平成24年1月 第2466号(1月1日)
■2012年 新春座談会
復興なくして日本の再生なし
多様な中間層を育てる私学
▽大沼 淳氏=日本私立大学協会会長 文化学園大学理事長・学長
▽黒田壽二氏=日本私立大学協会副会長 金沢工業大学学園長・総長
▽柴 忠義氏=日本私立大学協会常務理事 北里大学理事長・学長
▽佐藤東洋士氏=日本私立大学協会常務理事 桜美林大学理事長・学長
▽中村英夫氏=日本私立大学協会理事・就職委員会担当理事 東京都市大学学長
▽小出秀文氏(司会)=日本私立大学協会事務局長
平成24年の新春を迎え、本紙では「復興なくして日本の再生なし―多様な中間層を育てる私学」をテーマに、日本私立大学協会の大沼 淳会長をはじめ、別掲の6氏による新春座談会を開催した。昨年3月11日に発生した東日本大震災及びその後の原発事故による被害の拡大化・長期化など、厳しい経済状況や混迷気味の政治情勢等と相まって、さらにまた、18歳人口の減少と就職状況の悪化も重なり、私学経営も危機に直面している。戦後60余年を経た今日、私立大学は全学生の約8割の人材育成を担っており、この度の大震災をターニングポイントとして捉え、将来の日本を支える“多様な中間層の人材育成”、そして、社会構造の変化に即した高等教育のパラダイムシフトを目指した“諸課題解決の方向性”のあり方などについて議論していただいた。〈敬称略〉
高等教育のパラダイムシフト目指す 私学振興の諸課題に向けて
○小出 新年明けましておめでとうございます。
昨年は、東日本大震災により加盟大学を含めて東北地方の多くの方が未曾有の被害に遭われました。改めまして、心よりお悔やみを申し上げます。しかし、その直後から全国の大学からの温かい支援により、少しずつ被災校の業務も正常化しつつあるのではないでしょうか。
振り返ってみますと、被害状況の情報収集から始まって、お見舞いと訪問、仙台での復興支援シンポジウム、政府機関や民主党のほか、原子力損害賠償紛争審査会などへのヒアリング対応、福島県私立大学協議会への説明会と支援、震災復興の補正予算に向けた各種要請活動など、加盟校の皆さんのご協力もいただきながら全力で対応して参りました。そして、それらの活動を通じて、地域貢献・地域活性化等の私学振興の在り方を改めて考えさせられました。
10月に開催した青森総会においては、「教育の復興なくして地域と国の再生なし」をスローガンの一つとして掲げ、東北地区にエールを送りました。併せて日本私立大学団体連合会「21世紀委員会の提言」に沿った「新時代を拓く高等教育政策のパラダイムシフトを期す」をもう一つのスローガンとして、積年の課題である公平な高等教育政策の実現等、私学振興を誓いました。今後とも、この二つのスローガンの実現を願ってやみません。
さて、易の見方では、平成24年は壬辰(みずのえたつ)・六白金星の年回りで、水害の凶年とされるとともに、社会情勢では、政府が思い切った政策を実行するかどうかが鍵だそうです。ぜひ日本の将来を支える人材育成のための教育面への思いきった施策を期待したいものです。
それでは、先生方からもどうぞ忌憚のないご高見を開陳していただければと思います。何とぞよろしくお願いをいたします。
では、まず大沼会長から、昨年1年の回顧と新年の抱負をお願いいたします。
東日本大震災への対応が試される年
○大沼 明けましておめでとうございます。
実は今年は私にとっては、年男としての7回目の辰年を迎えることになります。それこそ「遥々と来つるものかな」という感慨めいたものがあって、振り返ると、猛烈な変化のあった84年間であるにもかかわらず、遠い歳月を感じております。
昨年は、3月11日に東日本大震災が起きて、その時、私どもの大学では3回目の卒業式が始まる15分前でした。全員落ち着いて対応でき、試練になったと思っています。それから以降、震災からの復旧・復興を中心に日本社会が動かされてきましたし、今年もさらにそれが繋がっていくのかなという感じを大変強くしております。
重ねてもう一つ大きなことは、欧米では先進国と言われた国の経済が行き詰まり、問題が噴出しており、一方で発展途上国と言われた国々が、ここ数年の間にすばらしい台頭を遂げてきて、それが今ちょうど混じり合って、世界中が大きな流れとなって変わっていく、その変わり目に立っていると感じております。
先進国の高等教育は、いわゆるポスト・セカンダリー・エデュケーションという概念で言えば、約80%以上の人たちが進学できる時代になって、大学が社会との接点になっている。そんな意味で、社会の大きな変動にどう対応するのか、未曾有の東日本大震災に対してどう対応するのか、そんなことが試される年になるのではないか。これをどう乗り切るかが、日本にとっても我々大学にとっても極めて重要な事柄になるのではないか。そんな意味で、一層引き締めて協力し合って進んでいくことが大事な年になると思っています。
○小出 ありがとうございます。
佐藤先生、いかがでございましょう。
○佐藤 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
昨年を振り返ると、大沼会長のお話にあったように、東日本大震災以来、全体が茫然自失としているところもあったのではないかと思っております。桜美林大学だけでも、1200人ほど東北地方出身の学生がおり、残念ながら津波にのみ込まれて亡くなった者が一名おりました。また、家の全壊・半壊の被害を受けた者もかなり出ました。これは東北地方だけの問題ではなくて、そこから学生をお預かりしているそれぞれの学校にとっても大変なことではなかったかと思っております。
地震発生時、ちょうど黒田先生とともに霞が関ビルの35階で、これから中央教育審議会の大学分科会を開こうというときだったわけですが、通信網がなかなか機能しないなどさまざまなことがありました。そのとき会議は取りやめることにしたわけですが、大学設置・学校法人審議会を含めてしばらくの間はすべてのものが止まってしまい、きちんと修復をしていくには時間がかかったのではと思っております。
被害があっただけではなくて、来日を予定していた留学生が来なかったとか、帰国してしまったとかありましたけれども、それはある程度回復したと思います。
ぜひ今年の1年が終わったときには、昨年は大変だったな、でも今年は、それぞれの大学にとって少しずつ前に進むいい年だったなという形で終わることができたらと願っております。
○小出 ありがとうございます。
中村先生いかがでしょうか。
震災をポジティブに捉え、先を考える
○中村 明けましておめでとうございます。
この十数年来、日本社会はずっと沈滞ムード、落ち込む一方で、中国、韓国その他周辺の国が成長していくのを、何となくうらやましげに見ていた状況だったわけですが、そこへ東日本大震災が発生して、我が国の落ち込みが更に顕著になりました。しかし、ただ、その後を見ていますと、確かに大変多くの方が亡くなる、あるいは原発の事故であと何十年も大きな負荷を背負っていかなければならないのですが、そういった中で、日本の社会あるいは日本人の強さ、良さを随分見せたときでもあったと思っています。
