平成21年1月 第2343号(1月1日)
■学士課程教育とインストラクショナル・デザインの相似性
中央教育審議会から「学士課程教育の構築に向けて」(二十年十二月二十四日、学士課程答申)が答申された。昨年は各大学・学協会でも「学士課程とは何か」を巡り議論が盛んとなった。しかしながら、具体的構築の方法論が見えず、コンセプトの段階で留まっているようにも思える。一方、「インストラクショナル・デザイン(ID)」という考え方がある。社会や学生のニーズを吸い上げ、教育目標を構築した上で、学習者がどのような手順、環境、教材で学習すれば高い学習効果を生み出すことができるかをデザインする手法である。企業内教育やeラーニングの設計でも用いられるが、大学で学士課程教育を構築する手順と相似形と考えられる。本号より数回にわたり、IDの背景や概要、取組事例を取り上げる。第一回は、IDをコアスキルとしたeラーニング・プロフェショナルの養成コースを、日本で初めて設置した熊本大学の大森不二雄学長特別補佐に執筆してもらった。
アメリカを中心として、IT(情報技術)を活用した教育、すなわちeラーニングの開発に威力を発揮している「インストラクショナル・デザイン(ID)」は、元来、eラーニング以前から発展してきた教育一般に適用可能なシステム的アプローチであり、教育の効果・効率・魅力を高める方法論である。本稿は、このID理論が中央教育審議会答申の「学士課程教育」の構築の考え方と相似性を持っており、学士課程教育プログラムの開発にID理論が応用可能であることを示唆するものである。
いきなりIDの解説から始めるのではなく、本学の大学院改革と、その過程でのIDとの出会いについて述べる中で、IDとはいかなるものかを明らかにしていきたい。具体的な教育マネジメントの実践においてこそ、IDの含意がリアリティをもって理解しやすくなると考えるからである。
1. システム的アプローチとは
人材需要に応える質の高い大学・大学院教育を効果的に実施するには、学位課程(教育プログラム)の目標・プロセス・成果を統合する、教育経営への「システム的アプローチ」が不可欠である。その本質は、当該課程(○○大学△△学部××学科)について、入口としてどこの誰を対象とし、出口としてどのような職務・役割を担う人材に育成するため、どのような能力を形成すべく、どのような内容・方法の教育を行うか、という論理的に首尾一貫した全体像、すなわちトータルな「人材養成目的」を可能な限り「見える化」することだ。そして、それに必要な資源・人員を投入・配置し、教育活動を組織化することが必要である。
筆者がこうした教育プログラム開発論の考え方にたどり着いたのは、平成二十年度に本学で実施された「文系大学院再編の構想・計画」に参画し、同志と共に全専攻(様々な学問分野)において、明確な人材養成目的を有する「専門職コース」と「研究コース」を明示的に分節化することで、可能な限り上述の考え方の実現を図ろうとした過程においてであった。
学士課程は大学院に比べると人材養成目的が幅広くなる場合が多いが、基本的な考え方に違いはない。ジェネラリスト(あるいはスペシャリストの卵)の育成を目指すのであれば、涵養すべき汎用的・基礎的スキルに応じた確固たるシステム的アプローチによって目標・プロセス・成果を統合することが不可欠となる。
教育プログラムの目標・プロセス・成果を統合する「戦略ポリシー」としての「人材養成目的」が起点とならなければならない。教育の質保証のすべてはそこから始まる。ディプロマ、カリキュラム、アドミッションの各ポリシーを個別に策定した後に結合を図るなど、もってのほかである。
しかし、現実に多くの大学ではこのようなピースミール・アプローチ(細切れのものを継ぎはぎしていくやり方)ではなかろうか。これには、数多くの評価項目で入口・過程・出口を別個に評価する大学評価のピースミール・アプローチも影響している。
こうした教育プログラム論、すなわち、大学・大学院教育の目標・プロセス・成果を統合し、入口・過程・出口を一体的に捉える「システム的アプローチ」は、後述するようにID理論と相似形をなしている。
2. IDとの出会い
