平成21年1月 第2345号(1月21日)
■高めよ 深めよ 大学広報力〈18〉
民間の広報担当者招聘 信州大学
マスコミとの連携強化 埼玉大学
こうやって変革した(15)
私大の広報を凌駕せよ!国立大学も広報力強化に本気になってきた。五年前の二〇〇四年に行われた国立大学法人化がひとつの契機となった。法人化に伴い、国立大学は文部科学省の付属機関から独立、いわば企業化した。それまで受験生獲得にはあまり苦労せず、予算も国から出ていたが、それが一変した。少子化、大学全入時代が追い討ちをかけ、ブランド力(広報力につながる)強化が旗印となった。外部から広報経験者を招聘したり、駅に大きな大学の看板を立てたり…“民への傾斜”は私大も顔負けである。信州大学(小宮山淳学長、長野県)と埼玉大学(上井喜彦学長、さいたま市)を訪ね、国立大広報の実態を見てきた。(文中敬称略)
国立大の“反攻”はじまる
信州大学は、人文・教育・経済・理学・医学・工学・農学・繊維の八学部からなる。教員数は約一〇〇〇人、在学生数は約一万一〇〇〇人で、世界各国からの留学生約四〇〇人が学ぶ。キャンパスは松本、長野、上田の各市と南箕輪村と蛸足のようだ。
広報を担当するのは、理事(前工学部長)の野村彰夫。最初に、国立大学法人化に伴い、信州大の広報体制は変わったのかを問うた。
教職員が情報を共有
「教職員が同じ情報を共有できるようになったのが大きい。かつては、予算も運営もしがらみのようなものにしばられていた。組織もシンプルになり、命令系統も一本化され、プロジェクトチームもすぐできる。改革もやりやすくなった」
そして、自身が発行するメールマガジン「週刊信大」のコピーを渡された。法人化と同時に発刊、二二四号とあった。「巻頭言」が“民への傾斜”を象徴しているし、とにかく読ませる。
〈諏訪湖の水がきれいになった〉と書き出し、〈水質改善は成ったが、それによりワカサギが不漁になった〉。中国の諺「水清ければ…」を持ち出し、〈今、大学は中期計画による評価など文科省から「水を清める」施策が登場している〉。
〈これだと「魚」は逃げ失せ、大学が滅んでしまうと心配する〉と続け、〈「お前は悪を容認するのか」と怒られそうだが、物事には、「ゆとり」を失わず、大局を見落とさない「かねあい」が大事だと思う〉と締める。
「『週刊信大』は、大学の動きや役員会の結果などを教職員に知らせています。やわらかく、笑える、そんな情報を心掛けています。巻頭言は、ここまで書くのか、といった批判もありますが、法人化の前では書けなかったのでは…」と野村は笑って言った。
信州大は昨年四月、外部の広報担当者を招聘した。野村が説明する。
「広報はプロでないと駄目だ、と学内を説得しました。公募したところ新聞社、広告代理店などから三〇人が応募、三人に絞ったなかから、この伊藤さんに決めました」。広報・情報室長の伊藤尚人は、地元の広告代理店出身。野村の取材にも同席した。
大学広報誌に広告
伊藤は就任後すぐ、大学のホームページと広報誌の見直しを行い、広報誌に広告を載せた。「学生支援課長も公募で民間から来ていますし、民間出身の教授も二人います。とくに違和感はありません。これまで体験してきたことを生かして信大というブランドを高めていきたい」。伊藤は淡々と語った。
信州大は大学専用テレビチャンネルを持つ。信州大学TV(SUTV)で地元CATVに番組を流す。放送番組の多くは、信州大の学生を主体としたスタッフが制作、編集、送出まで行う。番組審議委員会もある本格的なもの。
「広い視野を持ったメディアリテラシーの修得が本来の目的ですが、SUTVがあるから受験した、という学生もいますし、ここからテレビ関係に就職した者もいる。県民に評判のいい番組もあり、大学広報にも貢献しています」と野村。
