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教育学術オンライン

平成22年2月 第2390号(2月10日)

「教育哲学研究」 100号記念特集
 教育哲学会は考える これからの大学に望まれること

まえがき―大学そもそも論
 全ての大学には、学校教育法によって、認証評価の受審が義務づけられている。それは、7年ごとに外部の評価機関によって実施されるが、そのとき、大学自身による自己評価・自己点検もなされる。これは、大学が自分たちのやってきたことを振り返るよい機会である。
 しかし大学人は、もう一つ重要なことを振り返らなければならない。それは、「大学とは何か」「大学とは何をするところなのか」ということである。
 こうした「そもそも論」は、普段はあまりかえりみられない。というより、避けて通られてしまっている。しかし、たまには原点にもどって、大学人の足元を確認することも大切である。それをしないと、いつのまにか自画自賛の自己評価におちいってしまう。
 このたびの特集は、大学人に向けての、教育哲学会会員による「大学そもそも論」である。あわせて、「教育哲学」が、どのように物事を考えていく学問なのかの宣伝もかねている。教育哲学会は、このたび機関誌『教育哲学研究』の100号記念号を発行した。過去五〇年と現在の研究をまるごと紹介している。ご覧いただければ幸せである。

宮寺 晃夫(筑波学院大学教授・教育哲学会代表理事)

教養教育と哲学
  東北大学 加藤守通

 大学設置基準の大綱化に端を発した教養部の解体を経験してから、早いもので20年近くになる。教養部という組織の解体は、周知のように様々な波紋を起こした。教養教育を巡る諸問題は、教養部という一組織の所掌と権益から解放されることによって、かえって切迫したものになりつつある。
 教養教育を巡る論争は、いまに始まったものではない。それは哲学と同じほど古いものである。プラトンの初期著作の中に『プロタゴラス』という名作がある。アテナイを訪れたソフィスト・プロタゴラスとソクラテスとの間の論争がテーマである。この著作の冒頭に面白いシーンがある。ある早朝、ソクラテスの家に、彼の友人である青年ヒッポクラテスが突然押しかけてくる。彼は、プロタゴラスがアテナイに滞在しているというニュースを前夜に聞いたばかりで、彼のもとで学びたくていてもたってもいられない。しかし、ひとりでプロタゴラスを訪問する勇気がないので、ソクラテスに同行を求めにきたのである。この性急な友に対するソクラテスの反応は冷静沈着である。彼は、ヒッポクラテスがソフィストのもとで学びたがっているのは、自らがソフィストになりたいからかと質問する。彼が赤面するのを見て、ソクラテスは助け船を出して言う。「君がプロタゴラスから学ぶことは、専門的技術として学ぶのではなく、一個の素人としての自由人が学ぶにふさわしいものとして、一般教養のためなのだね。」(藤沢令夫訳に若干の変更を加えた)
 ここに「一般教養」と訳されたギリシャ語は、パイデイアである。もともとは「子育て」といった意味しか持たなかったこの言葉は、プラトンによって哲学的な含蓄を与えられ、西洋の教育論の根本概念のひとつになったが、プラトンの著作におけるこの言葉の初出が冒頭に引用した箇所である。この箇所では、この語はそれが後に有することになる含蓄をいまだに持っていない。とはいえ、職業的な専門知に対抗する、自由人にふさわしい教養という意味でこの言葉が使われていることは、注目に値する。哲学は、その始原から、専門知ではなく、教養の側に与していたのである。
 専門知に対する教養の優位は、その後ルネサンスを経て近代初期まで続くことになる。プラトンの『国家』における哲人政治家は、すべてを展望する知を所有していた。ルネサンスの人文主義に多大な影響を与えた、古代ローマの弁論家キケロもまた、幅広い知識に支えられた言葉の達人の中に彼の理想の弁論家を求めた。近代教育の創始者の一人である、十七世紀の知的巨人コメニウスも、大学でとりわけ優秀な人間に対して、あらゆる学問に通じた「汎知学者」になることを求めた。
 とはいえ、17世紀になると、教養と専門知の関係に大きな変化が生じ始めた。デカルト哲学に顕著なように、学問は明晰性と厳密性を追求するようになった。それどころか、これらを持たないものは、もはや学問とはみなされなくなりだしたのである。厳密性に関する要求は、当該領域に関するデータの詳細な吟味を要求した。そして、このことは必然的に、学問を専門化することになった。この傾向は、自然科学が長足の進歩を遂げた19世紀以降急速に強まった。ニーチェは、『ツァラトゥストラ』の中に近代人の一類型として、ヒルの脳髄を研究する学者を登場させた。マックス・ヴェーバーは『職業としての学問』の中で、専門知の研究に専心することを未来の学者たちに求めた。このような専門知の攻勢に対して、教養は守勢に回るようになった。
 専門知の優勢は現在にも続いている。このことに拍車をかけたのは我が国においては教養部の解体であるかもしれないが、大事なことは、それが先に述べた知の変容に伴う世界史的な出来事であるということである。教養の衰退の根は、思った以上に深いのである。法令の文章をいじったぐらいで衰退するほど、教養は柔なものではない。
 したがって、もしもわれわれが真摯に教養の復権を望むならば、専門知の偏重を生み出した近代の学問観そのものと批判的に向き合う必要がある。対象から距離を置き、対象に関するデータを吟味する醒めた姿勢を否定するわけではない。このような姿勢は、時と場合に応じて、重要である。しかし、世界(それには自然の側面と文化の側面がある)の奥行きを感じ取り、その中へと自己を投げ出していくこと、自己の狭い壁を穿ち、世界とのつながりを深めていくことも重要であろう。その時、自然と文化に関わる諸学問は、専門的な研究でも、また単なる趣味や気晴らしでもなく、自己変容としての人間形成の扉となるかもしれない。

