平成22年2月 第2390号(2月10日)
■ICT活用教育の現在
単位の実質化、“学習者中心”の大学に威力
単位の実質化、学習者中心の大学など、大学での学習をいかに担保するかが大きな課題になっている。ICT(Information & Communication Technology)の活用は、それらの解決を考える上で有効な方法となろう。例えば、eラーニングは学生の学習時間を記録できる。また、学生同士の学び合いを促す(遠隔)協調学習も可能である。また、深い理解を支援するツールも多数開発されている。このたびは、ICTを活用して教育の質の向上と保証を行う方略について、千歳科学技術大学の小松川浩教授に寄稿してもらった。
多様な課題に応えるICT活用教育
昔と違って最近の大学は忙しくなったとよく耳にする。学期間中の出張は、土日に限られることが多くなったと感じる教員も増えた。これは少子化とグローバル化の中での人材育成という社会的な要請に基づいてのことであり、大学の入口を見れば、私学を中心に多様な入試形態をとり、学力や学習意欲も多様化の傾向にあるとされる。
多くの大学では、入学前教育や補習等のリメディアル教育を通じた学力の担保や、初年次教育を通じた学習意欲の向上に努めている。一方出口(社会)からは実践的な問題解決能力のための基本的素養(社会人基礎力)が求められ、大学独自のキャリア教育や、PBL(Project−based Learning)等の実践的な問題解決型学習も注目されている。また、授業については、「単位の実質化」の下に、15週の授業の実施と予習・復習の担保が求められるようになった。一連の課題は、大学全体で取り組むべきものであり、各大学のFDの大きなテーマでもある。
本稿では、eラーニングやその延長線にあるICT活用教育を、大学全体で担う人材育成のための効果的な教育手段として扱う。従来、eラーニングというと、遠隔教育や通信教育での効率性を意識したツールと考えるのが一般的であり、eラーニングを用いた入学前教育はその例といえよう。受験生に学習内容を郵送し、返信内容を教員が採点して再び受験生に返す手続きを考えれば、即時的な対応をコンピュータ上ですべて図ってくれるeラーニングは、受験生・大学双方にとって効率的な学習手段である。
これに対して最近は、eラーニングを質の高い教育サービスを実現するための効果的なツールとした議論が深まっている。eラーニングを代表とするICT型の教育システムは、利用者の学習に関連するログ情報を持っている。大学としてこうした情報を上手に共有して活用することで、効果的な学習支援を図れる可能性がある。先の入学前教育を例に挙げると、受験生が入学前に取り組んだ学習ログを入学後に活用できることである。初年次の科目担当教員が、AOや指定校推薦入試の受験生の学習状況の動向を授業開講前に把握できることは、授業設計に際して有効な情報を与えてくれる。
さらに、入学直後の数か月は学生が自律的に学ぶ環境作りとして、又は不登校を未然に防ぐ期間として重要とされる。入学直後にきめ細かいアドバイジングを行う大学が増える中、入学前教育での学習状況は学生指導上どのように使うかは別にして無駄になることはない。さらに、一連の情報を、個人レベル・部局内単位で共有するのみではなく、部局を超えて共有することで、学年を横断したアドバイジングの可能性も拡がってくる。
教材の共有と学士力の育成
eラーニングによる質の高い教育サービスの別の視点として、教材(知識)の共有を挙げる。通常、授業内容は授業担当の教員に任せられる。従って、該当するeラーニング教材の作成・運用も個別の教員に依存する傾向にある。また教材作成のみならず、学内で運用するeラーニングシステムも複数乱立するといった話も良く聞く。しかし、学部を通じたアカデミック・スキルズや専門教育に向けた基礎知識等、大学の教育課程全体の縦方向と横方向で共有可能な内容もある。教育課程の横方向での共有としては、日本語をきちんと書く・英語を正しく使える・数学を用いた計算を行える・コンピュータを利用して解析を行える等、学部共通的に利用できる内容でいわゆる「学士力」に通じるものである。一方、専門教育に繋がるコア・カリキュラムで必要となる基本的な知識は、学年を横断して(縦方向で)反復的に活用される内容である。
共通基盤的な教材をeラーニング化し、全学的に公開・共有することは、組織的な教育内容の検討・改善に繋がる。中央教育審議会の答申でも、各大学での学士力を意識した取組の実施や分野ごとのコア・カリキュラムの作成について触れられている。自分の大学にとって必要な共通基盤教材は何かという視点での検討は、まさにFDそのものである。また検討の結果をeラーニング化する(=公開・共有化する)ことで、複数の科目で利活用可能になる。これは学生の立場では色々な場面で反復的に学べることを意味する。またeラーニングの学習管理を用いれば、その達成度合いを大学として把握することもできる。
