平成24年1月 第2467号(1月11日)
■高等教育の明日 われら大学人〈18〉
あのスーパースターは東京音楽大客員教授
谷村新司さん(63)
著名人が大学教授になるケースは多いが、著名度からいえば、この人が「チャンピオン」。谷村さんは、今年4月から東京音楽大学(野島 稔学長、東京都豊島区南池袋)で教壇に立つ。「シンガーソングライターを志す者にとって、一番大事なことは作品に心を込めるという事。その第一歩として言葉(コトノハ)を学ぶことは、とても重要」。アリスのメンバーとして「帰らざる日々」「冬の稲妻」「チャンピオン」などのヒット曲を出し、その後ソロ活動、楽曲提供と活躍の場を広げ「群青」「昴」「サライ」「いい日旅立ち」など、日本のスタンダード・ナンバーともいえる曲を次々と生んだ。実は、谷村さんは、2003三年から5年間、上海音楽学院教授として講義をしている。「僕が一人の音楽家として生きてきた中で得た沢山の宝物を伝え、共に学び、『ゼロから生み出すことの喜び』を一緒に体感できれば…」と抱負を語る。音楽活動と大学教授を両立させる日々への想いを聞いた。
沢山の“宝物”を伝えたい
共に学び共に体感 ゼロから生み出す喜びを
1948年、大阪に生まれた。大阪市立桑津小、同市立東住吉中へ。どんな子どもでしたか。「母は三味線、姉は舞いという邦楽一家に育ちました。中学では剣道部に入りましたが、中学二年生で洋楽に憧れ、貯金して中古のギターを買いました」
転機は、大阪府立大和川高学時代の1965年、フォークグループを結成。「PMスタイルをベースにしたグループで、オリジナル曲を作ったり、学園祭でフォークソングを披露しました。勉強より音楽三昧の高校生活でした」
桃山学院大学に進学。どんな大学生活を。「音楽をやりながらゴルフ部に入部。関西の新人戦に出ましたが散々で、ゴルフは向いていないことがわかり一年でやめ、音楽に専念することにしました」
同大学在学中に堀内孝雄と出会い、71年に二人のアリスを結成。72年3月、「走っておいで恋人よ」でデビュー。同年5月に矢沢透が参加。デビュー当初はヒット曲がなかった。74年には年間303ステージという“記録”が残っている。
その後、「帰らざる日々」「冬の稲妻」「チャンピオン」などがヒット。アリスの活動と並行して、ソロ名義でのアルバム製作、山口百恵の「いい日旅立ち」など他の歌手への楽曲提供も。79年の「陽はまた昇る」、80年の「昴」のヒット。81年には「群青」が東宝映画「連合艦隊」の主題歌になった。
81年8月、中国の北京で、日中共同コンサート「ハンド・イン・ハンド北京」を開催。単独公演としてはアリスが初めて。88年からの3年間はロンドン交響楽団、国立パリ・オペラ座交響楽団、ウィーン交響楽団と共演を果たす。
2010年の上海万博の開幕式で、「昴」を歌った。この様子を大和総研(上海)諮詢有限公司の張暁光氏が「中国人はなぜ谷村新司に感動したのか」と報告。このレポートに音楽家、谷村新司の熱い心と優しさが刻まれている。
〈最も人気のある歌は、「昴」、「いい日旅立ち」、「風姿花伝」の3曲で、ファンは二つの年齢層に特に多い。一つは40歳〜55歳ぐらいの年代。彼らの大半は「文革」の暗い時代を経験した。現在の豊かな生活に比べ、心はどれほど満たされているか、そもそもこれは自分が最初に憧れた人生であろうか、谷村新司の曲を聴いて彼らの胸にはこのような思いが去来したのではないだろうか。
もう一つの年齢層は27歳〜39歳の世代。「一人っ子政策」の時代に生まれた。現在中国で最も多忙を極め、それなりの社会的責任を帯びつつある人々である。一息ついて足を止めたくても、市場経済の怒涛に流され、立ち止まることは許されない。そんな彼らの心に、谷村新司の歌は癒しと純真さ、そして勇気を与えてくれたのではないか〉
さて、東京音大の前身である東洋音楽学校は、私立の音楽大学としては最も古く、明治40年に設立。声楽、器楽専攻、作曲指揮専攻、音楽教育専攻の4専攻に1500人の学生が学ぶ。谷村さんのソングライティングコースは作曲指揮専攻。
