平成24年9月 第2495号(9月5日)
■知の拠点から
復興支援と学生の学び
〜ソーシャルワーカーの“声”プロジェクトの試み〜
福祉系大学経営者協議会(以下、「協議会」)は、福祉系大学の経営に携わる責任者が一堂に会し、社会福祉専門職の社会的地位の向上、社会福祉についての社会的認知の向上、日本の社会を支える社会福祉人材育成教育の発展等を推進することを目的に、平成21年6月に設立されました。
協議会においても東日本大震災に対する取り組みを行うべく、@将来の社会福祉を担う「人材育成」という福祉系大学のミッション、A福祉系大学が持つ「社会福祉に関する専門知識」、B「全国各地の大学」が参加する全国的発信力等、協議会の設立理念、加盟校の特徴を生かしたプロジェクトとすることを基本に検討を重ねてきました。
先の阪神淡路大震災から今回の震災まで、被災者支援に関して「こころのケア」が一つのキーワードになってきました。「こころのケア」は最重要課題の一つであることは間違いありませんが、被災者の暮らしに寄り添いながら日常生活を取り戻す社会福祉専門職による支援(ソーシャルワーク)も必要不可欠です。一方、「災害支援活動の現場でソーシャルワーカーの姿が見えにくい」といった声が、学会や震災関連シンポジウムで聞こえてきました。そこで、関西福祉科学大学(以下、「本学」)を委員長校とした協議会復興支援委員会では、実際に災害支援活動を行ったソーシャルワーカーから、大規模災害時にソーシャルワーカーとして「何ができるのか」、「何をすべきなのか」を学生が聴き取り、記録として残す「ソーシャルワーカーの“声”プロジェクト」と、その内容を整理した上で、報告会や出版物を通して発信する「学生“語り部”プロジェクト」を行うこととしました。
本プロジェクトは、ボランティア活動でも、学術的な調査研究を行うものでもなく、学生の「感性」や「気づき」を通して、災害支援を行うソーシャルワーカーの姿を浮き彫りにして、それを当のソーシャルワーカーへフィードバックすることや広く社会に発信することによって、新たな支援に結び付けていこうとするものです。
本プロジェクトを起点とした展開としては、以下のようなものが挙げられます。
@要保護者への直接支援=ソーシャルワーカーの視点から被災者の生活(生活再建)課題を明らかにし、「学生“語り部”プロジェクト」により広く地域社会に伝えることで、学生、教員など大学関係者をはじめ、外部の機関、団体による直接支援に結びつける。
Aソーシャルワーカーへの後方支援=「ソーシャルワーカーの“声”プロジェクト」での聴き取り内容を分析し、災害支援活動における問題点や課題を整理し、ソーシャルワーカーへの後方支援策を模索する。
B次代のソーシャルワーカーの育成=ソーシャルワーカーとして災害支援を行う際に必要な知識や技術について理解し、講座やワークショップを通じて、大規模災害・事故等で機能するソーシャルワーカーを育成する。
このような発想の下、文京学院大学と本学は学生四名と教員1名のチームを3チーム編成し、平成24年3月、宮城県でフィールドワークを実施しました。図1は、準備段階から現在までの経過を記したものです。
事前学習では、阪神淡路大震災時に災害支援活動に従事したソーシャルワーカーへのインタビューを実施しました。時折、涙を流しながら当時を語るソーシャルワーカーに接し、「痛み」や「傷つき」を抱きながら震災以降も業務を続けていたことが分かり、支援者の心情に寄り添った取り組みの必要性を強く意識しました。
フィールドワークでは、津波により壊滅的被害を受けた東松島市・南三陸町を視察しました。瓦礫の山となっている街並みにたたずむ学生に対して、「あの日、あの時、ソーシャルワーカーはこの場で圧倒的無力感を持ったのではないだろうか」、「その無力感からスタートして、どのように支援を構築していったかを当事者の立場で考えてほしい」とだけ伝えました。それまで、ややもすれば感傷的になりがちな学生が、黙って前を向き、壊れた家屋や瓦礫が散乱する町を歩き続けた姿が印象的でした。(写真)