市民形成と大学教育
  東京大学 小玉重夫

 アメリカの社会学者であるマーチン・トロウは、高等教育(大学)の発展段階を、進学率の上昇に応じて三つに区分した。高等教育の最初の段階は、限られた少数のエリートを対象とするエリート型で、大学進学率一五パーセントまでがそれに該当する。第二段階は、15パーセントから50パーセントが大学進学する段階で、高等教育が大衆(マス)化したという意味で、マス型と呼ぶ。第三段階は、大学進学率がさらに上昇して50パーセントを超える段階で、高等教育がほぼ万人に開かれるようになったという意味で、ユニバーサル型と呼ぶ。
 このトロウの図式を日本の大学に当てはめると、どうなるだろうか。日本では、高度経済成長期の1960年代に大学進学率が15パーセントを超え、エリート型からマス型へ転換した。そして2008年度には大学進学率が50パーセントを超えて、ユニバーサル型の段階に入った。つまり、高等教育が万人に開かれている状態に到達したのである。
 高等教育のユニバーサル化がもたらした大きな変容は、大学が、学生を選ぶ側ではなく学生から選ばれる側になったという点である。むろん、一部の大学や学部では、依然として厳しい受験競争が続いている。だが、全体としてみれば、受験競争は1980年代までと比較すると、緩和された。
 <リメディアル教育だけでいいか>
 このような大学のユニバーサル化によって、大学進学が希望者全入に近い状況になってくると、大学教育において問題として指摘されるようになるのは、高校卒業レベルの学力を十分に保障されないまま大学に入学してくる学生が増えているのではないかという点である。このため、大学では近年、高校卒業レベルの学力保障を大学入試のみに依存せずに、リメディアル教育(高校卒業程度の学力を身につけさせるための補習教育)を導入して高校教育から大学教育への接続をたしかなものにしていこうとする試みが始まっている。
 たしかに、大学教育の質を保つためには、大学が高校卒業レベルの学力を補うことは重要な課題である。その意味で、リメディアル教育はユニバーサル化した大学における新しい教育の要素を提起するものであるといえる。ただ、ここで注意しなければならないのは、リメディアル教育はあくまでも高校教育の補習であって、それ自体は大学教育の本務ではないという点である。
 高校までの教育は、未成年を成年にするための教育、つまり未成年(子ども)に対する教育という視点を基底において成り立っている。これに対して大学は、自立した成年(大人)を相手にした教育という側面が強い。昨年(2009年)の10月28日に、法制審議会は、民法の成年年齢を現行の20歳から18歳に引き下げるのが適当とする結論をまとめ、法務大臣に答申した。この答申に沿って民法改正がなされれば、18歳以上の学生が大半を占める大学は、事実上、成人教育の場になる。
 つまり大学教育とは、高校までとは異なり、自立した成年を対象にし、教員と学生がともに学問探究を行うことを使命として成り立っている。ここに、高校までの教育と大学教育との決定的な違いがある。したがって、いかに学力が多様化しようとも、大学教育が単なる高校教育の補習の場としてのみ存在するのではないという点は、ユニバーサル化した大学の在り方を考えるうえでも重要である。
 <アジールとしての大学>
 そこで近年、大学の新しい役割として注目されているのが市民形成の場という視点である。現代社会の成年は社会的分業を生きる職業人であるとともに民主主義社会を構成する自立した市民である。現代の教育哲学では、そうした市民が自らの関心で自由に学問や探究活動を行う場として、大学をとらえ直そうという研究が精力的に進められている(ジェリー・ギル『学びへの学習』青木書店)。日本でも、裁判員制度の導入をはじめとする司法制度改革や、上述した成年年齢や選挙権年齢の引き下げに関する議論などが進み、司法や政治、社会に参加する市民の育成は急務の課題となっている。大学はまさにそうした市民形成の場という役割を期待されているといえる。
 このような市民形成の場として大学をとらえるうえでヒントになると思われるのは、大学がもっているアジール(避難所)という側面である。大学は、学校から社会への移行期を生きる学生が生活し、学ぶ場であると同時に、社会人が疲弊した心身をリフレッシュすると共に自分の生活を見つめ直す生涯学習の場でもある。いずれの場合も、大学は、学校と社会の中間に位置する緩衝地帯、避難所(アジール)としての側面を有している。アジールとは中世に存在した権力支配のおよばない自由な避難所のことであるが、中世の自治組織から出発した大学にも、アジールとしての性格が含まれている。
 市民形成には、いったん社会の必要から解き放たれて自由に思考や探究をする空間が不可欠である。そのために、大学がこのアジールとしての意味を今日的によみがえらせ、自由で解放的な空間として社会を活性化させていくこと、ここに、市民形成の場として大学を現代的に再生させていく一つの手がかりがあるように思われる。