最初に私がそれを感じたのは4月の入学式でして、昨年の学生は入学式で聞いている態度もぴしっと締まっていたと思います。私はその際、こんな話をしたのです。
ちょうど1945年(昭和20年)が敗戦で、それまでと価値観も教育方針も変わってしまい、大きな衝撃を受けました。しかし、その混乱の中から人々はまた立ち上がって、あの大成長を遂げたのです。我々の世代は、“戦後派”と呼ばれましたが、大体そうした発展を背負ってきたところがあり、大変な頑張りをして今日の日本をつくってきたと思うのです。それを思うと、今日の入学生も将来、“震災後派”と呼ばれて、その前の世代と違った価値観を持って、違った行動パターンを持って、この国をまた新しく生き返らせる力になるはずです。だから皆さん頑張ってほしい、という話をしたのですが、そのとき学生たちは本当に一生懸命聞いてくれました。
その後を見ていても、東京都市大学には原子力安全工学科があり、定員30人の少ない学科なのですが、2月の試験で41人入ってきたのです。そこへあの原発事故でしょう、原子力なんてとんでもないという社会の風潮です。半分くらいの学生は辞めてしまうのではないかと私は懸念したのですけれども、その41人の学生は今もちゃんと原子力安全工学を使命感を持って勉強しています。
そのようなわけで、東日本大震災を機に、思い切って先のことを考えるべきで、そのちょうど変曲点を与えていただいたとポジティブに取るべきなのではないかとすら思います。原発事故にしても、だれが駄目だったのだという議論が多いようですが、そうではなく、日本はこういう科学技術の分野でも、初めて人類全体の未来に貢献できる機会を与えられたというぐらいの気持ちでやるべきなのではないかとポジティブ思考にしたいと思っております。
○小出 実害にも遭遇されて、ご自身も東京にお戻りになるのが大変だったというお話も伺っておりますが、柴先生からご感想など伺いたいと思います。
○柴 明けましておめでとうございます。
昨年3月11日から12月までの期間がすごく短く感じられております。当日、北里大学十和田キャンパスで卒業式があって、八戸から新幹線に乗って、盛岡を過ぎて花巻の手前ぐらいで震災に遭いました。結局一晩、新幹線の中で過ごしまして、翌日降り、雪の積もっている線路を歩き、幸い高架橋の下に降りまして、そこから盛岡に戻りました。それまでは、そんなに状況がひどいという感じはあまり持っていなかったのですが、携帯電話でテレビを見ていまして、特に仙台の津波の話が最初に出ていたのでキャンパスのことが非常に心配になりましたが、電話は通じないという状況でした。
盛岡から16時間かけて、13日の深夜2時ぐらいに東京に着いて、その日のうちに相模原キャンパスに行き、大船渡市の海洋生命科学部の情報を収集しました。幸い、キャンパスは高台にありましたから、津波には遭いませんでした。ただ学生のアパートの約3分の1弱が流失して、不幸にも1人が現在も行方不明という状況です。
盛岡から東京まで車で国道4号線を通り、道路沿いで食料やガソリンを手に入れるのがいかに大変かを見ながら帰ってきました。ですから、避難して大船渡キャンパスにいた学生が250名程いましたが、その学生をまず保護者のもとに安全にできるだけ早く帰したいという気持ちがありまして、とにかく東京からバスを出して、16日にはほとんど全員を保護者のもとにお帰しできました。
震災1週間目に理事会があり、そのときに方針をしっかり決めて、大船渡は校舎も被災しておりましたので、しばらくメインの相模原キャンパスで、5月の連休明けを目標に授業を再開すると方向を決めて、それに向かって進めることとしました。
結果的に思うのは、一つは「250名が孤立」とTVニュースにもなりましたが、ああいう状況で学生をいかに保護者のもとに安全に帰すかということと、もう一つは、どういう形で大船渡の復興に我々がコミットできるのか、地域との連携に対してどういうスケジュールでかかわっていくのかという問題です。それから危機管理をどうしていくか。
協会東北支部には被災した大学がたくさんありますが、さっき中村先生からお話が出ましたように、震災の時点で大学生だった人は、何よりの勉強になったのではという気がします。この震災で、人と人との関係や地域とのかかわりの中で、自分の専門分野だけではなく、もっと大切なものを勉強したということがあると思います。ですから、この3月に卒業する学生は、社会に出て、体験というか昨年の日本の状況を十分にきちっと生かして、社会貢献してほしいと願っております。
○小出 ありがとうございました。黒田先生、お願いを致します。
大学は地域を安全に守る義務もある
○黒田 明けましておめでとうございます。
昨年を振り返りますと、3月11日の東日本大震災によって日本人の考え方が大幅に変わったと言えるのではないかと思います。皆さんの考えが変わってきた。したがって、国の政策もその中で大きく変わらざるを得なくなった。
先ほどお話があったように、ちょうど中央教育審議会大学分科会が始まろうとしているときだったのですが、その日は、私にとっては第5期の中央教育審議会大学分科会から次の第6期に引き継ぐために、これまでやってきたこと、これからやらなければならないことを発表する日だったのです。原稿も既に渡してあって、それを発表する予定だったのですが中止になり、その後その引き継ぎの機会がなくなってしまいましたが、それくらい新しいことに取り組まざるを得なくなっているというのが現状です。
この東日本大震災は、日本だけのことではないということなのですね。地球そのものが変動期に入ってきているので、あちらこちらで地震が起きています。日本でもなかなか止むことなく、今でも続いているわけですけれども、いつどこで発生するかわからないくらいの地殻変動が今起きつつあるということになっています。こういう地殻変動は、ずっと以前から地磁気が変わってきており、それは人間の思考が変化してくるということなのです。色々な面で、今までこうだったということが違う形で現われてきています。人間の思考の変化が結果として世界的な大不況、恐慌とも言っていい社会的変動を与えているといったら言いすぎでしょうか。
科学技術が発展すればするほど、本来ならばそこに目を向けなければならないのですが、随分前ですが「想定外」という言葉がはやり、科学者までもが使うようになったのです。私は、原発事故はとんでもない事故だと、昨年、科学技術振興機構の会議で先生方と話したときに言ったのです。すべてのことは想定されているはずだけれども予算の都合、政策の都合上、限度としてここまでしか見られないということがあって、科学者としては全部想定されているはずです。原発の電源が全て失われたとき何が起こるかは分っていたはずです。その辺をしっかりとわきまえてお話ししてもらわないと困りますと話をしたことがあるのですが、まさに科学的に解明していけば、「想定外」のことでも解明はできるのですね。科学者がそれは想定外だから責任はないなどと発言することはもってのほかです。そういうことを社会に発表していいかどうかは、また別問題です。これは社会的混乱を起こしますから、わかっていても発表できないことがたくさんあるのです。しかし、我々一般国民としては、地球そのものがそういう変動期に入っているのだということは認識しておく必要はあると思います。それに対して最大の備えをしていく。これも限られた中での準備が必要になってくる。
