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平成20年11月 第2339号(11月19日)

高めよ 深めよ 大学広報力〈13〉
  知名度アップに貢献
  中央学院大学・上武大学に共通 優れた指導者、地元の支援  

 こうやって変革した(10)

 少子化による大学全入、補助金削減という大学"冬の時代"。各大学ともブランド力をさらに高めるのに腐心している。大学の知名度を上げる手段のひとつが大学スポーツの強化。正月の風物詩にもなった「箱根駅伝」はテレビの視聴率が二五%超という最強の広告塔。放送も受験生が志望校を決定する時期。同駅伝で上位を走れば、テレビ画面に選手の胸の大学名が出続け、アナウンサーが大学名を連呼してくれる。新春の箱根駅伝に出場する中央学院大学(椎名市郎学長、千葉県我孫子市)と上武大学(三俣喜久枝理事長、群馬県高崎市)に焦点を当てた。どのように駅伝部を強化したのか、箱根出場は、どのような効果を大学にもたらしたか? 箱根駅伝は来年一月二日、午前八時、東京・大手町をスタートして箱根・芦ノ湖を目指す。(文中敬称略)

 箱根駅伝の"宣伝力"

 箱根駅伝の世界を描いた作家、黒木 亮の「冬の喝采」が評判だ。一九七九年の箱根駅伝で主人公、早稲田大学「金山」が、瀬古利彦からたすきを受け取ろうと待ち構えているシーンで始まる。金山は黒木の本名。かつて自身が駅伝選手だった体験に基づく自伝的小説。
 黒木は、箱根駅伝の人気について、雑誌の取材に、こう答えていた。
 「一九八七年から日本テレビが中継をするようになり、各大学が受験者を増やすための格好の手段として力を入れ始めたのが大きい。箱根駅伝は伝統に支えられ、選手も監督も必死になる『魔物』のような大会なので、その魅力がテレビ中継によって世に広く知られることになったのだと思います」
 市民との交流深まる
 中央学院大は商学部と法学部の二学部からなる。一九〇〇年に発足した日本橋簡易商業夜学校が前身。その後、一九六六年(昭和四一年)、東京都中央区の中央商業高等学校(現中央学院大学中央高校)を母体として開学した。
 駅伝部は、八五年に報徳学園、順大で駅伝選手として活躍した現監督の川崎勇二を迎えて強化に乗り出した。一九九三年の第七〇回箱根駅伝予選会で五位となり初出場。七九回大会から現在六年連続九回出場。今年は過去最高の成績となる総合三位に入賞した。
 川崎の指導には定評がある。「高校の一流選手はうちには来ない。川崎監督は伸びしろのある選手を見つける眼力がある。指導は厳しいが、箱根駅伝連続出場の実績がある監督を慕ってくる選手も多い」と入試広報部長の根本三男は語る。
 根本は「箱根駅伝出場ということで、志願者増という明確な因果関係は見出せない。しかし、大学の認知度アップには大きく貢献している。また、地元・我孫子市が自主的な応援組織を編成してくれたり、市民と大学の交流が深まった」という。我孫子市役所には同大駅伝部のコーナーがある。
 市民の声援は、箱根駅伝の公式ホームページ(日本テレビ)の応援メッセージにある。今年の箱根駅伝に寄せられたものを紹介する。
 「三位入賞本当におめでとうございます!駅伝部の寮の近所に住んでいるのですが、いつもみなさんが町をランニングしている姿を拝見しています。テレビに齧り付いて見させていただきました!影ながら応援している君たちのファンが町にいることだけは分かって下さいね!」(三〇歳〜三九歳 男性 千葉県)
 「総合三位おめでとう。我孫子の核になる予感、選手の真摯な姿に感動しました。星野(我孫子)市長、更なる選手にやさしい環境・走路の整備に期待してます」(五〇歳〜五九歳 男性 千葉県)
 在校生に勇気与える
 箱根出場の効果のひとつとして、根本は、こんなことを付け加えた。
