平成21年1月 第2343号(1月1日)
■2009年新春座談会 大学教育の将来像と私学振興 中長期的な大学教育の在り方
出席者…大沼 淳氏/黒田壽二氏/小出忠孝氏/柴 忠義氏/瀧澤博三氏/小出秀文氏(司会)
平成二十一年の新春を迎え、本紙では「大学教育の将来像と私学振興」をテーマに、日本私立大学協会の大沼 淳会長をはじめ、別掲の六氏による新春座談会を開催した。混迷する政治情勢、そして世界的な金融危機の中で、少子化に伴う一八歳人口の減少等によって私学経営もまた危機に直面している。この一八歳人口の減少による『大学全入』、そして、グローバル化の流れ等から、国際的にも通用する「質の保証」等が大きくクローズアップされている。昨年には、「学士課程教育の構築に向けて」「教育振興基本計画」に関わる審議が展開されるとともに、中教審に新たに「中長期的な大学教育の在り方について」が諮問され、大学教育そのものの内容・在り方など、私立大学の振興にとって最重要の課題が議論され始めた。このような激動期の中、全学生の約七四%を担う私立大学は、機能分化したそれぞれの特色を発揮して、教育・研究・社会貢献(地域貢献)という使命を果たさなければならない。「教育基本法」「学士課程教育」「教育振興基本計画」「大学教育の在り方」をキーワードに私立大学の発展方策を話し合っていただいた。
国際社会で通用する大学づくり 質の向上と大学の機能別分化による特色を
社会構造の変化に先導的道しるべを
○司会 新年、明けましておめでとうございます。
平成二十一年の新春を迎えました。これより、恒例の新春座談会をお願い申し上げます。具体の話に入ります前に、新年の干支は己丑(つちのとうし)であります。「己(き)」の字は、草木が繁茂し、形が整然としている状態、「丑(ちゅう)」の字は、新しい芽が、種子の内部でまだ伸びることができずにいる状態を言うそうです。内部充実、胎内胎動の時期という年回りのようです。複雑な私学問題や高等教育情勢を予感させる干支ではありますね。さて、早速ですが、本題に入りましょう。
昨年一年もたくさんの問題が提起をされました。昨年の七月に閣議決定された「教育振興基本計画」を巡る問題、九月には鈴木恒夫文科大臣(当時)が中教審に諮問された「中長期的な大学教育の在り方について」をはじめとして、経営問題や高等教育・大学教育の基本的な枠組みに関連する課題が山積でした。ご出席の先生方から昨年の感想と新年の展望など伺います。
まず、大沼会長からお願いします。
○大沼 昨年一年を振り返ってみて最も感じたことは、本当に大きな変化の年になったのではないかということです。一つは、二〇年くらい前から言われている一八歳人口問題です。平成四年の二〇五万人をピークに減り出し、昨年の平成二十年まで、一二〇万人台に漸次下げ続けてきた、そういう少子化問題が一つの底を迎えたということではなかったかと思います。
もう一つは経済問題です。八〇年に一度と言われる、昭和四年に起きた大恐慌と同じようなことが、サブプライムローン問題に端を発してリーマンブラザーズが倒産するというようなことから、世界金融不況へつながっていったという大変な年になりました。二十世紀の経済の中心であったアメリカがそういう状態に陥ったということは、世界的に大変な出来事だと思います。
アメリカだけでなく、それにも増してヨーロッパ経済全体がおかしくなっている。それが当然アジアにも及んできている。アジアの国々と世界金融不況とがどういうふうに結びついていくのかという、大変難しい課題を国際的には抱えたまま、新しい年がスタートしたと言えます。したがって、今年は日本の経済的基盤ないし構造的な基盤が産業構造を含めて大きく変わっていく、その転機になる年になっていくのではないかということです。
さらに言えることは、国際化の進展や社会的構造の変化にともなって、学生たちを含めて若者の社会意識なども大きく変わってきている。そんな現象が表れてくる年というように言えるのではないでしょうか。
したがって、今後の課題としては、それらがどのようになっていくのかを的確に展望しながら、その方向性について、先導的な道しるべをつけていかなければならない、そんな年と言えるのではないかと思っています。
○司会 ありがとうございました。
続きまして、小出先生にお願いします。
○小出 今、大沼会長が言われたとおりでして、昨年は大変な年だったと思います。毎年お正月になると、大変だ、大変だ、私学の危機だと言っているわけですが、特に昨年は大変な年だったと思います。
それは一八歳人口の減少により、大学全入時代が到来してきたということが最大の原因だと思います。私は、今から十数年前、文部省の大学審議会の委員を務めていたのですが、そのときに将来構想計画を審議したのです。当時は一八歳人口がまだ一八〇万人か一九〇万人の時代で、それが将来一五〇万人になったら大変だぞ、全入時代が来るぞと言って計画をいろいろ進めたのですが、今から考えると夢みたいです。そして、大沼会長が言われたように現在は一二〇万人台になってきました。
それに伴い、大学にとって学生の学力が低い、目的意識がおかしいといったことが問題となり、文科省はいろいろな答申を出しています。特に去年は「学士課程教育の構築に向けて」が答申されたわけですが、大学教育の充実に、学生のレベルアップにもっと大学は努めてくださいということだと思います。高等教育の七五%は私学であり、そのまた私学の中の六五%が私ども日本私立大学協会加盟校ですから、私ども協会がそれを真剣に受け止めて、しっかりやらなければならないという、大変責任が重い年だと思います。
○司会 ありがとうございます。
それでは、瀧澤先生、お願いします。
高等教育政策の大きなターニングポイント
○瀧澤 先生方のお話、大変にもっともなことだと思いますが、また違う観点から申し上げたいと思います。昨年一年は、長い目で見ると大きなターニングポイントと言いますか、高等教育政策の面から言って、変わり目の年であったような気がします。
一つは、ここ一〇年間は規制改革に非常に強い影響を受けた高等教育政策でした。規制改革は専ら経済の観点が中心ですから、そのことが結果的に大学教育に大きなひずみを与えてきたと思います。それに対して、これは少しおかしいぞという空気が出てきたのが昨年あたりからです。ですから、市場重視の規制改革の動きが、これからどう変わっていくのか、という重要な境目の年だということに意識して対応していく必要があるのではないかという点です。
もう一つは、政府の大学に対する姿勢に大きな変化が起こりつつあることです。今まで政府は、とかく量的な整備が中心で、教育の中身に関しては一歩身を引いた姿勢をとってきていたと思います。それがここに来て、教育の質がまさに重要課題であると言い出しています。教育の質を維持し、国際的にも肩を並べられるようにしなければならないということが国の政策として意識され、教育の中身に政府が直接口を挟んでいこうという姿勢が出てきていると思います。これは必要な面もあると思いますが、一面では大変に難しい問題で、政府と大学との関係が今までと少し変わってくるのではないかと思います。
「学士課程教育の構築に向けて」では、今までは多様化・個性化ということで、言うなれば中身のことは大学にお任せという姿勢だったのですが、それと同時に普遍性が大事だと言い出しています。普遍性を実現するためには、やはり政府の関与も必要になってくる。すでに分野別のコアカリキュラムを作ろうという動きもあるし、大学の制度を学位プログラム中心に再整理する考えも出てきています。大学の教育内容に対しても行政が正面に出るように変わってくるという雰囲気があります。そういう点で、これからの動きを注目していく必要があるのではないかと思います。
○司会 重要なご指摘をいただきました。後ほどまた、掘り下げてお話をいただきたいと思います。
それでは、柴先生、お願いします。
○柴 昨年一年間、大学設置分科会に参画させていただいて思ったことは、今、瀧澤先生からお話のあった、いろいろな規制が緩和されてきたということがあります。例えば、平成十六年から大学の設置届出が多くなりました。大学の自己責任が益々重要となりましたが、必ずしも良い方向に向かってはいないと感じます。特に私学は経営が大変になって、設置認可の柔軟性がかえってマイナスに働いている面があるのではないかと思います。これは自己反省も含めて、私立大学が考えていかなければいけない問題だという気がします。
同時に、国立大学も必ずしも充実した内容ではなくて、今の高等教育の中で非常に悩んでいるという姿を昨年私は勉強させていただきました。
また、社会的に言えば、高等教育を受けた人々の犯罪や倫理観の欠如などが世の中に蔓延してきています。これも高等教育を担う者として、教育全体、初等中等教育も含めてかもしれませんが、そういうところをこれからどうやってきちっと建て直していくかということも考える元年になったのではないかという気がします。
