平成22年10月 第2419号(10月27日)
■諸外国との比較から見える日本の高等教育開発とJAED
愛媛大学教育・学生支援機構准教授 佐藤浩章
学士課程教育でのFDが義務化され、全国でその取組が広がっている。広域・地域の大学間ネットワークも誕生したが、「日本の高等教育開発は世界から遅れをとっている」と、日本高等教育開発協会(JAED)の佐藤浩章愛媛大学准教授は指摘する。海外でのFDの現状はどうなっているか、また、その“遅れ”を挽回すべく発足させた同協会は何を目指し、どのような活動を行うのか、佐藤氏に寄稿してもらった。
1. 「鎖国状態」の日本の高等教育開発
「ある大学は授業改善のためのセンターを立ち上げ、全国的に有名となっているが、その他の大学は、委員会を立ち上げて、少数のプログラムを組織化している程度である。その形態の多くは、講演会形式であり、授業改善の必要性を伝えるには効果的であるかもしれないが、目の前の問題の解決をもたらすものではない。その考え自体は受容されつつあったが、無計画で、連携のない取組みが提供されている。」
これは日本のFDの現況を説明した文章ではない。1960年代の英国の状況を記述したものである(Nisbet&McAleese 1979)。
諸外国では、1960年代末の学生運動を契機に、授業やカリキュラムの問題点が指摘され、高等教育開発(Educational Development)が展開していった。ここでいう高等教育開発とは、Faculty Development、Staff and Educational Development、Academic Developmentという用語を包括する概念であり、教員の能力開発、教授法・カリキュラムの開発、組織の整備・改革を意味している。
1980年代の初頭に日本人研究者が、欧米圏の高等教育開発の取組を目の当たりにし、それを日本に紹介した際、諸外国においても冒頭に引用したような実態があった。しかしながら、その後の展開は目覚しく、現在、英国やオランダなどヨーロッパのいくつかの国においては、大学で教育をする教員向けの資格(Certificate for Teaching in Higher Education)が導入され、教員としての正規採用にあたっての条件となっている。「それ(FD)が我が国全体として教員の教育力向上という成果に十分繋がっているとは言い切れない」(中央教育審議会、2008)と指摘されている日本のFDとは異なる現状が、諸外国にはあることを我々は知っておかねばならない。
ブレンデル(2007)は、「南の国々、並びに欧州に新しく参入した東欧諸国のような、世界の非西側社会(オーストラリアとアジアの数カ国を除く)は、ネットワークの国際的な英語・フランス語圏の議論には結びついていない。今のところ、まだ何ら調査されず、出版物もない(少なくとも、西側の言語ではなされていない)」と述べている。また津田(2006)は、「日本の(FD調査研究・実践活動の黒M者)特徴は、大学教授法をミクロな授業技術とみなし、学びの質を保障するために進められていた教授・学習研究の動向と、新しい学習観に基づく国際的な大学教育改善事業やネットワーク化が進む動向に注目しなかったことである」と述べている。
これらが示すように、日本の高等教育開発の取り組みは、長く国際的な動向からは孤立し、「鎖国状態」にあったと言える。
2. 高等教育開発の国際ネットワーク
ICED(International Consortium for Educational Development麹総ロ教育開発連盟)は、世界レベルで高等教育における教育開発、アカデミック・ディベロップメントを促進するために、1993年に設立された国際団体である。
高等教育開発に関わる各国の専門家団体から構成されている。現在、ヨーロッパ、北米を中心に、SEDA(The Staff and Educational Development Association鴻Cギリス)、POD(The Professional and Organizational Development Network in Higher Education鴻Aメリカ)など23カ国の団体が加盟している。
