平成21年7月 第2366号(7月8日)
■教育工学とFD <1>
日本の大学教育改善へ
私とFDの関わり ― 上 ―
昨年末に中教審「学士課程教育の構築に向けて」が答申され、学部レベルでのファカルティ・ディベロップメント(FD)が昨年4月に義務化された。こうした一連の流れの根底では、「学習者中心」の大学への転換が求められており、特に教育から学習への改革には教育工学の知識・スキルが必須になろう。このたびは、「教育工学とFD」と題して、先進事例を中心に数名の教育工学専門家から見たFDについて寄稿してもらった。
この連載を、本紙の編集部から依頼されて、これは重要な企画だと直感した。依頼されたのは、本年6月以前なので、私が日本教育工学会の会長であったことから、学会として引き受けたいと思った。それで、学会員の何名かが分担して、執筆することを了解していただいた。本稿は、その第一回であるので、大学教育改善への提言というよりも、個人的なFDとの関わりについて述べることを、お許しいただきたい。
私とFDの関わりには、ささやかな歴史がある。私が、1994年にカリフォルニア大学アーバイン校に在外研究で滞在したとき、大学院の授業に出たことがきっかけであった。大学院の授業に参加して、恥ずかしながら英語能力不足のために学生の討論についていけなかった。若い時に留学経験のない私にとって、それはハンマーで頭を殴られたような疲労感があった。さらに、私は6名の大学院生を相手に、毎週ゼミを行ったから、彼らの猛烈な早口の英語についていけるはずもなく、苦闘のゼミだった思い出がある。それでも不思議になんとかゼミらしい雰囲気が出てきて、彼らが私の研究を吸収しようとする姿が読み取れた。そこでは研究内容が主役で、英語は脇役であることを、再認識させられた。そして、私がそこで学んだのは、ゼミや授業のスタイルや、学生の学ぶ態度や意識などであった。大学院生は、私の持参した論文を読んできて、ゼミでは教えるよりも、討論が中心であった。論文だけではなく、参考文献までも読んできて、自分の考えを述べ、相手の考えにぶつけ、さらに自分たちの考えを深めていくという、まるで相撲部屋のぶつかり稽古のような時間であった。
授業への参加からも、多くのことを学んだ。何故授業に参加したのかと疑問を持たれる読者もおられるだろうが、私の研究が教育工学であることも関係している。教育工学の中心的なテーマは、インストラクショナルデザインであり、文字通り、いかに授業や教育を効果的に設計するのか、その設計・実施・評価・改善の枠組みで、研究を行うからであり、その意味で、実践に関わることは、研究活動の一面でもある。そこで、知っている先生に頼んで、授業に参加した。「マルチメディアと教育」の授業であったが、それは、ある意味で、カルチャーショックであった。その先生は、14回分の授業をすべて録画しており、私は研究交流ということで、その録画テープをいただいた。それは文字通り貴重な得難い資料であった。何故なら、個人情報や肖像権の厳しい北米で、よほどのことがない限り、学生が映っている映像を入手することは、不可能だからである。その先生が録画している理由は、授業研究のためではなく、欠席した学生が見るためである。生涯学習の中で、どうしても仕事の関係で、休まざるを得ない日もあるが、その学生がいつでも見られるように、教材と共に、資料室にすべて保管してある。学生達の了解を得てもらったテープは、宝のような授業記録の映像で、それが、大学授業改善に関わるきっかけになった。
帰国してから、日本の大学の授業改善をしなくてはという思いが強まり、私の懇意な大学教員20名程度に呼びかけ、日頃の実践を執筆してもらい、有斐閣から、「ケースブック大学授業の技法」(1997年)として刊行した。63事例が記載された。
さらに、科研費の助成を受け、大学授業改善事例データベースを、2003年に開発した。そのデータベースは、私の研究室のWEBに掲載したが、残念ながら、私が東京工業大学から、今年の4月に白鴎大学教育学部に異動した時点で、削除した。そこでは、大学授業技法の体系化を目指した。多くの大学で多くの実践事例があるが、体系化されているとは言い難いので、理論的にもまとめる研究を目指したが、完成には至らなかった。
2005年の夏、東京工業大学の私の研究室恒例の夏合宿があった。英語の論文や単行本を輪講で読破する合宿で、このときは、CAT(Classroom Assessment Techniques)の本で、理論的であり、かつ実践的な内容であった。表題にあるように、教室における学生の理解の仕方、レベル、学習意欲などを評価するハンドブックであったが、先に述べた、科研費を受けた大学授業技法の体系化の目指す方向と一致していた。どうしても日本の大学授業の実状にあった授業技法を出版したいと思うようになり、私の研究室を卒業して東京近郊の大学の教員になっている研究室OBなどに呼びかけ、日本の大学授業の技法を50にまとめた。幸いにもアルク教育社から、「授業を効果的にする50の技法―FD研修の時代に向けて」(2007年)として刊行できた。この時知ったことは、大学授業の改善は、誰もが苦労し、誰もが工夫し、誰もが他人に語って聞かせたい実践を持っているということであった。アルク教育社の担当者が「映像があるといいですが」というヒントに従って、50の技法すべてに映像を付け加えた。しかし、きわめて労力の大きい仕事であることは言うまでもない。肖像権の問題があって、他人には頼めない。私の研究室に所属する学生に依頼したら、喜んで協力してくれた。東京工業大学のスタジオで、模擬授業を行って録画したのであるが、学生達がまるで本物の授業のようにふるまって、見ても飽きがこなかった。
一方、文部科学省から、教員研修の在り方を研究する委嘱研究の公募があり、応募した。小学校から大学まで、授業技法は、今日的な教育課題であることは間違いない。幸いにも採択されて、50の技法を教員研修として位置づける研究を行った。私が関わっている教育センターの協力を得て、映像と解説書と併用して、50の技法を活用する教員研修の研究を行った。「いつでも、どこでも」研修できるシステムとして、iPod(アップル社)に実装して、評価をした。数十名の先生方に評価してもらうと、長所と共に、いくつかの問題点が出てきた。「いつでも、どこでも」は、確かに教員研修システムとして優れたアイディアであったが、実際には、電車の中で、映像を見ながら授業技法を学ぶことは、容易ではないこと、情報提示の工夫など、いくつかの課題が出てきた。
さらに、私が日本教育工学会の理事会で、学会としてFD研修会を開催しないかと、提案した。それは、ほぼ毎年3月の下旬に京都大学で開催される「大学教育研究フォーラム」に参加していたからである。そのフォーラムは毎年盛況で、日頃の授業で当面している問題意識が、参加者の誰にもあった。そして、議論も面白かった。日本教育工学会は、インストラクショナルデザインという授業改善を重要な研究テーマとして掲げている学会である。学会が、認定証を出すという案も了解されて、今年の3月に実施された。詳細は、本紙にて担当した先生から報告されると思うが、それは学会活動としても、重要であった。
以上のように、私とFDには、忘れられない思い出があり、ささやかであるが、大切にしたい分野である。初回ということで、エピソードとして書いたことを、お許しいただきたい。次回は、別の角度から、述べたいと思う。
〈つづく〉