本学での取組に話を戻したい。文系大学院再編に関する初期構想段階(平成十六〜十七年度)と時をほぼ同じくして、eラーニング戦略が急展開を遂げることになった。きっかけは二つあった。一つは、情報基礎教育やICT活用教育を推進しているIT担当教員らから、教育・学生担当理事や筆者ら教育担当側に対し、全学的なeラーニング支援組織づくりの提案があったことである。もう一つは、学長の指示により、筆者を含む学長特別補佐グループにおいて、大学院の東京進出の可能性を検討したことである。両方の動きの接点にあった筆者はリサーチの結果、「IDをコアスキルとするeラーニング・プロフェショナル」を人材養成目的とする大学院は、まだ日本に存在せず、これなら潜在する需要を顕在化し成功するのではないかと考えた。学内での議論を経て、先行きの見えないままeラーニング支援組織を設置するよりも、現実的なインパクトが明確な大学院設置を先行させる方針で進めることになった。
以後は、学長・理事等の意思決定と全学的な協力体制により、短期間のうちに構想・計画から文科省への設置認可申請、設置準備へと進んだ。こうして平成十八年四月、eラーニング・プロフェショナルを養成する日本初の大学院「教授システム学専攻」がスタートしたのである。ちなみに全学的な支援組織は、「eラーニング推進機構」として平成十九年度に実現した。
アメリカやカナダ、アジアでは韓国やシンガポールをはじめ、eラーニング先進国と評価される国々では、教育の効果・効率・魅力を高める方法論としてのIDの普及がeラーニングの量的・質的向上に大きく寄与してきたと言われる。特にアメリカでは、大学院教育において、IDとITを組合せ、さらにマネジメント等を加えたカリキュラムによるeラーニング・プロフェショナルの養成が行われ、輩出された人材が産業界の教育訓練や高等教育等におけるeラーニングの発展に貢献してきている。
ところが、日本の大学では、eラーニングといえば一部教員の個人的な努力による試行錯誤の実践に頼るのみであった。教育効果の高いeラーニングに必要なIDをはじめとする、体系的な知識技能を身に付けたeラーニング・プロフェショナルはほとんど存在しなかったし、今日に至るまで、専門家の養成が大学院教育として組織的に実施されてこなかった。本学でも、全学部・全学生を対象とする情報基礎教育、コンピュータを活用した英語学習、工学教育等においてeラーニングを活用し、一定の成果を上げてきたと自負していたが、体系的な知見を欠いたまま試行錯誤の繰り返しの中で進めてきたのが実情であった。その産物として、IDに近い教育方法論に行き着いていたことに気付いたのである。
我々は、IDを知り、IDが本学のみならず日本の人材養成にとって大きな可能性を持つと確信した。そこで、ID発祥の地、フロリダ州立大学で博士号(教授システム学)を取得した、日本では数少ないIDの専門家や、企業内教育でIDの実践を続けてきた者を新たに仲間として迎え入れた。このIDを中核とし、IT、さらには分業の進んだ米国等と異なる日本の実情に即して、知的財産権(IP)や、インストラクショナル・マネジメント(IM)を加え、これら「4つのI」を総合した教育研究領域として「教授システム学」を構成し、文理融合型の教員組織を整備した。教授システム学を体系的に修得したeラーニング・プロフェショナルを養成し、産業界や教育界等に送り出すための大学院教育の用意を整えたのである。
3. IDとは何か
本専攻の中核をなすIDとは何か。IDは教育一般に対する学問領域であり、本質的には学習効果の高い教授法をシステム論的に設計するものである。教育のプロセスを、入出力とフィードバックを持つシステムとして捉え、いかに効率よく教育効果の高いシステムを構築できるか科学的に究明する。その代表的なモデルは、「分析(Analysis)」、「設計(Design)」、「開発(Development)」、「実施(Implementation)」、「評価(Evaluation)」の五段階から成り、頭文字を取って「ADDIEモデル」と呼ばれる。多くのIDモデルは、これの発展形であり、有名なディックとケアリーのモデルは、IDの流れを次の一〇ステップに分けている(Dick,Carey & Carey 2001)。
【ディックとケアリーのIDモデル】
(1)教育目標の同定
当該教育の修了後に学習者が何ができるようになっているかを定義する。
(2)教育分析の実施
教育目標を達成するために学習者が行うことを分析し、学習開始前に必要となる前提知識・スキル・態度を決定する。