それから全体的に見て、具体的な目標がいろいろなことで示されていない。国からの提言も含めて、このくらいの期間でこうやりましょうという道筋が見えない。先の理想的な目標はいろいろな形で示されているわけですけれども、具体的なものがなかなか見出せていないところが多いのではないかなという気がします。
例えば、留学生三〇万人を提唱しても、日本がどういう視点と役割で留学生を受け入れるのかが具体的には何も見えない。そういう中で三〇万人計画が出てきていると感じています。他にも同じようなことはたくさんあるわけですけれども、その辺を国も大学全体の関係者も社会に示していかないと、みんな混乱の中に平成二十一年も過ぎていくのではないかなという気がします。
○司会 根源的な問題のご指摘をありがとうございます。後ほどお話を伺います。
それでは、黒田先生、お願いします。
「中長期的な大学教育」の諮問の大きな課題
○黒田 昨年は、地方と都市部の大学の格差が顕在化したことが一番大きいと思いますね。それが顕著に表れてきた年だろうと思います。地方が地方でそれぞれ頑張っているのだけれども、なかなかうまくいかないという状態が続いています。
なぜかと考えてみますと、基盤的経費が相当削減されてきているのが第一の原因です。競争的資金はある程度の組織を持っていないと取れないものですから、GPもなかなか取れない。
そういうことに気がついて文科省は、地方の戦略的連携という予算づけをしたのです。しかし、蓋を開いてみますと、都市部の大学がたくさん取っているので、地方への手当てが十分ではないということが起きています。
昨年は、三月に学士課程教育の審議まとめを出しました。それから答申が暮れになってようやく出ましたが、三月から約一年間、たなざらしにしてあったのは、大学にとっては良かったのだろうと思うのですね。その間に、それぞれの大学が審議まとめを読みながら、どう改革すべきかという方向性を見つけ出してきています。そういう面では多くの大学のお話を聞きますと、「あれのこういうところを利用するんだ」という話がよく出てきますので、良かったのだろうと思っています。
それが答申になる前にまた新しく「中長期的な大学教育の在り方」という諮問が出て、その諮問に対する動きが昨年十月から始まったわけですけれども、これはまた膨大な内容で、これこそ日本の大学の将来をどうするかという大きな問題にまで発展し、日本の国家戦略としての大学づくりが起きてくると思います。
あわせて、「専修学校の振興に関する検討会議」が生涯学習局で開かれて、これによって一つの方向性を出しております。結論としては、中教審で議論を深めてほしいということですが、本格的に議論をされてくると、キャリア教育、職業教育の在り方になってくるわけですから、大学もその中に取り込まれてくるのです。ですから、恐らく中教審では各分科会で議論を進めるだろうと思うのですが、その問題があります。
もう一つは、「高等専門学校の振興に関する特別委員会」が大学分科会の中にできて、これも一応報告書ができ上がっていて、答申になるのか、今言いましたキャリア教育、職業教育の中に含めて議論をするのか。その方向になると思いますが、今年はそういう大きな変革、日本の教育システム全体を考えた動きをせざるを得なくなってくるのではないでしょうか。
「中長期的な大学教育の在り方」は、今年三月に、一応の中間報告が出るわけで、もう既に諮問の内容をご覧いただいていると思うのですが、細かく分けると五〇項目ぐらいになります。
その中で一番問題なのは質の保証、学位プログラムの在り方で、その検討が既に始まっています。それと並行して、留学生三〇万人計画に対応するための「留学生特別部会」が動いています。
これらをあわせながら日本の在り方を考えていくことになるのですが、基本的には、さきほど大沼会長が言われたように、グローバル化された中で突如として金融恐慌が発生しています。アメリカの指導したグローバル政策が崩れつつあるという中で、日本がどう世界に向けて対応していくのか、日本の大学が国際的地位をどのようにして獲得できるかということに尽きるだろうと思います。それが質の保証であり、学位の標準化ということで、結局、多様性を持ちながら一方では標準化をしようということにつながっているのです。
その辺の考え方が「学士課程教育の構築に向けて」の答申に書き込まれていますけども、まだまだ理解が得られず、画一的な方向に、高校並みのプログラムを作らせるのではないかという話になっているわけです。決してそうではなくて、大学なり、地方は地方なりに、都市部は都市部なりにどう大学を構築していくかを考えてくださいと書いたつもりです。その辺の理解をもう少し今年は深めながら、皆さんとともに良い大学づくりをしていきたい。特に我々協会は地方の大学をたくさん抱えていますので、その辺のことをしっかりとリードしていかないと、今年はまた一層厳しい時代に入るのではないかと思っています。
○司会 ありがとうございました。
教育基本法に規定された「教育振興基本計画」
先生方から、私学政策がどういう歴史的な位置にあり、課題があるかを語っていただきました。大分お話が絞れてきましたので、具体的なお話に入らせていただきたいと思います。
昨年の重要話題の一つに、去る七月一日に閣議決定された教育振興基本計画がありました。平成十八年に教育基本法が六〇年ぶりに改正されたわけですが、その折に私学団体は、教育基本法に私立学校の位置づけを明確に規定すること、戦後六〇年の教育の反省や時代変化を反映すること、それらに基づいたところで、只今、逆風厳しく膠着状況下にある私学助成問題の大きな前進を実現したいという願いを込めて、教育基本法の改正に賛成した経緯があります。ところが、四月十八日に中教審答申としての教育振興基本計画が発表されましたが、私どもが願っていた内容とはかなり状況が違っていて、数値目標等の盛り込みもなく総じてかなりトーンダウンした状況でした。その後、自民党の文教合同会議は、計画の充実と見直しを求めて決議を行い、マスコミも連日、この問題を取り上げ、文科省と財務省との間で論争が起こったことは記憶に新しいところです。
七月一日に、修正をみつつ閣議決定されましたが、OECD諸国並みの高等教育への公財政支出の数値目標や、実現の道筋は残念ながら記述されませんでした。
しかし、文教関係の国会議員の方々のご努力や、先導的な私学人・大学人のご努力のおかげで、かなり示唆に富む問題提起はされていまして、当面の五年間、さらにその先の一〇年間という道筋の中で、何か道しるべができた感じもするのです。「中長期的な大学教育の在り方」の諮問にも大いに関係する教育振興基本計画ですが、まず、大沼会長にご感想をお願いします。
○大沼 そのことが、これからの一番のポイントだろうと思っています。歴史的に見ると、日本の教育の近代化というのは、明治五年の学制発布に始まって、見事に国の力で近代国家を創るのにふさわしい教育システムを短期間の間に築き上げたわけです。そして日本の学制が整うのは、それから五〇年ほど経った大正七年。大学令をはじめとして一三の学制関係の勅令が公布され、旧制の体制が出来上がりました。そこで一つの大改革が行われたということになります。
その次に行われたのは、昭和二十年の終戦を契機にして、二十二年に教育基本法、学校教育法が新しく出来た。それで、いわゆる新制の学校制度が発足したのです。しかし、この三つの段階は、ともどもにまだ教育が普及してない段階における教育改革だったのです。戦後の六・三・三・四制教育も施行されて、なんとそれから六〇年経って、制度そのものが完成状態になった中で教育基本法の改正を伴う改革になってきたのかなと思っています。
その教育基本法の中に、新しく規定として加えられたことが二つあります。大学のことが新しく規定されたこと、もう一つは私立学校が規定されたこと、そういう特色は確かにあるのですね。いわゆる大学教育と称される高等教育については、今までは基本法の中にはほとんど書かれていなくて、それぞれ旧制の大学のときも新制大学のときも、国立、私立を問わず、とにかく自然的に発展したものが制度として認知されてきたと言えるわけですけれども、今度は教育基本法にきちんと書かれたのですから、その高等教育を考えるときに何が一番大事かというと、社会の発展段階に応じた教育体系がどうあるべきなのかという視点だと思うのです。
日本だけの狭い範囲で考えてみてもそうなのですけれども、明治時代には、初等教育を終えた人たちが大部分社会を支える人材だった。中等教育に行くというのは一割程度だったわけです。まして高等教育になると、一%あるかないかという状態で推移して、そして戦前の体系がピークを迎える昭和十六年に進学率が中等教育は二〇%になって、それでも初等教育で終わった人が八〇%いた。上の段階の約五%が高等教育、そのうち大学と名がつくのは一・五%だった。
社会構造の変化に伴う高等教育の内容と質
ですから、非常に進学率がまだ低位に置かれていた時代から、六〇年経ってみたら、俗に言う大学教育と呼ばれるのが五〇%を超え、中等教育に至ってはほとんど一〇〇%近くなって、初等教育で終わってしまうということは現実としてはなくなってしまった。教育の大爆発が起きているわけですね。それだけのものが起きて、社会構造から何もかも変わっているのに、考え方だけが変わっていないというところに非常に大きな課題があるのです。
