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教育学術オンライン

平成22年11月 第2420号(11月3日)

高等教育の明日 われら大学人〈6〉
  大学減らさず、定員一律削減を
  大学の課題にも提言 1200の大学は貴重な資源
  著作、講演で人気 神戸女学院大教授  内田 樹さん(60)

 近頃、これほどの売れっ子の大学人はいまい。肩書きは大学教授だけでなく、思想家、エッセイスト、フランス文学研究者、翻訳家…。著作や解説も専門分野はもとより映画、武道から時事問題まで幅広い。マルチで異能な学者であり、言論人。神戸女学院大学教授の内田 樹さんは、なぜこれほどもてるのだろうか。経歴がおもしろい。都立日比谷高校在学中に「革命が起こる。勉強どころではない」と高校を退学、大検で東大に入学。離婚、子連れで神戸女学院大に奉職。学生に教える傍ら教務部長や入試部長なども務めた。合気道六段。来年三月には大学を退職、「武道家になる」。この潔さも魅力のひとつ。そんな内田さんに、これまでの歩み、大学の抱える課題、これからのことを大いに語ってもらった。

 1950年、東京都大田区下丸子に生まれた。父親はサラリーマンで、小中学校は地元の区立に通った。「私立国立の中高一貫校はそういうものがあるということさえ知らなかった。小学校の頃は、父のようにサラリーマンになりたいと思っていた。それを先生に言ったら『夢のない奴だ』といわれた」
 中学2年生のとき、同級生の誘いでSFファンクラブ「SFFC」に入った。「全国の中高生の地下ネットワーク。ガリ版でファンジンを刷って、30人ぐらいの同志たちに郵送していた。小学生のときの壁新聞から、自分が書いたものを読んでもらうことが大好きだった」
 中学生になって、「新聞記者になりたくなった。たぶんテレビの『事件記者』の影響」。高校は都立日比谷高等学校に進む。67年初夏、ふいに地殻変動の近いことが予感された。「革命前夜に思えた。受験勉強なんか、やってる場合じゃないと思って」高校を退学、家出してジャズ喫茶でアルバイトしたりするが「食えなくなり、12月、親に謝って家に入れてもらいました」。大学入学資格検定を経て69年、東京大学入試中止の年、京都大学法学部を受験するが失敗。
 なぜ法学部に?「高校生の頃は、ずっと法律家になりたいと思っていた。法律学的なものの考え方や書き方となじみがよかったから」
 しかし、1年間の浪人生活を経て70年、東大文科V類(文学部進学)に入学。法学部志望はどうなったのですか?「受験の最後の最後まで文T(文科T類・法学部進学)に行くつもりだったが、突然、非生産的なことをしたくなった」
 75年、東大文学部仏文科を卒業。就職する気はなかった。「学生運動をやってた連中が髪を7:3に分け、スーツを着て就活するのを見て、うんざりしたから。とりあえず大学院に行こうと思った。別に向学心があったわけじゃなくて、よくあるモラトリアム」
 東京都立大学大学院へ進む。「大学院生のとき、友人の平川克美くんと渋谷で翻訳会社を起業した。ビジネスは大成功したが、修士論文を書くときに一線を引いて、それからは研究の方に軸足を移した」
 82年、都立大大学院人文科学研究科博士課程中退、都立大人文学部助手に採用されて、8年間。39歳になっていた。「教員公募はフルエントリー。帯広畜産大から琉球大まで30数校に応募して全部落ちた」
 「都立大OBのいた神戸大学に誘われ、決まりかけたが最後で流れた。この先生が面倒見のよい方で、フランス語の専任に定年退職者が出た神戸女学院大に推薦してくれた」
 90年から神戸女学院大学文学部助教授に。95年の阪神大震災を体験。「地震の翌日バイクで大学へ。あまりの被害の甚大さに、意識が遠のいた。それから3ヶ月間は朝から晩まで土木作業。復旧するまで2年かかった」
 教務部長、入試部長を経験したことについて。「教務部長は会議が多くて、それがほんとにつらかった。でも、さまざまなタイプのクレーマーと対応したことはよい経験になった。入試部は志願者に向けて、大学のミッションステートメントを掲げる仕事。これはやりがいがある」