学生たちは大学でソーシャルワークを勉強し、1ヶ月間の現場実習も終えていましたが、それでもなお、彼らにとってソーシャルワークは漠然とした概念で、価値、機能、役割などの具体的なイメージを持っていなかったのではないでしょうか。象徴的に言えば、激甚被災地に降り立った時から彼らのアクティブ・ラーニングは始まったと言えるかもしれません。彼らは一様に「ソーシャルワーカーとは何かを、これほど真剣に考えたことはなかった」と述べ、それまで何をするにも教員の了解を求めていた彼らが、自ら考え、自ら行動する若者に変化しました。
彼らの真剣さはインタビューの際にも発揮され、現地のソーシャルワーカーからも、「最初は懐疑的であったが、学生さんの真摯な態度に接するうちに、誠意を持って対応しなければならないと思った」との評価も受け、反対に感謝の意を表明するソーシャルワーカーも少なからずいました。
プロジェクトが学生の積極的な学びに結びついた要因としては、第一に、他大学とのコラボレーションが挙げられます。異なった文化や地域で育ちながらも、ソーシャルワーカーという同じキャリアを目指す学生同士の交流は新鮮でもあり、刺激的であったようです。第二に、同行した教員との協働があげられます。教員自身が持つ教育や実践経験を背景に、「災害支援におけるソーシャルワーカーの機能、役割」といったテーマに取り組む学生を側面的に支援することは、まさにソーシャルワークの方法論と合致していたのではないでしょうか。第三に、社会的活動あるいは社会貢献であるとの認識を学生自身が持ったことです。逆説的な言い方をすれば、学生の教育を主目的とせず、「ソーシャルワーカーの“想い”を記録し、社会に発信する」というミッションを前面に出し、それに向かって学生と教員が協働するといった枠組みを共有することで、チームが集団としての凝集性を高め、目標に向かって機能していった感があります。
現地から帰った学生は、これまで見たことのないほどの熱意を持って、逐語録の作成・分析、報告書の作成、報告会用資料の作成といった、どちらかと言えば苦手な作業にも取り組んでいます。また、今も災害支援を継続しているソーシャルワーカーの姿を、幅広く発信する活動についても、学生らしい発想のもと実践しています。
社会福祉分野の援助職について、高齢者や障がい者などの介護職はイメージしやすいですが、支援の対象者(クライエント)や取り巻く環境を分析、評価し、支援の対象となる課題を発見し、その課題を解決あるいは緩和するために、クライエントが持つ力と社会資源とを繋げながら支援するソーシャルワークについては、一般の人々に伝えることは困難な作業です。さらに、特別な状況下にある災害支援について一般化し表現することは、経験を重ねた専門職にとっても至難の業と言えるでしょう。それを“卵”である学生は、実に見事に表現するまでになったのは、「分かりにくさ」をどれだけ平易に表現するかを、学生同士で長時間にわたり議論を重ね、考え抜いた結果にほかなりません。学生が現地で撮影した写真をもとにメッセージを加え編集したムービーを宮城県社会福祉士会関係者に見せたところ、思わず涙し、「まさに私たちの心情を的確な言葉で表現しており、何一つ注文をつけることがない」と絶賛されたことは強烈な印象に残っています。
現代の若者を表現する時、「無気力」、「受け身」といった言葉が並びます。今回のプロジェクトにおいて、明確な目標を設定し、その目標を達成する適切な「場」と一定の「仕掛け」を用意することで、若者たちはアグレッシブに学んでいくことが実証され、このことは私たち教員の日常的な教育活動にも生かせるものだと考えております。
このプロジェクトが社会的に意味あるものであると私たち自身が認識できるのは、近い将来、参加した学生がソーシャルワーカーとして実践の場に出てキャリアを重ね、いつの日か起こるであろう大災害時に、今度はプロの支援者としてその実力を発揮した時であると思っています。
このプロジェクトは、今後も規模を拡大して実施していく予定です。より多くの大学に参加していただき、様々な知見も導入しながら、より良い取り組みにしていければ幸いです。
■知の拠点から
被災地の創造的復興を支援する大学
〜技術開発・支援と地域連携教育の推進〜
平成23年3月11日に発生した東日本大震災では、八戸港に停泊していた大きな漁船が、津波により陸地内部に流れ込んでいく様子が一早く世界各地でテレビ放映されたが、これは未曾有の災害を知る前兆であった。