昨年、私の大学では、緊急時の避難所として、3年間分の水を蓄えようと大きなタンクを地下に二つ埋め込んだのですね。そのまま水を入れておくと腐りますから、きっちり循環させながら保存するシステムをつくり上げたのです。これは電気が止まっても大丈夫なようにしてありますが、近隣住民の避難場所として3年間暮らせるくらいの水は確保しました。そういうことで、備えられるものは備えておく。大学は、地域における中心的存在になっているのですね。地域振興の中心、文化の中心でもあると同時に、地域の人たちを安全に守る義務もあるということで、東日本大震災ではどの大学もそれに対応されたと思います。だから、今後もそういうことはやっていかなければならないと思っています。
次に東日本大震災が起きて中教審第五期での議論が途切れてしまっているわけですが、今やっている中身は、国際化の対応と、大学の使命の明確化、大学がそれぞれに目的を持って活動してくださいという方向に動いています。その中で行われている政策立案は、ほんの部分的なことなのですね。日本の教育全体をどうするかという動きまではまだ来ていません。これは今年やらなければならない。グローバル化の中で、世界に対応して日本の大学がどうあるべきかは、今年の大きな課題です。そうしませんと、日本の大学は世界的に見て沈没することになってしまうと思います。
○小出 ありがとうございました。
最後にまた大沼会長には、東日本大震災を契機としての今後の日本像、それに果たす大学の人材養成の方向を語っていただきたいと思うのですが、出てきております話題を一つずつ区切らせていただきます。
東日本大震災の影響では、留学生にかかわる問題に色々な影響が出てきている。特に原子力発電所の事故では、クモの子を散らしたようにほとんどの留学生が国元へ帰ってしまった。その国元へ帰るのも、自力で帰ってしまうケースと、大学がきちっと面倒を見て送り届けたケースがあるのです。顔の見える関係を留学生と作ってきた原発40キロ圏の大学もあるのですが、その問題も含めて、日本の学生は内向きになってしまって、平成16年には8万3000人いた海外への留学生が、平成20年には6万7000人になってしまっている。こういう状況をどう見るのか。中国、インド、韓国の若者は、外国へどんどん留学するという傾向が顕著だと数字は示しております。
東日本大震災を契機とした日本のこれからの大学の国際化という問題に話を進めていただければと思います。佐藤先生からいかがでしょう。
留学生の送り出しが国際化の早い道筋
○佐藤 先ほどから、東日本大震災は私たちや日本人を振り返らせる、また学生たちにとってもすべてが悪いことではなくて、ある意味で今求められている生きる力をどう身につけさせるかを振り返らせる、良い機会になったのではないかとお話がありましたが、留学生に関しても、当時を振り返ると外国人教員も含めて、日本は危ないということで母国に帰ってしまうことがかなりありました。中には、大使館でバスをチャーターして東北地方から最寄りの空港まで、在留している自国民を送り届けて帰すということまでありました。
また、例えば、大学に来ると言っていたアメリカの留学生たちが、州政府が認めないので日本へ渡航できないということもありました。いわゆる風評被害は、現実を十分に検証しないままにマスメディアを通してどんどん広まっていきますから困ったものだと思っていました。しかし、しばらく経つとだんだん戻ってきました。特に国費留学生は、一たん帰国しましたが再渡航する場合の費用を国が補助して、できるだけ戻す努力をした結果だと思います。また、4月入学のときには来日しなかったけれども9月に来日したというケースもありますし、落ち着いてきたのかなと思います。
ただ、先ほどお話がありましたように数字で見ると、外国人受入れ数は、平成16年と20年を比べると1000人増です。一方、日本から外国に行くほうは、1万6000人減っています。従来から政府は、留学生30万人計画を推し進めてきたのだけれども、受け入れについて重点的にしていくという傾向がありました。ただ国際化を考えた場合に、日本人を外に出していくことが、結果として国際化のかなり早い道筋ではないかと感じております。そういう意味では、学生がもう少し流動的に移動できる支援が必要でしょうし、強化する必要があります。それが、ひいては大学の国際的な環境の中での質保証にもつながっていくと感じています。
○小出 ありがとうございました。
大沼先生はいかがでございましょう。
○大沼 震災だけであれば、日本はいろいろな体験をしてきているし、復旧も割合問題なくできるのでしょうけど、今回は原発問題が大きかったんじゃないかなと思います。その風評被害が留学生に及ぼした影響は非常に甚大です。
福島で原子力発電所の冷却装置等が壊れて、そこから煙のようになって放射性物質が出ている映像は、インターネットで全世界へ流れているわけですね。それが海外で頻繁に報道されたので、あれを外国の普通の人が見れば、黒い煙が東京の上を舞っているわけですから、東京は到底住めたものではないと思ったでしょう。各国の大使館その他からそれぞれ留学生に伝達が行っていて、なかには退去命令まで出した大使館もあったと聞いています。ですから、そのことの影響は非常に大きかったと思います。特に韓国は地震がない国ですから、留学生は地震そのものが非常に怖かったのではないかと思います。
私どもの学校・大学でも、入学者は決まっていましたが、春休みに帰った人を含めて半分ぐらいは来ませんでしたので、極端に留学生の減少が起こりました。今年の入学者は元に戻っております。したがって、その後遺症は基本的にはもうないのではないかなと思います。私のところは、留学生が全体で1500〜1600人は常時おりましたが、今年はやや少なめになるのかなとは思いますが、そんな大きな数字にはならないと感じております。
日本は、歴史的に見ても地震が多い。世界で起こる地震の4分の1は日本で起きています。あとの4分の3が全世界にわたって起きている。そのくらい地震が多い国なので、何となく慣れっこになっているのですが、そうでない国から来た人は、大変怖いという印象を持っているようです。しかし留学生問題は、そういうことを乗り越えて、日本が国際社会の中で教育的にどういう役割を果たしているかが、むしろ留学生を呼ぶには一番大きな課題だと思います。
今、私どもの学校に留学生が多いのは、教育がいわばヨーロッパのファッションあるいはデザインを教えていることが源流になるのですが、日本の伝統文化が持っている感性の高さが国際的にも高く評価されているのだろうと思います。
