平成22年5月 第2402号(5月26日)
■高等教育の明日 われら大学人 〈1〉
新しい支援制度を創れ
教育機会均等の政策を
教育格差を撃つ東京大学教授 小林雅之さん(57)
近頃の草食系の学生は怒りを忘れてしまったのか。「金持ちでないと東大には入れない」、「大学生の奨学金受給者が四割を超す」、「仕送りゼロの大学生が一割突破」…ひと昔前なら学生によるデモやスト騒ぎが起きてもおかしくない。高等教育に対する格差がはびこる状況に「異議申し立て」するアカデミズムの代表格が小林さん。新聞の取材に応え、「家計所得に応じた奨学金の給付で『逆配分』の解消を」と主張した記事には「金持ち東大生の授業料を上げよ」の見出しが躍った。自著では、「大学教育は持ち家に次ぐ人生で二番目に高い買い物」といった巧みな比喩で「高等教育機会の費用の差が、進路選択に大きな影響を与えている」と警鐘を鳴らす。弱い立場にある大学生に新しい支援制度を提唱する。この人は怒っている。
この企画は、大学に元気を与えよう、というねらいもある。最近、大学をめぐる話題は明るいものが少ない。企画の第一号には旬のテーマ、教育格差に取り組む小林さんを選んだ。ねらいを伝えると、「私でよかったら、喜んで」と快諾。
この義侠心にグラッときた。それはそうだ。清水次郎長を生んだ静岡・清水市の生まれ。小さい頃は、読書好きでジャーナリスト志望。高校は理数系で、東大理Uに進む。ところが、文転(文系に転向)して教育研究の道に進んだ。
文転の理由は「理Uは、遺伝子研究など夢があると思ったが、数学数式ばかりで、ちょっと違うと思った。一年の終わりに、人間相手にしたほうがいい、と転部を決め教育学部へ進みました」
こう付け加えた。「いまの研究には統計数字が必要ですが、これが苦にならない。理系をかじったことは役立っている」
奨学金の研究を始めたのは、自身が三つの奨学金をもらって大学・大学院を卒業したという体験も影響している。
この話から聞いた。朝日新聞のインタビュー記事(09・10・3)で、金持ち東大生の授業料を上げよ、という見出しには驚きました。当の東大の先生が言っているのですから。
「インパクトはあったが、中身を読んだ人はいいが、(見出しは)ちょっと誤解を与えたかもしれない。ネット等では話題になったようだ。あそこで、言っているのは、お金持ち(の授業料)は上げて、そうでない人は下げるべきということ」
昨今の大学を巡る新聞などの記事は、小林さんの食指が動く材料が氾濫する。そうした情報を前に、小林さんに思いのたけを語ってもらった。
OECDの報告(06年)では、高等教育への公的支出は0.5%と加盟国中最低、逆に家計負担は51.4%と突出して大きい。
「日本、韓国、中国などは、子どもの教育は親が負担するという意識が強い。儒教文化の影響かもしれない。厳しい経済情勢で家計が悪化する世帯が増え、教育費の負担感は増した。教育費支援の面から奨学金の拡充などが急務だ」
東大の05年度からの調査では、年収200万円未満の家庭の高校生の大学進学率は28%、一方で1200万円以上の家庭では63%だった。
「親の年収が進学率を左右するのが確認された。家計の経済力が進学を規定するようになれば親世代の高所得層→子世代の高学歴→子世代の高所得層という、教育による社会階層の再生産構造が強化される懸念がある」
日本学生支援機構によると、08年度に同機構や大学などの奨学金を受給した大学生は43.3%と10年間で約20増え過去最高。
「不況の影響で、親の収入が減ったのが要因とみられる。日本には貸与奨学金しかない。大学卒業後、数百万円の借金を背負って進学するのはきつい。米国、英国、中国などでは卒業後、警察官、消防士、教師などの仕事を10年なり務めれば返還免除の制度がある。日本にもあったが大学院の一部を除き廃止に」
全国大学生協連合会の09年の調査では、自宅外から通う大学生の仕送り額は月7万4060円と87年並みに下がった。仕送りゼロも10.2%と1割を突破した。
このように、深刻な格差が起きている現実。教育費の負担は、公から私へ、親から子へとシフトする流れ。小林さんが提唱するのは、貸与奨学金に変る財政負担が少なく、ローン負担も比較的少ない所得連動型ローンである。
「オーストラリアで初めて導入された制度。在学中は授業料負担はないが、卒業後、所得に応じて一定の割合を返済する。継続的に所得を把握するなど課題もあるが、日本も具体的な検討に着手すべきだ」
大学進学費用や教育費負担、奨学金など教育支援策などをまとめた小林さんの著書「教育格差」(ちくま新書)は教育関係者にとって教育格差を知る「バイブル」に。
この本が面白く読めたのは、小林さんの秀逸な文章表現にある。冒頭の「人生で二番目に高い買い物」という表現のほか、「無理する家計」、「健気な親の消滅」…こうした言葉に引き付けられ読者は一気に読み進む。
「出版社の人から、わかりにくいところはわかりやすい表現でとか、数字が多いと嫌になるので読ませるには工夫が必要と言われたので…」とあっさり言う。この手法は、政治学者の丸山眞男東大教授と重なる。
丸山教授は、「タコ壺文化」や「ササラ文化」というネーミングや「通奏低音」、「引き下げデモクラシー」といった卓抜な表現でアカデミズムにジャーナリズム的文体を差込み、説得力を増した。これを言うと、首を振って小さく笑った。
話題を変えて、少子化や大学の定員割れ問題を聞いた。「同じ事態に見舞われた米国では大学閉鎖もあったが、社会人入学で救った。日本は対応が遅い。定員割れの大学がある一方で、行きたくてもいけない大学がある。少人数教育の良さなど大学のメリットをみつけたり、日本人を留学させ、海外から留学生を呼ぶとか需給バランスを考える必要があるのではないか」
教育格差のあとのテーマは? と問うた。「いま問われている大学の質保証で大きい問題は大学の評価。評価制度が導入されたが「評価疲れ」がいわれ有効性も問われている。この大学評価とともに、その一形態とみることができる大学ランキングの研究を深めていきたい。必ず大学の改善につながるはず」
この人の頭からは、高等教育のことが離れない。文転がいい方向にころがり、終生のテーマにつながった。清水次郎長ではないが、敵にすると怖いが、味方にすれば、こんな心強い先生はいない。
こばやし・まさゆき 1953年、静岡県生まれ。東京大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科博士課程退学。広島修道大学助教授、放送大学助教授、東京大大学総合教育研究センター助教授を経て現職。専門は教育社会学で、各国の授業料・奨学金制度などを研究。『進学格差―深刻化する教育費負担』(筑摩書房、2008年)、『大学進学の機会―均等化政策の検証』(東京大学出版会、2009年)など著者は多数。