から質の問題になってきた中で、我々自身の方向も大きく変えなければなりません。今まではある程度の量を外へ送り出すことで評価されてきましたが、今後はどういう人間を社会に出していくのかが厳しく問われるようになってきています。
 実際、最終学歴が中卒の人口を大卒人口が超えたのは2004年と聞いているのですが、この調子でいけば、もう間もなく高卒人口をも超えるのではないかと思います。それは、だれでもが大卒という社会的身分を持っている時代の到来です。しかし、まだ我々の頭の中にはエリート時代の大学、あるいは大衆化時代の大学という考え方があって、それをもってユニバーサル時代の大学教育をどうするのかを検討している傾向があります。そこから新しい時代の大学教育のイメージの転換を図ったのが、去年だったのではないかと思います。
 質が問われる時代の前提にあるのは、大学設置基準の遵守、単位の実質化や厳格な成績評価であって、日本の大学もGPAによる優秀な学生奨励だけではなく、怠惰な学生を排除していくという卒業までのプロセス管理を徹底させる時代を迎えています。そういう意味では、欧米の大学の厳しさを徐々にでも取り入れていくことが必要です。大学という名前を使って組織運営をしていくからには、日本の古い大学の概念だけではなく、欧米に通じる定義に見合った大学をつくり上げていかなければいけないと思います。
○小出 福井先生、お願いいたします。

8.28質的転換答申の真意

○福井 明けましておめでとうございます。
 東日本大震災の話題は、時間とともに減ってきているようでありますが、昨年8月に福島・郡山女子大学で行ったシンポジウム「東日本大震災を超えて―大学のなすべきこと、できること」及び、12月に開催された「私立大学振興大会2012」で、まだまだ被害者の方々の苦しみが続いており、被災地での復旧・復興に協力していかなければなりません。
 大震災からの1年間は、その復旧・復興に国中が全力で努力していたはずです。しかし、一方で、それによって教育の話題は、例えば中教審も一時中断があり、それが再び動き出して答申や審議のまとめ等が次々と出されたのが昨夏以降で、大学関係者だけではなく、社会から大学教育が改めて問い直されるということになったのだと思います。
 それは、大学に対する期待とも解せるかもしれませんが、これからその結果によって批判も評価もされていくのだろうと思います。そういう意味でいうと、一時、評価疲れという言葉が随分流行ったことがありますが、今度は改革疲れが出て混乱をしないように、我々が真剣に考えていかなければならないでしょう。新しい年は私大協会も、また日本私立大学団体連合会も、その軸となって強力なリーダーシップをとり、交通整理もしていかなければならない年になるのではないかと思います。
 それから、日本の高等教育への進学率は、世界の先進国を見てもまだ低いほうだと考えると、教育の質と量の問題をどのように解決していかなければならないかという問題もあろうかと思います。質は量と相対するのが普通ですが、将来、世界が知識基盤社会へ進むことを考えれば、質も量も重要だということも言えると思いますので、その方向をこれから更に議論する必要があるという気がします。
 また、かつて「待ったなし」だとか「喫緊の課題」と書かれた中教審の答申や審議のまとめ等はなかったと思うのです。この変化の大変激しい時代に、迅速に対応していかなければいけないのは当然ですが、それならば、なおさら拙速や教育哲学の急転換はないようにする必要があるのだろうと思っております。
 芸術に関して言えば、この度の震災で被災した人々が、芸術によって随分癒されました。改正教育基本法にも、文化や芸術の重要性は強調されています。芸術に接することは、困難を乗り越え、生きる元気といきいきとした発想を生みだす力となります。今後とも色々な施策を考えていく中で、このことを忘れないでほしいというのが私の希望です。
○小出 続いて黒田先生、お願いします。
○黒田 明けましておめでとうございます。
 昨年は公益財団法人日本高等教育評価機構の理事長を引き受けることになって、認証評価も第二サイクルに入るところで、大変大きな変革が評価の中でも起きつつあり、その仕組みづくりをして参りました。日本全体の高等教育政策は大変忙しい一年でした。といいますのは、グローバル化とか国際化、特に大学が国際的に認知される大学づくりを始めてきたからなのです。
 8月28日の中教審答申ですが、学生たちが生涯学び続け主体的に考える力を育成する大学づくりをしなければならないという主旨だったのです。なぜかと言いますと、はじめに、答申「我が国の高等教育の将来像」があって、その後、答申「学士課程教育の構築に向けて」が出る。その答申でそれぞれの方向を示しているのですが、各大学がなかなかその方向に進まない、その最大の原因は教員の意識改革だということになったのです。教員の意識を改革するためには、学生の学修時間、質の高い学びをどうするかということになってきますが、ただ単に「学修時間が不足しているから」宿題を出せばいいということではないとまで答申に書かれているのです。
 ですから、先ほども話がありましたが、10%ほどしか進学しないエリート時代の大学教育のままの教員の姿がまだ残っているのですが、ユニバーサル化された中での教員の教育のあり方は当然変わるべきだということで始まったのがこの答申です。ですから、学生の学びの時間を増やせということは言っていますが、それに見合った教育方法の改善が必要だということが答申の中で言われているのです。ここが一番重要なことです。それをやっていかないと国際的に通用する大学にはならない。もう先行的にやっておられる大学もありますね。
 それと併せて議論されているのが認証評価です。第一サイクルは、機関としての大学が設置基準に適合しているかどうかしか見なかった。それでは駄目だから、教育の質も認証評価に取り込んでくれと言われているのです。設置認可から認証評価という一連の流れをどうつくるか、これが今年の課題になると思うのですが、昨年の答申はその流れの方向性を示しているわけです。
 先ほども震災の話が出ましたが、本学は工学部ですから大変心配しているのは、もう原子力は要らないということで、原子力を担当する部署がどんどんなくなってくる、大学でも関連の研究がされなくなってくるとなると、関連分野の技術者が育ってこないことになります。そうすると後継者ができないのです。
 これは原子力の問題だけでなしに、「社会に役立たない、現実の社会で今使われないから要らない」というのです。今、企業からも大学教育に口を出すようになってきています。そうすると、企業で使えない、社会でも要らなくなっている、そういうものは捨てていいとなりますと、例えば、日本の古典が全く理解されないで、古文書を読める人もいなくなる時代が来るのではないかと思いますね。そういうことが、大学としてはあってはならないと思うのです。そういうところのきめの細かい配慮をしながら改革をしていく必要があります。
 そこで、国立と私立がやるべき教育が分かれてきます。どんなに少ない人材でも国家として養成しなければならない分野は、国家予算を投じて維持しなければなりません。放っておいても学生が集まって人気がある学部学科は私学が大いにやればいいのですが、昨今、様子を見ていますと、そういう分野に国立大学が進出して、私学に圧迫を与えているのです。その辺のことは、私学団体が、しっかりとした方針を出して、関係団体に言っていかなければならないと思います。