もう一つ、ポスト・インダストリアル・ソサエティにおける新しいもののあり方がその辺にあって、しかもファッションの世界では、アジアではハブの役割を日本が果たしているわけです。日本から東南アジアその他へどんどんと進展している。だから学生も欧米で習ってくると同時に、うちの大学へ入って、それから韓国へ帰り、中国へ行き、タイ、インドネシアという形で広がっていて、ファッションの国際展示も大体卒業生が押さえているという広がりが強い基盤になって、大震災が起きても、学生はまた戻ってきているという感じを抱いています。
やはり重要なことは、自分の学校の教育が未来に対してどういう位置づけにあって、どういうものになるかをきちんと踏まえてやっていくことが大事なことかなと思います。
○小出 協会理事会の意向を受けて現地を視察すると、福島と岩手・宮城の事情は全く違いました。それぞれに、大きなエールを送って頑張っていただかなくてはという思いがあります。協会は全国区ですから、そのあたりも細やかな支援の手を差し伸べていかなければならないと感じております。
○大沼 全く同感です。要するに原発問題の存在が、これから非常に大きな課題になっていく。それが福島と岩手・宮城との違いにはっきり現われていくと思います。そこで、日本私立学校振興・共済事業団にポータルサイトを設けていただき、少しでも救済になればと思い、福島の私学に寄附できるような道を開きました。全国の私学の皆様にそれにご協力いただけるよう、努力する所存です。
○小出 ありがとうございました。
グローバル人材養成が盛んに言われて、これからの国際化という点で、黒田先生は、留学生の送り出しも絡めて日本の私立大学が果たす役割はどう見ておくべきでしょうか。
外国人留学生には日本語での授業も
○黒田 日本の国際化は、政治的に東南アジア、特に日中韓は仲よくやらないと成り立たなくなってきている。日本の産業界は、東南アジアに目を向けずにアメリカに目を向けていましたからね。そう言いながら、生産拠点の多くは東南アジアへ移っています。そこで生産されて日本企業から出荷されていますが、そういう中で産業構造そのものがグローバル化されているわけです。金沢工業大学でも工科系卒業生の就職問題になってきますと、グローバル化に対応しなかったら就職できない。企業が採用する新卒社員は大げさに言えば半分近くは外国人ですから、外国人と就職を競うことになります。その日本人もどこの国に行っても働ける資質を持って、だれとでもお付き合いできるということにならなければならない。それが工科系では特に激しくなっています。そういう意味では教育のグローバル化は避けて通れない。
だけど、大学で国際化するために英語で授業をやりなさい、英語で授業をやって外国人を呼びなさいって、とんでもない話だと言っているのです。それなら英語圏へ留学すればいいのであって、日本に来る以上は、日本語で授業をやるようにする、日本の文化も教えて帰すことが必要です。英語での授業は、日本人学生にこそ必要だと思っています。
「グローバル30」という政策は、各国に日本の学術的拠点を置くことが主眼でした。ですから、その資質があり、財政的支援がなくなっても運営できる大学だけを予算の関係で13大学だけ選んだのです。このことについては多くの大学からお叱りをいただきましたが、そこである程度の拠点ができたら、日本の全ての大学に解放することになっているのです。個々の大学の所有物ではありますが、その地域へ行ったら、日本の大学はだれでも使えるようにしようということになっていますので、学問の幅を広める意味では非常によかったと思っています。
それに続いて今度は国際化に対して、これも予算が付くかどうか分りませんが、もう少しきめ細かく規模の小さい大学でも対応できる予算取りをしていこうということになっています。そういうことで、まず日本としては、アジアの中での日本の位置づけを確立したいという大きな狙いがあります。それに対応して、大学教育もそれに従ってやってくださいということですが、日本は学生をもっと外へ送り出さなければ駄目だと思うのです。送り出す方法が今見つかっていないのですね。個々の人間が引っ込み思案だと言うけれどもそうでもないのです。アメリカへ留学した学生は、ちゃんと向こうのシステムに則って教育を受けて、学位を取ってくるのですね。日本の学生は勉強しないと言うけれども、向こうへ行ったらちゃんと勉強するのです。
つまり、それは環境のつくり方なのです。ですから今、単位の実質化が盛んに言われています。ちゃんとしたコアカリキュラムをつくって体系的な教育をやってくださいと言われていますけど、結局、日本で受ける教育と外国で受ける教育の実態に余りにも差があり過ぎますので、その辺の修正を今やろうとしているのだと思います。それをやらなければ、国際化を図ろうとする日本の大学は取り組んでいけないだろうと思っています。
○小出 ありがとうございました。
柴先生はいかがでしょうか。
○柴 先ほど大沼先生からもお話があったのですが、その国に留まって学ぶメリットがなければ留まる価値はないと思います。そういう意味では、外国から来て勉強するだけの魅力とか価値を持っている大学は、日本には今のところあまり見い出せません。ですから、アジアから来るのはある程度理解できるのですが、世界的にヨーロッパとかアメリカから本当に学生が来るかというと、それだけの魅力と価値を持っている大学が少ないのが一つと思うのですね。
逆に、出るほうでは、黒田先生からお話がありましたが、日本は初等教育のあり方も含めてあまりにも平等主義でやっている。国民性もあるかもしれませんけれども、韓国や中国の学生のようなハングリー精神のないことが、日本の学生の海外留学志向を弱くしてしまっているということと、国内にいても自分は十分満足できるという意識が今までは非常に強かったと思います。去年も含めてだんだん変わってきつつあるので、また新展開があるかもしれませんけれども、もちろん海外に行って語学のハンディキャップなどの問題もあると思うんですが、それ以上に精神的な教育のあり方がすごく反映しているのじゃないかなという気が私はします。
○小出 ありがとうございました。
大学と社会、その間の就職などの問題は、昨年一年間はずいぶんと話題になりました。日本経済団体連合会の動きもあり、広報開始時期にしても、日本貿易会から大学と同様の提案が出ている。そのあたりは最前線で中村先生に対処していただきましたが、今の若者像と社会との接点、就職問題、このあたりはいかがでしょうか。
早期化・グローバル化―就職活動の問題点
○中村 ご承知のように、今、就職が大変難しい状況にある。去年よりは今年のほうがいいと言われている向きもあるのですが、必ずしもそれは本当ではない。この間聞いた話だと、就職率を出しているサンプルは一部の大学なので、かなり偏っており、全国的に見ると去年より悪いという印象が強いのが実情のようであります。