(3)学習者分析とコンテキスト分析
学習者の現在のスキル・好み・態度、学習者がスキルを学ぶ状況、学習者が学んだスキルを使う状況を分析する。
(4)パフォーマンス目標の作成
教育修了後に学習者ができるようになることを具体的に記述する。これは、(2)(3)を経て、(1)を具体化したものと言える。
(5)評価基準の開発
パフォーマンス目標に基づき、目標達成の能力を測定するための評価を開発する。
(6)教授法略の開発
以上の五ステップから得られる情報に基づき、目標達成のための教授方略を同定する。教育実施前の活動、教育内容の提供、学習者の参加、テスト、フォローアップ活動などが含まれる。
(7)教材の開発と選択
教授方略を使って実際に教育を行うため、新しい教材を開発ないし既存の教材を選択する。ここでいう教材は広義のもので、印刷教材のみならずマルチメディア教材やWebページ等あらゆる形態を含む。
(8)形成的評価の設計と実施
以上により教育の案を作成した後、実際に教材を使ってもらうなどして、教育を改善するためのデータを得る評価を行う。
(9)教育の改定
形成的評価のデータを使って学習者が目標を達成する上で経験した困難を特定し、その困難を教育の欠陥に関連付ける。これに基づき、教育を見直し、改定する。見直し・改定の対象は、教材や教授方略にとどまらず、パフォーマンス目標や評価基準にまで及び得る。
(10)総括的評価の設計と実施
教育の実施後に行われる、教育効果に対する総合的な評価であり、当該教育の絶対的又は相対的な価値を評価する。通常は独立した評価担当者が関与する。
以上のIDモデルから、「入口(教育前の能力等)」としてどのような学習者に、「出口(教育目標とその達成度としての教育成果)」として何ができるようになるか、出入口をまず考えてから、「過程」に当たる教育内容・方法を考える、という手順であることが分かる。換言すれば、教師が教えたいことよりも、学習者が学ばなければならないことから発想する。「出入口の明確化はシステム的アプローチで最も重要視されること」(鈴木 2002)である。
以上のように、ID理論は、大学・大学院教育の目標・プロセス・成果を統合し、入口・過程・出口を一体的に捉える前述の教育プログラム論と「相似形」をなしていることが分かる。ID理論が基本的にコース(科目)レベルのアプローチであるのに対し、プログラム(課程)レベルという、ミクロとマクロの違いはある。また、ID理論は、近年の大学改革において謳われる大学院教育の実質化や学士課程教育の構築に通じるものを持っている。
4. IDと大学院教育の実質化
教授システム学専攻における大学院教育の実質化の取組について述べる。
本専攻は、修了者が備えるべき職務遂行能力(コンピテンシー)をWeb上で公表し、教育目標の達成責任を内外に明らかにした。体系的な教育課程の編成に向けて、各科目の先修要件を定めるとともに、各科目の単位取得条件となる課題群を職務遂行能力と直接的関連を持たせて設定するなど、自らの教育課程編成にIDを活用している。いわば出口(修了者像)から遡って課程全体を体系的に設計したのである。
職務遂行能力や教育内容の設定に当たっては、eラーニング業界の求める人材を輩出するため、特定非営利活動法人「日本イーラーニングコンソシアム」と連携し、本専攻修了と同時に同法人の「eラーニング・プロフェショナル資格認定制度」をも取得できるようにしている。教育の質保証のため、教員・授業補助者・教材作成者が一堂に会し教育内容の相互点検等を行うレビュー会を定例化するとともに、集団的討議に基づくガイドラインに沿ったシラバス、明確な成績評価基準等を実現し、FD及び自己点検・評価のメカニズムを教育実施体制の中に内蔵している。
以上の通り、本専攻は、IDの知見を専攻自身の組織的・体系的な取組に応用して、大学院教育の実質化を目指している。人材需要に対応した明確な「人材養成目的」、目的に即した「体系的カリキュラム」、組織的な教育の取組、産学連携等により、教育プログラム総体として「教育の実質化と質保証」を図っている点において、本学の人文社会系大学院改革の先行モデルケースとみなされている。また、再編において、人材養成目的を起点として教育プログラムの目標・プロセス・成果を統合するシステム的アプローチに対し、理論的根拠を与えることにもなった。