また個別の授業レベルで考えても、新たな教育サービスの実現が可能となる。例えば、単位の実質化で議論される一五週問題をクリアするために、各大学で補講期間を柔軟に運用する工夫が求められている。しかし、休講や休日が重なることで、帳尻合わせ的な補講の運用になることも否めない。一方で、こうした補講の置き換えとして、eラーニングによる演習を実施すれば、休講や休日に影響されない弾力的な運用が可能となる。
千歳科学技術大学では、初年次教育の一部科目で、数回分の授業時間で実施されている。年度初めの授業設計段階で休日や教員都合の休講が分かる場合、授業相当の演習内容をeラーニングで課している。試験期間前の補講期間に集中して講義を挽回するのではなく、毎週の授業設計の中で確実に講義が進むので、学生の評判も概ね良い。
なお、今年は新型インフルエンザの影響で、散発的な学生の欠席が目立った。これに対しても、共通基盤のeラーニング教材を活用して演習コースを設定して、期間内に自分のペースで対応することで補講扱いとする取組も実施した。また、教員によっては、授業の置き換えではなく、宿題としてeラーニングを活用するケースもあった。この取組では、学習ログを確認することで授業以外の学習時間を担保できるため、単位の実質化問題への一つの有効なソリューションになると期待している。
進む知識管理と授業支援型のCMS
ここまで述べたeラーニング教材や学習ログ等の共有・管理のスタンスは、情報システム学で扱う知識管理(Knowledge Management)を参考にすると良い。知識管理は、個人の持つノウハウや知識を組織として共有することで、業務の効率性を図り、同時に生産性の向上も目指すという考え方で、多くの社会システムで実践的に展開されている。大学教育における知識管理では、何といっても授業内容が主な対象となる。そこでeラーニングのLMS^n(Learning Management System)に対して、日本の教育事情を考慮した授業支援型のCMS^n(Course Management System)の検討・試行が行われている。授業支援型のCMSでは、実際の対面授業で必要となる学習要素を扱っていく仕様となっている。このため、授業の出欠・レポート課題の提出管理・授業素材の管理や授業の成績情報の管理も含めて扱える。最近では、授業とは直接関連しない学生生活も含めた情報共有に向けた動きも盛んとなっており、学生活動の交流の場としてのSNSや学生向けのアドバイジングのための学生カルテなどが注目されている。
関西大学が進めるCEASプロジェクトでは、教員にとって使いやすいユーザインターフェイスをテーマとしたCMSを開発・運用し、他大学にも無償で提供している。また帝塚山大学を中心とした大学連携が進めるTIESコミュニティでは、eラーニング教材の大学間での共有プラットフォームの開発に加えて、授業支援を目的としたサブ機能や収録授業ビデオの再活用の手法を強化している。
さてeラーニングの期待される役割として、高等教育のユニバーサル・アクセスへの対応がある。そうした中でのキラーアプリケーションとして期待されるものに、スマートフォンを用いたモバイルラーニングがある。コンピュータ仕様のOSで稼働するスマートフォンは、携帯電話というより携帯型のパソコンと呼ぶにふさわしい。用途に応じて自分の好きなソフトをネットからダウンロードできるので、学生の情報リテラシー教育にも適している。青山学院大学の社会情報学部は、いち早く情報リテラシー教育の一環で学生全員にiPhoneを配布し、効果的な情報教育を展開していることで知られている。
千歳科学技術大学は、札幌医科大学と連携してWeb対応の理数の基礎教育系のeラーニング教材に準拠したiPhone用のドリル教材を整備しており、現在高校数学・物理・化学・生物の復習用に、ダウンロード形式で教材を試験提供している。学生の多くが札幌から千歳まで通学に一時間程度を要するため、その有効活用のためにモニター配布をしている。「日頃は自分の判断で色々と利用して構わないが、通学中は数学や物理の勉強で使おう」を合い言葉に実施している。数学や物理はあまり興味が持てないが、音楽配信や映像配信には興味はあるといった学生が多く、参加している学生の反応は極めて良好で、情報リテラシー向上と理数系の基礎学力(知識)の定着の両面が図れるのではと期待している。現在、モバイル用とeラーニング用の教材を関連づけて、eラーニングのLMS上で一元的に学習状況を把握できるシステムの開発を行っており、授業・在宅・通学での学習状況に基づく学習時間の担保が可能になると期待している。
デジタルペンの活用