社会と学校との接点が初等教育から中等教育へ移り、中等教育から高等教育へ移ってきたのが戦後の教育の過程なんですね。今やここへ来て、それが満杯になったのです。要するに、俗に言うユニバーサルアクセスができてしまったわけですね。高等専修学校を含め、みんなが高等教育に行けるような段階になってきた。その高等教育の構造をどうするかということを考えなければならないのです。大学教育をどうするのか、短大をどうするのかということ以前の課題として、いわゆる後期中等教育というか、ポスト・セカンダリー・エデュケーションと言ったほうがいいと思いますけど、その構造を一体どうしていくのかということをはっきり決めることが先決なのです。
明治時代の初等教育に行っていた人たちが、全部高等教育に来るわけです。それが昔の大学のような高等教育のイメージで、質がどうだとか言うから問題が起こるのであって、社会の構造が変化しているのですから、学術教育であろうと専門教育であろうと、職業教育であろうと、それなりに質的な変化を起こしている。そのことに対応するようことをやればいいので、それを質的に統一しようとか、政府が何かやろうとかいうのは大きな間違いだと思うのです。
その中で何が一番大事かというと、教育段階に応じたシステムがどうなっていて、その在り方がどうなのかをはっきりしておく必要があるということです。それらの教育機関をどこがつくるのか、国がつくるのか、地方公共団体がつくるのか、私立の自由に任せるのか。設置者別の機能と言いましょうか、役割と言いましょうか、それらのことを明確にしていかないといけないのではないでしょうか。
したがって、高等教育の段階の度合いの違いによるそれぞれの制度の在り方と、設置者を違える、その違えることは何のために違えて、どういう役割を果たさなければならないのかを明確にしていく時代に来ていると思います。
とりわけその中で一番大事だと思うことは、設置基準的に「学校というのはこういうもので、社会的に永続性を保証して、そこへ入ってきたら、決められたことの最低限度のことはきちんと教えます」という保証は絶対に必要だと思いますが、社会が職業教育などと絶えず密着しながら多様に変化していくので、先生がそれらをまず把握しないといけない。要するに先生の人材育成確保が大事なのです。何か高めようとか言っても、先生の質が高まらない限りは、どんなに頑張っても学校の質は高まらないのです。
したがって、教員の人材育成をどのように社会のシステムとしていくのかということをはっきりしていかないと、いろんな教育が国際的に遅れていってしまうということになると思うのです。
もう一つポイントになることは、数学者の藤原正彦氏や解剖学者の養老孟司氏が言っているように、近代化というのは一体何かというと都市化なのですね。とにかく都市化をしていくことが近代化だったものですから、近代化が進めば進むほど地方と中央の格差が出てくるのは当たり前です。そのことを念頭に置いた文教行政なり施策をきちんとしないといけない。それを放っておけば、いろんな不均衡、アンバランスが起きてくるわけです。
そういうことが起きてはいけないのではなくて、起きるということを前提にして地方行政なり国の行政がやっていく。これからは、もう一度大上段に構えて全体を考えていかなくてはなりません。末梢的なことをいくらいじってももう駄目な時代に来ているのではないでしょうか。すべて制度疲労を起こしているのではないか、そんな感じで、大きな角度から捉えていくことがこれから非常に大事だと思って、その起点の年に今年は出来ればしてほしいなと思っています。
○司会 ありがとうございます。
教育基本法改正の問題は、最初から黒田先生に全私学連合でかかわっていただいておりましたね。その一連を眺めてみて、黒田先生、今、大沼会長がおっしゃられるお話と、教育振興基本計画への期待として何かご紹介いただけますでしょうか。
「教育振興基本計画」の実行をチェック
○黒田 教育基本法に大学や私学が入ったのは必然的なことです。今、大沼会長が言われたように大学へ進む人口が増加し、昔の高等学校と同じようになってきたので、入れざるを得なくなったということなのですね。私は非常に理に適っていると思います。また、その中でも私学が受け持つ範囲が非常に広くなった。だから、今後私学に任すところが相当に出てくるということを覚悟の上であれを書き加えたと思いますね。それに従って、教育基本法の改正だけではあまり意味がないので、教育振興基本計画の中でいろいろとうたわれてきています。そのうたわれてきていることが実際に実行されているかどうかというのが問題なのです。
これは財務省との関係でなかなか数字が出せなくて困っているわけでありますけれども、一つ一つの項目について今検証しようとしています。その検証するための「教育振興基本計画部会」も新たに出来ていますので、追々それが明らかになってくると思いますけれども、しっかり実行していく、そういう中で日本の教育全体についての見直しを今後やっていくわけです。今年はその足がかりの年だろうと思います。そういう意味では、教育基本法と教育振興基本計画の二つがあってこそ、今後の新しい改革が出来てくるのだろうと思います。
○司会 ありがとうございます。
瀧澤先生はいかがですか、政策課題として見たときのご感想は。
○瀧澤 教育振興基本計画の関連で、大学への財政支援の枠組みをどう盛り込むかについて、一つ申し上げますと、基本計画ができるときに大学側、私学側がいろいろ期待を持っていたわけです。国民の見ている中で大変な論争が演じられまして、結果としては納得できる成果が得られなかったということではありますが、国民にはかなり注視された。私学側、大学側がこういうことを言っている、ということはかなり国民に理解されたように思います。そういう効果はあったでしょう。
それにもかかわらず思うような成果が得られなかったのは、これはこれで国民の私学への理解がある程度のところで止まっているということではないかと思うのです。世界的に見て日本の私学は、非常に特殊な環境にあります。ヨーロッパあたりでは、実質、国立だけの問題です。アメリカは私学が盛んではありますが、学生数で言えば公立が七割と日本と逆で、公立が中心です。私学は特別な伝統ある大学が中心になっているので、日本のような国公私の構造は先進国にはないのです。そういうところで私学に対する助成という問題については、諸外国の状況をそのまま参考にできないという点があります。
結局、国民の理解がなかなか得られないのは、そういう私学の状況と関連があると思います。私学は自主性・公共性を言っているわけですが、私学の公共性について、私学側が自負しているだけの内容の理解が国民にあるかというと、必ずしも十分ではない。私学に対する理解には、我々と国民の間にちょっとギャップがある。それを乗り越えないと、結局、公費支援の話もなかなか簡単には進展しないのではないか。これは今後、時間をかけてやっていかなければならない問題ですが、一つは、私学の公共性と質への信頼性を確立することが出来るかどうかが勝負だと思います。
今までの規制改革の動きは、公共性よりは市場原理を重視する考え方ですから、私学経営を一般の経済活動と同視するような考え方がかなり広まってきてしまっている。これを盛り返すのはなかなか大変なことだと思いますが、その辺の努力はやるべきことがいろいろあると思います。
○司会 ありがとうございます。これは質の保証や充実の問題とリンクしてきますから、後ほどお話いただきます。
小出先生いかがですか。
○小出 教育基本法ができ、大学教育や私立学校が書き込まれたことは、当然あるべきことがやっとできたという感じです。それに基づいて、さらに教育振興基本計画ができたことも、良かったと思います。
今問題になっているのは、質の低下です。しばらく前まで進学率は三六、七%と、三〇%後半でしたが、それからずっと伸びて四〇%後半になってきました。このあたりはまだ良かったのですが、最近、急に五〇%を超えました。この辺から、急に質の低下とか学生の色々な問題が浮かび上がってきました。言うなれば、子どもから急に大人になった感じで、青年期の教育が不十分のまま、いきなり大人になってしまったように思います。
その一番大きな理由は、一八歳人口が減少してきたところに、規制緩和によって大学を設置しやすくなったことです。進学者が減少しているところに大学を急に増やしたものですから、比率上では進学率が上がって結構なことですが、どうしても内容がそれに十分伴ってこないわけです。そこで質の向上が重要となり、改めてしっかりやらなければならないという指摘で、「学士課程教育の構築に向けて」の答申を出さざるを得なくなったのだと思います。
