平成21年10月 第2378号(10月28日)
■高めよ 深めよ 大学広報力〈49〉 こうやって変革した46
女子大初の法学部新設
短大は募集停止改革で特色を鮮明に
京都女子大学
大学のランキングで、専門教育の充実度など学生の満足度や就職率などが常に上位にあり、現状維持でいいのではないか、と思うような大学もある。しかし、現代(いま)、そうした時代ではなくなった。共学化志向の高まり、少子化、共学大学の女子大の専門分野への進出といった荒波に直面して改革を余儀なくされている女子大も多い。京都女子大学(川本重雄学長、京都市東山区)は、女子大として初めての法学部を設置するという大改革に乗り出す。ブランド力、偏差値とも変動なく高く、京都にある名門女子大として各界に多くの人材を輩出してきた。大学ランキングの各分野で常に上位にある京都女子大の現状とヌーベルバークのような改革を取材した。
(文中敬称略)
少子化や共学志向女子大にも変革の波
京都女子大学のキャンパスは、東山七条という京都の街の中心地にあるが、大学の背後の山陵や通学路などは緑豊か、閑静な環境の中にある。近くには、三十三間堂、清水寺、妙法院、京都国立博物館、といった千年を超える古都の歴史がある。
入試・広報担当の総務部次長の吉川大栄が話す。「校舎から見る清水寺や東福寺の紅葉は見事なものです。遠隔地のガイダンスで出会った高校生に『京都で清水寺に行ったことは?』と尋ねると、ほとんどの場合『ハイ』と答えるので、うちの大学は、清水寺まで10分で行けます、と言うと目を輝かせます」
学生は、「京都というロケーションもあって」(吉川)、全国各地から集まる。近畿圏が約55%。残り四五%が近畿圏外で香川、岡山、静岡、石川県などが多いという。キャンパス内に五つの学生寮があるのも特長だ。
「約800人の学生が寮生活をエンジョイしています。共同生活で、寮費も月々にすると約16,000円と安く経済的で安全な大学生活を送っています。休みの日には自転車で京都中を回っている学生も結構います」(吉川)
大学の略称は京女(きょうじょ)。創設は1899年、甲斐和里子が松田甚左衛門の助力を得て設立した私塾にさかのぼる。以来、仏教精神に根ざした建学の理念のもと、女性の地位向上と教育に力を注いできた。
京都女子大の歴史を見つめつづけてきた「錦華殿」と呼ばれる洋館がある。明治31年、西本願寺第22代門主・大谷光瑞師と籌子裏方の新居として建設。籌子裏方は、光瑞門主の妹、九條武子と、この錦華殿で女子大学設立構想をふくらませ、実現に向けての活動をはじめた。
1910年、私塾は統合により京都高等女学校となり、西本願寺が運営するようになる。1920年、京都女子高等専門学校が開学。籌子裏方、武子本部長、和里子女史の努力と情熱が実を結んだ。1944年、京都女子専門学校と改称、1949年、文学部・家政学部からなる新制京都女子大学となった。
錦華殿は1920年に現キャンパスに移築、多くの在学生に愛されてきたが、1981年、老朽化のため解体。同窓生らの熱意により、2000年に再建(復元)された。
ここを案内してもらった。「解体時に保存した手すりや装飾部材などを再利用し、カーテン、天井クロスなどは、原型に近い風合いと色彩を再現した」(吉川)建物に大学の歴史を感じた。
京都女子大の卒業生は、キラ星のごとく著名人が並ぶ。土井たか子・前社民党衆院議員、小説家では、山崎豊子、新進作家の幸田真音、歌人の河野裕子、俳句の夏井いつき。芸能関係では、南かおりら、中村玉緒は付属高校出身。
土井たか子は、旧制京都女子専門学校支那語科卒。同志社大学での講演「平和主義と憲法九条」に感動、同志社大学法学部に編入学、専攻は憲法学。山崎豊子は、京都女子大国文科卒。毎日新聞に入社、勤務のかたわら小説を書きはじめ、映画化された「沈まぬ太陽」やテレビ化の「不毛地帯」などの作品で知られる。
2000年、現代社会学部を設置。04年、文学部教育学科・家政学部児童学科を改組し、発達教育学部を設置。現在、文学部、発達教育学部、家政学部、現代社会学部の四学部に5400人の学生が学ぶ。
吉川が「私が言うのも変ですが、うちの学生は、とにかく、よく勉強します」と話すように、多くのパソコンが設置された教室では、授業でもないのに多くの学生が学内ネットワークで学習していた。
また、文部科学省の推進する「京都環境ナノクラスター事業」(事業費33億円)に京大などとともに参画、京都女子大は、琵琶湖の魚など食環境を脅かす有害物質を検出するシステムの研究開発に取組んでいる。
2011年、日本の女子大学で初の法学部を設置する。吉川が説明する。
「日本の女子大学をリードする存在をめざして設置を決めました。裁判員制度や女性の社会進出を背景に、法的素養を身につけた女性スペシャリストと社会の変革に貢献する女性リーダーの養成などが目標です。定員は一学年100人と少人数ですが、『ぬくもりのある法教育』を目指しています」
いま、なぜ「法学部」設置なのか。吉川が続けた。
「18歳人口の減少による志願者の減、受験生の間に共学志向が強まっているという背景があります。さらに、私ども女子大が得意としてきた幼児教育や初等教育分野に共学の大学が進出してきていることなどがあげられます」
また、短期大学部が来年春の入学を最後に学生の募集を停止する。1950年の開学以来、60年にわたり6万5000人の卒業生を送り出してきた。「四年制と短大と二つ持っていると力が分散する。一つに集め、カリキュラム、就職支援などを強化したい」という狙いがある。
こうした大改革を行う前にも、改革は実施してきている。英文学科は、2010年4月から、カリキュラムを一新する。@コミュニケーション系の授業を豊富に展開、A将来が見えるキャリア科目を新設、B多彩な科目群と卒業研究、C独自の半期留学プログラムの四本柱。
「東京の大学と異なるのは市場が違うということです。東京から見れば地方の大学です。改革をしないと、女子大の特色が薄まります。偏差値は安定していても取り巻く環境は厳しくなるばかりです。他の学部学科でも、社会から求められる能力養成のためのカリキュラム改革などを行っています」(吉川)
大学改革に伴う広報活動についても聞いた。「広報活動やHPでは目下、法学部新設と英文学科の改革の訴求に必死です」(吉川)としながらも、こう語る。
「志願者減はうちも例外ではありません。本学志向の高い人に入学してもらうのが主眼です。調査では、大学選びは『自分に近い人からの紹介』というのが多い。ウェブサイトやクチコミ、先生や保護者、さらに卒業生に向けての情報発信を今後、強化していきたい」
同大のウェブサイト「京女倶楽部」は受験生に特化したサイトとして人気だ。「受験生が、この時期には、こんな情報が欲しい、というのを在学生の体験から察知して、月一回、更新しています。このあたりが人気の素のようです」
最後に、「受験生が増えても歩留まりが悪ければ意味がありません。受験生が合格したあとの広報を考えています。地方からの入学生は不安があるでしょうからウェブを使って安心する情報を発信するとか。大学への信頼感を持ってもらいたいのです」。学部学科の改革と共に広報面でも改革が着実に進む。