平成十九年度末に修士課程の第一期生を送り出し、二十年度には博士課程も設置された。在学者アンケートや「修了者が備えるべきコンピテンシーの充足度に関する自己評価」等に基づく修士課程の二年間の教育成果の検証によれば、本専攻が意図した人材養成目的の明確さ、教育課程の組織的編成、成績評価基準の明示などの大学院教育の実質化の方向性が、学生に伝わり評価されていることが分かっている。
本専攻は、教育プログラムの入口(対象となる学生層)、過程(知識技能、教授・学習法)、出口(労働市場等)が、プログラムの人材養成「目的」に適合し、首尾一貫したロジックで「統合」されている。これは中教審答申「新時代の大学院教育」(十七年九月五日、大学院答申)と大学院設置基準改正で示された大学院教育の実質化の方向性を体現したものと言えよう。
5. 「学士課程答申」のシステム的アプローチ
中教審答申「我が国の高等教育の将来像」(十七年一月二十八日、将来像答申)に基づく昨今の大学改革の中で、大学院答申が大学院教育の実質化を目指すものであるのに対し、答申「学士課程教育の構築に向けて」(学士課程答申)は、旧来の「学部教育」を「学士課程教育」へと転換するものであり、そのいずれもが教育のシステム化を志向している。つまり、ルースに編成された大学・大学院教育を、よりタイトに構造化しようとするものである。
大学という存在は、学生・教員・職員等のアクター(行為主体)がそれぞれの目的を持ち、学内外から提供されるインセンティブに反応しながら活動していくことによって、教育・研究や管理運営等が形成されていく「システム」、ないし、緩やかな編成原理に基づく「組織」である。組織論研究者として著名なカール・E・ワイクが緩やかな組織編成原理をルース・カップリングとして提唱した際、教育機関を分析対象としたことは象徴的である。同時に、大学は、内部に学部等が割拠する剛構造の小組織の集まりでもある。
社会の人材需要や学生の教育ニーズ等に柔軟に感応して教育プログラムを新設したり再編成したりするには、様々な学問分野の教員が協働して組織的な教育活動を行う、もう少しタイトかつ柔構造のシステムへと大学が自己変革を図る必要があるが、これに対しては、緩やかな編成原理に慣れた教員個々人も、剛構造の組織としての自律性を守りたい学部・研究科等も、共に抵抗することになりやすい。
将来像答申が「現在、大学は学部・学科や研究科といった組織に着目した整理がなされている。今後は、教育の充実の観点から、学部・大学院を通じて、学士・修士・博士・専門職学位といった学位を与える課程(プログラム)中心の考え方に再整理していく必要があると考えられる」と指摘した背景には、前述のような大学の組織編成原理の問題がある。また、この指摘を踏まえているとする学士課程答申が、「学部・学科等の縦割りの教学経営が、ともすれば学生本位の教育活動の展開を妨げている実態を是正することが強く求められる」と要求する背景でもある。
学士課程答申は、将来像答申が言及した「ディプロマ・ポリシー」「カリキュラム・ポリシー」「アドミッション・ポリシー」に対応する「学位授与の方針」「教育課程編成・実施の方針」「入学者受入れの方針」の三方針を明確に示すことが、改革の実行に当たり最も重要であるとしている。
筆者は、既に平成十七年三月の時点で、全学的な教育システム開発の課題は、「明確な人材養成目標に基づき、一貫性・統合性を備えたカリキュラム・教授法・評価法による魅力ある教育プログラム、そうしたプログラムにふさわしい入学者の資質の確保、確かな教育成果に基づくキャリア支援の組合せによる、いわば入口・過程・出口一貫モデルによる学士課程教育の再構築である」(大森 2005)と述べた。
さらに、平成十九年三月には、「教育の質は、学生が卒業・修了時に身に付けているべき能力を中核に据え、教育の目標・プロセス・成果のすべてがそこに志向する形で組み立てられた総体としての教育プログラムによってこそ保証される。それは、個々の授業担当教員の持ち味を活かしながらも、必然的に組織的な営みを必要とする。すなわち、教育プログラムは、人材養成目的・カリキュラム・教授法等を『見える化』するための組織的な質保証の取組を必要とする」(大森 2007)と敷衍した。