昨年十一月、長野県下の七大学と『高等教育コンソーシアム信州』を設立。加盟大学の個性を活かしながら、教育研究資源を有効活用し、学生教育と教育研究の面で地域の発展に貢献することをめざす。昨年六月には二〇一五年までの中期計画『信州大学ビジョン二〇一五』を発表した。
野村が最後に語った。「『信州大学ビジョン二〇一五』には、ステークホルダーを意識した戦略的な広報の推進といったブランド・マネジメントの推進があります。このアクションプランをつくるなど、ますます広報が大事になる」
駅に埼玉大学の看板
埼玉大学の広報体制は、正直なところ、大学紹介のパンフの質と量をみる限り、信州大より遅れている。昨年あたりから本気になったように映った。
埼玉大は、一九七九年、教育学部と文理学部の二学部の小規模大学として開学。現在は五学部(教養、教育、経済、理、工)がある。すべて、さいたま市の大久保キャンパスに集まっている。ここに約七六〇〇人の学部生、一三〇〇人の大学院生が学ぶ。
広報担当は副学長(教育学部教授)の渋谷浩美。昨年四月から、それまで理事が担当していた広報責任者になった。最初に取り組んだのは、地元マスコミとのつながりの強化だった。渋谷が語る。
「新聞社の支局長さんらに集まってもらい学術懇話会を開き、いろんな話をお聞きしました。埼玉大からこれまでアプローチがなかった、と指摘されましたが、これをきっかけに(外部との)風通しが良くなった気がします」
全国紙の埼玉県版には、埼玉大の学生が記者になって記事を書く企画も始まった。別の新聞社からは寄附講座の申し入れがあった。地元FMラジオには、埼玉大の学生が制作に参加する番組ができた。経済紙が主催する「埼玉の経済人の会」には学長か副学長が出席するようになった。
昨年四月から、外へ向けての埼玉大学の“露出”の機会も増えた。大学の看板(パネル)をJRの北浦和、南浦和の駅ホームに設置した。新聞広告も四、五月は一七件、六月以降は平均一〇件数えるなど以前に比べ多くなった。
広報担当が長い総務部広報係長の岡野賢司が振り返る。「〇四年の法人化の前にはカラフルな立派な学内広報誌を作っていましたが、〇五年に休刊となりました。法人化後の学内広報は、ホームページは続けましたが、紙媒体がないという時期が続きました」。“広報の冬の時代”というのは、言いすぎか。
埼玉大は、前身に埼玉師範学校があった関係で教員になる学生が多い。しかし、法人化前後から埼玉県内の私立大学に教員採用試験の合格者数で負けるという時期が続いた。広報の冬の時代と重なり合うのは偶然か。渋谷が説明する。
「先方の大学は、採用試験の模擬試験、面接マナーの講義など教員養成の支援体制が充実していた。うちの教育学部には、“教員にならなくても…”という学生がいたのも事実。法人化後しばらくたって教職支援室を設置するなど支援を強めました」
教員就職率もアップ
それが功を奏したのか、「読売ウィークリー」(〇八・二・十七)の主要56大学就職ランキングの「公務員・教員就職率」で一位になった。底力を発揮し出した。ようやく、冬の時代から抜け出したようだ。
広報面では、出足こそ、信州大に遅れをとったが、一気に巻き返しが始まった。渋谷が弾むように語る。
「ホームページも大事ですが紙媒体も無視できません。学内広報誌は復活させます。県民・地域向けの紙媒体やマスコミ向けのニューズレターを作りたいと思っています。また、外へ向けては、新幹線から見えるところに埼玉大の大きな看板を立てたり、バスをラッピングしたり…そんなことができればいいなあ、と考えています」
埼玉大は今年開学六〇周年。渋谷は六〇周年と広報の役割を終わりに語った。
「今年一年を通して、埼玉大を外へ向けてアピールするようなイベントをやっていきたい。もちろん、学生に対しては愛校心を強く持つような内向けの企画も行いたい。広報の役割はますます大事になる」
取材の最後に信州大、埼玉大の広報責任者は、同じような言葉を述べた。偶然だろうか。国立大は私大に比べて不動産など資産が豊富だ。私大にとって決して侮れない、そう思う。