私学として震災復興への足どりを弱めない

○小出 ご出席の先生方から年頭のご挨拶として、ご発言いただきました。これからご指摘課題を含めて「(高等教育政策の)パラダイムシフト構築と全国私学の再生」というテーマで議論をさらに深めていただきたいと思います。
 東日本大震災の関連は、全国各地の多彩・多層の私立大学がその特徴や得意領域において、様々な復旧・復興支援を展開しています。私ども私大団体連合会を窓口にしまして、日本私立短期大学協会と一緒に、私学高等教育セクターとして支援事業を継続中です。「決して復興への足どりを弱めない、被災学生の就学支援を継続・強化する」をモットーに推進しています。昨夏の8月8日、郡山女子大学での「復興シンポジウム」も大変有意義でした。また二年前に仙台で、大沼会長にも出席いただいて東北学院大学の講堂で開催した大会が、『復興大学』として実を結び成果を収めつつあります。東北工業大学の沢田康次学長が中心になりながら、国立大学とも一緒に進めておられる(関連記事8面)。東日本大震災からの復興を日本再生モデルにしていくという私学団体の動きが、地元の大学における具体の動きとして静かな、しかし確実な社会貢献活動として継続されている。実にすばらしく、限りない大学の可能性を見る思いです。
 次に、一昨年の提言型政策仕分けや昨年の国家戦略会議の民間議員の提言、さらには文部科学大臣のご発言も、今の大学はある意味で同じ論調の問題提起を受けています。大学の数が多過ぎる、学力が低下している、世界に通用しない、定員未充足の私立大学が多いことについては統廃合を促進すべきだと、盛んに言われているわけでありますが、これから、これら一連の問題にかかるご見解等ご披露願いたいのですが、まず大沼会長はいかがですか。
○大沼 私がよく申し上げているのですが、戦前戦中から始まり、高度経済成長期を通じて進学率はどんどん高まりました。そのため、昭和50年を転機に進学率の抑制が始まり今日に至りますが、この間、就職率や失業率と進学率との関係は、既に30年以上前からあって、政策の中でも議論されてきた問題でした。
 その問題を論ずるには、初・中・高校教育といったそれぞれの教育段階にある各学校が、社会構造との接点がどのように変化してきたかを検証することが重要だと思うのです。戦前は、初等教育段階で、80%の人たちがあらゆる職に就いて日本の社会を支えていました。そして中等教育段階以上が20%に過ぎず、主にその段階世代が社会的にリーダーとしての役割を果たしておりました。
 それが今日では、義務教育段階で社会に出なければならない人は限りなくゼロに近くなり、中等教育段階で社会人になる人は20%前後と逆転したのです。したがって、大学、短大、専門学校等の高等教育段階に進学する者が80%近くになっているのです。だから、60年前には初等教育段階を卒業して働いた仕事も、高等教育を卒業した人が支えなければならない社会構造になっているのです。それが今日的学校制度問題としてとらえる必要があると思います。
 ですから、高等教育自体の中身を質的に規制するという考え方ではなくて、「自由にやりなさい」と私立大学にほうり出せばいいのです。そういう意味のこれからのパラダイムシフトの構築をやらないと、何をやっても無駄だと思います。
○小出 ありがとうございます。
 これは留学のご経験のある佐藤・小原両先生にお尋ねしたいのですが、昨年12月に、板東久美子高等教育局長が私大協会の協議会に来られて講演をされた。そのときに、日本の大学の進学率を時代の要請の中でさらに高めていくには、アメリカのような「柔軟な高等教育構造」が必要だという指摘をされていた。確かにアメリカの高等教育進学率は、途中で社会に出て、また大学に戻ってキャリアアップをして、そして社会へ戻ると、今度は収入もぐっと上がる、責任ある立場に就いていくという、大学と社会との往復型というか、大学が個々人の人生の中で循環可能な仕組みができていると思うのですね。
日本の高等教育の構造は、社会・産業界との横断的な関係の形成も含めてその構造はいかに構築されていくべきでしょうか。課題は何処にありましょうか。