ICED代表者会議は会長ならびに各国代表で構成されており、毎年会合が行われ、各国での高等教育開発の現状と課題について議論を行っている。一方、学会は隔年で開催されており、世界各国から「教育開発担当者」と呼ばれる専門家たちが集まっている。彼ら・彼女らの仕事は、大学教員を対象に研修の講師をしたり、授業やカリキュラムの改善に関する相談にのったりすることだ。
筆者は2010年6月に、スペイン、バルセロナにおいて開催されたICEDの会議に、昨年発足した日本高等教育開発協会(JAED巷apan Association for Educational Development in Higher Education)の代表として、日本としては初めてこの会議に参加した。
会議に続いて開催された学会には、世界33カ国から410名の高等教育開発者が集い、教育改革の具体的手法について情報交換を行った。
このように高等教育開発の分野においても、グローバリゼーションの波は押し寄せている。しかしながら、これまで各国の現状を知ることすらできず、自らの現状について発信することもほとんどなされなかった日本の遅れは否めない。
3. なぜ日本では高等教育開発が遅れたのか
なぜ高等教育開発において、日本の「鎖国」状態が生じたのだろうか。第1の理由として、高度経済成長期からバブル期までの日本経済の好調があげられる。1980年代の日本の教育制度や雇用制度は、その経済的成功の要因として世界的にも注目されていたこと、その結果として学生も企業も「大学の専門知識」に期待しない社会風土が長らく続いたことがその原因として指摘されている(津田2009)。
第2に、大学教職員の意識の問題がある。欧米諸国の大学が1960年代後半の学生運動への対応として、高等教育開発を推進していったのに対して、日本では学生運動に着目し、教育改革に向け動きを見せた事例はあったものの(広島大学、国際基督教大学等)、多くの大学は、学生運動を教育開発に結び付けることはしなかった。また先行する複数の国際比較調査によっても、日本の大学教員が諸外国に比較して、研究重視志向が強いことが明らかになっている。
第3に、高等教育学研究者の問題がある。1980年代に1部の高等教育学研究者が諸外国の教職員の能力開発に着目し(馬越1981、香取ら1987、同1988)、学会や研究会においてその重要性を指摘していた。しかしながら、高等教育開発を担うことを期待されていた彼ら・彼女らは、所属大学における組織的な実践や全国レベルでの組織化に関与していくことは稀であった。それが組織化に失敗したことによるものなのか、元々そうした意図はなかったのか、その実態は今後解明されるべき課題であるが、高等教育学研究者の言動が、実践を伴う高等教育開発に展開していかなかったことは事実である。
4. 日本高等教育開発協会の活動
1980年代には1部の教員の取り組みに過ぎなかった日本のFDが全国的に展開していったのは、1990年代以降、文部科学省が政策としてリードするようになってからである。1997年のFDの努力義務化、2003年に始まる各種GP事業を通して、FDは急速に各大学に広まり、2008年からは学士課程教育においてFDが義務化された。こうした背景には、高等教育の大衆化、グローバリゼーション、卒業時の質保証、情報テクノロジーの進展、知識基盤社会の到来、「いかに教えるか」から「いかに学ばせるか」へのパラダイム転換(学習者中心の教育)などを受けて、国際的に新しい社会に適応する高等教育への転換が求められるようになったことがある。またバブル経済崩壊以降、卒業生を受け入れる産業界が高等教育の質向上に対する期待をますます高めている。まさに、競争的資金の導入による市場原理に任せるのではなく、国策として骨太な高等教育改革のプランニングに取り組まねばならない状況となっている。
前述したJAEDは、日本初の諸外国と同様の高等教育開発者の専門家団体である。筆者を含めた高等教育開発に関わる研究者が呼びかけ人となり、主に高等教育センター等の専任教員が構成員となり、2009年9月27日に設立された。以下では、本協会の目的と活動内容について説明することを通して、高等教育開発の具体的な内容を説明したい。
(1)協会の目的
