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平成21年2月 第2347号(2月4日)

異質でも"Yes, We Can"

(学)滝川学園(名古屋文理大学)理事長・学長 滝川嘉彦

 心より新春のお慶びを申し上げます。また、このような発言の場を頂戴し感謝申し上げます。
 私は平成十三年に現職に就き、本年度中に満八年を迎えますが、他の丑年の先生方に比べて若輩で、バラク・オバマ氏と同じ一九六一年生まれの四十八歳です。
 これまで縁あって、文科省の「特色ある教育研究支援プログラム」や大学設置・学校法人分科会、大学評価・学位授与機構、短大基準協会などに関わる機会があり、そこでは幾つかの若さゆえの壁にぶつかりました。
 たとえば「教育の質を高め、大学としての水準を満たせ」と「特色ある教育をなせ」という二つの論点です。この二つを両立させることは、大学によってはなかなか困難です。これは、文系、理系という問題を考えるとよく分かります。文系の学生に数学の基礎をしっかり教える、理系の学生に文学基礎論を教える、これらに等しく高度な水準を持たせることは意味の薄いことです。つまり、水準を満たすということと特色を持たせることは必ずしも両立しません。それぞれの大学の特色に従って教育の質と水準が多様になるものと考えます。従って「質の保証」、「効果の測定」を均一の評価基準で測定して良いものでしょうか。学生は多様な特質を持っており、また、学術能力にも多様性があるわけですから、多様なものはむしろ個別大学、あるいは同様な問題を抱える大学の間で協力して解決していくもののように考えます。
 「異質」な教育については論外との意見が仲間内では趨勢を占めています。さらに、この具体的表れとしての「教育内容」「施設・設備」「組織」「教員」などがよく槍玉にあげられます。しかしながら、異質とはいわないまでも、日本学術会議が考えるものとは異なった教育のニーズがあります。日本学術会議の学術常設委員会報告による「日本学術の質向上への提言」などを読んでおりますと、私には、一見つまらないものに見える「異質」なものにこそ「特色」があり未知への質的向上の因子が内包されているのではないかと思うのです。「質の保証」の名の下に、それぞれの学生および大学の持つ特色が否認され同質性をもたらす、あるいは特色ある学生の否認につながるのではないかと危惧するのです。
 名古屋文理大学は前身の短大や専門学校時代を含めると五三年の歴史を有します。多くの四年制大学に比べれば新参であり、二〇〇〇人未満という小規模な大学です。それでも、栄養士・管理栄養士、情報技術者、介護福祉士等の卒業生を三万人ほど輩出しています。そんな学園は昨年五〇年目のチャレンジとして情報文化学部に「組織と社会の信頼関係の構築」を教育研究のテーマとするPR(パブリック・リレーションズ)学科を新設いたしました。名前も中身も異質です。しかし、だからこそ特に人文社会科学系分野における未知への質的向上をめざす教育が期待できると信じ日々奮闘努力しています。

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