社会の仕組みが異なる日本とアメリカ

○佐藤 アメリカの場合、教育機関は、もともと教会が中心になって始めたこともあって、日曜日の礼拝ごとの献金とか月々決められた献金とか、場合によっては、10分の1の収入は教会に出して教会を支えていくとかいう発想です。結局、教育機関も皆が支えていく発想ですから、国や自治体ではなく、自分たちが作っていくものだという考え方が強い。そういう意味では日本もこれからは変えないといけない部分があると思いますね。
 もう一点は、小出事務局長が触れた板東局長の話も含めて、一つの例で言うと、かなり前のことですが、アメリカの小さな大学から卒業式(コメンスメント)に来ないかと呼ばれました。その学校は、アイビーリーグみたいに非常に優秀な、よく知られた大学ではありません。しかし、地域では頑張っています。式典が始まると、卒業生の半分ぐらいは家族がいて、子ども連れなのです。ということは、アメリカでは17歳から21歳までではなくて、学校というのは家族がいるような年齢の人も、必要なときに必要な学びをする場になっているということです。日本では、生涯学習時代と言っていますが、今の中教審の議論などでも、必要なときに必要な学びをするというより、むしろ社会で役に立つ資格とか、一つ上の学位を取るために再入学させなさい、という議論ばかりになっている。これではうまくいかないですよね。