それに基づいて、私どもは改めて学士課程教育の構築、内容の充実に向けて進んでいかなければならないわけですが、それにつきましても、財政的な援助がなくては出来ないのです。基本計画では、その辺が十分盛り込めていないことは非常に残念です。国家財政が厳しいところですが、教育は国家の大計ですので、あくまで一定の財政的支援を得て、教育内容を充実していくことが一番大事なことだと思います。
○司会 ありがとうございます。
閑話休題をひとつ。改正教育基本法と教育振興基本計画策定の功労者・立役者のお一人が、自民党の政調会長の保利耕輔先生なのですね。昨年の暮れの予算対策の折に、保利先生に会長を務めていただいている私立大学振興の議員懇談会がありますが、その保利先生が計画を巡りまして、昨年四月十八日の中教審の答申は、財務の立場からの見解が強く入り過ぎて、日本国の教育の在るべき姿やその教育の責任を担う文部科学省としての姿勢や考え方が見えない。薄められたことはやはり問題で、今日置かれている日本の情勢、教育の情勢、若者の傾向などを踏まえて教育振興基本計画が打ち出されないことにはどうにもならない、「文科省はしっかりしなければ」と、こういうご発言がございましたね。
先生方は教育の現場を預かられ、私どもはその環境整備に努める団体でありますから、教育振興基本計画の実質を実現していくことに一層の腐心が必要だと思います。
これまでの論争の過程で、慶應義塾の安西祐一郎塾長、お茶の水女子大学の郷 通子学長をはじめとした四人の先生方が、昨年二回にわたって意見発表されました。一回目は二月八日付で教育振興基本計画のあり方について―「大学教育の転換と革新」を可能とするために―、二回目は六月十二日付で「教育亡国」回避のために投資の断行を―教育振興基本計画の策定に向けた緊急声明―でしたね。
瀧澤先生がご指摘されたとおり、国民の大きな関心・話題になっていましたから、新しいパラダイムを求めた動きにきっちりと道筋をつけていくことが、新年の大きな仕事になると思います。よろしくご指導いただきたいと思っています。
さて、先般の諮問「中長期的な大学教育の在り方について」の大きな課題である、私学教育の公共性、あるいは質の向上の問題に移ります。大沼会長は前々から、教育の質、大学の質は永遠の課題であって、画一的な一つの方向で決められていくことは大変危険だとご指摘をされています。協会の役員会でも、同床異夢をつくってはいけないなどのご意見がありました。私立大学団体連合会でも昨年から重点課題として位置づけ、早稲田大学の白井克彦総長を座長に作業部会を作り検討に着手しました。手始めに全私立大学の質的充実をめぐる動向を把握すべく、初の悉皆調査を行いました。調査結果からは地方・中小私立大学の頑張りがはっきりと浮かび上がっています。
この質の充実・保証、そして、学士課程教育というか、大学教育の充実の問題に移ってご感想などをいただきましょう。
○大沼 私は質の問題というのは、基本的には当該大学が決める問題だと思っています。いくら官製で中身を決めても、中に教える先生がいなかったらどうしようもない。しかも、時代がどんどんと変化をして高度化をしていく。その高度化したことを教える先生を養成していかないといけないのですが、どこかにあたかも先生がいて、その先生を連れてくればいいのだという時代は終わっているのです。
我が国の学校制度が抱える大きな問題点
これからは、自分の大学でどういうオリジナリティを築き上げ、イノベーションを行い、それをグローバル化の方へ持っていくかという形が作られる、そういう学校システムに私はしなければいけないと思っています。
いわゆる質の問題として時々私が申し上げることは、それを気にするあまり、何か水準的なことを決めようとする、そのことの方が逆に私は問題だと思っています。例えば、戦前の学校システムはヨーロッパに範を置いて作ったもので、入学選抜システムが見事に成功しました。恐らく世界の中で行われた入学試験の中で、これほど公正無比に行われた国はないのではないかというくらいきちんと行われて、それぞれの学校に入る場合には、例えば旧制の高等学校に入るにしても、大学に入るにしても、専門学校に入るにしても、学校の厳正な入試に基づいて、日本各地どこにいても人材の発掘が行われて、学校システムを通じて日本の必要なところに人材が供給されるシステムが見事に出来たのです。
したがって、日本の学校制度は何を重要視したかというと、選抜制度を重要視したのです。選抜制度に絶対の価値を置いたわけです。私などは旧制の時代に生きてきているからそう思うのですけれども、今みたいに、「おまえは中等教育の段階でこのレベルだから、こういう学校しかだめだよ」、そんなことは一言も言われません。自分の好きなところに挑戦しても良いわけです。偏差値などないのですから。田舎で生まれようとどこで生まれようと、その試験に通ってそこに行けば、日本の社会はちゃんと遇したのです。そのことが、日本が猛烈に近代化に成功した一番大きなバイタリティーになったと私は思っています。
そういうシステムがありましたけれども、そのシステムというのはアメリカ式とは合わなかったのです。戦後、いわゆる六・三・三・四制教育というのは、向こうから視察団が来て、勧告に基づいて行われるわけです。学校教育法をよく読むとわかるのですが、あれは全部アメリカのディプロマ・システムを持ってくるわけです。要するに、中等学校を卒業してなかったら大学へ入れません、大学を出てなかったら大学院へ入れません、修士課程を出てないと博士課程に入れない。全部入学資格だけを厳重に縛っているわけですね。
戦前の教育は、飛び級も全部認めていたわけです。そういう学力があれば良いので、卒業していなければ入れないというシステムは全く無いのです。戦後は、卒業していなければ入れないというシステムにしたにも関わらず、中身はいわゆるディプロマをやってないのです。それが問題になってくる質の保証ということにつながるわけです。
要するに、アメリカのシステムを入れているわけですから、当然そこで単位を取らなければ、あるいは一定のレベルに達しなければどんどんと落としていくのだというシステムになっていたはずなのに、それが全く形骸化しているので、今、質の問題が逆に出てきているのです。本当にシステムとして発揮しなければならないのは、入試選抜制度を厳正に行うのか、それとも大学における学習のディプロマ・システムを機能させて、在学生を試験して、だめなのはどんどんと排除していくのか。私は後者のようなことをするとむしろ危険を伴うので、そういう水準的な問題は、今のところは当該学校の自主性にむしろ任せた形で、社会の多様化を図っていくことのほうが賢明じゃないかと思うのです。むしろ基準でがっちり押さえるのなら、学校の財政状況とか、あるいは設備の状況とか、FD委員会をどんな形できちんと確立して研修体制を作るとか、研究体制を作るとか、そういうことをむしろ厳重にしていくべきだと思います。だから、カリキュラムの中身について、水準的なことを大学が考えることについては、むしろ先生自身の役割であって、学校の決めるべき事柄ではないと私は思っています。
○司会 ありがとうございます。一貫したご指摘だと存じます。
黒田先生、昨年一年、私も全国を回ってみた時には、各大学で研究チームをつくって、学長以下プロジェクトで研究していますといった話を各地で聞きました。建学の精神や使命との関連で、いかに学士課程教育の充実を目指していくのかの検討が全国で起こりつつある様子を知りました。素晴らしいことだと思います。
○大沼 金沢工業大学を見ればわかるよ(笑)。
○黒田 学士課程教育の問題の前に、昨年の十二月十六日に中教審の大学分科会で「私立大学の健全な発展に向けて」というテーマで話をする機会をいただきました。特に地方私大をどうしたら良いのかということでした。幾つかの論点があるのですが、私が最初に申し上げたのは、私立学校は、教育基本法でも大学、私立学校が明示されて、公の性質を持つことが明らかになってきていることです。その公の性質という公共性の意識が、まず私学の経営者自身にまだ不足している部分があるのだと。「この学校は私が創った」という私塾的意識が強過ぎるところが見受けられるので、その辺は改革する必要があると思うけれども、なぜ学校法人という制度にしたかということです。学校法人の根本は安定性・継続性です。それを担保するシステムとして学校法人制度を作り、それに加えて自立性・自主性という、これは建学の精神を重んじて教育プログラムを作ってくださいということなのですね。それに公共性が加わって学校法人が、公益法人の中でも公益性の一番高い法人ということになっています。そのあたりを私学人自身が再度しっかりと理解しなければならないのですよという話をしました。
次に結局、なぜ地方と都会とにこれだけの格差が出ているのかについては、どう見ても今の人口体系からは、当然にしてそれは起こることだと。どんなに頑張っても、定員を充足できる地方の大学は数が減ってきている。これは紛れもない事実で、私学事業団の統計資料を見てもおわかりのとおりだということで、事業団の統計資料をお見せしました。