就職状況が悪いのは、一つは日本が相変わらず不況に苦しんでいることでありますし、グローバル経済の中で企業はどんどん外国へ出ていくからです。この間もタイのバンコクの洪水がずいぶん大きな話題になりましたが、私が驚いたのは日本企業が460社もその地域に立地していることでした。1社平均500人雇用しているとして、それだけで13万人の雇用が日本からバンコクへ行っている。そういうわけですから、就職状況が悪くなるのは当然だと。
もう一つの問題は、日本の就職の仕方があまりにも特殊過ぎることです。特に3年生の段階からリクルートスーツを着て、授業の途中でも、就職説明会で退出しますと言っていそいそと出かけていく。3年生から4年生にかけては、専らそういうことばっかりやっている。そのとき中国も韓国も学生はそんなことはしないで、みんな勉強しているわけですね。理想論からすると、学校を卒業してからゆっくり就職を考えてほしいのですが、そうもいかないので、今の日本のやり方と、グローバルスタンダード的な就職の仕方をもうちょっと近づけられないかということです。ともかく今の就職活動の大きな問題はその長期化・早期化であるのです。昔、大沼会長や私などの卒業するころは、大体4年生の10月になってから就職を考えるという……
○大沼 直前でしたね(笑)。
○中村 それでよかった。それが今、1年半も前から学生が走り回っているので、本当にかわいそうなのですが、もうちょっと何とかならないかと、協会からもそういう方向のお願いをしたわけです。日本貿易会は昨今のグローバル化に一番まともにぶつかっている集まりですから、そう思うのも無理ないのですが、そこがせめて就職説明会時期をもっとずらせないか、さらに就職の採用時期も八月以降にできないかと提案されるのです。一方、経団連は、日本貿易会よりはるかに大きな会社も千何百社もあるので、その中の会社によっては、そういうふうに遅らすことを好まないし、もっと長い期間かけて学生をじっくり選びたいという希望も多いということで、私どもの希望どおりにはそう簡単にはいかないのです。
この問題は、大学側はどっちかというと受け身な立場で、向こうがこうすると言えばこっちはそれに従うしかないのです。だけど、そんなことであきらめるわけにもいかないので、これからまた経団連を初め関係者へもっと強くお願いに行こうと考えています。これは私立大学だけのためでなくて、私は日本の将来のためだと思っているのです。これをもう何とかしないと、学生は落ち着いて勉強もできなくなる。
もう一つは、グローバル化に対してですが、日本の学生は海外指向の企業、あるいは入社後の外国勤務を嫌うようになってしまったと言われます。また企業も、英語も十分にできないし、外国へ行くのも嫌がる人材は採りたくないとしているので、そこも何とかしなければいけないなと思っているのです。外国へ行きたくないという学生が増えているのを、まず外国へ行ける、行く能力を持つということと、行きたくなるという環境を何とかつくらないといけないと思っています。どうすればいいのかあまり名案もないのですが、彼らに国内だけがいいのではないのだ、外国もいいのだと目を向けさせなければと思っています。
そして、国外の大学へ出て行くほうも今どんどん減りつつあるのを、何とかもう少し増やす方向にしたい。海外からの留学生に関しては、さっきの黒田先生の話にもありましたように、日本の大学で英語で教えたから大勢が入ってくるものでもないし、そういうことをして本当に意味があるのか。それよりも、我々の国の大学を留学に来たくなる大学にする。ちょっと時間はかかるようですが、それが正攻法なのでしょう。ただし、外国人の先生なんかはどんどん来てもらえばいい。そして、外国の事情なんかを学生によく知らしめることが必要です。アメリカは出ていく学生はあまり多くないようですけれども、その分国外から入ってくる学生がたくさんいるから、グローバル人材がどんどん生まれてくるのでしょう。しかし、日本は国外へ出て行く学生は減る、国外から入ってくる学生も少ないとなるとこれは鎖国と同じ状況で、これを何とか打ち破らなければなりません。そのためには、私はとりあえず国外へ出すほうを増やす、それに力を注ぐべきかと思っています。
○小出 示唆に富む話をありがとうございます。
早期化・長期化で本当に実力がついていない若者が社会に出ていけば、やがては日本企業の体力が弱るのは必定ですから、私立大学としては真剣にこの問題に取り組まなければならないという話になってくるのだと思います。
中村先生がおっしゃるように、産業界への働きかけは、私ども団体でまとまって陳情活動等を行わなければならない、とお話を伺いながら感じたところです。
そこで、これはまた黒田先生にお尋ねしますが、ディプロマ・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、アドミッション・ポリシーに関わりまして、学士課程教育のラーニングアウトカムは、若者に実力をつけて社会に送り出す方向で制度設計されていましたが、今年の関連する高等教育政策では、何か新しい風が起こってまいりますでしょうか。
国は基盤的経費の充実と改革への財政支援を
○黒田 これは各大学がやらなければならないことなのです。ラーニングアウトカムは、どういう人材を世に送るかが中心になるわけですが、「どういう人材」かは大学によって違ってくるのです。その人材に応じて、カリキュラムが決まるわけです。カリキュラムが決まったら、そのカリキュラムにふさわしい人を入学させる、これがアドミッション・ポリシーになるわけです。ですから、その辺のあり方を各大学が真剣に考えなければなりません。このことが、各大学の使命の明確化であり、機能分化で大学の特徴を社会に問うことになります。
もう一つの課題が単位の実質化であり、年間30単位、4年間で120単位、それに4単位加えて124単位で卒業要件に達するわけです。ところが、実際に就職活動に入っていますから、4年生は授業が全くできない状態になる。授業をやっても適当に済ませてしまう。そうなると、最後の1年間が不完全な授業になってしまう。3年生のときに就職説明会があると、浮足立ってしまって勉強はろくにしないという状態になっているのが実状です。そういう中で、いかにして単位をきっちり押さえていくか。1単位30時間、予習、復習入れて45時間ですけれども、これが世界標準になっているのです。これを割り込みますと、日本の教育は質が低いと言われることになりますから、大学設置基準で決まっていることはきっちりやっていかなければならない。それプラスαが、各大学が持っている特色等で決まってくるわけですね。はっきりと各大学が意識を持ってシステムづくりをするということなのです。しかし、まともに30単位取らせるということは、毎日8時間みっちり勉強して、やっと達成できる状態ですから。それを卒業するのに現在は140単位、150単位を取っていますから、また、それだけ取らないと国家資格との関係でうまくいかないのですよね。124単位プラスαで国家試験の受験資格もできる状態になっていますから、それをどう解決していくかなんです。