定員充足率は質保証の判断材料にならない

○大沼 国際的に見て、学校制度はヨーロッパ型とアメリカ型があります。ヨーロッパは国の成立が古いですから、王立だとか王室だとか、“上からの目線で”学校を作って発展してきた経緯があるのです。
一方、アメリカは、世界中から人が集まり、地域社会や国は自分たちが作ったとの意識があり、市民教育をどうしていくかという発想からつくられています。
 ですから、大学の構造のあり方が基本的に違います。日本は19世紀の半ばに開国し、西欧社会と接触し、明治4年に岩倉具視一行が世界中を視察し、ドイツのフンボルト大学、今のベルリン大学等にその範とした大学教育システムを日本に導入します。本学と姉妹校関係にあるFashion Institute of Technologyでは、その資金構成がニューヨークのアパレルメーカーが3分の1で、3分の1は州政府、3分の1は父兄負担なのです。しかも、教員の養成も産学連携の中で行われ、アメリカの繊維産業のための人材育成をして企業が学生を採用していくシステムになっています。ですから、考え方の根本が違う。
 日本の場合は、人材育成は政府が全てやってくれて、その卒業生を試験して採用すればよいと思っているふしが産業界にあるように思います。それが大学の入り口にもつながっている。ですから、社会的構造のあり方、大学のあり方から基本的に見直していかなければならないのではないかと考えています。
○佐藤 あと私が思うもう一点は、最近大学の学生の質が悪いと言っているのだけど、質は悪くなってないのです。優秀な学生は相変わらず存在している。問題は、比較的最近で言うと、18歳人口が40%少なくなった。優秀な学生もそれだけ減少した。だから、学生の質が悪くなったのではなくて、学校が与えられた定員を充足するために、少しずつ各大学が、今まで受け入れてなかった学生を受け入れているにもかかわらず、学生の質が悪くなったと言っています。例えば競争率が限りなくゼロに近い、でも定員充足のために学生を受け入れざるをえない。その学校が特に質が悪くなったわけではなくて、幅広い学生が入学するということですから、それに対して、今の学生選抜システムで質のよい学生確保が機能するかどうか疑問は感じます。
 教員は、色々な方法で新しい仕組みをつくれば、良い学生が採れると思っている。私はそうじゃないだろうと。今後の私学は、そこの議論をして教育の質の向上を図るのではなく、受け入れた学生を4年の間に、それぞれがどれだけ力をつけさせていくか。そういう発想を持たないと、いつまでたっても多様性は実現しないと思います。
○小出 黒田先生、実践例を含めて少し、ちょっとお話をいただけませんか。
○黒田 今の多様な学生の一人一人の能力をいかに引き出すかということに尽きます。それは入学時の動機づけで、これをうまくやれば、その学生は伸びていきます。そのためには高校までで、どうしても理解できないことは補習をする必要があります。そこを補えば、あとは自分で伸びていくのです。そういう意味で、入学時の動機づけをいかに各大学がしていくか。多様な学生を受け入れるのは当然の時代になってきているのですから、自分の大学が何を目指しているか目的をはっきりさせて学生を導いていくことが必要だと思います。
○小出 小原先生、多様な学生受け入れと教育の質的充実、そんな角度からいかがでございましょう。
○小原 アメリカは学歴社会であるため、高等教育機関が機能しているという考え方もあるのです。社会は何らかの三角形をしていて、権力を持っている人は上に少なく、中間からは徐々に多くなっていく三角形です。社会を運営していくときにはそういう三角形が必要です。では、誰がどこに配置されるのかというときに、アメリカの場合は学歴が一つの尺度として使われているのです。日本も学歴社会でしたが、それ以上に戦前から存在した大学序列が人材配置に使われてきていました。日本は大学歴(学閥)社会ですが、昨今学歴と学閥による人材配置が否定的になったために、だれがどこへ行くのだという混乱が起きているようです。そうなると、改めて大学は一体何のためにあるのだという疑問が出てきていると思うのです。
 でも、これからの大学を考えると、一口に高等教育と言うのではなくて、明確にアンダーグラジュエートとグラジュエートに分ける時代が来ていると思います。それを昔の考えのままに一括して教育と研究を推進しようとすることは、今の(ユニバーサル)時代に合わなくなってきていると思うのです。これから大切なのは、アンダーグラジュエートでは教育を行い、大学院では研究を行い、それぞれで社会の構造に合った活動をしていかなければならないのではないでしょうか。
○黒田 学士課程答申はそれを変える目的で出されたのです。今まで大学は組織として動いていましたが、それでは教育は成り立たないだろうと。だから、学位に基づくプログラムによって構築していきましょうと。学位には修士もあれば博士もあるわけですね。学士の学位を与えるアンダーグラジュエートのシステムづくりをしてくださいということがあの答申だったのです。
○大沼 大事なことは、小原先生のおっしゃるとおりで、私はいわゆる高等教育を前期高等教育と後期高等教育に分けて、前期を普遍的なものとして全てに対応できるようにし、後期に高度な専門的なもの、研究的なものをセレクトして養成するのがいいと思います。
 例えばその具体例として、アメリカのコミュニティカレッジを見ると、高等教育段階の中でも非常にユニークな役割を果たしているわけです。そのコミュニティに必要なもの、例えばワシントン州へ行ったら、森林の監視官や消防官、営林署で働く技術者達も、そこで養成しているのです。教員は営林署から来るのです。また、日本でいう家政学的なものもあって、料理や子育てから家事・被服を含めて学習ができ、教師は近隣のお母さんが来て教えるのです。それがコミュニティカレッジです。
ところが日本は、フンボルト大学的な学問体系を中心に据えているせいか、そういった柔軟性がありません。日本の大学が変わらないのはそこにあるのです。
○黒田 専修学校は文部科学省生涯学習局が担当しており、高等教育局に属していない。ですから、その綱引きがものすごく大変ですが、専修学校を高等教育機関として認めるにはどうするかを、去年審議会で検討してきました。それで、質保証をクリアしたところは高等教育機関にしようと言っているわけです。それと大学との関わりがどうなってくるか、コミュニティカレッジ的な分野は専修学校が担うとか、短期大学が担うとかになる。それと大学の関係をどのようにしていくか、そのような議論をしっかりしていかないと、日本の高等教育の複線化が出来てこないのです。
○佐藤 地方自治体が整備する県立大学等は、4年制ではなく、コミュニティカレッジとしてきちんとその地域を支える人材を育てるようにしてもらったらよいと思うのです。
○福井 今のような話を、例えば中教審でしていくとよいですね。教育は、やはり1年、2年で大きく変わるはずはないと思います。それなのに、日本の国が、国づくりとしての教育を長期的にどう考えるのか、という骨格を真剣に議論している機関がどうも見当たらないのです。政権が変わったら、またどうなるのかと心配しているようでは仕方がないと思います。それが、今の組織で言ったら中教審の最大の課題ではないかと。
 例えば、今一番心配なのは、大学の定員割れが間もなく50%になるかもしれない。私立大学は、究極的には独自性のある良い教育・研究をしているかという点と、安定性、永続性が担保されているかの二点が保証されれば、定員をそれ程重大に考えなくても良いと思うのです。それが、社会では定員割れの大学は、理屈抜きで駄目な大学だというレッテルを貼られる。大学の優劣の基準は定員割れだけなのでしょうか。そうならば、日本の半分の大学は駄目な大学だということになってしまう。社会的にも好ましくない考え方だと思いますね。
 ただし、大学の地域的な配置、或いは各大学の定員は無制限に増員して良いか否か、少子化の中で上限はどうするかなど、大学の規模、都市と地域の配置の関係、専門分野の特殊性、必要性などをきめ細かく考慮し、必要ならば最低限の枠組み、或いは規制を考えて、長期的に誘導していくことも必要でしょう。そういう将来の国の姿を見据えた大所高所からの議論をしてほしいものです。
○小原 アメリカの大学には日本のような定員はないようです。
○佐藤 日本では、それによって質が保たれるかどうかの判断になっています。それはおかしいと思います。
○小原 アメリカの基準を見ると、教員1人当たりの学生比率、いかに少人数教育をやっているかは、ランキングの指標の一つに上がってきます。大学側は、その比率をよくするために入学者を抑制するのですが、聞いたところによると、全体数で何名卒業した、何名退学処分になった、だから1年生を来年度これだけ採るということで、毎年入学者数が変わるらしいのです。最終的には教員1人当たりの学生比率を減らすとか、30人以下の授業の割合を増やすとか、うちの大学はきめ細かい教育をやっています、だから大学として質が高いのですということを示すことに務めています。日本の場合は逆です。初めに定員ありきで、「定員をオーバーしているから、良い大学なのだろう」という解釈しかされません。
○佐藤 それで認証評価があるのです。認証評価は、できるだけ幅広く認めた後、それがきちんと機能しているかPDCAサイクルをまわしていくことが重要です。これも、日本では、認証基準を満たしていようが、満たしていまいが、ただ受ければいいだけというふうになっているので十分に活かされていません。
○福井 ですから、これまでの認証評価は拙速だったのだろうと思います。「事前規制から事後チェックへ」でも、それまで相当厳しい設置基準があって、それが突然に規制緩和されました。規制緩和をすると同時に、充分な経験も実績もなかった認証評価を導入して、入り口が緩んでしまったのに出口はどうしたら良いかわからないことになったから、問題も起こり混乱したのでしょう。
○大沼 私の体験的なことを申し上げると、新しく大学を創って国立大とか大手私大にない特色ある教科を作っても、学生は来てくれません。それを時間かけて、受験生に選んでもらえるような大学にしてきたつもりでいます。既存のものをまねてやるのは簡単なことです。新しい教科を創造して行くことは時間と努力が必要です。それが本当のクリエイションだと思います。
 もう一つ大きいのは、大学の本質的なあり方です。空海と最澄の例を出したいと思います。空海は圧倒的なカリスマ的存在でした。優秀だし、奥の院で生き仏になるわけです。したがって、空海は乗り越えることなどできない存在になったのです。だから、真言宗は分派が多くは生まれていません。ところが一方、比叡山の最澄。彼は中国へ行って、何を学んできたかよく知りませんが、多量の経典を持ち帰ったことで知られています。その経典で勉強した人たちが、法然であり、親鸞であり、日蓮であり、道元であり、栄西であり、その後の鎌倉仏教を育て、日本の仏教に繋がっています。
大学は比叡山型でないといけないと思います。教師である自分を乗り越えて向上してゆける師弟を育てることが大学であり、権威に頼って運営しては発展がないと思いますが…。
○佐藤 先ほど福井先生が、本来中教審で議論して欲しいことをおっしゃったのですが、今までも例えば佐々木正峰元国立科学博物館館長も、「一度ここはもう少し幅の広い方向性を議論したらどうか」とおっしゃっいました。しかし、結局それが声にならない。国際的に見ても日本は教育の哲学として、国の方針として、だれでも高等教育を受けたい者は、いつでも受けることができ、それによって国を高めていくというものがないのですね。
○福井 新しい教育基本法にもありましたね。「…生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、…」ということで、その他、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指すとか、伝統と文化の尊重とか、色々書いてあるのですが、あまり尊重されていませんね。
○佐藤 国民が等しく教育を受ける権利があるとしたら、教育は、高等教育までも含めた教育であるという考え方をしていかないと…。