協会の目的は、「高等教育開発者同士の連帯を図りつつ、高等教育開発に関する活動を実践することを通して、 日本の高等教育機関の教育と学習の質の向上に貢献すること」と「高等教育開発者としての実践の質を高め、 学術研究に裏付けられた専門性を向上させる場となること」とされている。各高等教育機関の教職員の専門性、授業、カリキュラム、組織の開発という実践に関与するのみならず、自らの専門性の向上を目的に掲げている点が、学会と異なる性格を表していると言えよう。
ここでいう専門性とは、効果的なプログラム・教材の開発や改善といった実践に加え、教育・研修効果の測定や理論的な説明をはかるという、「理論と実践の統合」を基盤としている。このように両者を踏まえた専門性という考え方は、従来、学会では必ずしも高く評価されてこなかったものではあるが、高等教育における教育開発を担当する者には不可欠の要素である。協会としては高等教育開発を新しい研究領域として、日本に定着させていきたいと考えている。
(2)事業内容
本協会においては、高等教育開発の理論研究、FD・SD・学習支援分野における研修プログラムやサービスの企画・実施・効果検証の事例の開発と共有、そして研修講師やコンサルタントとしての能力を開発する相互研修の機会を通じて、高等教育開発者自らが情報交換、能力開発、次世代育成、連帯、政策提言を協同して行っていく場として、機能することを目指している。将来的な事業展開としては、諸外国の高等教育開発団体の活動を参考にしながら、次の点を考えている。
・高等教育に関わる教職員に対する能力及び組織開発に関すること。
・高等教育開発者の職務に関する知識及び技術の向上に関すること。
・高等教育開発者の倫理及び資質の向上に関すること。
・高等教育開発者の資格認証制度の整備並びに育成に関すること。
・高等教育に関わる各種研修プログラムの基準枠組みの作成並びに認証制度に関すること。
・高等教育開発及び高等教育開発者に関する調査研究に関すること。
・国内国外の高等教育開発団体やその他の関係団体との連携に関すること。
・高等教育開発の普及に必要な広報に関すること。
・その他目的達成のために必要なこと。
現段階では、次の六つの分野毎に、それぞれを専門とする会員を中心に活動を進めているところである。
@授業改善(Teaching and Learning Development)個々の教員や教授集団の授業、教授法を改善するための取り組み。教員相互の授業参観、公開授業、授業コンサルテーション、ティーチング・チップスの開発、授業評価アンケートの活用などがこれにあたる。
Aカリキュラム&プログラム開発(Curriculum & Program Development)学部、学科等において提供されるカリキュラムや教育プログラムを改善するための取り組み。正課以外の教育プログラムも含まれる。具体的には、カリキュラム・マップやカリキュラム・ツリーの策定、学士課程教育全体との整合性の検討、カリキュラムや教育プログラムに対する評価、新規のプログラム開発などがこれにあたる。
B組織開発(Organizational Development)教育を担当する組織の構造や機能、管理職や担当者の役割をより機能化・活性化するための取り組み。具体的には、各種委員会の設置や運営、組織の全体デザインの検討、組織体制の評価、管理職を対象とする研修プログラムの開発と実施などがこれにあたる。
C教職員能力開発(Staff Development)大学を構成するあらゆるレベル、部署の教職員の能力を向上させる取り組み。ティーチング・アシスタント、大学教員、管理職、FD担当者、事務職員に対する研修プログラムの開発・体系化、各種コンサルテーションの実施などがこれにあたる。
Dポートフォリオ開発(Teaching and Learning Portfolio Development)教員が教育業績の記録を整理・活用する仕組み(TP)と学生が学習過程を含めた学習成果を評価・活用する仕組み(LP)を利用して組織的な教育改善を行う取組。具体的には、TP・LP導入のための体制づくり支援、ポートフォリオ理解のためのガイド作成、教員(学生)に対するメンタリングWSの企画・運営、メンターの養成などがこれにあたる。