しからば何をやるべきか。第一に言いたいのは、平成元年というとまだ一八歳人口が二〇〇万人いた時代ですね、その時の国立大学の入学定員が約九万八〇〇〇人です。それに対して二十年度は九万六〇〇〇人で、たった二〇〇〇人しか減っていない。これは、国立大学があまり定員減をしていないということです。
一方で私学はというと、平成元年で二九万五〇〇〇人、平成二十年度で四四万九〇〇〇人と大幅に増えてきている。私立大学が大幅に増えたのは、短大の四年制大学化もありますし、公設民営で学校法人が創られています。それに加え、規制緩和で都市部の大学が新しい学部や学科を創って定員増をしている。それが主な原因ですということを言いました。
学士課程プログラムと質の向上の関係
次に、質の保証の問題です。社会的に質の低下と言われていることは何か。これには二つの見方があります。一つは、大学卒業者の質であり、もう一つは、大学入学者の質です。前者の質は、全ての大学のことを言っているのではないのです。大企業の人たちが言う質の低下は、東京大学や京都大学の質の低下であり、有名私大の質の低下、それが問題になっている。だから、そこら辺を改善すれば、質の低下は言われなくなる。地方の大学ではそれぞれが特徴を持って教育し、それぞれの地方で活躍できる人材を輩出しているのですから、日本の指導者となるべき人材の養成の質の低下なのだと…。だから、ここを直すためにはどうすればよいのか、一番簡単な方法は、そういう大学の入学定員を今の一八歳人口に合った定員管理にすれば、質の向上につながってくるということなのです。
ですから、画一的な学士課程プログラムをつくって、全部が同じようなことをやると質が上がるかといったら、そうではなく、それぞれの特徴を活かしていく。それが「将来像答申」に出ている機能別分化につながってくるのですね。だから、世界的な教育研究拠点になる大学があってよし、地方に特化した大学があって良し、職業教育に特化した大学があって良しということで、それぞれの機能を持った大学、地域に根差した大学、そういうもので構築していければ、それぞれに立派な人材を養成することができるのだという話をしました。
それに加えて、臨時定員“減”を認めてはどうかという話と、厳格な定員管理をしてくださいと。中央の大規模大学が一・三倍とると、地方の大学二つや三つはそれで吹っ飛んでしまいますよと。ですから、大規模大学ほど定員を守って下さい。そのためには、一・三倍という比率ではなく人数でいきましょうと。小規模大学で一〇〇人の定員のところで一・三倍といったら、三〇人です。三〇人を余計とったから補助金はカットされることになっていますから、大きいところは大きいなりの予算の配分の在り方があってよし、地方で一・三倍を超えても、たった三〇人だと。そういうことで定員管理の在り方ももう少しきめ細かくやりましょうということです。
今、国で考えていることは、私学に対しては一・三倍を一・二倍にしようということになっていますし、国立大学は一・二倍を一・一倍にしようということですね。
国立大学は運営交付金の減額の基準で、私学は私学助成の基準ですけれど、一・二倍と一・一倍ということ。私は、国立大学の場合は一・〇倍で良いのではないかと。いずれにしても四月二十日まで補欠合格を認めている国立大学が、一・〇倍で調整できないことはないでしょうと。だから、一・〇倍を守るようにして、そういうことによって質の向上が図られるのですよ、また、地方の私学もそれで活性化されるのだという話をいたしました。
○柴 さっき小出先生が言いましたが、やはり一八歳人口が二〇五万人から半分になって、進学率が三〇%台から五〇%になって、恐らく半減した全体の子どもの分布というか、昔とそんなに変わることはないと思うのです。
○大沼 そういうことがわかっていて質が下がっていると言うのだけれど、そういう人が入ってくるから教育は必要なわけですよ。教育ってそのためにあるのですから。低いなりにちゃんと教えていけばいいのです。特にその言葉が出てきたのは、規制緩和をやってきた民間のいろんな教育審議会だとか、教育に関係している発言の中に非常に多くあったように、私は見受けていますね。
○柴 私は、質というのは大学の質であり、教員の質であり、受け手の学生の質という、こういう三つの質があって、大学の質というのは、地方を考えてみますと、それなりの特色を持つことが質の非常に重要な点じゃないかなと思います。
私が一番心配しているのは、教員の質―質というのは非常に誤解を受ける言葉なのですけど、教授法の質というか、教え方が、一八歳人口の減少に伴って初等中等教育の変化をうけて、高等教育でどういう教授法をするかという勉強が、いわゆるFDになるわけですけれども、もう少しきちっとしないと、恐らく質は上がってこないのではないかと思います。今、大沼会長が言われたとおりだと思うのですが。
○大沼 通俗的に言われている質というのは、特にモンスターペアレンツと言われるように、その人たちの学校への抗議が猛烈に始まったわけですね。
そこで教えている中等教育とか初等教育がやり玉に上がって、レベルが低いとか質が下がったとか。そのことが敷衍して大学へまで来てしまい、とにかくそう言っていれば良いという感じが非常に強いので、それに囚われることは、私はむしろ逆に危険を感じているのです。
そうすると、教育の質を上げるのは、教える先生ですから、その先生にしっかり教育する能力がつかない限りはどうしようもないので、それを放っておいて他でどんな手を打っても、結局だめなのです。
したがって、それをどうするかということです。第一、大学の教員養成というのは出来ていません。出来ていないというより、例えば、私どものところは教員を採ろうと思っても、国立大学はどこもやっていないですから。他の方は国立大学から人を採ってこれるわけですよ。ところが、国立大学がやっていないと、自分のところで養成する以外に全く方法がないのです。他に教員養成を頼れないですから。そういう連動性のない学校もあるわけで、そういう意味で教員の質を確保する質のとり方ということについて、むしろ我々全体で、自主的にどうしていったら良いのかということをそれこそやっていくべきで、官がとやかく言うべき事柄ではないように私は思うのですね。
○黒田 私が去年の十一月にIDEで書きました「学士課程の展望」というものがあります。最後のまとめで、根本は教員のFD活動以外にこれを解決する道はない、と書きました。結局今までの教育方法では、今の子どもたちはついてこれなくなっている。それを放っておいて、今までの教育と同じようなことをやっているから、質が低下したと言われるわけで、その辺の解決をしなかったら、どんなに良い答申を出しても成り立たないのです。
○大沼 旧制大学的な教育の方法に非常に問題があるのです。象牙の塔が適さない学生が来ているのに、依然として象牙の塔の教育をするから、学生が反乱を起こすわけですね。
○小出 今、大沼会長が言われたように昔は入学試験は厳しかったですね。特に旧制高校あたりは非常に厳しいが、そのかわり入学生は優等生だけですから、入れば、放っておいても卒業していくわけです。ですから、入学生がほとんど卒業していくことが当たり前だった。それが今、入り口が広くなったからいろいろな学生が入ってくる。しかし、それをしっかり教育して出すのではなくて、何となく大学に入った学生を全部出すというムードで、今も入学生の九〇%以上が卒業生としていってしまう。世界で一番、卒業しやすい国となっています。これはやはり問題であって、在学中の教育をしっかりしなければいけないと思います。
入学は、私はある程度のレベルというか、やる意欲のある学生だったら入れても良いと思います。中教審の答申でも、成績が中位の学生で、意欲のある学生は入学させて面倒見る必要がある、と書いてあるわけです。中位といってもどこまでかわかりませんが、五〇%超えたところだと思います。意欲がないのはだめですが、大学で勉強したいという学習意欲のある学生だったら、入れて、その学生に合った教育をしていかなければなりません。学士課程教育の中の教育課程を適切なものとし、さらにきめ細かい指導をしなさいと答申に書いてあるのですから、教員が意識改革をして、そういう学生を教育するのが日本の大学のこれからの使命だと思います。
自分が昔学んだときは、優等生を集めて優等生の教育をやってきたから、それに比べると今の学生は質が悪いなどと言ってもらっては困りますから、私はいつも言いますが、入学生に対して、それぞれの大学がそれぞれのポリシーを持って、うちはこういうレベルの学生を入れ、しっかり教育しますと。四年でだめなら、五年、六年かかってもいいじゃないですか。そのかわり、卒業していくときは大卒程度の学力を持って、社会から信用される学士号を身につけている。その学士号は国際的に全部通用しなくても、社会で通用する、認められる学士号であって良いと思うのです。教育力をしっかりしなければというのはそういう意味だと思います。
○司会 私立大学団体連合会の質の充実にかかわる取り組みは、先程ポイントを紹介しました。協会は昭和五十五年から、私学は教育によって成り立つ、人間形成教育に軸足を置いて進めていくのだという、そんな三〇年前から進めている主要事業としての歴史がありますから、この事柄をしっかりと高めていただこうと思っています。