 そろそろ、本論に入ろう。「女子大冬の時代」といわれて久しいが?「女子大は社会のニーズに追随する必要はない。そのときの支配的な価値やイデオロギーには馴染まない『場違い性』にも高等教育機関の重要な存在理由意味がある」。こうした表現力が凄い。
 こんな話を付け加えた。「先日、図書館にやって来た卒業生がいた。『転職について迷っているので、心の落ち着く場所で決断しようと思ったら、大学に足が向いていた』という理由だった。そこに来ると、自分がほんとうはどこに向かっているのか、何がやりたかったのか、はっきり思い出せるから。そういう自分の位置確認ができる母港みたいなものです、大学は」
 共学化したり、実学志向に傾く女子大が増えているが?「共学に踏み切るのは建学の理念を放棄するもの。これを教えたいというところに、学びたいという人が来て学校は成立する。学びたい人を増やすために学校の“限定条件”を解除するのは本末転倒」
 少子化や大学全入という厳しい大学の現状について。「サイズも教育理念も教育方法も異なるさまざまなタイプの大学が混在するのが最良の教育環境。資金力の弱いところが淘汰されて、ビジネスマインデッドな巨大大学だけが生き残るのは知的未来にとっては少しも望ましいことではない」
 建学の精神を貫け
 生き残る大学とそうでない大学の差は?「市場のニーズなるものを追って教育内容を朝令暮改してゆけば、やがてどうしてこの大学が存在しなければならないのか、その根本の理由が見えなくなってしまう。『これを教えたい』というはっきりした建学の理念を貫ける大学だけが生き残る」
 文部科学省の大学政策にも批判的。「18歳人口が減っているのに、新学部や新学科を認め、市場原理による大学淘汰を許した。結果的に教育環境は多様性を失い、大学の知的生産力は下がり続けている。文部科学省の責任は大きい」
 「1200もの大学が全国に展開しているというのは地域にとっては文化的にも環境的にも、あるいは経済波及効果から見ても、貴重な資源だ。市場の淘汰に委ねていれば、いずれ『無大学県』も出てくるだろう。大学の実数を減らさず、定員を一律削減する方向で強い行政指導を行っていれば、教育立国のインフラが整備されたのに」
 定年後は武道家に
 これからについて。「大学定年後は専業武道家。10年前からそう決めていた。神戸市に建設中の道場は、地域の社会教育の場として、それを拠点とする地域共同体の再構築をめざしたい」
 それだけでは済まないのでは?「武道の合間には本も書く」。これまで著作や講演の依頼が殺到。最近の著書をみても、「日本辺境論」は2010年度新書大賞受賞、「街場のメディア論」、「武道的思考」も売れている。ネット上での公開物については「著作権放棄」の考えを示す。
 「街場のメディア論」では、〈メディアの衰退はネットの普及やビジネスモデルでなく、情報を発信する側の知的劣化にある〉といわゆる業界の常識をバッサリ。
 神戸女学院大での最終講義は1月22日。「21年間、いい大学にお世話になった。大学に来たときは父子家庭で自由が効かなかったけれど、先輩の先生たちは『子育て優先でいいよ。いずれたっぷり仕事をしてもらうから』と気づかってくれた。最初はキリスト教の大学に多少の違和感はあったが、会衆派の空気が気質に合っていたのか、実に居心地がよかった。こういう大学が日本にはなくてはならないと思う」  
 世話になった大学への優しい眼差し、ペンと剣にみられる剛直。この2つが同居している。これが内田人気の源泉か。

 うちだ たつる 東京都大田区出身。区立東調布第三小、同矢口中卒業。都立日比谷高校に進むが退学、大検で東京大学に入学。75年、東大文学部仏文科卒。80年、東京都立大学大学院を修了して同大助手に。90年から神戸女学院大学文学部助教授、現在、同大文学部総合文化学科教授。著書は「ためらいの倫理学」以降、「下流志向―学ばない子どもたち、働かない若者たち」など多数。「私家版・ユダヤ文化論」で小林秀雄賞受賞。


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