東京音大で教えることになるきっかけは?「最初、服部克久先生から話があり、そのあと主任教授の三枝成彰さんから直接、要請され、千住明さんからも勧められ、お世話になることに決めました」
ソングライティングコースとは。「自分で詩を書いて、曲をつくって、できれば歌い、そして伝えることを学びます。このコースの目標は、「生徒が考え、書くことを楽しむ、考え方のヒント・多くの扉があることを学ぶ、1日2篇、全体で26篇の詩を完成させる」ことだという。
学生に一番伝えたいことは?「自分で0から1を作るということ。1を2にすること、1を3のように演奏することはみんな学ぶと思いますが、何もないところから言葉とメロディが生まれてくる瞬間というのは、ソングライティングをしている人にとってはトップシークレットであることが多い。
でも、一人ひとりが持っている本当の自分の可能性を開くきっかけを作ることと、ひとつの方向に進み始めたら、ひとつの方向だけじゃないかもしれないよ!と提示してあげること。気が付いたらひとつの作品が仕上がっていること。そこまでをまずやりたい」
〈授業計画〉はこうだ。@「修学のススメ(これから一緒に…)」から、L「フラクタルな世界(詩は自分そのもの)(生き方・考え方・死生観)」までである。なかには、C「クォンタム(量子)の世界」や、F「『鳥の目』を学ぶ」、のように難解なタイトルの講義もある。
「タイトルは1回ごとの講義につける学校側のシステムですが、この一つひとつに、実は本人が気付いていないものを目覚めさせるスイッチが隠されているです。音楽と関係のない話と思うかもしれませんが、この講義で話すことは全て音楽に集結していく話です」
授業について。「学生は、最初は目が点になっていました」と楽しそうに話す。「音楽をやってきた学生なので音楽のハウツーは知っていますが、僕の授業のハウツーはWHYから入るので戸惑いがあるかも。13の講義がありますが、7回目あたりから、いい詩を書くようになり、授業の流れがわかってきたようです」
教科書のない授業
「ぼくの授業は、教科書もないし、前例もないので、この2月の入学試験は面接のみにするつもりです。歌いたいものを歌う、伝えたいものを伝える、その志を聞いて、(合否の)判断をしたい」
いまの学生について。「僕らのころと何も変わっていない。やる気のない人は昔も今もいる。音楽大学に来ている学生は、ひとつの方向性を持っており、ぼんやりとただ単位を取るだけではなく、やる気があると思う」
学生に期待すること。「学生には、あえて期待も、希望も持たないようにしています。講義から、何かを感じ取って、何かをやり始める子が、ひとりでも出てくればいいなと思っています」
理想の教員像。「子どもの頃、先生から『こういうふうになれ』と言われるのが嫌だった。自分が学生だったら、どう思うか、を常に考えている。月並みだけど、教えることは教わることだ、と思う」
来年度の講義も年間13回ぐらい、ステージは年間100回、というペースになるという。「教えることも、ステージに立つことも、どっちも楽しい」。音楽家と大学教授の両立は来年度も続ける。
夢を追いかけ生きる
最後に谷村さんの夢を語ってください。「夢を追いかけて、ずっとやり続けています。いまやっていることは、夢の途中。絶えず、形あるもの、形がないものにこだわらず、夢を追いかけて生きていきたい」。谷村新司は、音楽家として、大学人として、これからも夢を追いつづける。
たにむら しんじ 1948年12月11日生まれ。大阪府出身。音楽家、東京音楽大学客員教授。「いい日旅立ち」、「昴」、「サライ」など日本のスタンダード・ナンバーといわれる曲を次々に世に送り出してきた。七八年には日本人アーティストとして初めて日本武道館3日間公演を成功させるなど、音楽家として一時代を築いた。2010年に奈良県で開催の平城遷都1300年祭のイメージソングを担当した。長年にわたって、アジア諸国のアーティストと交流、さらに若手アーティストの育成や発表の場づくりに尽力している。