筆者が提唱する、戦略経営と質保証の統合による教育プログラム論、教育マネジメント論は、ID理論とは独立に着想され、その後、ID理論の影響も受けながら展開されてきた。両者が相似的であると分かり、IDの有用性を理解したからである。
学士課程答申は、こうした筆者の問題意識に沿ったもののように見える。すなわち、学士課程教育の考え方は、ID理論と相似性を有するように思われる。
6. ID的視点から見た学士課程教育に関する課題
(1)主体は大学か学部・学科等か
ID的視点から見ると、学士課程答申には腑に落ちない点がある。教育目的の設定及び教育課程の編成並びに入学者受入れ方針の主体、すなわち、三つのポリシーの主体がどこにあるのか、大学全体なのか、学部・学科等なのかが曖昧なのである。
「学位授与の方針」は、「大学全体や学部・学科等の教育研究上の目的、学位授与の方針を定め、それを学内外に対して積極的に公開する」とし、「大学全体」と「学部・学科等」の両方を挙げている。
「教育課程編成・実施の方針」は、「学習成果や教育研究上の目的を明確化した上で、その達成に向け、順次性のある体系的な教育課程を編成する(教育課程の体系化・構造化)」とする一方で、「幅広い学修を保証するための、意図的・組織的な取組を行う」とする中で、「例えば、多様な学問分野の俯瞰を目的とする教育課程の工夫や、主専攻・副専攻制の導入等を積極的に推進する。また、入学時から学生が学科に配置され、専ら細分化された専門教育を受ける仕組みについては、当該大学の実情に応じて見直しを検討する」としている。
「入学者受入れの方針」は、「大学と受験生とのマッチングの観点から、入学者受入れの方針を明確化する」としており、大学全体とも受け止められる表現である。
「学士課程共通の学習成果に関する参考指針」としての「学士力」が学士課程答申にまつわる最大のトピックであることに加え、「学部・学科等の縦割りの教学経営が、ともすれば学生本位の教育活動の展開を妨げている実態を是正することが強く求められる」との基本認識など、概して専門教育を中心とした学士課程教育の現状に否定的と受け止められる表現が目立つ。
将来像答申では、学士課程は、「総合的教養教育型(教養教育と専門基礎教育を中心にした主専攻・副専攻の組み合わせ)」と「専門教育完成型」が並列され、力点は大学ごと(あるいは分野ごと)の個性・多様性に置かれていた。これに対し学士課程答申は、「学士課程教育に関しては、諸答申において、教養教育と専門基礎教育とを中心とするという考え方が謳われて」いるとし、力点を移している。
世界的にみれば少数派であるアメリカのリベラルアーツカレッジ型の学士課程教育の理念が、批判的吟味を経ないまま学士課程答申の基調をなしている感があることは否めない。専門教育重視の学部・学科等でタコ壺化した日本の大学の多くの現状は決して褒められたものではない。しかし、現状とあまりにかけ離れた政策が、結局、各大学による表面的な規則改正その他の作文レベルの対策によって、上滑りに終わらないか、懸念されるところである。様々な調査結果において、教養教育が専門教育に比べて学生の評価が高いとは言えないことが示されている点にも留意が必要である。
筆者個人の見解としては、むしろ学部学科等の個別具体的な教育プログラムごとに、専門的な知識技能の習得と結び付いた人材養成目的(大学院ほど焦点化されないのは当然としても、ある程度特定された人材養成目的は必要)に沿って、学士力として謳われている汎用性のある基礎的な能力の涵養を、カリキュラムや教授法に意図的に「組み込む」ことが望ましいと考えている。この小論では詳述できないが、この考え方は、イギリスの高等教育界におけるエンプロイアビリティの育成のための全国的・組織的な取組で採られている方向性に近い。換言すれば、大学経営陣や大学教育研究センター等による全学的な取組だけでは不十分であって、全学的な取組と連携した形での学部学科等の教育単位ごとの主体的な取組をも誘発する改革を目指すべきということになる。
(2)学士課程教育構築の方法論は
学士力に関して、学士課程答申が述べるように「その実現や評価の手法は多様であるべきであり、各大学の自主性・自律性が尊重されなければならない」としても、実現の方法論の参考を示していないのは、各大学にこれだけの大転換(専門教育重視の組織風土や教育実践からの大転換)を迫る上では不十分ないし不親切との感は否めない。今後の調査研究や政策展開に委ねたのであろう。この点、英国のエンプロイアビリティへの取組では、育成の方法論が関連研究の成果と共に、豊富に参考として供されている。