国会議員の方々への請願に参りますと、私立大学の数が多過ぎるのではないか、そして、定員割れの大学には補助金をやめるべきではないか、というご意見を伺います。これは「中長期的な大学教育の在り方」において、私立大学の重要な問題です。少子化時代の大学政策をどう考えるか。私どもは前々から一貫した捉え方をしていますね。役員会での一幕ですが、社会の高度化のもとで、我が国にはもっと高等教育を受けた人材を輩出すべき、人口千人当たり比の割合からすればまだまだ少ないとか、大学はキャッチアップ型の二十世紀の大学から、多様なフロントランナー型へ脱皮すべき、富士山型の高等教育体系から多峰型の体系への移行が必要であるとかですね。
地域活性化を担う特色ある地方私大と量的規模
これからの大学の在り方の問題で、少子高齢化時代の到来と高等教育の規模の問題について、お話を……
○小出 量の問題といいますか、進学率からいうと、五十数%とかなり進んでいます。しかし、一八歳人口が減っていますから、掛け算すると大学生の絶対数は減ってきてしまう。そういう意味では、もう少し進学率を上げないと、高等教育を受けて卒業していく絶対数が減っていってしまうのではないかと心配しています。この間の慶応義塾の安西塾長らの提言でも、進学率を五八%ぐらいまで上げるべきではないかと、指摘しています。
それに対して今一番困っているのは、地方の大学の定員割れです。都会の大学は定員確保については何も困っていない。先程黒田先生が言われたように、定員オーバーが今までよりかなりルーズになっています。少なくとも私は、私立大学でも一・一倍以上は絶対超えてはいけないと。都会の大規模大学が一・一倍で止めたら、かなり地方の大学は生き残れて定員割れを防げると思います。同じように国立大学は、本来一・〇倍であるべき、多少一・〇一とか一・〇二ぐらいは良いとしても、一・〇に近づくべきだと思います。それが実施できたら、かなりの地方の大学が潤ってきて、定員割れと騒がれなくなると思います。
しかし、現実には全国的にみたら、私立大学で学生が集まらないから学生募集を停止する大学が出てくる危険がありますし、これからそういうことは多くなってくると思います。
○司会 ありがとうございます。柴先生、先程の許認可行政とも絡めていかがですか。
○柴 一八歳人口もある一定のところから増えない。ですから、一八歳の就学人口ではなく、社会人の就学を組織として、例えば協会なら協会として何かしていくという運動、あるいは国に対する働きを行うべきだと思います。そうしないと、今の学生のパイで大学の数を維持するとなると、一八歳人口だけでは当然無理であって、社会人の就学数をもっと増やすべきであると思います。社会全体で学びたい人が入りやすい、あるいは入るようなキャンペーンをきちっと張って入れていく形にしていけば、社会全体の質も向上すると思います。
あとは北里大学で言えば、キャリア教育をかなり充実するとか、看護師、薬剤師も途中でやめているわけですが、そういう人たちに再教育を受けてもらって、また社会に復帰させるシステムをもっと組織的に行って、大学としての教育の充実を図っていく方が、これからの方策としては良いのではないかと思います。
○大沼 瀧澤先生、今の進学率の問題ですけど、この間、私学高等教育研究所で発表した国際的な比較を見ると、アメリカ、イギリス、韓国に比べて日本は決して高くないですよね。国際水準からみると日本は低いのだから、もっと高めないといけない、みたいな議論になるべきなのだけれども、そうなってないというのはどうご覧になりますか。
○瀧澤 全部の年齢層を対象にして、その在学率で言うと日本は高くない。アメリカは勿論、イギリス、フランスも人口当たり在学率は日本より高いし、韓国は倍以上ですから。
○大沼 社会的なシステムに問題があって,日本はどうしても今言ったように定員がすぐ問題になる。大体入学定員を管理すること自体が本当はおかしいですよね。国際的にはそういうことはそんなに厳密に行われているわけではなくて、当該大学がいい加減なことをしたら社会的に嫌われるだけであって、要するにディプロマ・システムだったらそういう必要はない。
ところが日本の場合、例えば、うちで教員を採ろうと思いますね、そうすると大学院修了を待っていたらだめなんです。良い先生は採れないのですよ。大卒の中で一番優秀な学生を採って、研究助手なり教員助手にして、そこで鍛えると優秀な教員が生まれてくるけれど、大学院へ行って、お金かけて博士号取ってなんて待っていたら、優秀な人は外へ逃げていってしまう。そういう日本のシステム自体を基本から改めないといけないのではないでしょうか。
また、高等教育へ来る学生を増やすとしたら二つしかないんですね。一つは、生まれてくる人は決まっていますから、社会を担っている全体、八〇歳までの全体の中から大学へどう留めるかということ。もう一つは、日本国だけではなくて、世界中から入学させる。その二つで対応することしかないので、その辺の基本施策をどうするのかということが、何か日本でははっきりしてない……
○瀧澤 定員制度には問題があると思いますね。というのは、今まで大学の質を考える時に、教員と学生の比率ばかりを重視してきました。それ以外の質の問題はいろいろあるけど、そういうことはあまり手がつかないまま放任してきて、専ら学生数対教員数の比でやってきたということで、定員制度がえらい硬直的になっていますね。編入にも定員がある。
今、フルタイムの正規学生だけでなく、パートタイムの学生がどんどん入ってくる時代になってきている時に、今までのような定員制度は維持できないはずだと思います。いずれ定員制度を考え直さないといけないと思います。
今は教育の質の評価をもっと内容的にやろうとしている訳で、質の評価であれば、教員・学生数比だけでなく、クラスサイズとか、学習指導・学習環境などの教育サービスが重要ですから、そうした評価ができるようになれば、定員は今のような硬直的な運営の仕方をしない方が学生の多様性・流動性のために良いのではないかと思いますね。
○大沼 国がコントロールするとなると、それしかないからなのですね。その他ができないことに問題がある。したがって、冒頭にまた戻るのですが、日本の教育は一体何を目途にして、力をどうつけていくのかということを根本からやり返さないと、少々いじったくらいではどうしようもないのではないでしょうか。
○瀧澤 質にしても量にしても、高等教育全体を対象にして議論したのでは答えは出ないと思います。今度の諮問を見ても、大学教育と書いてあって、高等教育とは書いていない。学士課程教育のまとめも大学教育と書いてある。ですから、恐らくそういう認識があるのだと思いますが、大学とは何かということを考えていく。大学は経済活動とは全く違う、大学の文化という確立されたものが伝統的にあるわけですから、その抽象的な文化とは何かを十分議論して、大学はこういうものだということを確立しないとどうしようもない。質の議論も量の議論もできなくなると思います。
○黒田 今言われたのは、「我が国の高等教育の将来像」答申として、高等教育全体について書かれていますが、その後に出されたものは、「新時代の大学院教育」であり、「学士課程教育の構築に向けて」の答申です。これらは完全に大学に特化しています。
○大沼 高等教育全体をどうするのかというようにしないと、この間の国際統計ではないけれども、大学というのは国際用語で言ったらユニバーシティだけで、カレッジは含まれるのか含まれないのかとか、インスティテュートはどうするとか、そういう定義が各国ばらばらでしょう。それを比較したって意味がないということに基本的にはなるので、日本で大学教育とは何を言うのかを明確にしないといけない。ただ漠然として大学を創ると―今、多過ぎるというのは、定員に満たない大学があるとか、安易に創り過ぎるとかという、それがまたみんな大学になっているわけですよ。
○瀧澤 今、大学の理念が崩壊しているから、株式会社なんか入ってくる。
○大沼 国が制度崩壊させておいて、崩壊して困るというのは困るので、その辺をきちんと再構築しないといけないのではないですかね。
○司会 非常に根源的なご指摘ですから、この辺もしっかり押さえていきたいですね。
「留学生30万人」へ向けた大学の国際化と魅力
先程グローバル化の関連で、「留学生三〇万人計画」の話題が出ました。それから入り口の部分の厳格化の話題に絡んで、小出先生から「高大接続の問題」もございますね。大学の根幹に関わる話題や直面する問題も山積しています。もろもろを先生方からそれぞれお話をいただきましょうか。
なお、一つだけご報告をしておきましょう。先程一八歳人口の減少時代を迎えて、私大協会も、生涯学習型大学への移行とか、社会人の団塊世代が社会に出ていく年回りを迎えているから、その方々をもう一度大学に迎え入れて、大学は一生に一度だけ行けば良いという時代から、何度でも大学を活用できる時代へ適応するという旗を振って四、五年経ちます。また、地域と大学が密接に結びつくような政策など、可能なことはほとんど提案をしてきましたが、それらに合わせて今度は留学生三〇万人計画、三〇拠点というお話も出ています。この辺はどうでしょうか。
