平成20年10月 第2334号(10月8日)
■高めよ 深めよ 大学広報力〈9〉
求められる迅速、継続 女子短大と統合「大学改革」の集大成
こうやって変革した(6)
通常の広報活動をしているさなか、大きな案件が舞い込んできたら広報担当者にとって、やっかいだし、面倒である。武蔵工業大学(中村英夫学長、東京都世田谷区)は来年度から大学名を東京都市大学に変更する。系列の東横学園女子短期大学(海老原大樹学長、同)との統合に伴うもので、その背景には工学系の単科大の志願者減少がある。このように大きな仕事が飛び込んできた同大の広報担当者に、その対応、苦労、やりがいなどを聞いた。〇二年、同じように系列の女子大学と統合した大阪国際大学の広報担当者にも“先輩”としての体験を尋ねた。両者に共通していたのは、大学広報は平時も、有事のさいも迅速かつ継続した対応が求められる、ということだった。(文中敬称略)
校名変える武蔵工業大学
武蔵工大は学校法人五島育英会(山口裕啓理事長、東京都渋谷区)が運営する。工学部と、〇七年度に工学部から独立した知識工学部、一九九七年度に開設した環境情報学部がある。同法人系列の東横学園女子短大は、一九五六年度の創立、これまでに約二万七〇〇〇名の卒業生を送り出している。この二つの大学が統合されることになった。
五島育英会総務部広報調査課長、濱田 努が通常の広報の業務や飛び込んできた仕事について話す。
「広報調査課は、法人全体の広報業務に加え、そのバックグランドとして、教学関係を理解していることが必須なので、これらの業務等も担当しています。名称変更と誕生予定の新学部の広報活動では、特に意識はしていませんが、あえて比較するなら三〇〇%位ボリュームが増えたイメージです。予算のほうも学園全体、新学部の開設等があるので、通常の年間予算の数倍になります」
なぜ、武蔵工大は統合し、校名を変えたのか。ここ数年、若者に広がった「工学離れ」「単科大学離れ」が引き金になっている。この荒波に武蔵工大は巻き込まれた。濱田が説明する。
「〇七年度の全国の大学の工学系学部の志願者は約三二万人で、一五年前の六六万人の半分以下になっているそうです。武蔵工大も工学部の志願者は〇〇年には一万四〇〇〇人を超えていましたが、〇六年度は一万人を割ってしまいました。経営安定のためには文系の学部も持ったほうがいい、ということになりました」
実は、武蔵工大と東横学園女子短大の統合は〇五年四月に発足した大学緊密化委員会で検討が始まっている。東横学園女子短大も志願者減に悩んでいた。同年十一月、「統合すべし」との答申が出た後、同十二月から大学統合推進実行委員会で新設学部や学科の構成、新校名の検討が行われた。
その結果、東横学園女子短大を都市生活学部と人間科学部の四年制学部に改組して、武蔵工大の新たな文系学部として開設することが決まった。大学の名称は、〇七年八月に第一次候補として一七案が選ばれ、そのなかから武蔵都市大学、東京都市大学、東京横浜大学、都市大学、都市大学武蔵が第二次候補になった。〇七年十月、東京都市大学(略称:都市大)に変更することが最終的に決まった。
校名の決定について、濱田が続けた。
「この間、新聞に統合(校名決定)がスクープされる騒ぎもありました。スクープされたのは昨年三月、慶應大と共立薬科大との統合が話題になっていたときで、これに便乗したような記事でした。あんな大きな記事になるとは思いませんでした。もっとも、スクープされた校名は結果的には間違いに終わりましたが…」
校名変更のねらいはこうだ。従来の武蔵工業大学と東横学園の二つの名称の学校群を東京都市大学の下に一つとすることで、高大連携、一貫教育など教育研究体制の連携と強化をめざす。校名統一にあわせて『都市大グループ』に共通するシンボルマーク、ロゴタイプを策定した。
濱田が広報との関わりなどについて話す。「当法人では、ここ数年来、設置する各学校においてFDやSDを伴う様々な学校改革を行なってきました。この集大成が、大学名称の変更であり、高校から幼稚園まで大学名を冠に一斉に名称変更をしたことです。現在は、まだ『変わります』という部分を伝えていく予告編のようなものですが、今後『変わりました』という実体化へ繋ぐための広報活動を行っていきたい」
濱田は、これからの広報活動を力強く語った。
「後手に回ることなく的確なスピード感を持ち、適切な手段が何かを判断してやっていきたい。グループ全体の方向性等を伝えていく姿勢はこれからも大切にしたい。広報は一人で作りあげられるものではありません。関係する大勢の人たちと力をあわせ、継続して作り上げていくものだと思っています」