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平成21年11月 第2382号(11月25日)

キャリアデザインの時代 終
  入学前から卒業後まで
  キャリア支援は大学革新の道具である

法政大学経営学部教授
日本キャリアデザイン学会会長 川喜多 喬

 入学時からの「就職活動」を
 大学四年間を就職活動だけで塗りつぶせと言うのではない。しかし就職活動で学生は大変よく育ちうる。自分のことを考え、産業や企業のことを勉強し、世間のことを調べ、あちこち歩き回って調査の“まねごと”をし、礼儀作法とグループ討論を覚え、人に相談し仲間と話し合うことを知る。
 職業キャリアを意識して入学してくる学部もある。医学部、薬学部、教育学部などだ。しかし例えば、経営学部を選ぶ者が経営者を目指しているわけではなく、法学部を受験する者のほとんどが法曹界を知っているわけではない。三年生後半に初めて職業を意識する。言い換えれば入学後三年半は、ほとんど職業を考えずに過ごすのである。あわてて就活に走っても、それなりに成長するが、時間は短すぎる。入学後直ちに職業人生を学生に考えさせる多様な機会を大学は用意すべきである。就職難になって初めて反省して始めた。それがまず恥ずかしい。
 正課の中でも学生の人生応援の姿勢を示せ
 卒業後、こういう進路が待っている…と書いてあるのは入学勧誘のパンフレットだけ。入学してしまえば、ほとんどの授業が、卒業後の進路とどういう関係があるのかわからせないままに進行する。職業資格に関わる科目は別であるが、多くの職業の要件には、もとより学部学科さらに特定科目の受講修了はない。企業もほとんどの場合学校の専門は無視して「人物本位」と言う。かくして大学は卒業をするだけでよく、学生は楽な科目だけを取る。
 それを改むるに教員こそが、この科目は君の人生にかくかくしかじかと関わるときちんと説明し、納得させることができるなら、おそらく、たとえ一部であっても、学生の姿勢は変わる。全ての科目の全ての時間で就職対策をやれと言うのでは勿論ない。しかし、教員が学生の職業さらには人生の支援は就職部でやれ、キャリアセンターでやれ、せいぜいキャリア教育科目でやれ、俺は知らん、という姿勢の大学が多すぎないか。
 キャリア支援には全教職員で当たれ
 キャリアセンターなどの機能が充実してくること、キャリア教育科目がしっかりしてくることは良いことだ。しかし教員が、それをいいことにキャリア支援は職員がやればいい、少なくとも一部の教員がやればいい、キャリア教育科目があるからそれだけでいい、と思いだせばかえって大問題だ。まして、正課を学生に魅力的にすることに気配りせず、学生からの授業評価も毛嫌いし、黙って授業を聞け、学生からも同僚からも世間からも批判は受けぬという「生産者主権」の姿勢が、正課と職業世界の差を甚だしくしている。
 多くの職業では「お客様主権」でなければ食っていけなくなっている。客は無知だ、黙って買え、と行動しては民間企業は潰れるし、公的機関だって潰される。理不尽な客に土下座して商売をしろというのではないが、教職員が大学を良い意味でのビジネスだと考え、立派な職業人の「キャリアモデル」「役割モデル」になれば、学生はそれに感化される。就職委員会などに教員が参加しても形だけ、学生支援に当たる職員が教員の無理解に嘆く、そういう大学が普通であることは悲しいことだ。
 キャリア支援のプロフェッショナルとの正しい連携
 キャリアセンターなどの職員はキャリア支援プロフェッショナルであれ。そういう人材になるように大学は教育訓練の投資を職員にせよ。基礎技能としてカウンセリング、知識面では産業、職業の将来について、経済学部や経営学部の教授顔負けの勉強をすべきである。経済経営系の教員は学部学科を超えてキャリア支援のための講座を開設すべきだし、その他多くの科目の教員が―「看板に偽りあり」でなければ―学生のキャリア支援に関わってその専門知識を役立たせることができるはず。さすれば学生が大学を見捨てて就職支援業者のサイトやセミナーに頼りっきりになることがなくなる。教職員にプロがいないからとキャリア教育科目はおろか就職支援まで業者に丸投げして済ませることはなくなる。
 キャリア支援を掲げる民間業者を攻撃して言うのではない。人材支援ビジネスも、もちろん職業指導と能力開発に関わる公的機関も今後の日本の労働市場を考えれば成長してもらわねば困る。ただ「丸投げ」はよせ、と言っているのである。大学側にもプロフェショナルを育て、きちんと議論して良い分業をせよと言っているのである。
 卒業生も、広く社会人も支援せよ
 無事大学から出て行ってくれれば万々歳という関わりでは、大学のキャリア支援は「就職支援」に留まる。その先、どうなったかをこそ問わねばならない。大学の理念には社会人としての活躍を謳いながら学生との関わりは学生である間だけ、という大学が多すぎないか。どこかへ押し込んでしまえば万々歳であってはならないはず。卒業後の良き人生は大学のおかげと考えてくれれば大学に笑顔で戻ってくる。無理矢理、寄付のパンフレットを送りつけなくても。変転やむなき労働市場を考えれば卒業生のキャリア支援を勿論考えるべきだ。相談だけでも大したものだ(難しいことだ)。その先を考えれば、社会人の再訓練、広くは生涯職業能力開発の場になれれば18歳人口の減少に苦しむことはなくなる。
 そうなれるためには、とりわけ教員の大改造が必要となる。何にも知らぬ若者ではなく、職業世界を知った大人が自費で通う、その人々に尊敬される教員にならねばならぬからである。社会人向け大学院の様子をみれば絶望したくなる。が、そこにしか多くの大学の未来はない。
 壁を壊し橋をかけて広く連携の輪を
 翻って高校生たちにも大学のキャリア支援の役割がある。例えばオープンキャンパス。やらないより遙かに良い。しかしイベントはイベントであって日常普段の大学の姿ではない。集めた学生は、授業が始まったとたんにガッカリして仲良しクラブに走る。それは高校生の人生応援に失敗していることである。学生を集めるため教員が模擬授業をしに全国に散るが、渋々だそうだ。だが高校生の将来、大学卒業後の職業キャリアの応援団になる姿勢を持てる教員なら、私の授業を聞きに来ないかと高校を回るのが当然。すでに企業人は、私と一緒に働かないかと大学を回る。ただ、その企業人も、うまい話で人を釣るような「採用活動」に終始して貰っては困る。従業員の人生支援とお客様の生活応援とのバランスをからくもとる姿勢を持つ企業人が真摯に対話をする場を作って初めて本物の産学連携が出来る。大学から頼まれて渋々社会人講座を一つ持つのでは困る。
 理想論を言うが、キャリア支援はその活動を通じて、個人(学生も教職員も)も組織も(大学も雇用者も)―青臭い議論のようだが―人生を考える対話を通じて自分を見つめ直し、共に良い方向に変わっていく、そのために格好の道具なのである。

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