八戸工業大学の位置する八戸市をはじめ、青森県東南部の沿岸地域では震度五強を記録し、甚大な被害が発生し、ライフラインでは、2日間に亘る地域全体の停電、ガソリンや食料品等の不足により生活物資の入手困難な状態が続いた。青森県の被害総額は約1344億円に上っており、そのほとんどは八戸近隣の太平洋岸に集中した。
震災後、1年半が経過したが、この地域に隣接する三陸沖北部のプレートが地震の空白地帯となっている。そこで、この地域において発生した地震・津波である十勝沖地震(1968年発生)を検証しながら、寒冷地における夜間の災害発生という最悪の状況をも想定して、取り組むべき研究内容を整理した。これを受けて、八戸工業大学では知の拠点として人的な命と物的な生活や財産の被害を低減する使命を果たすべく、地域の創造的復興のための技術開発・支援と地域連携教育推進を目的に、「防災技術社会システム研究センター」を昨年4月29日に設立し、北東北地域の復興・防災および人材育成のための研究・情報発信拠点としての活動を行っている。
図1にその体制を示すが、取り組みの一部を紹介する。八戸工業大学では地域自治体をはじめとする諸機関との連携を取っており、青森県とは2010年、また、八戸市とは政策課題について調査研究を行う都市研究検討会を2009年に発足させている。ここでは、青森県、八戸市、おいらせ町、他の高等教育機関と連携し、防災・減災社会システムの構築、および教育による防災意識の高揚を図っている。これらの外部機関とは既に協定や連携の実績があり、より緊密なコンソーシアムを築くこととしている。具体的には、八戸市復興計画検討会議座長および青森県復興ビジョン策定委員会の副座長には本学学長が就任するなど地域の復興・復旧のために参画している。
センター設立に合わせて、大学内で「東日本大震災は何をもたらしたのか?」と題し、津波の教訓が生かされたかを含めて、地域防災の在り方を考えるフォーラムを開催した。その中で、本学毛呂教授からは、今回の震災は八戸市での最大加速度は1994年の三陸はるか沖地震時と比較して約3分の1の205ガルで、揺れによる建物被害は少なかったとの指摘があり、一方で広域の地震防災システム構築が急務だとの見解を示された。
また、10月には第2回の一般市民向けフォーラムを開催した。「東日本大震災からの地域の復興と再生への歩み」と題し、本センター教員から復旧・復興へ向けての提言の後、復興の最前線で活躍する各方面の方とパネルディスカッションを行う等、多岐に亘る内容を実施した。その後、12月に文部科学省より地域興しをするために大学が拠点になる「大学等における地域振興のためのセンター的機能整備事業」プログラムの採択を受け、現在、42名の教員や職員がこれに携わっている。
防災は地域の皆さんに役立ててもらわないことには意味がない。しかし、一般の方にとって大学の門を潜る機会は滅多にない。そこで、もっと気軽に交流を図るために市内中央にあるショッピングビルの2階に当センターサテライトを開設することにした。
サテライトは今年の3月11日に開設し、コンシェルジュが分かり易く説明したり、防災開発機器展示と実演、防災等パネル展示、放射線測定機器の取扱説明・貸出等を行っており、大学の窓口としての働きをしている。「その目で、その手で」防災技術の今を知ってもらう広場と位置づけている。現在は土、日に本学教職員によるミニ実演を行っている。写真1は六月初旬に「放射線と星のはなし」として行われたイベントの様子で、霧箱を作りながら身近な放射線を知る試みであった。
この度の東日本大震災では地震、津波、放射線、停電などの四つの災禍を受けた。本学ではこれまでエネルギー環境の在り方について教育研究に取り組んできた。現在も環境計測装置群を活用して研究を進めている。圏域水の安全確保のため水源別の水道水、浄水汚泥、水源地域の環境調査を放射性物質の測定により実施している。これは、八戸市復興計画に掲げられているもので、このような活動を地域の復興支援として柔軟かつ即時に対応していこうとしている。
