平成21年6月 第2361号(6月3日)
■金沢工業大学
“教育力”の秘訣ここにあり
穴水湾自然学苑で磨く規律と”チームワーク”
「学生の時は何でこんなことするんだ、と思っていたが、社会人になって、初めてその良さが分かった」とは、ある金沢工業大学OBの言葉である。「こんなこと」とは、同大学が開学以来実施している「人間と自然T」という科目の授業。黒田壽二同大学学園長・総長も、「参加した学生は見違えるほどに変わる」と胸を張る。平たく言えば、入学1か月目に、石川県能登半島の中ほど、穴水湾にある自然学苑で行なわれる宿泊型の授業である。必修なので全員参加。同じ学科の学生と3日間、寝食をともにしながらチームを組んで課題をこなす。ここまで聞けば、「単なるフレッシュマンセミナーでしょ。うちでもやってるよ」と考える読者もいるだろう。何がそんなに凄いのか。去る5月7日から9日にかけて同行取材した。その特徴を5つに分けて解説する。
●大学戦略の一部
科目「人間と自然」は、建学の精神の一つ「人間形成」を具現化する場として、1年生から3年生までの3年間、毎年実施されており、大学教育の中核に位置づけられている。
1科目のために施設を丸々抱えるとは、ずいぶんとコストも掛かるのでは、とも感じるが、「人間形成」という使命を担うべく、1学年あたり学科ごとに15回にわけて実施。3学年あるから、年に45回ほど施設を利用する。更に新任教職員向けの研修、高等専門学校生向けの科目も実施するので、実質、1年を通してフル稼働なのである。
また、扇が丘キャンパスから、毎回3名の職員も「指導員」として派遣される。中には、あまり学生と接する機会のない部署の職員もいるから、「普段聞けない生の声」を聞いて、仕事に反映させる機会でもある。
単なるフレッシュマンセミナーではない。様々な意図が有機的に絡み機能している。
●専任教員が教える規律
「叱るときは愛情を持って叱る。誉める時はきちんと誉めれば学生の意識は変わる」
こう穏やかに話すのは長谷川政秀学苑長(基礎教育部教授)だ。自然学苑に勤務する3名の専任教員はみな、元海上自衛官のパイロットと船乗りである。「学生は教員の背中を見て育つ」ではないが、時間に厳しく、背筋の伸びた規律正しい先生と過ごしていると、自然と学生の背筋も伸びる。
普段、学生に向かって「駄目なものは駄目だ」と叱りきれないことも多い。学生が騒いでいても、「まあ、仕方がないか」となってしまうこともある。だが、公正・公平な規律を教え通せるか、叱り「きれるか」が重要なのだと思う。
3日間を通じて、入学したての学生たちの浮わついた態度が変わるのは、その誠意が伝わった時だ。実際、すぐにふざける学生も一部いたが、辛抱強く指導することで態度を改める場面があった。決して、タテマエではない教員の真摯な姿勢が、学生の意識改革にも繋がっている。
●チームが基本
3日間で学生に与えられる課題を紹介しよう。
まずは「グループ討議」。3日間をかけて、テーマを選択→ブレーンストーミング→アイデアを整理→発表用にまとめ→発表、という一連のプロセスをチームで行なう。テーマは、教員が用意したものから学生が選択する。今回は、「21世紀の未来を予測する」「自然環境を向上するには」等が選ばれた。
次に2日目の「海洋活動」。これは自然学苑から歩いてすぐの、自然の美しいハーバーで行なわれる。ロープワーク講習、調査研究船「アルタイル」での海域調査のほか、カッター(船舶の遭難時に乗客・乗員の避難に使われる舟艇)に乗って、最終的にはレースでチームごとにタイムを競う。
カッターでは事故防止のため、教員の指導はひときわ厳しくなる。「全然漕げてないぞ!」教員の叱咤激励が飛ぶ。学生はみな必死だ。しかしそのうち、「オマエは深く漕いで。オレは浅く漕ぐから」などチーム内で工夫が話される。何とか優勝しよう。チームが一丸となる瞬間だ。
基本的にはチーム行動なのである。現代の若者は集団生活が苦手というが、自由時間や就寝から朝と夕方の集いまで約10名のチームで過ごすことで、「一人の身勝手な行動が、チーム全体に迷惑をかける」ことを理解していく。一方、「チームで何かを作り上げていくプロセスを体験する」ことも狙いの一つである。
また、チーム内からグループ討議やカッター、部屋の管理等で、それぞれリーダーが選出されるが、この効果も大きい。リーダーという役割を与えられたことにより、「チームに責任を持つ」という自覚が生まれる。
役割により学生が“変わる”瞬間が確かにあった。例えば、グループ討議でブレーンストーミングを行なっているとき。リーダーである学生が、皆からアイデアを引き出し、意見を調整し、メンバーの役割を決め、時間を気にしつつ、まとめあげていた。
そして3日目の発表。これがまた、結構上手なのである。ブレーンストーミングのアイデアがきちんとまとめられており、意外と難しい言葉も知っている。論理的な飛躍は多少あるものの、「いまどきの学生は、役割を与えられるとこうもできるものか!」と驚いた瞬間でもあった。
●仲間づくり
朝6時30分に起床し、頭と身体を散々酷使される。3日目にこの科目の感想を聞くと、「疲れた…」とボソリという学生もいた中で、困難を一緒に乗り越えたという連帯感、つまり、仲間意識もここで芽生える。出来た仲間は一生ものだ。長谷川学苑長も「仲間作りが最も大きな狙いの一つ」と認める。4年間の大学生活で、やはり仲間という存在は頼もしくもあり、卒業後の人生を豊かにしてくれるものだ。そういう仲間とめぐり合って欲しい、とは全ての教職員の願いである。
睡眠が少ない学生も多かったようだ。昼はグッタリしている学生も、夜になるととたんに目が冴えて夜通し語る。これも仲間作りの秘訣といえよう。もっとも、帰りのバスでは、ほとんど爆睡をしていたが…。
●自主性の芽生え
退苑式。カッターを最後まで漕ぎ、グループ討議でも自信を持って発表し終えた学生達には、自信が芽生えているように感じた。自信は、自分から「何かをしてみよう」という自主性へと変わる。周りには仲間がいる。
実際、入苑式では、気の引き締まらない学生も多くいた。寝ている学生。下を向いている学生。反応がない学生。しかし、グループ討議では深く集中しているのが分かったし、カッターでは、これ以上ないという程の真剣さも伝わってきた。そうした経験を通じて、「やれば結果はついてくる」ことを実感したのだろう。
学生の自主性がこの科目の改善に繋がったこともあったと言う。例えば、元々はチームリーダーの選定は教職員側が行なっていたが、学生からの「自分たちで決めさせて欲しい」という発案で学生が自分たちで決定するように変更された。
とはいえ、実はこの科目、在学中は学生からの評判はそれほどよいわけではない。冒頭の金沢工大OBが述べたように、「何故こんなことを」というわけだ。しかし、規律、チームワーク、自主性、どれもが社会に出て求められることである。この科目の意味は社会に出て初めて分かる。金沢工大の教育力の強さの秘訣はここにあるのだ。4年後、社会に出た学生たちに、改めて取材をしてみたいと感じた。
(広報部:小林)