大学教育言説と教育哲学
  京都大学 田中毎実

 今日では、大学の諸機能のうち、研究機能でも社会貢献機能でもなく、教育機能に強い社会的関心が向けられている。たとえば、FDの法制的義務化以降、どの大学でも関連活動が活況を呈しており、全国いたるところでFD実施のための連携ネットワークが組織されている。ちなみに、京都大学を代表幹事校とする関西地区FD連絡協議会は、関西地区の大学の過半をゆうに超える120校以上を組織している。この趨勢のなかで、大学教育についての言説も、急速に膨れあがっており、たんにこれらを追いかけるだけでも大変な労力を要するまでになった。
 膨張する大学教育言説で目につくのは、カタカナ英語の氾濫である。ステイクホルダー、アカウンタビリティ、コンピテンシー、アウトカム、エビデンス等々。なかには日本語での発言で「ペダゴジー」という言葉を、どうやら「教育の方法」という限定した意味で多用する人さえいる。「あっさりと〈教育の方法〉とは言えないのか」と苦笑せざるをえないが、これなどは、初等中等教育では珍しくもない大仰な言語使用が高等教育にまで及んできたことを示す実例である。
 これらのカタカナ英語は、大学教育をめぐる議論のなかでは、現場でも政策文書でも、まるで既定の用語でもあるかのごとく常套的に用いられている。いつものようにあっさりと陳腐化し摩滅し消え去ってくれればあまり害はないが、これらはかなりしぶとく、私たちの大学教育の現実を(たとえ表層的・短期的ではあれ)構成し、私たちの言葉や行動を拘束している。まことに困ったことである。
 大学教育言説の多くは、カタカナ英語に限らず、使用される文脈を無視して強引に抽出された片言隻句によって、大学教育の現実を構成している。しかし、陳腐な片言隻句で現実が構成されるのは、本当のことを言えば、なにも大学だけではない。すべての教育現場がそうである。見田宗介はかつて、「教育の言葉」を「海から上げるとすぐに腐る鯖」に喩えたが、陳腐なカタカナ英語も、それらが用いられる欧米の現場では、それなりに生きて働いている。これらの言葉による無意味な拘束から解放されるためには、それらを、それらが生きて働いている具体的文脈に帰して、深い理解をはかるほかはない。私どもはこれを、教育哲学の本来の仕事の一つだと考える。しかしまさにこの教育哲学こそが、これまで欧米教育思想のたんなる「送迎展示」を生業とし、日本の教育現場に「立ち腐れる鯖」を無際限に供給してきた主犯ではなかったのか。
 教育哲学を「欧米教育思想の送迎展示をこととしてきたくだらない学問だ」としてくりかえし批判してきたのは、実は、他の誰でもなく教育哲学者たち自身である。この自己卑下の根拠は、最近の我が国での教育理論の学説史的研究によって、大きく堀崩されつつある。戦前の教育理論がすでに、当時の教育状況へ生身で応答しようとしており、送迎展示を大きく逸脱していたことが、明らかになってきているからである。
 私はこのたび、教育哲学会設立50周年と機関誌第百号を記念する特別号の編集に携わった。記念号は、二部からなる。つまり、3名の元代表理事へのインタビューによる「第一部教育哲学研究の履歴」。そして、教育概念、学問的方法論、学校論、教育関係論、言語論、宗教論、近代論、人間学、「論じられなかったテーマ」などそれぞれについて、若手研究者が教育哲学研究のこれまでをレビューし、ベテラン研究者が研究の将来を展望する「第二部教育哲学研究の展開」。全体を通読すると、これまでの私たちの議論は、欧米の教育思潮の変動とあまり符節を合わせてはおらず、むしろ送迎展示の体裁を借りて、自前の教育現実へ応答してきたのだということが、よくわかる。つまり私たちは、私たちの教育現実を構成する重たい言葉たちを、それらが使用される文脈に帰して深い理解をはかり、これらの言葉による無意味な拘束から自分たちを解放する仕事を、少しずつ地道に果たしてきた。どうやら私たちは、少し自分たちを卑下しすぎているようだ。
 私は、この15年ほど、教育哲学の世界から大学教育研究の世界に移り住んできたが、これまでこの世界でつねに、かすかな居心地の悪さを感じ続けてきた。この居心地の悪さは、教育哲学者特有の自己卑下に起因する。私は、今回『教育哲学研究』100号記念号の編集に携わることによって、この無意味な卑下からある程度解放された。記念号は、常套的言説による拘束からの解放が実際にはどのようになされるのかを、かなり読み応えのある仕方で、しかもスリリングに、示している。この記念号という実地教材は、大学教育言説にとってもかなり有効な解毒剤であり、場合によっては、有効な成長促進剤になるかもしれない。

 


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