平成22年12月 第2424号(12月1日)
■高等教育の明日 われら大学人〈7〉
垂直磁気方式でHDD革命 研究者として実績
大学院の設置など改革断行 大学運営にらつ腕
ノーベル賞級の発明東北工業大学理事長
岩崎 俊一さん(84)
大学にとって、これほど心強いトップはめったにいるまい。ノーベル賞級の発明をした研究者であり、大学経営においても数々の改革で実績をあげた。東北工業大学理事長の岩崎俊一さんはコンピュータのHDD(ハードディスク駆動装置)分野で革新的技術である垂直磁気記録方式の開発者として知られる。従来の水平記録方式に代わって大容量化と小型化を進展させた。今年度中には世界中のコンピュータの記憶装置のほとんどが垂直磁気記録方式に切り替わる。HDDの市場規模は年間五億万台、3.7兆円(07年)。東北工業大学では研究を行うかたわら、学長、そして理事長として大学院の設置、新学科の設立、ハイテク・リサーチ・センターの創設などに尽力した。大学の研究から出発して産業界を大きく塗り替えた発明は、いま叫ばれている産学連携の理想的モデル。研究者と理事長という2つの顔をもつ岩崎さんに、垂直磁気記録方式の開発、大学経営、これからの夢などを語ってもらった。
岩崎さんは福島市で生れた。父親が鉄道省に勤務していた関係で、小学校は仙台と山形で過ごした。旧制山形中学(現山形東高校)から秋田中学(現秋田高校)に転校。同中学から広島・江田島の海軍兵学校に進んだ。
子どもの頃の夢。「小学校の頃は技師、エンジニアにあこがれていた」。旧制中学校に入学した頃は「絵を書くのが巧い子どもで、絵描きになりたいと思った。中学3年になると戦争が激しくなり、志望はまたエンジニアに傾いた」
昭和18年、秋田中学のとき、「日本の国を守らないといけない」と海兵を受験して合格。終戦まで2年間を江田島で過ごした。終戦後、東北大学工学部に進む。なぜ、東北大工学部だったのですか?
「こんどの戦争はレーダーなど電波兵器で負けたと思った。そこで、大学で通信工学を学ぼうと考え、その分野のメッカといわれていた東北大工学部に行くことしか考えなかった」。恩師となる永井健三教授の研究室で学んだ。
同大卒業の1949年、東京通信工業(現在のソニー)に。同社は46年に井深 大氏らが創業したばかり。「永井先生が井深さんと懇意で、おもしろい経営者だから行ったらどうかといわれて入社した。60人くらいの小さな会社で、僕はNHKの仕事を主にやっていた」
「とにかく忙しい会社で、自分には向かないと考え、もう一度、大学に戻って勉強したいと井深さんに訴えると、東京工業大なら仕事も続けられるからと慰留された。永井先生が戻って来いと言ってくれたし卒業した大学に行きたかった」
再び、研究生活に入る。最初の発明は、当時としては画期的な性能をもつ水平記録方式のメタルテープ。「メタルテープでソニーには少し恩返しができたかな」と笑った。しかし、メタルテープは水平方式では高密度化のため磁性層を薄くしなければならないという原理上の制約があった。
この疑問を解いたのが77年に編み出した垂直磁気記録方式だった。「磁気がどのように記録されているかを調べ、水平方向と垂直方向の両方の磁気があることに気づいた。水平方向に磁気を持たせる従来の記録方式でも、水平と垂直の磁気がバランスをとっていた。ということは、バランスを変えれば垂直方向に磁気を記録できるはずだ」。これが発明のきっかけだった
垂直磁気記録方式によるHDDは06年から生産が始まった。発明から市場に出るまで約30年を要した。岩崎さんの発明は産学連携のモデル。「00年に日立が試作品をつくり、05年に東芝が世界で初めて商品化に成功。大学と産業界が連携すれば必ず成果が生まれる。国の長期戦略が伴うのはいうまでもない」
こう付け加えた。「日本学術振興会に76年に磁気記録第144委員会を作りました。垂直磁気記録の実用化は、ここでの産学のオープンな協力による粘り強い研究が生んだ成果です」