それには、大学教育を何年間にするかなのです。1年を完全に就職活動に当ててしまうのであれば、卒業研究と就職活動だけになってしまうのです。そうすると、3年間でそれを全部やらせることができるのかということになります。大学設置基準では在籍期間は4年以上となっています。
次に経営基盤の強化という話ですが、経営には教学経営と財務経営の二つがあります。まずは、大学ですからその中心的活動の教学のあり方をしっかり構築する必要があります。それが大学財政にどう影響するのかを検証し、財務経営を確立していく、その組み合わせによって大学がしっかりと基盤を整えていくことが理事長、理事会にとって重要な仕事になります。加えて機能分化や使命の明確化もやっていかないと、今までの横並びでは通用しなくなります。
そのためには何が必要かといえば、国は大学の基盤的経費の充実を図るとともに、各大学の改革に向けた、よりきめの細かい財政支援を図ることが重要です。また、日本として重要な政策を担当する大学、研究分野では幾つかの大学を世界と競争する大学に指定し人的物的資源を集中(大学間研究連携を含む)させるなど工夫をすべきであると考えます。それぞれの大学には、世界と競争できる研究分野があります。しかし、日本の顔として、そういう大学院といいますか、そういう研究機関はつくる必要があると思います。
○小出 ありがとうございました。
佐藤先生、大学分科会で黒田先生が話題にされた問題と併せて、これに関係していただくお話は何かありますか。
○佐藤 新しい期に入って、審議動向も先ほど黒田先生からの話にあったとおりで、あまり進んでいないと思います。ただ個人的には、今ある制度の中でいろいろな問題点が発生しているから、それをどのように変えていくかという議論が中心で、長いスパンで日本の高等教育をどう持っていくかという大筋の議論はあまり出ていないように思われるのです。
したがって、「18歳人口および高等教育機関への入学者数・進学率等の推移」という表があり、昭和17年生まれの人たちが、39年ごろに卒業したときには15万人の学生だったと思います。それに対して現在は60万人を超えている。しかし、同じ物差しで考えた大学像のまま来ていて、就職の構造も同じであると。この問題を抜本的に解決するには、例えば大学分科会としては、受けたいという意思がある者には、だれにでも高等教育を受けるチャンスをあげるんだという方針を掲げなければなりません。
それから、例えば就職問題についても、今の人口動態での大学卒業者数がこれだけ増えています。例えば、先だって大学分科会のキャリア教育の議論で、中小企業の団体に来てもらって話を伺いました。そのとき認識を新たにしたのは、企業の割合のうち約99%は中小企業です。中小企業が70%以上の雇用を確保していて、求人も大企業よりよほどたくさんあって、そこがずっと日本経済も社会も支えてきたということです。自分の反省から言うと、私たちは学生を募集するときにパンフレットには、就職先としてはこういう大企業に就職できましたということを売りにしてきましたが、今後、学生に対して指導する場合、保護者に対しても、大企業に就職させるというようなアプローチは、やはり大学としてもどうかなと強く感じました。
だから、高等教育の審議動向はともかくとして、私たちが見極めなければならないのは、日本の社会も変わってきた、グローバルの中で経済活動も変わってきた、それに合う制度設計はどうしたらいいのかという哲学の問題だと感じています。ですから、そういうことが議論できればいいと考えています。
○小出 ありがとうございます。
中村先生、今のお話に関して何かありますでしょうか。
○中村 佐藤先生のおっしゃるとおりで、学生数十数万人のときの価値観をそのままずっと持ち続ける人たちが、経営から教育に至るまで今も大学を占拠しているわけで、相変わらずそういう人は、学生が既存の大企業のどこに入ったという話をします。新聞も全くそれと同じで、出てくるのは大企業の名前で、志望が一番多いのは何とかだと。あれは今の日本の実情に全く合わなくなっている。そんなこともありまして私どもの大学はもっと中小企業に就職しなさいと勧め、中小企業からもいろいろな人に話をしに来てもらう。それから、もっとベンチャー的な志を持てと言っています。
そんなことで、例えば、電車の中に広告を出していますが、そういうベンチャーで成功した人を前面に出しています。一部上場の大企業のトップになる人は、東京大学や京都大学とか慶應義塾大学にたいがい決まっているのでしょうが、うちの大学だって、立派な会社のトップになっている卒業生も多い。でも、そういう人はほぼ例外なしに、大学を出たときはそのころは中小企業であったその会社に入る、あるいは大きなところに入っても若いときに飛び出して転身している人たちです。そういうこともありますから、学生の指導もそちらへも目を向けさせようと盛んにやっています。我々が想定しているのは、中小企業や外資系、外国企業などです。
○小出 ありがとうございます。
昨年1年間の中で提言型事業仕分けの問題で、私どもの見解と明確に違っていると思われる課題提起もなされましたね。これは大沼会長が明確に、『日本の成熟しつつある社会の資質として重要なものは、国民のほとんどが高等教育を受けて、社会の各分野で活躍する時代になってきているのだ、明治維新のようなエリート養成とは完全に大学の役割は違ってきている』と。
行政刷新会議が、提言型政策仕分けで昨年末にいろいろ動かれて、私大協会にも現地ヒアリングと称して、国会議員、内閣府職員も来られております。あのときに大学改革の方向性は「大学の数が多過ぎる」、「大学生の実力が低下してきている」、「情報公開が進んでいない」などの問題について、協会はこれからのビジョンをどう考えるのかと意見を求めにきて、会長や黒田先生に対応していただきました。あの結論は何を目指そうとしているのか全く見えません。この問題も、一昔前の大学像と今日の大学像は決定的に違っている、と明確に論破したつもりだけど、改めて昨年の提言型政策仕分けで提起された問題を大沼先生にご紹介いただければと思います。
明治以来変わらない教育の中身
○大沼 そうですね、これからの大学像がもとめられていると考えてよいのでしょう。全体として結論がでているわけではありませんので、私見ということになりますけれど…。
新しい大学像を模索するにあたって、まず考えなければならないことは、当然ですが、我が国が開国して近代化路線を走ることとなった頃と、現在との社会構造とか社会意識の変化、産業構造とそれに対応する高等教育構造の違いといったことを認識する必要があると思います。
よく言われますように、我が国は明治5年の学制発布以来、学校教育が中心になって近代化路線を急速に展開していきます。その近代化の目標になったのが欧米の文明でした。日本全国を小学区、中学区、大学区に分けて、小学区に初等教育校を、中学区には中等教育校を、大学区には高等教育校をそれぞれ計画的に配置していきました。したがって国公立は、小学校は市町村立で、旧制中学校は都道府県立で、旧制専門学校と大学は国、すなわち官立で設立することを原則としたのです。その考え方はいまでも引き継がれていますが、高等教育段階で国と県の間に重複が出ており、これは残念なことです。そして近代化路線教育が、富国強兵・殖産興業というスローガンのもとに急展開され、その足らざるところを補い、異なった視点から教育を進めるため、それぞれの教育段階における私立学校が比較的自由に設置され、先進国の仲間入りをすることができたのです。
