平成21年12月 第2384号(12月16日)
■日本独自のFDネットワークのあり方
米英のFD大会(POD SEDA)に参加して(下)
感想
大学を取り巻く環境がこれまでにないスピードで変化する中において、FD担当者の仕事はますます多様化し、かつ専門的になってきている。しかし、必ずしも全ての大学にFD担当者が複数いるわけではない。従って、PODのようなネットワークは、情報や悩みを共有できる仲間を作ることができる点において、大きな意義がある。とりわけ年次大会は、参加者たちが「より意義のあるFD活動のために頑張ろう」というポジティヴな意識を共有しており、参加をすることで新しい知識や情報を得るだけではなく、新たなエネルギーをも生み出しているように感じられた。そのためか五日間通して、笑い声が絶えることはなかった。
その一方で、600名以上が参加する大会では、当然のことながら意見の違いも見られた。実践的な取組の話し合いが多いため、参加者の間には研究の枠組の中で実践を語る必要性を主張するメンバーもいた。また、徐々にアメリカ以外の国々からの参加者が増えている中で、PODは国際的なネットワークとなるべきなのか、それとも、これまで通りアメリカのFD担当者のためのネットワークとして存続していくべきなのか、といった問題についても様々な場面で議論されていた。しかし、このような議論が起こること自体、メンバーが単に「仲間」同士で「コミュニティー」を作って満足するのではなく、PODを自己反省的に眺める視点も持ち続けている証左と言えよう。
英国:SEDA
SEDA(Staff and Educational Development Association)は、イギリスにおけるFD担当者(エデュケーショナル・ディベロッパーと呼ぶ:Educational Developer)のための専門職団体で、二つの組織が、1993年に合併して設立された。学習・教授に関する調査研究と研究成果の出版、年次大会の開催などを通してFD担当者を支援するとともに、大学に対しては専門職能開発の枠組 (Professional Development Framework、SEDA-PDF)によるFDプログラムの認定、個々のFD担当者に対してはFD専門家としての資格認定(The SEDA Fellowship and Associate Fellowship)、そしてオンラインプログラムやサマープログラムなどを提供している。イギリスでは高等教育政策が大学運営に与える影響が大きいため、ロビー活動も行っている。
第一四回大会はバーミンガムのアストン大学において、11月17、18日に開催された。テーマは「Changing Educational Development: New Ideas, New Approaches,New Contexts」で、参加者数は114名(日本からは14名)。PODと比較するとかなり小規模である。ビジネススクールの中にあるコンベンションセンターで、四つの会議室を貸し切って行われた。会場の外にはソファの置かれた談笑スペースが設けられ、期間中はコーヒー、紅茶、ケーキなどが用意されていた。PODと同様、参加者の約7割が女性であった。
初日はまず講演会から始まり、その後、20の個別セッションが終日かけて同時進行で行われた。昼食前には45分のネットワーキングの時間が設けられ、夜には大会主催の夕食会があった。二日目も初めに講演会があり、その後、10の個別セッション、そして再び講演会があり閉会となった。初日同様、昼食の前にネットワーキングの時間が設けられていた。
講演会
講演会にはグロースターシャー大学のパトリシア・ブラッドフット学長、シェフィールド・ハラム大学のコリン・バード博士、そして、全英学生組合(National Union of Students、NUS)のアロン・ポーター副組合長が講演者として招かれていた。それぞれ示唆の多い講演であったが、SEDAが学生の声を代表するNUSからも講演者を招いたことは、彼らがよく口にする「FDの最終的な目的は、学生の大学における経験をより充実したものにすること」という姿勢の表れのように思われた。ポーター氏の講演は、2008年度の学部生による大学評価の結果を利用して、大学に対する学生の要望を明確にする内容であった。
個別セッション
個別セッションは各45分間で、企画者によるセッションの目的の説明、情報提供、グループ・ディスカッション、総括という流れであった。具体的には、「カリキュラム開発支援方法」「相互観察から相互学習へ」「学習を促進する学習空間づくり」「学びを中心としたICT活用方法」「コーチング手法を取り入れた学生のキャリア開発支援」といったタイトルで提供された。