特許は取らなかったという。「最初のアイデアの基本特許は取りましたが、商品化の特許は取っていません。先のノーベル化学賞を受賞した北海道大学の鈴木章名誉教授と同じ考えからです」
鈴木名誉教授は自身の発明の特許を取らず、そのおかげで医薬品などの製造に大きく貢献した。「ぼくの場合も、特許を取らなかったため急速に普及しました。オープンイノベーションといえますが、これができるのも大学だからではないですか」。大学人としての矜持である。
大学経営の話に移る。岩崎さんが学長として東北工業大学に来たのは1989年。3年後の92年、大学院工学研究科修士課程を開設。「この大学で大事なものは何かと考えた。教育の質を上げることだと思い、それには大学院設置だと文部科学省に日参して実現した」
その後、大学院は各学科に設置された。97年にはハイテク・リサーチ・センターを新築。「大学院をうまく動かすために必要だと考えて造った。東北地方の技術研究の核となる拠点のひとつとして機能している」
04年には理事長を兼務することになった。学長兼務で大変だったでしょう?「大学の中身がわかっていたし、サポートしてくれる人がいたので苦にはならなかった。研究をまとめることと大学を動かすことは同じですね」
研究と大学経営が同じというのは?「部下にやってもらうとき、指示しますが、その指示が間違っていないという確信が必要だと思う。リーダーシップと言い換えてもいい。リーダーシップがあれば部下はついてくる」
リーダーシップは海兵で培われたのですか?「どうかな」と首をかしげたあと「井深さんが、ぼくのことを『学者としても相当な人だが、経営者としても務まる』といっていたそうです」。小さな声、シャイな一面をのぞかせた。
08年からは理事長専任に。理事長イコール経営者に映りますが?「教育に対する経営と言うのは金儲けの経営とは違う。教育研究に予算が必要なら国から出してもらうことを考える。むやみに拡張してやる必要はない。いい教育を行えば学生は集まる」
最後に、独創的な発明はどのようにすれば生れるのか、と問うた。「先見性を持って構想を練ること。先見性は独自の実験事実と革新技術に対する歴史観から生まれます。勇気を持って第1歩を踏み出すこと。世の中で全く初めてのことを行うには真の勇気がいります。それが人々の役に立つものになるまで研究を続けること。このためには多くの人々の協力や新たな組織が必要になりますが、それを用意するのも研究のうちです」
エネルギッシュな研究者であり教育者。研究、教育の話が一段落すると「文明論」に。「垂直磁気記録がなかったら、コンピュータ、医療、セキュリティ、そしてテレビ、ゲーム機、モバイルなどはどうなっていたか。ぼくは発明でなく文明をつくったと思っている」
「現在、HDDは数百エクサバイト(10の20乗バイト)もの膨大な情報が流通する高度情報化社会を支えています。HDDは同時に、この膨大な情報を後世に伝える『ロゼッタストーン』の役割を果たしています。脳情報や自分の全歴史が数万円で買えるHDDに記録できる時代になりました。個人の知識すなわち価値が、飛躍的に増していく新時代が開けつつあると感じています。それは『IT文明』の形成ともいえます」
若手研究者に「文化でなく文明をつくる覚悟でやってほしい」と、こうエールを送る。「ぼくらの先輩やぼくらはジャパン・アズ・ナンバーワンをめざして必死に働き研究してきた。最近の研究者を見ていると、『この分野を俺は守るぞ』というプロフェッショナルな気概が少ない。一段上の目標をもうけて、つるまず、ひるまず目標を実現してほしい」。これは大学の学生に向けた言葉でもある。
いわさき しゅんいち 東北工業大学理事長。専門は電気工学で情報の磁気記録が主な研究分野。垂直磁気記録方式の提唱者として知られる。1926年、福島市生まれ。1949年東北大学工学部通信工学科卒、東京通信工業(現ソニー)入社、51年東北大学電気通信研究所助手。同助教授、教授を経て85年同所長。89年東北工業大学学長、04年から同理事長。日本学士院会員。87年文化功労者。10年日本国際賞受賞。