世界に肩を並べられる大学作りがグローバル化

○大沼 今までは、「ひとしく教育を受ける権利を有する」というのは、家が貧しくても優れた学生は学校へ行けるようにしなさいということが中心でした。だから、依然として「育英」という概念が等しくの概念なのですよ。育英だけでなく、全ての国民の多様な能力を多層に育てることを自覚しないといけません。
○福井 色々な教育に係わる用語が入り交っていて、解釈があやふやな場合が多いですね。例えば国際化の場合、国を超え世界的に一律の基準で物を見る見方と、そうではなくて、各国が自国の伝統や歴史等の土台の上に立って物を言い、その上で異国文化を理解し協調する意味での国際化とが曖昧になってしまっているなど、用語や外来語の定義がはっきりしないことが多いのです。
○小出 これは私立大学の関係者からいつもご指摘を受けるのですが、産業界はじめ各界から「大学におけるグローバル人材の育成が大事である」と言われるけれども、そればかりが大学の究極の目標であるわけがない。多様な人材養成の中の重要な一部であるかもしれませんが…。
○福井 多様な人材とは、無国籍人の育成では困るのですね。
○大沼 グローバル人材と言うけど、明治時代は多くの外国の先生を呼んできているのです。多数の学生が留学しているわけですよ。それがあって近代国家が成立しているのです。それを今ごろ同じことを言っているのですかという感があります。
○小出 私は昨年、ベトナムに3日間入りました。大変活力がある。中国の一極集中的な留学生政策じゃなくて、アジア全体の中で日本を慕う親日的な方々とのネットワークが重要との声があります。この点はいかがでしょうか。
○大沼 本学では、ベトナムが近代化路線を歩み始めた頃から、私も2、3回訪問し、学生も自校で奨学金を出して留学生として迎えております。近代は、グローバルでないという時代はあり得ない。留学生は世界中から日本に来る。本学だけじゃない、みんなやっているのでしょう。
そのためには日本の大学を、要するに世界の大学と肩を並べる学校づくりをすれば、留学生は来るんです。それに負けたら、幾ら奨励しても来ません。良い学校が他にあったら、他の国に行きますよ。世界に肩を並べられるそれぞれの学校にすることがグローバル化だと思っています。
○佐藤 そういう流れの中で、例えばグローバル化を支える人材は、もう少し育成したほうが良い。というのは、今グローバル化とか留学生問題というと、大きいところから小さいところまでどこの大学も中国を対象とするという交流の仕方ですよね。
○黒田 今、国がやろうとしているリードは間違っていると思います。英語で教育すればグローバル化だとか、グローバル化のために組織をつくって、そこへ集中させるとか。本質的にはそういうことではなくて、グローバル人材の基本は、学生に日本人としてのアイデンティティを持たすことです。それがなければグローバル化された中では取り残されてしまいます。
○佐藤 東京藝術大学の宮田亮平学長が、留学生で一番優秀な人は邦楽を勉強しに来る学生だと言っていました。ということは、日本にしかないものをきちんとやる、それもいいのです。
○福井 ですから、英語だけで授業を行うことについて、GPとか競争的補助金をつける。それはそれでいいのですが、一方で、そこに日本語が正しく喋れない、書けない留学生が沢山いる。そちらを放っておいていいのかという疑問があります。
○大沼 日本に来たら日本語を覚えてもらいます。考えてみますと、英語が国際語とすれば、自国語で押し通せる国というのはアメリカと英国しかないわけですよ。
○小原 「ユニバーシティ」あるいは「カレッジ」という英語を使う限りにおいては、日本の大学は海外から大学として認知されるインフラを整備しなければなりません。国際化を推進するには、まず日本の大学設置基準に準拠させるのと併せて、「ユニバーシティ」設置基準にも合わせる必要があります。そうした整備が大学国際化への一歩です。そうしたインフラ整備をしないまま、ただ外国人を呼んでくる政策は大学の国際化ではありません。それだけ大学の国際化は難しいことなのです。これは各大学がもう一度見直すべきことです。