(3)教養教育と専門教育の分断構造
専門教育をアイデンティティの中核とする多くの教員にとって、教養教育は「負担」とみなされがちで、学部専門教育と大学院教育の連続性は、教養教育と学部専門教育の連続性よりもはるかに強いものとして意識されている。これに対して、旧教養部出身の教員や教養教育に熱心に取り組む一部の教員は、こうした認識を教養教育軽視として嘆かわしく感じる。単純化するとこうした図式が日本全国の大学で見られる。
これはおかしな話である。本来、教養教育と学部専門教育は、学士課程教育の構成要素に過ぎないはずである。大切なのは、教養教育でも学部専門教育でもなく、総体としての学士課程教育である。
学士課程教育の構築に当たって、大きな壁として立ちはだかるのが教養教育と専門教育の分断構造である。主体的なカリキュラム設計・改善システムの構築には、その責任主体の確立が必要である。ところが、現状では、教養教育の責任は全学的な委員会等の“バーチャル”な組織、専門教育の責任は各学部が担っている大学が多く、それぞれの努力により教育改善が行われているものの、トータル四年間(六年間)の教育課程全体の体系性や成果に責任を持つ主体がないと言っても過言ではない。
日本の大学教育は、就職協定廃止後の就職活動の早期化によって、実質二年半の間にどのような付加価値を学生に身に付けさせることができるかが勝負という現状に置かれてしまっている。この現状自体は、是正すべきものであることは言うまでもない。
しかし、卒業後の進路に責任を持って教育に当たる立場からは、就職活動の時期すなわち学士課程教育の完成前においても一定の教育成果をあげることは必要である。仮に就職活動の時期が正常化されたとしても、人材養成目的に沿った知識・技能・資質等を身に付ける体系性・一貫性を確保しようとすれば、教養・専門分断構造を抱え込むゆとりはない。
学士課程答申が教養・専門分断構造についてほとんど何も語っていないのは奇異である。「各大学において、その実情に応じて、基礎教育や共通教育の望ましい実施・責任体制について、改めて真剣に議論し、適切な対応を取っていく必要がある」とする一方、「教養教育や専門教育などの科目区分にこだわるのではなく、一貫した学士課程教育として組織的に取り組む」とも述べている。各大学の自律性・自主性に委ねるということなのであろう。
7. おわりに
ID理論が、大学・大学院教育の改革の方向性と相似性を有しており、学士課程教育の構築など高等教育の教育プログラム開発に有益な示唆を与えることを論じてきた。本学における取組のコンテクストにおいて解説することにより、その実践性をも看取して頂けたとすれば幸いである。
《引用・参考文献》
Dick, Walter, Carey, Lou, & Carey, James O., 2001, The Systematic Design of Instruction (5th Ed.), Boston: Allyn & Bacon.(2004, 角行之監訳『はじめてのインストラクショナルデザイン』ピアソン・エデュケーション)
Gagne, Robert M., Wager, Walter W., Golas, Katharine C., & Keller, John M., 2005, Principles of Instructional Design (5th Ed.), Wadsworth. (2007, 鈴木克明・岩崎信監訳『インストラクショナルデザインの原理』北大路書房)
熊本大学大学院社会文化科学研究科教授システム学専攻ホームページ(www.gsis.kumamoto-u.ac.jp)
大森不二雄’2005’「全学教育システムの開発に関する試論」熊本大学大学教育機能開発総合研究センター『大学教育年報』第8号’pp. 27-37.
大森不二雄’2007’「知識社会に対応した大学・大学院教育プログラムの開発―学術知・実践知融合によるエンプロイアビリティー育成の可能性―」熊本大学大学教育機能開発総合研究センター『大学教育年報』第10号,pp. 5-43.
鈴木克明’2002’『教材設計マニュアル』北大路書房.