その進展の中に、いくつかの問題点をかかえて今日に至っておりますが、実はそのことが重要な問題であり、それが解決していないため改革が進展していないのだと思います。
その第一は、近代化教育制度で、戦前はドイツを中心としたヨーロッパ型でした。大正7年(1918年)に大学令をはじめとする勅令による旧制の学制が整備され、私立学校もそれぞれの勅令に従い、私立学校令に基づき、正式な学校として認められました。その時代の特に大学教育に対する社会意識というか、大学の認識があるのですが、それが根強く社会に定着します。そして戦後、昭和22年に学校教育法によって、大改革が行われたのですが、しかも学校教育法における学校制度は当時、アメリカ軍の占領下でしたから、アメリカ型の教育制度に変わったのです。その形式が、いわゆる6・3・3・4型といわれるものです。学制以上に大切な変化は、アメリカ型のディプロマシステムが導入され、旧制の入試中心主義から変わったのでしたが、不思議にも高等教育段階では実質的には変化がなかったのではないかと思います。
旧制度においては、入学制度を飛び級入学を含めて厳格にし、合格して入学した者は、細かく面倒を見て卒業させて、就職制度も日本的システムをもつ企業に入社させるという、人間集団の安定化を中心にした制度でした。戦後の新制度では、ディプロマシステムを導入して卒業資格の厳選化制度に変わったにもかかわらず、多少の変化はあったにせよ、その意識は旧制度のまま存続している矛盾があります。
私は旧制の学制のもとで青少年時代を過ごしており、私のような田舎の名も無き家庭に生まれても、公正な入学試験に合格すれば、勉強する機会が均等に与えられ、就職も試験によって公平に与えられ、経済的に恵まれなくても、そういう人間が十分活躍できる社会システムが開かれていました。それが素晴らしいシステムであったかどうかは分かりませんが、入学選抜に関する限りは、その考え方は変わりませんでした。
第二は、学校教育段階と産業構造に伴う、大きな変化があったのにもかかわらず、高等教育段階の対応が必ずしもうまく適合していないことです。それは、私が旧制中学校に進学した頃、…昭和16年だと思いますが…旧制の中学、高等女学校等に進学する人が20%でした。80%の人が初等教育段階で社会に出て行ったのです。高等教育段階に進学した人は、旧制専門学校と大学を含めても4、5%でした。それが、昭和30年代になると、後期中等教育段階には50%を超え、高等教育段階には10%を超えるようになります。そして昭和50年代になると、後期中等教育段階には80%を超え、新専門学校を加えた高等教育段階には50%を超えるようになり、学校と社会の接点が、初等教育から中等教育へ更に高等教育に移り、いまや誰もが望めば高等教育を受けられる社会になり、それに伴い、社会構造も素晴らしく高度化してくるのです。
この二点を申し上げただけでもおわかりのように、このことをきちんと踏まえて、大学制度の在り方を確立することが大切だと思っています。
ですから、誰もが高等教育段階に進学するようになり、社会が情報化社会に入って変化しているのですから、誰もが大学レベルの教育を受けられるものを制度として確立しているのです。
そして、それぞれの高等教育機関に応じてそれに適応する学生を入学せしめ、多様な学制の多様な能力に応じた教育を、それぞれが一つの型にはまった教育でなく、多様な能力…知的能力、技術技能的な能力、感性的能力、社会的に対応できる態度的能力…を充実させればよいと思います。
それには、学校としての情報の公表を含めた公共性と、持続可能な財的人的基盤を備えた基準を明確にし、そのうえで、多様な教育を自由に行い、教育内容を絶えず創造させてゆく独自の教育を施行していけることが、これからのポスト・セカンダリー・エデュケーション構造として大学像を描けばよいのではないかと考えます。
提言型政策仕分けでいわれている課題も、この基本課題を踏まえて対応しないといけないと思います。旧制のいわゆるフンボルト型大学像的意識や、アメリカ型大学像を手本にして、いまの大学の批判をしても解決しません。
したがって、我が国の歴史的教育制度や社会意識構造の変化を踏まえて、それぞれの大学がそれぞれのおかれた地域社会の実情も考慮して、コンソーシアムを組み込むとか、コラボレートしてゆくとか、グローバルの視点を入れつつ対応していく以外にないと思います。
古い価値観の人間が社会構造の変化を寄せつけない
○小出 私学の定員未充足の問題は少子高齢化を迎えた我が国の構造的な問題ですから、私学の問題ばかりを言うのではなくて我が国高等教育の全体の問題として、国公私全体の定員規模の中で論じられるべき問題であります。全国的視点や歴史的位置からの考察を踏まえた解決策こそ期待したいものです。特に地方の中小規模大学では、すこぶる努力している実態を踏まえた改善策が急ぎ確立されるべき問題ですね。黒田先生から、いかがでしょうか。
○黒田 今年は、私学の時代だと思います。いよいよ到来したなと思います。私学団体でつくったアクションプランを実行に移していく年です。特に地方にあっては、私学が頑張らなければその地域は活性化しませんから、その手だてを団体として纏め上げたのがアクションプランです。私学団体はこのプランに沿った支援をしていくことになります。
大沼先生から話があったように、日本はどれだけやっても変わらないのです。明治以降の教育を受けた人が大半を占めていて、その知識で物事を判断していますから、それが一番いい教育だったと皆さん思っているわけで、戦後行われている教育の中でもその伝統が続いてきました。しかし時代は変わっているのです。そういう中で、国立はなかなか変えられないのですが、私学は自由に振る舞えるはずなのです。これだけ多くの規制緩和がされていますから、何でもできるのです。それをうまく使って各大学が自ら努力をする、その努力に対して私学団体が応援していくことを今年はやっていただきたいと思います。
○小出 柴先生いかがでしょうか。
○柴 地方を考えると、現時点の問題点をどうしていくかを考えなくてはいけない。一方、教育を考えると、恐らく今日議論された中では初等教育から大学教育まで、どういうふうに描いていくかが非常に大切なわけです。日本は25歳以上の学生が少なく、韓国の5分の1ですし、アメリカの20分の1ぐらい、非常に少ない。こういう状態にある社会構造に対して、私学は全部結束して何か言っていくことが大切です。これによって就職問題も開けるし、また教育のあり方も開けると思います。