国策における私学の位置付け

○小出 私は、あと二つ先生方に議論していただきたいテーマがあるのです。一つは、昨年6月「大学改革実行プラン」を文部科学省が総力を挙げてつくって公表した。この中の一番のポイントは、国立大学の改革問題だと思うのですが、現在「ミッションの再構築」について精力的に検討が進められているやに伝聞しています。しかし、このプランで主要な点が欠落しています。それは定員規模の話です。明治維新以降この方144年、世の中は成熟社会と言われるまでになった。成熟社会日本の高等教育は、如何にあるべきか、民活の時代であるから私立大学が提言すべきは「私立大学に任せ、国立大学は国策に特化していくべき」…の声をしばしば耳にします。この話は国の教育費支出の在り方に直結しますし、今後の文教政策の根幹の問題だと思います。重要な役割を果たした国立大学は今日的にどんな意義を持つのか。
 もう一点は、センター・オブ・コミュニティという地域連携政策の問題です。私大協会も、地方の私立大学をなくしてはならない、小さいけど様々に連携し、協調していく私立大学で行こうではありませんかということで、地域連携、自治体との連携、産業の振興連携の旗を振ってきたわけでありますから、それが国の政策に出てきたかということで、この点についてのお考えをお願いしたいと思います。
○大沼 ポイントになるのは、自民党の小泉内閣のときから明確です。とにかく民でできるものは民に任せるという新自由主義。郵政改革をやったのに、何で大学だけ民に任せないのですか?教育だけは民に任せられない、と誰が言っているのですか?他産業でも民ができることは民でやれと言っていながら、教育だけは民は駄目なのだと。それが日本の教育の原点にあるのです。民を信用してないのです。
 我々は、授業料が入ってこない限りは学校経営ができないし、そのバランスが崩れると倒れるわけです。国立は経営の必要がありませんから、民間でできない基礎的な人材育成とか、国家で必要だけど採算のとれない人材養成は国がやって、普通の民間と構造的に合わせるのは、私立大学の大勢の人の目でいけばうまくいくのです。それこそ極端に言えば、経済学でいうアダム・スミスの『国富論』の段階まで教育制度論が行きついていないのです。
 ですから教育は、システム的に極めて遅れていると私は思っています。私自身も、古くから大学設置・学校法人審議会の委員でしたので、色々と発言してきましたが、その厚い壁は破れませんでした。極端なことを言うと、色々な審議会を作っても、ほとんど何も変わっていない気がします。
○小原 一つ言えるのは、教育の機能の一つに社会構造の再生産がありますが、その再生産を確実にするためには、今までのシステムを保守するという考えがあります。だから国は教育を手放なさないのではないかという見方ができます。そこには東大を頂点とした三角形があって、それに基づいて私立もやっていくことで、今までと同じ社会構造が再生産されて、各自が崩さずに進んでいくのです。その中の一つに私学を生かさず殺さずがあって、江戸時代から一向に変わっていないのかもしれません。
○佐藤 時代から言うと、8割の学生が私学に行くということになると、いろいろ考えたほうがよいでしょう。今年の半ばまでに全国立大学学部のミッションの再定義をすると言っているのだけれども、やはり原点に戻って、国立大学は国策に沿った人材を養成するというふうにすべきです。
 もともと師範学校で初等教育などの教員養成というのはかなり多かったわけですよね。それをどうするのか。工学をどうするのかというようなことについては、やはり国策に沿ってやってもらいたいのです。最近も東京外国語大学は私学と全く変わらない学部構成にしてしまって、国策として作った、外国語を駆使できる外交官を養成するといった方針は一体どこに行ってしまったのでしょうか。そこは再定義するときに、国立大学の特に学士課程が、私学の領域にどんどん侵出していく等ということはしてほしくないですね。
○小原 教育は国家主権の問題ですが、それはどのレベル、小学校なのか中学校なのか、あるいは高等学校までなのかを考える必要があります。また、任意の教育機関である大学までもが国家の支配のもとに行われるものなのかを検討しなければならないのが現代の課題です。
○福井 将来の社会づくりに有能な人材を育成するために、初等教育から高等教育までの有機的な連携を通じて育成を考えることが求められる一方、大学入試を挟んで高校と大学との接続の範囲だけが切り取られて論じられる。やはり時間をかけても、まず徹底して検討されなければ、根本的な議論にはならないでしょう。今度の9月入学の問題でも、大きな社会的問題ですから、本来は初等教育から順次考えなければならない問題ではないでしょうか。
○小原 今まで国が新時代のために教育を先導してきましたが、そのモデルがいつまで続くのかを考えると、民間もかなり頑張ってきているのではないでしょうか。
○大沼 江戸時代には殆んど官学はなかったのです。明治維新を作ったのは殆んど私学です。大阪の適塾であり、松下村塾であり、鳴滝塾であり、岡山藩の閑谷学校であり、そういう人たちが明治政府を作ったのですよ。東京の徳川幕府に直轄している昌平黌の人たちがやっているわけではないのです。だから逆説的に明治政府は近代化に成功したのです。明治五年の学制発布のときに明治政府は何をやったかといったら、まず師範学校を六校つくっているのです。明治5年に近代的学制をしくことにして、小学区に小学校をつくって、中学区に中学校をつくって、大学区に大学校をつくって、ちゃんと計画的に進めるのです。そのときに明治政府が最初にやったのは教員の養成です。師範学校を福岡と広島と大阪と名古屋と東京と仙台に作っているのです。その師範学校に来た人はどういう人たちかというと、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で有名なフランスに留学して陸軍士官になった秋山好古。弟の真之は日本海海戦のときに海軍参謀になるわけですけど、そのときは地方分権時代ですから、優秀な人材はすべて地方にいた。その人たちを師範学校に集めて先生に仕立てて、まず教員養成から始めたから近代化教育は大成功するわけですね。ですから日本の教育は、国家として見事な教育システムをしいてつくり上げてきているわけです。東大の前身の開成学校も外国からどんどん人材を入れてグローバル化を図ったわけです。
 そういう伝統がちゃんとあるのですから、それが完成したら、逆に縛る形にしているのがまずいだけで、その枠を取ってやればいい。日本の国が行ってきたスピリットは、世界に誇っていい。教育システムにしても、私立学校制度など見事な制度だと思います。世界に誇れるものがあるのだから、それを生かすようにさえしてやればいいのです。簡単なことです。それを縛ってしまうような方向へ行っているところに問題があるのです。

