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平成21年11月 第2381号(11月18日)

伊能地図復元全国巡回展小百科
  4000万歩

 タイトルの「4000万歩」は、伊能忠敬が15年以上かけて歩いた距離から換算した歩数である。
 「四千万歩」は、伊能忠敬を扱ったテレビドラマや小説のタイトルにも使われている。
 TVドラマは、「四千万歩の男・伊能忠敬 人生ふた山、55歳の挑戦 妻が支えた日本地図作り」(NHK、〇一年)。小説は、井上ひさしの『四千万歩の男』(講談社、92年)
 4000万歩の第一歩は、1800年、江戸を出発した。忠敬、55歳。
 一歩の計りかた、つまり測量の方法は、歩幅が一定になるように訓練し、数人で歩いて歩数の平均値を出し、距離を計算する。
 忠敬の測量は、測量隊を組織して行った。雨、風、雪をものともせず、危険な場所でも勇敢に入り込んで調査を行った。
 昼は測量、夜は宿で天体観測し、両者を比較しながら誤差を修正、各数値の集計作業に追われた。徹夜する? 受験勉強に似ている。
 忠敬は三年かけて東日本の測量を終え江戸に戻る。本来の目的だった地球の大きさの計算に取り組む。オランダの最新天文学書と照合すると、調べた約4万キロと数値が一致した。
 半年後、11代将軍、徳川家斉に東日本の地図を披露。忠敬には「続けて九州、四国を含めた西日本の地図を作成せよ」という幕命が下った。
 1805年、忠敬60歳のとき、再び江戸を出発。だが、西日本の測量は、体力が衰え始めた忠敬には過酷だった。三年で終わるはずが、九州は手付かず。
 やっと九州に入った忠敬が娘に出した手紙には〈(10年も歩き続け)歯は殆ど抜け落ち一本になってしまった。もう奈良漬も食べることが出来ない〉
 1815年2月19日、最終測量地点の東京・八丁堀に到着。忠敬はすべての測量を終えた。忠敬、70歳。
 歩いた期間は15年以上。距離は4万キロ、4000万歩、地球を一周した。

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