平成20年11月 第2338号(11月12日)
■高めよ 深めよ 大学広報力〈12〉
評価された教育力への取り組み 面倒見の良い大学 創立当初から全国志向
こうやって変革した(9)
不思議である。北陸にある私立の工業大学が新聞社の毎年実施する「大学ランキング」や「大学の実力」といった調査、出版社の行う「強い大学」などの大学ランク付けで高く評価されている。「面倒見の良い大学」、「学長が評価する大学」や「教育力の向上への取り組み」などは常に上位にランクされる。東京や関西の大規模ブランド大学も真っ青である。金沢工業大学(KIT、石川憲一学長、石川県野々市町)。金沢工大は、いつから、どのように、いわゆる「教育力」を高めたのだろうか。そして、どのように、それを全国に伝播(広報)させたのか。日本私立大学協会副会長でもある黒田壽二学園長・総長にじっくり話を聞いた。大学全入時代を迎え大学の質が問われている各大学にとって範になるのは間違いない。金沢工大に学べ。(文中敬称略)
金沢工業大 大学ランク、常に上位
朝日新聞の「大学ランキング二〇〇九年版」では、全国の大学学長が制度や成果で注目している大学として金沢工大は「総合」で京都大学に次いで二位(私立大学中一位)、「教育分野」では四年連続の一位。
読売新聞の「大学の実力」(二〇〇八年七月二十八日、二十一日)の「教育力向上への取り組み」調査では、西日本地区でダントツの一位となった。
週刊東洋経済(二〇〇八年十月十八日)の「本当に強い大学二〇〇八年」(財務力、教育力、就職力など一一の指標をもとにランク付け)の総合ランキングでは、旧帝大含む国立大、大規模ブランド私大に混じって一九位(私大では七位)にランクされた。
東洋経済の「問われる『品質保証』」の項では、〈「入学時には(国立の)金沢大学工学部に負けるが、卒業したら実力は上」といわれるほどだ〉と金沢工大の「ポートフォリオ」といった教育への取り組みが紹介された。
ポートフォリオに取組む
ポートフォリオとは、本来は、紙ばさみや書類入れという意味。転じて、教育分野では、学習の目標や記録などをファイルにして残し、その蓄積から成長を確かめる学習法を指す。
ポートフォリオについて、黒田に詳しく聞いた。
「二〇〇四年度から始めました。一年生が全員記入する修学ポートフォリオでは、『欠席・遅刻した講義科目と理由』『予習や復習、課題をした科目と所要時間』『部活動やアルバイトなどの内容と時間帯』などを毎日の行動を記録する。
学生は、毎日の行動だけでなく、一週間ごとに、週の反省点やその対策を一〇〇字以上で書き入れて提出する。遅刻が続き、夜にアルバイトをしている場合など、すぐに大学が指導できる。
ポートフォリオは学生の管理が目的ではない。本来の目的は、本人が何をしたいかを引き出し、勉強するチャンスをどうつかませるか、だ。修学アドバイザーが週一回、行動記録をもとに手を差し伸べている」
こうしたきめ細かい指導が、〈金沢工大は“全国区”。「教職協働による徹底した学生指導体制」「学生一人ひとりを大切にフォロー」が高く評価された〉(読売新聞の「大学の実力」)と論評されたようだ。
研究面でも成果あげる
同時に、研究面で工学分野の研究力の指標とも言える特許取得で「特許登録件数(二〇〇七年)」六位、「特許総件数(一九九八〜二〇〇七年)」一一位(朝日新聞の「大学ランキング」)につながっているのかもしれない。
“金沢工大は一日にしてならず”。「昔というか、創立当時(昭和三十二 年)は、北陸地方でも学校の名前はあまり知られていなかった」と黒田。では、マスコミが形容するように“全国区”になったのは、いつから、どんなことを行ってきたからなのか。
「創立時、地元の就職先はあまりなかった。そこで、地元密着でなく全国をめざした。学生も地元からは二割までしかとらない、など全国から学生を集める手立てを考えた。大学の名前を産業界の人たちに知ってもらおうと文藝春秋(月刊)に記事広告を掲載したのも、そのひとつ。
