平成21年12月 第2384号(12月16日)
■伊能地図復元全国巡回展小百科
下総 佐原
伊能忠敬は1745年(延享2年)1月11日、神保貞恒の次男として上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の小関五郎左衛門家で生まれた。幼名は三治郎。
6歳の時、母が亡くなり、婿養子だった父は兄と姉を連れて実家の武射郡小堤村(現・山武郡横芝光町小堤)の神保家に戻る。三治郎は祖父母の元に残るが、10歳の時に父の元に引き取られる。
1762年(宝暦12年)、17歳の時に、下総国香取郡佐原村(現・香取市佐原)の伊能家に養子に入る。伊能家は酒、醤油の醸造、貸金業の他、利根水運などにも関っていた。
忠敬は、商人として働き出す。商人としての才覚があり、伊能家を再興、かなりの財産を築いた。佐原の役職をつとめた記録が残されている。
このように、50歳で江戸へ出るまで佐原で家業に勤しむ一方、名主や村方後見を務めた。佐原(現在の香取市佐原)周辺には、忠敬の史跡が数多くある。
伊能忠敬出生の碑は、文字通り忠敬の生誕の地。生家は残っていないが、徳富蘇峰による記念碑が昭和12年に建てられた。千葉県指定史跡になっている。
伊能忠敬成長の碑は、忠敬が10歳で神保家に戻り、17歳で伊能家に婿養子に入るまでの青年期をすごしたところである。
忠敬旧宅は、養子に入った忠敬が17歳から50歳まで、主な家業の醸造業を営み、村の名主や村方後見として活躍した場所。店舗・正門・書院・土蔵は国指定史跡(昭和5年)。
伊能忠敬測量公園は、忠敬生誕250周年(1995)を記念して、「伊能忠敬出生の碑」の脇に記念公園としてつくられた。天体観測を行った象限儀(中)とともに銅像が建っている。
このような忠敬の史跡をめぐるのも、忠敬の偉業を知るにはいい機会になる。忠敬の測量で歩いた距離には遠く及ばないが…。