○大沼 留学生とは何かということから決めないとだめだと思います。今、経済も産業もグローバルになっていますから、仕事をする人たちは、今日、日本にいたと思うと明日は中国へ行って、ヨーロッパへ行ってとなっているわけです。それが世界の潮流です。日本だけが極めて閉鎖的ですから、学校教育自体が全くグローバル化していない。
一番困るのは、子どもを連れて日本へ仕事に来ると、その子どもを勉強させる学校が無いと言われることです。そういう先進国というのは非常に珍しいと思います。アメリカへ留学という目的で行くからTOEFL六五〇点取っていないといけない等の制限があるのであって、それは留学生としてビザをもらうためなわけです。しかし、仕事で子どもを連れていくことはいくらでもあるわけです。そういう子どもに母国語で教育する学校は、他国では完備しているのだけど、日本はそういう子どもが来たら教える学校は一つもない。私立のアメリカンスクールはあるけれども、公立では全くないから、幼稚園や小学校の留学生なんか迎える余地がほとんどない。
大学の場合は逆に、大学自体が留学生のレベルが高くて、そこで勉強することがかえって勲章になるという意味の学校しか「留学生を受け入れる学校」と言わないのかという問題まできちんと対応していないと思います。
留学生を迎える学校は、その中の小中高校で親についてきた子どもの教育を、日本としてはこれから絶対にきちんとしなければならない。移民問題は別にして、一旦日本に来たら向こうへまた戻っていく、そういう日本人が明治時代にやったような留学生しか日本人は留学についての考え方がないから、逆に日本の大学がそういう大学にならなければだめなわけですよ。
要するに、日本で教えていることは、国際社会の中で最もレベルが高くて、そこへ留学してきて、勉強して自分の国へ帰って、大変有用な働きをするということを確立していくには、国際的にナンバーワンになれば良いのです。日本で勉強すれば、そういう勉強ができますよという学校づくりをどう進めていくか。少なくともそれは、有名大学は絶対にやらなくてはならない事柄だと私は思います。
そうでない場合は、例えば今、医療現場で起きている人材不足に対応して、海外から人材を募り、日本で高い知識を身につけて、日本で仕事をしてもらう、そういう目的で留学生を迎えることと、それぞれの性格によって違うわけです。もう一つ大きな課題としてあるのは、日本の文化とか日本の伝統を知ってもらう、要するに日本学。ドナルド・キーン氏のような人になってもらえる留学生を迎える。
そういう三つの要素があると思います。それに従って大学の在り方というのは変わらないといけない。大学とは何かを一律には言えない時代に入ってきていると思うので、そういう意味の拠点をどうしていくかということは賛成だけれども、いわゆる従来型で、一律的な基準で何となく格好良い大学が拠点だと言われる考え方については、基本的に反対です。現在、その危険性は多分にありますね。
だけど、これだけ多様化している社会ですから、日本が国際的にどういう専門領域が最も高いか、国際的に貢献できるか、例えば医学だとか工学の一部には決定的にそういう力を持っている大学はあるはずで、そういうところは国際的にどんどんと進めていって良いのではないかと思うし、小さくは文化女子大学なんかでも、ある程度そういう力をもう既に持ち始めておりますので、世界中から迎える体制になってきているわけですね。
ですから、そういうことをどう築いていくかが、留学生を迎える大きなポイントだと思います。その場合に二通りあって、日本語教育をどうするかが一つある。二つ目に日本文化を教えるとか日本の良さを教えるとかであれば、むしろ外国語で日本の大学で教えてしまうということもあるわけです。その二つの観点をどう取り入れて大学を築いていくかがこれからの課題だと思っています。その上で、三〇万人をどうやって迎え入れるかという形にしないと。それが整っていないと、ごちゃごちゃになってしまいますよ。
○柴 日本の高等教育政策の如実に表れる一番良くない点ですね。授業料を払って、食と住の費用を自分で出してまで、留学生が来てくれるだけのものを持った大学の質というか魅力を持っていて、そこで三〇万人ということであれば良いと思いますし、また今の状態のままであれば、三〇大学を提示して、そのすべてを国がサポートするから来てくださいという、その二つの方策しかないと思います。
ですから、今提案されているのは真の意味での留学生では恐らくなく、本当の意味の留学生は、日本の大学のここでこの勉強したいということで、国費からでも良いですし、個人でも良いのですけれども、来てもらうのが本来の姿ではないかなと思います。三〇万人という数を優先して言っていると、中身の伴わない留学制度になってしまうのではないかなという気がしますね。
ですから、グローバル化の代名詞でやろうとすることの意義が全く薄れてしまって、それをやることがかえってマイナスになるような感じがします。やはりその辺をきっちりしないと中途半端に終わってしまうかなと思いますけれども。
○司会 「留学生三〇万人計画」に、私立大学が真剣に関わっていくとなると、手間も費用も施設設備の整備も必要になります。言語の違いだって工夫が必要ですし、昔からある住まいの問題もある。これらの点をそのまま放置しながら、政策方針を示さないままに三〇万人計画と言われても、各大学にとっては大変な話になってきます。
○大沼 どういう種類の留学生を迎えようとしているのかという大きな方向性を決めて、それによって政策が違ってきますね。それは日本全体が遅れているので、どうしてもこれからやっていかなければならない重大な課題だと思っています。
○司会 走りながら考えていくべき問題提起をいただきました。次に、これからの日本の私立大学の教育の在り方について、お話をいただきます。小出先生からいかがでしょうか。東海地方はじめ、岐阜、富山、石川、福井など地方の大学も頑張っている、そういう角度からご覧になって、これからの私立大学教育への期待をお話をいただけませんか。
全入時代に求められる「学士力」向上の努力
○小出 これから知識基盤社会だと言われている時代がだんだん本格化しているわけで、その時に将来の日本を支えていく、特に物的資源のない日本においては、優秀な人材を育てなくてはいけないわけです。それを担うのは大学です。大学の中で、特に私立大学の占める比重が非常に高いわけですから、私どもとしましては、学力の低い学生から出ている問題に対して、率直にその指摘に応えて努力をする必要が一番大事だと思います。そのためには、先程から言われているように、大衆化した時代に中位の学生までを入学させて教育していくところは、特に私立大学に多いわけですから、そういった学生に対していかに良い教育をして四年間、それでだめなら五年間、六年間かかっても、一定の力をつけて社会に送り出す。そういう学士力を高める努力をする。そして、良い学生を社会に送り出す、それが日本のために一番大事なことだと思いますので、各大学はそれに向かって努力をする以外にないと思います。
○司会 ありがとうございます。
黒田先生、いかがでしょう。重要なご指摘をたくさんいただきましたが、全体的なところで。
○黒田 三〇万人計画は、文科省だけでなく内閣府が中心になって取りまとめを行っていると思います。これは、また産業構造も変わらなければだめですし、外務省とか法務省の受け入れもそうですし、いろいろな省が絡んでくるので、どう折り合いがつくかということになると思います。
いずれにしても、これは中教審で一度議論したのですが、来たくない学生を連れてきて留学生だと無理やり言っても仕方がないので、自ら来たい大学にしなくてはならないということが結論ですね。
そのためには、大学がそれだけの質を保証できなければだめだということになるのです。グローバル化の中で学位が世界に通用することが重要だと思います。
あと、一つ提案をこの前もしていたのですが、入学定員と募集定員の問題です。募集定員は、入学定員を上限にして下げることを可能にしてはどうか。今年はこれだけの学生を募集しますと公表して、それに対してその定員を充足したかどうかを物差しにして、入学定員で縛ることはやめようと提案していますが、ぜひそういう方向に行っていただければ、もう少し各大学に活力が出てくるのではないかと思います。
○小出 ぜひやっていただきたいと思います。また私大協会としては進めなくてはいけないと思います。入学定員を減らすということは、各大学で定員復活ができないと困るので、定員の権利は保有している。
しかし、今年は募集を減少させても元へ戻れますよという条件つきであれば、定員減を実施し、定員割れと騒がなくて済むのではないでしょうか。それによって私学事業団からの補助金もカットされずに済むのではないかと思いますから、ぜひこれはやっていただきたい。