 「中央学院大の教育理念に徹底した少人数教育を通じて実力と創造力をそなえた有能な社会人の育成がある。箱根出場は在校生に対して努力すれば認められる、という勇気と成功のメッセージを与えてくれたと思う」
 箱根に関する広報の役割を「HPや学内掲示など大学の広報媒体を通じて箱根の事前事後に情報提供を行い、関係者の関心を高める役割を担った。大学生の駅伝なので、教育があることを忘れてはいけない。長い目で愛情を注いでいきたい」
 中央学院大は十一月二日の「全日本大学駅伝」で、五位となりシード権を獲得。エースである木原真佐人(四年)が二区で区間一位(東洋大と同タイム)となった。流れは良く、新春の箱根駅伝では、今年以上の成績をめざしている。
 一通のメールが貢献
 上武大は一九六七年(昭和四二年)開学、ビジネス情報学部、経営情報学部、看護学部の三学部ある。キャンパスは高崎市と伊勢崎市の二カ所。〇四年に日本長距離界の第一人者、花田勝彦を監督に迎え駅伝部を創部。今年十月十八日に行われた箱根駅伝予選会で総合三位となり、初出場を決めた。
 上武大の箱根出場には、一通のメールが大きな役割を果たした。ヱスビー食品の花田が現役を引退すると知り、〇四年一月、花田宛に「陸上部には長距離選手が一二人いる。全員、箱根駅伝出場を目指している。上武大学で長距離部員の指導をしてもらえないだろうか」という内容のメールを送った。
 メールを出したのは、同大陸上部の小野大介(当時二年生)。しばらくすると花田から、「大学で指導をするには大学のバックアップが必要。アドバイスや練習メニューのチェックならメールで答える」との返信が届いた。
 「小野君は事務局長らの助言で、直接、理事長にアタック。理事長は『本学にこんなに熱い思いを持った学生がいたとはびっくりした』とバックアップを即決、話はトントン拍子に進み、花田さんの招聘が決まった」と企画広報課長の落合晴彦が笑顔で話す。
 落合は、「小野君以前に、学内にも一般学生と運動部の選手がまとまっていない。陸上部の長距離を強化して箱根をめざしたらどうか、大学の活性化にもつながる、という意見があった。しかし、指導者をどうするか、で暗礁に乗り上げていた」と当時の学内状況を語る。
 落合が続ける。「学内には、外国人選手を呼ぶことはできないか、という議論も出た。たまたま、小野君が花田さんにメールを出したことが箱根出場の夢をかなえてくれた」
 花田は日常生活から練習まで全て変えた。「部員達は、花田監督から、何でも吸収しようと必死になり、監督についていった」と落合は振り返る。
 大学知ってもらう好機
 箱根が大学に及ぼす影響を、落合は「知名度が上がるのは事実。しかし、受験生が一気に増えるほど甘くはない」と続けた。
 「いま、うちの大学は学部の特色の強化や奨学金充実に力を入れており、これを周知させたいと考えている。こうしたところを、箱根出場をきっかけに訴えていければいいと思う。上武大はいい大学、とわかってもらうチャンスではないかと思っている」
 花田と小野は、こう言っているという。
 「シード権争いだとか優勝争いは難しいかもしれないが、上武大学、群馬県をアピールできるような走りに向け一丸となって臨みたい」(花田)
 「応援してくれる人がたくさんいたからこそ出場できた。周囲の人のサポートの有難さを実感した。感謝の気持ちを忘れずに大手町までタスキを運んでほしい」(小野)
 中央学院大、上武大の箱根出場には共通点がある。優れた指導者がいて、大学、地元の支援があり、それに選手が応えた。大学の認知度を上げ、在学生の一体化にも貢献。見たところ、いいことだらけである。冒頭で、黒木がいったように箱根駅伝には『魔物』のような何かが憑いているのかもしれない。

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