津波に関する本学の調査結果から、三沢海岸以北の津波は低く、高い津波は階上町海岸から三沢海岸に限られている。八戸港の防波堤による津波低減効果は4〜5mと大きく、その効果が明確に認められた。また、被害の風化と歴史の繰り返しがみられた。かつてそこで津波による被害があったことを忘れて(被害の風化)住み始め、再び津波の被害を被るなどの事例がみられ、今後の街創りに反映させる必要があることが改めて示唆された。加えて、液状化危険度の試算・マップ作成を目的として八戸地域の地理情報システム(Web―GIS:geographic information systems)を利用した地盤情報データベースの構築を行っている。2010年度に八戸地域地盤情報データベース運営協議会を設立させ、2011年度から八戸市の調査業務については本学データベースに地盤情報登録の働きかけを行っている。
さらには災害発生時の迅速な状況把握・通信システムの構築を行っている。防災システムとしては、大きく分けて災害発生前の準備・対策と、災害発生直後の対応との二つに分けられる。災害発生前については主に防災、後者は被害を拡大させないための情報収集と伝達がおもな対象となる。
本学では震災後、産業廃棄物の不法投棄現場の探査などに使用してきた地球観測衛星「テラ」「アクア」「メトップ」「ノア」の情報を直接受信するため、ドーム型パラボラアンテナを含むシステムを設置した。人が近づけない場所を含め広域の情報を収集するには、人工衛星の活用が有効である。この情報から震災前後の植生指数(NDVI:Normalized Difference Vegetation Index,正規化植生指数)の変化を調べた結果、津波や大規模火災の被害を受けた沿岸部に集中することなど、相関性を示すことができている。変化は津波や大規模火災の被害を受けた沿岸部に集中しており、津波の影響により、沿岸部の土地が削られ、汚泥等による覆土や塩分による植生変化などにより、土地被覆状況が変化したためと考えられる。
昨年11月には土木建築工学科が中心となり263ページの災害調査報告書をまとめ上げた。繰り返される災害に対する防災、減災の種々の情報を集約することは重要であり、現在はその課題解決に取り組んでいる。
震災後2日目に英国のThe Independent on Sundayの新聞に大きな日の丸を背景にした「がんばれ日本!がんばれ東北!」という日本語のエールが力強く書かれていた。それから、1年半が経過し、なかなか震災前の生活に戻れない地域も多く残っている。同新聞には「Don't give up Japan! Don't give up Tohoku!」とも書かれていた。
あきらめないで、貴重な体験を後世に伝えていくことも大きな役割と思う。今後の本学活動についても多くの方々の御支援を御願いする次第である。
■知の拠点から
被災地における「エコノミークラス症候群予防運動指導」
東日本大震災から1年半以上が経ち、津波によるガレキはほとんど片付いたものの、まだまだ沿岸部は復興には程遠い状況です。被災地にある唯一の体育系大学である仙台大学は運動による健康づくりのノウ・ハウを生かし、震災直後より避難所で「エコノミークラス症候群予防運動指導」を実施し、今も仮設住宅で活動を継続しています。現在では、むしろ仮設住宅での高齢者の孤立や孤独死が問題となり、廃用症候群に陥ることが懸念されています。そのため、健康づくりのための運動指導がより重要になっています。
本学では宮城県亘理町と女川町で活動し、運動後に運動栄養学科の学生たちが作ったお菓子で茶話会をしています。参加者同士の交流や若い学生たちが運動指導を、毎週楽しみに参加して下さるお年寄りの方がたくさんおります。参加することで運動が習慣化され、持病のある方の検査データがよくなる例もあります。
この活動が学生たちにとって生きた学びの場になっている点も見逃せません。まず、被災地の様子を自分の目で実際に見ることが非常に重要です。その上で被災者の話を聴く、そして運動指導を通して被災者とふれあう。また、学生たちが人のために役立つことの喜びを体感することで、より広い視野が養われ、社会性が身に付くなど高い教育効果が認められます。
本学ではこうした活動で災害関連死を少しでも減らすことができるように、仮設住宅が無くなるまで活動を継続していく予定です。