平成21年6月 第2361号(6月3日)
■高めよ 深めよ 大学広報力 〈33〉
こうやって変革した30
和歌山大学
改革は観光学部設置
最大のオンリーワン戦略
国立大学と私立大学の境界線が少しずつなくなってきたようにみえる。大学改革においても顕著である。2004年4月、国立大学が国立大学法人となったのが契機だが、国立大学法人のいわゆる私立大学化が目立ってきた。和歌山大学(小田 章学長、和歌山市)が設置した観光学部も、そうした流れの中のひとつ。観光学部の設置は国立大学法人として初めて。私立大学がやりそうなことをやりだした、いや、かつての国立大学ならやらなかった。小田学長は5月11、12日の両日、東京で開かれた「大学広報セミナー」(FCG総研の主催)で「和歌山大学最大のオンリーワン戦略は観光学部の設置」という基調講演を行った。国立大学法人のトップ自らが生き残りを話した。これも私立大学化のひとつかもしれない。このセミナーの合間に小田学長に、観光学部設置や大学広報、大学の生き残りなどを聞いた。(文中敬称略)
私大化進む国立大学法人
学長の小田は04年の国立大学法人化を、同大HPの学長メッセージで、こう述べている。
「新制大学誕生以来の大きな出来事で、日本の高等教育の将来を左右する程の重要さを持った制度改革。これで純粋な国立大学がなくなることになる。私は、法人化移行を厳粛に受け止め、今まで以上に社会から高い評価を得られる大学に変貌せねばならないと肝銘している」
和歌山大学は、和歌山師範学校、和歌山高等商業学校を源流に、戦前から多くの教員および経済人を送り出してきた。1949年、学芸学部(のちに教育学部に改称)と経済学部の二学部の新制大学として発足した。
95年に第三の学部としてシステム工学部を設置、2008年に観光学部を設置、幅広い人材の教育を担う総合大学になった。現在、4学部に4145人の学生(うち留学生48人)が学んでいる。
かつて、評論家の大宅壮一は地方の国立大学を「駅弁大学」と述べ、流行語にもなった。和歌山大学も国立の新制大学としてスタート。国立大学法人も大学全入、少子化時代を迎えて私立大学同様、生き残りに懸命である。
小田は、「これからの大学の生き残り」を、さきの「大学広報セミナー」で、こう語った。「生き残りは、単に存在するだけではなく、社会がその存在感およびその必要性を認知し、多くの受験生が目指したいと思う大学になることをいう。国立、公立、私立では異なることを認識すべきである」
新しい『観光学』創造
さて、観光学部は、まず、07年に既存の経済学部に観光学科を設け、翌年に学部に格上げするという二段階方式を取った。小田が観光学部設置のねらいを語る。
「和歌山は、04年の世界遺産登録をきっかけに、国内外からの観光客が増加している。観光業のノウハウを教えるところはありますが、観光の基礎研究は日本では遅れている。観光産業・行政の現場と密接に連携した新しい『観光学』を創造していきたい」
観光学部には観光経営学科と地域再生学科を設けた。具体的に、どういう教育をするのですか?
小田が答えた。
「観光経営学科では観光産業の経営や集客交流のマーケティングを中心に、地域再生学科では観光振興によるまちづくり・地域再生に重きを置いたカリキュラムを組みました。いずれも、観光産業や地域振興を担う、優れた人材を育成するのがねらいです」
卒業したら、どういう仕事に就くのですか?
「新たな観光ビジネスを斬新な構想で企画し、その実現をめざす観光プロデューサーや観光資源の開発や観光行政、観光事業の発展を担う地域プランナーを育てます。進路は、行政、観光・旅行産業や国際機関・企業、ベンチャー企業等、あらゆる可能性があります」
この観光学部の初年度入試では、定員110人に対して533人の応募があった。入学者も30都道府県に及んだ。「大学経営の立場からも、オンリーワンの観光学部開設は有利と判断した」(小田)と目論み通りというニュアンスだった。
和歌山大の自慢というか目玉は、観光学部だけではない。01年に設置した「クリエ」の愛称で呼ばれる学生自主創造科学センターもそのひとつ。学生の自主的な教育活動を支援するためのセンター。
クリエの活動の「紀ノ川流域をフィールドとする自主演習〜地域のシニアアドバイザーと学生のコラボレーションによる地域の活性化〜」が、平成19年度の文科省の現代GPに採択された。クリエでは07年度の特色GPに続いて二つ目のGP採択。
「紀ノ川学」の確立
小田が説明する。「今度の取り組みでは、地域の方をシニアアドバイザーに登録し、学生の自主的な活動である自主演習を教員と共に指導してもらいます。『紀ノ川学』をさらに充実させることで、幅広い教養を持ち、多角的に物事を捉えることができる社会性豊かな人材をキャンパスから地域に送り出したい」
これは、小田が大学の役割として教育、研究と並んであげる社会貢献のひとつである。歴史的に重要な役割を担った地域でありながら、経済的に停滞が見られる地域の活性化。「紀ノ川学」の確立は、今後、それに役立つものと期待される。
みてきたように、同大は、さまざまな改革を行ってきた。大学広報の面でも同様である。「外部への情報発信は学長が責任持って行うべき。学長は大学の顔なんです」と小田の話すトーンが高くなった。
「大学広報は、金をかけずに、いかに大学の知名度アップを計るか、がポイントです。学長による定例記者会見を年間10回行っています。良い情報も悪い情報も全て提供しないといけません。そうしないと、マスコミとの信頼関係が生れません」
金かけず知名度アップ
学長記者会見には地元メディアを中心に多いときは16社、平均10社が出席。メディアへの掲載は毎年500件前後。「新聞では県版が多いが、ニュースによって西日本版や全国版に載ることもある。観光学部は全国区ニュースでした」(小田)
最後に、国立、公立、私立の各大学の生き残りについて「私見だが…」と、次のように語った。
「国立では、旧帝大は残るだろうが、20から30の大学が再編の対象になる。地元に卒業生もおり統合には大変な力業が必要だ。強大、強力な連携という形になるのではないか。
公立は既に地元の国立大との合併統合に入っている。公立大は、同一県内統合というスタイルでなく県外の国立や私立との併合もあるかもしれない。
私立は、弱肉強食の時代に入った。力のある大学は、横の連携より、自分の思うように出来る縦の統合を望んでいる。統合再編は、先の上智大と聖母大のようなケースが今後とも起こる。新たな枠組みづくりは必至で、国公立と組むところも出てくる。いずれ、大学の数はいまの半分以下になるのではないか」
国立大学法人の学長として、あまり言わないこと、言いにくいことも小田は何の衒いもなく言ってしまう。覚悟がある、といっていいかもしれない。そして、「有利と判断」すれば、あらゆる手段を使って実現してしまう行動力もある。
観光学部設置では、地元の政治家の応援を頼んだりもした。国立大学法人の学長にしては型破りだ。これも私立大学化のひとつ、と捉えれば納得がいく。私立大学は国立大学法人を敵視するだけでなく、これからは、彼らから学び取るところは奪い取っていくぐらいの覚悟と行動力が必要ではないのだろうか。