EICT活用による教育開発(Educational Development with ICT) クリッカーの活用による授業改善など個々の授業レベルにおける教育開発から、教育・学生支援、教育能力開発等に関わる教育基盤システムの構築や既存のシステムの関係をより機能的にする取組をさす。具体的には、ICT活用スキルのための研修会、教育・学生支援、教育能力開発等に関わる情報システムの開発・導入・運用やそのための研修会、さらには、大学全体の情報システムのグランドデザインの設計までを含む。
(3)会員
JAEDは高等教育開発のための専門家団体なので、個人として加入する正会員を中心として構成される。正会員は、主に高等教育開発センター等で専任でFDを担当している教員を想定している。正会員になるには、認証審査会によって、高等教育開発の活動経験が2年以上あること、他の高等教育開発者を支援できることなど、いくつかの認証審査基準をクリアしていることが認められる条件となる。
この審査にあたって、入会希望者は会で作成した入会認証シートに記入、推薦者2名によるメンタリングや認証審査会からのフィードバックを通して自らの実践を振り返る機会を持つ。こうした会員同士の相互学習こそ、プロフェッショナルの能力開発として相応しい。
一方、高等教育開発の実践的展開と普及のためには、高等教育開発者が支援・協力する対象である大学等を機関会員として位置づけ、正会員との安定的で持続的な協力関係を構築することも必要であることから、近々、機関会員制度を導入する予定である。機関会員としての会員資格は、大学、短期大学、高等専門学校(学部・学科単位での入会も可)とし、会員となった場合には、協会の年次大会の場などで、機関会員同士の相互交流・情報交換や、それぞれの組織のFD事例に対する正会員からの助言・意見交換の機会を享受できるよう、現在検討を進めている。
(4)国際交流
JAEDは前記したICED(国際教育開発同盟)に加盟しており、今後、諸外国の高等教育開発団体と共同の事業にも関与していくこととしている。本年、ICEDではEU圏の諸国で普及しつつある大学教育資格制度を包括する国際的な枠組みを2012年までに共同開発することを決めた。こうした動向も踏まえて、日本の高等教育開発は、鎖国状態からいち早く脱し、国際標準のそれへと展開していく時期に至っている。
5. 高等教育開発のさらなる組織化に向けて
高等教育開発を全国レベルで展開していくためには、こうした「専門横断型」の高等教育開発者以外にも、組織化するべき関係者が存在している。
第1に、「専門特化型」の高等教育開発者の組織化である。「専門横断型」の高等教育開発者は、各教育機関レベルで、全学的な教育改革を進める上では不可欠な存在である。しかしその一方で、各学問分野に特化した高等教育開発の実践と理論が求められている。すでに、工学、医学、物理学、化学、英語教育学といった学問分野においては、こうした取り組みを積極的に行う団体がある。日本技術者教育認定機構(JABEE)は技術者に求められる能力を育成する教育課程の適格認定を行っているし、日本学術会議も全専門分野における分野別参照基準の検討を始めたところである。
第2に、高等教育開発組織管理者の組織化である。日本のFDが従来の授業改善だけではなく、カリキュラムや組織の改革にまで拡大しつつある中、教育担当理事や高等教育センター長の役割は、今後ますます重要になっていくだろう。すでに管理職を対象とした単発の講演会は開催されているが、より体系的で継続的な能力開発を担う団体が必要である。
第3に、学生団体の組織化である。EU圏の諸国では、学生の声を学内、地方、国レベルで集約し、それを大学教育改革に活用しようという動きがある。現在、日本のいくつかの大学で取り組まれている教育開発への学生参加の動きを全国レベルで組織することで、学び手の意見を反映したものにしていくと良いだろう。
こうした組織化は新たに組織を立ち上げるというよりも、既存の団体がその役割を明確にしたり、業務を追加したりすることで対応できる。高等教育開発という概念を結節点にして、各層の高等教育関係者が日本の教育・学習の質向上のために連携することを願っている。そして、そうした取り組みをリードできる実践力と理論を兼ね備えた、行動する専門家団体として、JAEDは活動を展開していくつもりである。