大きな特徴の一つに、学習に関するものが多いことが挙げられる。これは、イギリスのFDが、学生の学びに関する研究や取組を中心に発展してきたことに起因すると思われる。二つめの特徴は、具体的な実践の事例について話し合うのではなく、実践に必要な枠組や概念について話し合うことを目的としたセッションが多いことだった。
私が出席をした「Academic Development‘at the edge of chaos’? what does it look, feel and sound like?」は、音楽や絵、写真を使ってFDの意義について語るセッションだった。部屋に入るとジャズが流れており、開始時間になると、企画者は参加者にしばらく音楽を聴くように促した。しばらくして企画者は音楽を止め、「あなたのFDに関する体験を音楽や絵で伝えるとしたら、どのような比喩を使うかを考え、それを二〜三人のグループで共有してください」と言った。「旅をしながら地図を作っている」「蜘蛛のように巣をはっている」といった比喩が出され、次にその比喩が何を意味しているのか話し合った。その後も、企画者が配布した写真や絵などを利用しつつ、FDについて語り合った。
具体例を使ってFDに関する話し合いをするのではなく、比喩を利用することは、それぞれの経験をより感覚的に共有できるという利点があるだろう。しかしながら、参加者の中にはこういったアプローチを好まない人もいたようだ。ちなみに企画者は同様の手法を使って、学生の学びについて考えるワークショップを大学で実践しているそうだ。
私見
SEDAの年次大会は114名という小規模だったこと、参加者の関心が教授と学習に集中していることなどから、PODと比較すると、より一つにまとまっている印象が持たれた。そんな雰囲気を裏付けるように、彼らはSEDAを「家族」という言葉を使って語り、またSEDAがメンバーに「Comfort」(意味:慰め、楽しみ、ほっとした気持ち、力づけられること)を与える存在であると述べていた。「なぜComfortという言葉を使ったのか、どう解釈すべきなのか」については明確ではないものの、様々なプレッシャーの中で仕事をしているのであろうメンバーにとって、SEDAのメンバーと集まることは、家族のもとに戻るようなイメージなのかもしれない。また、前述のように、イギリスの大学は高等教育政策の影響を大きく受けている。従って、個別セッションの議論や、他の参加者たちとの個別の会話の中でも「政策をどう評価し、どのように対応をするのか」という視点は常に存在していた。政策がFD活動のある程度の方向性を決めてしまっているがゆえに、議論の幅を広げるためには、実践の事例ではなく概念レベルで話をする必要があるのかもしれない。
まとめ
PODとSEDA双方において指摘されたのは、「日本から多くのFD担当者が参加してくれることは歓迎しているが、色々な国でのFDネットワークのあり方を学んでもらい、良いところを取り入れて、日本にあった全国レベルのFDネットワークを構築することが好ましい」ということであった。それぞれの国において大学がおかれている状況は異なり、課題も異なっている。FDに対するアプローチも違えば、FD担当者という職務の認識も違っている。従って、日本においても、日本の現状を反映し、日本のFD担当者が必要とするネットワークを構築する必要があるだろう。その上で、PODやSEDAなど海外のネットワークに参加し、交流を持つことが望ましいといえる。
今後、全国レベルのFD担当者のネットワークを構築する場合、次の準備作業を行う必要がある。まず、すでにある地域別、大学機関別などのネットワークやコンソーシアムのあり方を調査し、日本に適した全国レベルのネットワークとはどのような形式なのかを検討する。同時に、FD担当者のニーズや職務に対する意識などを調査し、どのような支援が必要なのかを明確にする。また、既存のネットワークとの関係をどのようなものにし、「全国レベルだからできることはなにか」を議論した上で、ネットワークの発足が必要とされるだろう。
更に言えば、発足後も必要であれば変化するという、自己反省的な意識を持ったネットワークであることが望まれる。オバマ大統領のスローガンである「Change」の影響なのかもしれないが、偶然にもPODもSEDAも年次大会テーマに「Change」を使っている。これは、PODもSEDAも変化をしながら、時代にあったFDを提供し続けていこうとする意思を示している、と考えるのは深読みだろうか。(おわり)