別のモバイルの事例として、ユビキタス指向のアノト型デジタルペンを挙げる。これは、ペン先に付いている小型カメラを通じて、専用紙のドットパターンを認識することで、書かれたパターンを時系列的に保存していく。大きさは、通常のボールペンより僅かに大きい程度で、専用紙も見た目では普通紙と変わらない。このため学習者は、通常の紙とボールペンを使う感覚で学習できる。ペンに保存されたデータは、ネットワークを介してサーバに送信することができる。
帝塚山大学では、学生の課外活動における外部担当者の所見をこのペンを利用して書き込んでもらい、学生の外部評価に利用する取組を試行している。千歳科学技術大学では、数学のeラーニングの課題の際に、デジタルペンを利用して途中経過を書かせる取組を試行している。サーバに送られたデータを再生すると、学生が書いた通りに時系列的に再現するので、途中過程をICT上で把握できる。学習者にはかなり強制力のある学習スタイルであるため、eラーニングの進捗状況から、さぼりがちな学生を選んで学習させている。
最後に教育系の情報システムの運用(管理)面について触れてみる。eラーニング等のICT活用教育は、Webやメール同様に情報システムをベースとしたITサービスである。しかしその運用形態はかなり異なる。Webやメールシステムは、導入するまでの要求案件定義・仕様策定・設計・実装のマネジメントに労力を要するが、導入後は基本的にシステムの運用維持に専念すれば良い。
これに対して教育系システムは、日頃の教育活動と密接に関係するので、運用後のサービスに関するマネジメントが重要となる。例えば、eラーニングについては、各教員が行う授業を踏まえた上での教材の改訂が随時求められる。また、学生ポータルを利用したワンストップサービスを提供するには、様々な部局の日常的なコミットが生じる。このように従来のWebやメール等の管理とは異なり、教職員が連携した横断的な組織(プロジェクト)による運用を図っていく必要がある。
サービスを重視した情報システムの運用は、民間では経営戦略上の観点から積極的に推進されている。ここでは、導入後の運用面での業務プロセスの検討・改善を継続的に行っていくITサービスマネジメントという考え方が中心となっている。またITサービスマネジメントの具体的なガイドラインに、ITIL(Information Technology Infrastructure Library)があり、これは実践事例のベストプラクティス集とそれに基づくフレームワークで構成されている。ITサービス系の企業並びにその顧客は、日頃のサービス改善と中長期的なサービス改善の両面を行うことで、業務改善による効率化とビジネス展開に向けた生産性の向上を図ろうとしている。
大学で運用する教育系の情報システムについても、こうした民間のスタンスは是非とも参考にすべきである。eラーニングなどのICT活用型の教育システムは、導入後のサービスの改善が必要不可欠で、当然関連する費用も発生する。海外でeラーニングを推進する大学の関係者は、大学の経営戦略上の観点からのICT活用型の教育サービスの重要性を強調する。日本では、GPを契機にeラーニングの推進を本格化した大学が多いが、経営戦略まで踏込んでいるケースはまだ少数といえる。
大学eラーニング協議会
ITILのスタンスにあるように、教育系の情報システムについても、大学が先導的に行っている事例やノウハウを大学間で共有して得られるコンセンサスとそれに基づくフレームワーク作りは大事である。そこで、GP等で先導的にeラーニングを推進してきた大学と推進しようとする大学が緩やかな連携を図ろうとする協議会(大学eラーニング協議会)を設置し、ノウハウの共有を図っている。協議会では、ノウハウの共有のみならず、本寄稿でも紹介した基盤教材の共有についても検討している。各大学が独自に教材を作成・運用するだけではなく、互いに補完し合う枠組みを検討している。
本稿では、eラーニングに代表されるICT活用教育の動向や運用方針について紹介した。昨今の大学は、ユニバーサル・アクセス、質保証、21世紀型市民に向けた人材育成といった多様で質の高い教育サービスの提供を求められる。これらを具体的に展開するのは、教職員一人一人であり、全学的に進めることで効果的なサービス内容にまで高めることができる。限られた人的な体制で実現するためには、積極的にICTを活用し、学びに関する情報を全学的な知識として共有することが肝要であろう。eラーニングのLMSを活用すれば、学生の学びの状況を効率的に把握できる。また授業支援型のCMSを利用すれば、授業における達成度合いを知ることもできる。
さらにeポートフォリオを活用すれば、学生生活全体を通じた学生の想いを知ることができる。ユビキタス指向のデバイスを活用すれば、教室以外の様々な活動に関する情報にも容易にアクセスできるようになる。これらをどのように効果的に活用するか、個に応じたきめ細かい学習支援サービスを実現するか、各大学の真摯な取組が期待されている。