ですから、私立大学全体として、大学が最終の場所ではない、即ち18歳の人が入ってきて出るのは最終の場所ではないのだということを強く言うことによって、地方大学も社会人の受け入れとか、25歳以上の人々を受け入れる希望が叶う社会になってくると思うので、今回この21世紀委員会の提言が出て、これをきっかけに何か言っていく必要があると思います。
○小出 中村先生どうぞ。
○中村 私は大学も基本的に、人為的な形での需給調整的なこと、保護的なことはやるべきでない、アウトカムでの競争に任せる、それが一番だろうと思っています。その中で、淘汰される者も出てくるし、生き残りをかけてそれぞれのところが特徴を出してくると思うのです。
今までの産業界を見ていても、保護されていた業界と放り出された業界と両方あるのですが、後者は海運とか商社でしょうし、一方、保護されてきたのが金融・建設なのでしょう。そうして保護されてきたのが結局いつまでたっても苦しむのです。どこかのときで、それを嫌がったり、苦しむところも出てくるのだけれども、どこかで放り出され変革しなければなりません。周辺環境が変わっているのに同じような50年前のままのを続けようとすると、いろいろとひずみが出てくる。それが結局全体を駄目にしてしまうと思っているのです。
そういうことがあるので、私はアウトカムすなわち各大学の成果によって競争をせざるを得ないと考えています。協会の立場としては、そんなことは言えないということもわかっていますけれども、私はそういう考えです(笑)。
大学のよい取組を積極的にPRしていく
○小出 佐藤先生はいかがでしょう。
○佐藤 私は、提言型政策仕分けも、あるいは中央教育審議会の議論にしても、もう少し現場感を持って欲しいということがあります。例えば中等教育、初等教育はどうなっているか、それらの関連で高等教育はこれだけ苦しんでいるとか、あるいはやらざるを得ないというところに現場感がないですね。数が多くなったとか、そのような話ばっかりしている。そういう意味では、もう少し現場感をきちんと持ってほしい。
もう一つは、GDPに対する教育への投資のパーセンテージということを言っていますが、日本の場合、研究と教育両方合わせてこれだけの金額という議論をしているのです。これはある程度教育に係る部分と研究に係る部分は切り分けていかないと、いわゆるイコールフッティングとか議論はあるのだけど、解決のしようがないですよね。だから国立も、教育に係るところはこれだけ運営交付金を使っているとか、授業料からこうしているということもきちんと出してきて、私学の場合には、私学助成は大半教育に関する補助ですよね。考え方として、その部分について少し切り分けてもいい。アメリカで言えば、研究に関しては国立科学財団がやって、教育に関するところは教育省がやるという形になっている。それで初めてバランスをとったものの見方ができると思います。
ちょっと長くなりますが、もう一点最後に、先生方のお話を伺っていて触れておきたいことがあります。黒田先生とご一緒に学校法人運営調査の中で私学を何年間か見せていただいて、問題があるところはあるのだけれども、それにはそうなった経緯もあるし、いい取組みもたくさんありますよ。それを協会が、こういう点はいい学校でこういう取組みをしていますよと積極的に外に対してPRして、知らせていくことをしないといけない。一般的な情報の公表の議論だけでは埋もれてしまいますね。
○小出 ありがとうございます。
協会運営の重要な提言を頂戴いたしました。教育学術新聞では、「キャンパス万華鏡」や「大学は往く」、「われら大学人」などの特集を通して、私学の取組みをエンカレッジしていこうとしています。それをもう一段引き上げて、協会として多様・多層な私立大学の活力溢れる取組みを国民に周知する運動を考えていく必要が来年度の事業において重要だと感じました。
保護される業界は必ず衰退していくだろう、むしろ野馬のごとく野を自分の意思で自由に駆けめぐる自由奔放さを思い描いて、自主性尊重、創意工夫の私学をめざしこれを一層盛り立てようとしています。それこそ、黒田先生がいつもおっしゃっている「多様な価値追求」「多層な人材養成」を実現していける組織なのですからね。それがひいては日本社会そのものの活力をもう一度呼び覚ましていくだろう。進んだ科学技術と温かい感性を持った人間を、どうやって魂の教育の中でつくり上げていくかを究めていく運動を起こしていく必要を強く感じています。
大沼先生に最後を締めていただこうと思います。
○大沼 毎年、大学改革が必要だと言われて、考えてみますと、昭和46年に中央教育審議会へ、いわゆる大学改革の四六答申が出されて、それが具体的なアクションプランになります。また中曽根内閣のとき、臨時教育審議会が発足して、私もその委員に加わりまして、いろいろ提案しましたが、アクションプランにはつながらず、改革は進展しませんでした。その後も、中央教育審議会で、さまざまな案が提示されてきましたが、部分的に修正があっても、大きな教育改革には繋がりませんでした。
そこで、今年、私立大学団体連合会で21世紀の大学像を作成して、その構想に基づき、10の提言を提示したのです。したがって、我々私立大学協会も、この提言にそって、大きなアクションを起こす必要があるのではないでしょうか。
今年は昨年の東日本大震災で、我々私立学校仲間も大きな被害を受けて、いま、まさにその復興に向けて、努力を重ねてきておりますが、これまでの私学同士の絆を大切にして、互いに手を繋ぎあって、私学の絆を一層実のあるものにしなければなりません。
また、大学が多すぎるとか、地方の大学の存在基盤を危うくしているなどといわれておりますが、それに対応する具体的方策を構築し、そのアクションプランを確立して進んでゆかなければなりません。
したがって、繰り返すようですが、今年の大切なテーマは、我々私立大学団体連合会が自ら提言したプランを実行に移すこと、とりわけ、震災にも関係しますが、地方の振興を含めて、地方分権の強化に沿って、地方小都市にある大学の相互連携、地方産業や地方文化の交流と振興を連携して進めてゆくことが、当面の重大なアクションプランであり、その実現を願っております。
いずれにしても、これからの国際関係、社会構造が確実に変化してゆくのですから、お互いに手を差し伸べ合って、助け合って、しかも変化にそれぞれが遅れないように、自主的に改善できるような体制をつくって進めていくことが、この協会の望ましい姿ではないかと私は思っています。
○小出 ありがとうございました。貴重なご提言を感謝申し上げます。
この国の内外の現状と高等教育事情、特に私立大学を巡る周辺課題について、本協会の果たすべき役割・重点課題も含めてご見解をご披露いただく有意義な座談会となりました。十二分に意を体して前進したいと思っております。
いずれにしましても、国の内外にわたる大激動の時代、我が国高等教育の約8割を担当する私立大学は、“多様・多層”な私立大学の価値創造・人材育成こそ新時代を拓く原動力であることを共通理解として、社会の期待と国民の負託に応えて参りたいものです。私どももその環境整備に邁進することをお誓いします。
本日は、まことに有難うございました。
(おわり)