都市と地方、高等教育の複線化をどう考えるか

○小出 文教政策は基本的な話が出たと思います。全国北海道から沖縄までに存在する私立大学の定員未充足問題も先ほど触れていただきました。
○大沼 そうです。それが一番のポイントだと思います。わが国の財政状況が悪いので、その建て直しが緊急課題だということは、誰もが認識していることですが、黒田先生がおっしゃっていた「定員充足率が50%以下になると補助金がゼロになるということ…」これは、そんな大学に補助しても無駄遣いになるという考えからくるのでしょう。病気になったら治して健康にすることが補助金の機能だったのに、昨今の地方経済に活力を与えるための人材育成の芽を、育つ前に摘んでしまうことになるので問題なのです。そうした政策を正しくしていくことが一番難しいですが、やらなければならないと思います。
○小出 予算対策活動が間もなく始まりますし、補助金配分の在り方・基本方針についてご発言をいただきました。広報や対策活動の重要性を痛感します。
○大沼 財務省に理解してもらう努力を大いにしなければ、多分、達成できないと思います。重要な政策課題なのです。
○福井 結局この間の某大学の話題のように、閉鎖命令が出されるような大学が出ても、その残った学生を守るために私大関係者は相当な努力をしている。いくら学生が半分になっても、3分の1になっても、中には真面目な学生、その大学を選んで入学した者もいるのですから、数に応じた補助金を支給するとか、国としても、その学生たちの学ぶ権利の保証や、それを守る義務があるのではないでしょうか。
○大沼 まず、破産しないよう配慮して、さらに健全になるための政策を確立しなければならないでしょう。
 たとえば、歴史に学ぶと、国立大学の設立経緯でわかるように、信州大学だったら、旧制官立の松本医科大学を中心に県下にあった六つの旧制高等専門学校をコンソーシアムして6学部の大学にして、昭和25年に一つの国立大学として発足したように、私立大学でも長野県には6校程あるのですから、それがコンソーシアムを組むとか、コラボレーションをするとか、できることから協力し合って、県の行政とも関連を持ち、県内の産業経済界とも協議して国立大学の他に、地域社会の重要な人材育成機関としてまとまってコミュニティに機能してゆくことが重要だと思います。もし、不可能に近いとしても、協力しあうこととして、管理費など共通コストの削減になる大きな効果を生むと思いますよ。
○黒田 もう一つ重要な話は地域間格差です。ますます広がっています。首都圏に集中するような格好で、地方には大学は要らないと言う人まで出てきているわけです。それをどう是正していくか。強いて言えば、国の健全な発展には、地方が元気にならないと駄目です。各地方が元気になっていって初めて日本の国全体が元気になる。でも今は、進学率にものすごい格差があるんです。一番低いのは青森で、大学への進学率34%。一番高いのは東京で、62%。東京の半分しか大学に進学してない。だから、進学率の低い地域をどういうふうにするか。それが、先ほど言った高等教育全体としてどう扱うかなのです。専門学校も入れ複線化された高等教育を如何に構築するのか、それが大事なのです。東京でも全員大学へ行くなんていうことはあり得ないわけですから。
○大沼 その通りです。知的能力の低い人は、高等教育段階の教育を受ける権利がないなんて、失礼な話はありません。
○黒田 東京の物差しで地方まではかるから、地方の大学は悪いということになるのですね。それぞれの地方でちゃんとやっているわけですよ。みんな努力している、それを認めることです。
○福井 定員割れの問題一つをとっても、そういう不可抗力の理由によるものと、教育内容の低さや経営努力の不足による場合とさまざまです。ですから、議論をするときに一律に考えず、それぞれの内容を細かく検討し、その上での高度な判断が必要でしょう。
○黒田 強い大学は、今どんどん勝つようになっています。定員は増やすわ、学部は増やすわ、どんどん膨張していっている。その反面、地方はどんどん衰退しています。それをどう是正するかなんです。
○大沼 動物にせよ何にせよ、とにかく強いものが勝って弱いものは負けるというのは自然原理ですよ。それをどう調節するかは人間の知恵なのです。自然に任せておいたら、必ず強いものが勝って弱いものが負ける。日本の近代化がなぜ成功したかというと、近代化というのは都市化のことなのです。農村を捨てることなのです。その近代化のために、都会へ優秀な人材を集めなきゃならない。そのために日本の教育システムが明治にでき上がるわけです。それが見事だったから、どんな田舎に生まれても、東京へ出るチャンスを与えられました。だからみんな来たわけです。19世紀に成功したことを、21世紀になってもまだそのシステムでやっています。今そのパラダイムを変えないといけない。それが根本です。
○小出 最後に感想と新政権への期待をどうぞ。小原先生、いかがでしょうか。
○小原 一つは、アンダーグラジュエートとグラジュエートの区別をはっきりさせ、教育機能と研究機能の分離が考えられます。教育機能に関しては、何のためにどういう人間を社会へ送り出す教育なのか、また研究機能に関しては、どういう分野の研究をするのかということを明確にしていくことがこれから大事です。
 高度成長時代、大学に対して余計なことを教えるな、遊ばせておけ、そして卒業証書だけ渡して企業へ送り込めと言っていた企業が、今度は学力低下を嘆く。そういうことを言い出すこと自体が、もう社会が変わってきている。それに大学は応えているのかも真摯に考えなければいけませんし、それに対応してどのように学力をつけるのか、知識を増やすのか、これは各大学が考えなければいけないことです。4年間遊んで楽しく過ごして学士をもらえるのだったら、こんな幸せな社会はないのです。実際、勉めを強いるということは日本では昔から言われています。ユニバーサル化する大学には、この勉めを強いるということも制度の中に取り入れていかなければいけないのではないかと考えています。大学として最低限やらなければいけないことを果たして私たちはやってきたのかということを省みて、改めるべきは改めていくのが今年に向けての心構えではないかなと考えています。
 最後に、政権交代は山積する課題への新たな決断に寄せる国民の期待です。新政権には、10年先の日本を見据えたSTEM(科学・技術・工学・数学)分野の研究と教育への資源配分を期待しています。
○小出 佐藤先生、いかがでしょう。