私大協会の理事会で言ったように、昔、臨時定員増を行いましたが、一定の時になったら、それは返上しましたね。あれと同じことを臨時定員減で行う。また必要なときには戻せるということをやったら、やらざるを得ない大学が非常に多いと思いますので、それはぜひ私大協会の重要な仕事として進めていただきたいと思います。
○大沼 黒田先生、これ、やっとできますよね。
○黒田 設置基準の改正が行われますので、その中でやっていきたいと思っているのですけどね。
○小出 黒田先生一人ではなかなかやりにくいので、私大協会としてぜひそれをやるという方針を……
○黒田 声を大きくしてもらわないと……
○小出 そうすると、黒田先生も力強く発言できる。
○大沼 私大協会としては、もし決めたら、そのつもりでいますから。
○小出 黒田先生、春の総会では、みなさんが賛成すると思いますので、頑張って下さい。
ついでに、さきほど大沼会長が言われた入試の改善の方ですが、今、AO入試、推薦入試で、入学生の約五〇%が学力試験無しで入ってきて、さらに増える傾向にあります。私立大学だけだと思ったら国立大学協会まで、五〇%まで限度としてそれをやりましょうと枠を広げてきています。国大協がそんなことをやるのは、私はもってのほかだと思うのですが、それはそれとしましても、何らかの学力を担保する方法が必要だということで、今、高大接続テスト(仮称)という名称で協議研究委員会が開かれています。私も委員で出ていますが、何らかの学力を担保するということは必要だと思うのですが、テストが果たして本当にうまくいくかどうか、これはみなさんの議論を聞いてやらなくてはいけないと思います。
そう簡単にはいかないと思いますが、少なくともAOないし推薦の時に、内申書の成績を見るとか、あるいは浪人だったら既設のセンター試験の成績を見る、あるいは英検とか、TOEICといった対外的な資格テストの成績を見る等、何らかのそういうものを参考にしてやらないと。現在は、志願者なら何もかもよろしいという形が広がりつつありますので、その辺の枠は少し締める必要があると思います。
○司会 これらの改革は設置基準にも大いに関わってきます。大学分科会のワーキンググループでも学位プログラムが検討されていると伺っていますが、これは大学制度に本質的な変革をもたらすと思います。
○黒田 学位課程プログラムについて今検討に入ったばかりであり、結論は見えていませんが、構築には大変な困難が予想されます。
日本の学位は、短期大学士、学士、修士、博士となっていますが、学位プログラムとしては、短期大学士から博士まで一連の繋がりをもっています。大学を組織として捉えてきた経緯からみても、短期大学、大学学部、大学院において、学位課程プログラムをどのように切り分けするのか、学問としての幅と深さの関係や学士力に象徴される幅広い知識の涵養をプログラムに反映しカリキュラムを構築しなければなりません。日本の風土文化にあった制度にするためには、相当の知恵が必要でしょうね。
○司会 柴先生いかがでしょう。
○柴 私は、大学が存続するということと学生を集めるということにおいて、理事長、学長が、今置かれているそれぞれの私学の理念を超えて、多くの大学が人気のある学科とか学部を増設することだけを考えて、自分の大学のスタンスを見失ってしまっているのではないかと思います。大学を大別して、先端の研究をやるところ、高度専門職業人を養成するところ、リベラルアーツを学ぶところなどそういう形で分けられていますけれども、そうしたレベルではなく、何か人気のある学生の集まりそうな学部・学科を増設したり、名前を変えるというようなことがかなり行われている。それでは私立大学全体が埋没してしまうのではないかという気がします。
自分の大学はこういう位置付けで、こういう教育をしていくということをきちっと打ち出すことが大切だと思います。私立大学の薬学部の増設は、ちょうど規制緩和と機を一にして倍に増えましたが、将来、社会において薬剤師の職が供給過剰になることも予想され、大学の経営だけを優先させている気がします。子どもたちが大学に入ってきて、社会に出た時にどうなるのかをしっかりと大学が見据えて学部学科の設置や、教育をしていかないといけないと思います。
○司会 ありがとうございました。
瀧澤先生いかがでしょう。大学文化論の立場から。
○瀧澤 今、時節柄、私学は経営力の強化に議論が集中していると思いますが、その場合、トップマネジメントの強化とか、学生募集のマーケティングとか、そういう財政を中心にした経営問題に焦点がいっているのです。本当に今大事なのは、それだけではなくて教学のマネジメントだと思うのです。
カリキュラムの議論は、従来は教授会ですらきちんとやらないで、個々の教員がやったのを積み上げてできているという実態がそれほどまだ変わっていない。カリキュラムマネジメントをしっかりとこれから構築していく。FDであるとかIRであるとか個別の議論はいろいろ行われていますが、これはそういうものを全部ひっくるめたシステムになると思うのですね。そういう議論は少ししなくてはいけないと強く思っています。
教学のマネジメントの出発点は、人材養成の目標・目的です。今の私学は、建学の精神という言葉に少し甘えているところがある。そういう経営の目標になる目的・使命は抽象的で創設者の理念というだけではなくて、本当にどういう人材を養成しようとしているのか、そのためにどういう教育をやろうとしているのか、具体的な目標がなくてはいけない。
今、三つのポリシーとか言われていますが、入学者選抜の方針、カリキュラム編成の方針、卒業認定の方針、そういうものが立てられるほどの具体性のある目的・目標は、まだあまりないと思います。それをはっきりさせるというのは、私学の公共性を世に訴える上においても非常に重要なことだと思います。そういうことで教学のマネジメントにもっと力を入れていく必要があるのではないかと思っています。
○司会 ありがとうございました。重要なご指摘です。
大沼会長、最後におまとめを。
学士課程教育を構築し多様な価値を追求
○大沼 これからの大学の在り方について、今日、様々なご提案がされましたけれども、私も全く同感でして、今さらという感じもしないわけではないのですが、私立学校ができたときの私立学校政策の基本の中に、公共性ということともう一つうたわれていることが自主性ということです。自主性というのは私立学校の大きな特質であるわけですけど、その中の公共性というのは一体何なのかということを、もう一度きちっと振り返ってみる必要があるのかなと思います。その中の重要なこととして、これは言うまでもないけれども、そこで教えている教育が現在の社会のみならず未来の社会にとっても有用である教育を確立していかないと、いわゆる公共性はないのではないかと思います。
もう一つ大事なのは継続性ですね。学生が入ってきて、そこで約束したことは、四年間在学していれば、あるいは大学院だったら五年間在学していれば、そこで組まれたことはきちんと教えてもらえるという社会的な保証が基本的に必要なわけです。そういう点から申し上げますと、今先生方がご指摘になった、特に瀧澤主幹がおっしゃっていることが大変重要な要素になると思います。
したがって、永続性を保つためには、絶えず学校全体が研究もしなければいけないし、未来にわたって教える教育の中身の研究もしなければならないし、カリキュラムも組まなければならないし、入学の制度をどうしていくのか、社会に送り出していく送り出し方をどうすれば良いのかといったことが求められているのです。とりもなおさず、今言ったキャリアサービス全体にわたって何をしていかなければならないかということをきちんとしていくことが、これからは大事だと思うのです。そうでない限り、いわゆる私学の永続性が保てないのではないか。永続性を保つために何をすべきかということを絶えず考えて、そこに新しいものを加えていく。要するにオリジナリティを絶えず教育の中に、カリキュラムの中に加えて、国際的なレベルの大学にしていかないといけないのではないかなと思います。
今後は、中身で重要なことは、日本の中で通用するというだけではなくて、やはり国際社会の中で通用する大学づくりということが非常に重要な要素になりますので、その点をこれからの課題としてやっていければ一番良いのかなと、そのようなことを感じました。
以上でございます。
○司会 ありがとうございました。一〇〇〇年の大学の歴史に、全く新しい風というか流れといいますか、大変動の時代様相が出現しています。全国で多様な価値の追求を目指して奮闘されている私立大学に何としても光を当て、様々なエールを送っていくということに、団体としても力を注がなければなりません。具体のご提案もいただきましたので、私どもも着実に進めていきたい、このように思います。
新年における大学、特に私立大学の躍進を、先生方のますますのご健勝・ご活躍をご祈念申し上げ、本日の座談会をお開きとさせていただきます。ありがとうございました。
(おわり)