文藝春秋は各界のトップや幹部が読んでいる。それに、日本の世界中の大使館にも置かれていて、現地の外国人も読んでいると聞いた。この広告を見てうちの大学に見学に来た外国の方もいた」
創立当初、心配していた卒業生の就職のほうは、いまは順調だ。〇八年の就職率は九六・三%で、「本当に強い大学」の総合ランキングのベスト二〇のなかでは二位。〇八年の就職の傾向が“文高理低”となっているなか大いに健闘している。
きめ細かい就職支援
金沢工大の就職支援はシステマティックである。入学直後の春学期に行われる「進路ガイド基礎」でキャリアデザインを描き、二年次冬学期の「コアガイド」では四年次に自らが取り組む専門領域を決める。三年次には職業適性検査、模擬面接や履歴書の作成などを行う。
黒田によると、豊富な経験を基に教員自らがアドバイザーとして進路をサポートしている。同大の教員の五割が企業出身者。企業の事業内容や人材ニーズに即したアドバイスが可能なことがプラスに働いている。
さらに、東京・大阪・名古屋には企業訪問専任のスタッフを配置、こまめに企業訪問を行っている。企業訪問は教職員あわせて年間約二〇〇〇社にものぼる。これらが就職率向上に役立っている。
ここでも見られた「きめの細かさ」は金沢工大の「強さ」を示すキーワードかもしれない。
創立当初から地元でなく全国志向があったのではないか。それを指摘すると、黒田は「旧制四高のあった金沢は学都といわれた。もう一度、学都・金沢を取り戻したい」と、こんな話をした。
「地方の大学の“全国化”は大変だ。金沢にある約二〇の大学が生き延びるには全国から学生に来てもらわなくては駄目だ。自分の大学のことだけを考えていてはいけない。地域をどうするかを考えるべきで、目下、学都・金沢の街のイメージを高める運動を応援している」
さて、二つめのテーマである金沢工大の広報体制はどうなっているのか。黒田のインタビューに同席した常任理事で企画部長の二飯田憲蔵が話してくれた。
「広報課は企画部のなかにあり、総勢一二人で、本部広報や入試広報、ホームページなど大学の広報宣伝を一手に行っている。外へ出て行く情報はすべて広報を通るので、出す情報は正確に、を心がけている。(ニュースになる)素材はたくさんあるので、プレスリリースなどは積極的に出すようにしている」
二飯田によると、地元テレビ局で週一度(午後九時すぎ)、三分間の番組を提供している。学生が登場して研究のことや部活動、ボランティアなどキャンパスライフを語る。学生たちの間で話題になり、お互いを知る機会になり、刺激になっている。普通の学生を普通に紹介する番組だが、視聴率は高いという。
大事な危機管理
黒田がこう付け加えた。「学生募集などの際、いいことばかりを流すだけの広報であってはいけない。良きにつけ、悪きにつけ、適切に外へ向けて情報を流す、これができるか、できないか(が肝要)。これからは大学の不祥事の公表など危機管理が広報の大事な役割になると思う」
最後に、大学ランキングをどう思っているのか、黒田に尋ねた。
「大学ランキングなんて(のが登場したのは)、ここ数年のこと。これまで同じ事をやってきたわけだが、それまでは見向きもしなかった。(大学ランキングは)こちらから何もしないし、できない。向こうから取材に来るようになった、とぐらいしかいえない」
黒田は淡々と語った。その黒田には、大学ランキングより気になっていることがある。若者の理系離れである。理系の大学にとっては死活問題にもなりかねない。「かつては一八歳人口の二五%が理科系に進んだが、いまや二〇%。しかも一八歳人口は年々減っている」と、こう続けた。
「うちも応募者は落ちてきている。大学の二極化がおきており、このまま進めば大都市の大学が生き残り、地方の大学は全滅しかねない。地域配置など大学の役割分担が求められる時代になった」
それまで穏やかなに丁寧に語った黒田だったが、このときだけは厳しい表情になった。並々ならぬ決意を胸に秘めた顔だった。