私大協会が主人公になる大学改革を

○佐藤 一つは、やはり高等教育というのは、ユニバーサル・アクセスの時代ですから多様になるのが当たり前です。それから、教育を受けるという権利は国民ひとしくあるという考え方をきちんと持ちながら整備をしていく。
 また経営面で言うと、別に地方だけではなくて大都市圏でもやはり定員割れを起こして、中には転籍をさせたいから受け入れてもらえませんかなんていう大学まで出てきているわけなので、きちんとしたガバナンスを持った経営ができるように私大協会も努力をしていただきたい。あとは、それぞれがそれぞれの場でもって、一生懸命汗を流すということが大事だと思います。
 最後に、前回の選挙の揺り戻しもあって自民党が政権を回復しましたが、どこが政権与党になっても教育への投資や、設置基準を含む大学のあり方の見直しは、待ったなしの課題です。私たちはぶれることなく、課題解決に取り組んでいかなければならないと強く感じています。
○大沼 私大協会が主人公になれるような大学改革をやることなのです。
○佐藤 高等教育評価機構は厳しいから大学基準協会に行ったという話もあるようですが、大いにうれしい話ですね(笑)。
○福井 簡単に言えば、東日本大震災も一つの要因かもしれませんけれど、ここへ来て確かに時代の流れが大きく変わりつつあります。それに合わせて質保証や改革の色々な提言や意見が出されているのですね。新しい年を迎え、それらをどう具現化していくかという時に、私大協会が中心になってリーダーシップをとり、しっかりコントロールをしていきたい。
 さっき黒田先生もおっしゃった、国が抜本的に考えるべき、地域を考慮した大学や学生の妥当な配置の問題とか、国立と私立の持つべき責任やバランスとか、例えば私学振興助成法でも、特に必要があるときは学術振興や特定の分野などに補助金の増額を認めているのですから、国の振興に重要な専攻学科の保護や維持の問題等には、そういうことも大いに活かして、要は、東京だけ一か所で日本が良くなる筈もないのですね。夢かもしれませんが、全ての大学が栄えるのが理想ですから。
 私大協会のことを考えれば、幸い現在、協議会とか研究会が活性化されてきましたので、母体となる各委員会がそれぞれに、教育改革についてもっと提言ができるような方向になればと願っています。
 それから、一昨年に出された私大団体連合会21世紀委員会の、パラダイムシフトに係わる提言「21世紀社会の持続的発展を支える私立大学」は大きな影響力があったと思いますので、2年おきぐらいに改訂版を出して、私立大学の振興のよりどころとして活用したらいかがでしょうか。私学が私学自身で私学振興に努力する年になってほしいと、希望を持っています。
 新政権に対しては、決めるべき政策が決められる政局になってまずは一安心というところです。第一に、大震災の復旧・復興には最大の努力を払ってほしい。そして、国民に希望を与える政治を展開してほしいと思います。とりわけ、長期展望のもとに、国家百年の計といわれる教育、中でもその80%を私学が担う高等教育の振興のため、公財政支出の増額など、絶大な支援を期待します。
○黒田 私大協会は大学団体の最大の規模を持つ団体ですから、恐らく今年、文科省や国のほうから色々な指示が出てくると思います。しかし、その指示がすべて正しいとは限らない。それをしっかり見きわめて、これは各私学へ流していい、これは駄目だというのを選別してもらって、駄目なものは駄目だと国に突き返すというような作業も必要になってくると思います。大変重い仕事がかかっているので、よろしくお願いします。
○大沼 要するに私大協会の時代にしないと駄目ですということです。
○小出 私学教育は魂の教育であり、人間形成教育が究極の目標であると伺って参りました。時代は移り我が国は困難な局面にありますが、こういう時にこそ、私立大学関係者は一致協力して、私学教育の本質や私立大学の本領・原点を確認して、共通課題の解決にまい進したいものであります。
本日は長い時間にわたり誠にありがとうございました。
(おわり)


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