平成20年10月 第2334号(10月8日)
■源氏物語はどう読まれてきたか
杉並区図書館ネットワーク
高千穂大学(八木澤秀記学長)は、去る十月四日、同大学のタカチホホールにおいて、東京杉並区図書館ネットワーク(杉並区立図書館、女子美術大・高千穂大・東京立正短大・明治大和泉・立教女学院短大の図書館が参加)の平成二十年度企画として「源氏物語千年〜どう読まれてきたか〜」を開催した。
今年は源氏物語が確認されて千年が経ち、各地で展覧会や講演会等が催されており、このたびの企画では、千年の歴史の中で「源氏物語がどのように読まれてきたのか」を同大学経営学部の渋谷栄一教授が解説した。
同氏は、源氏物語(紫式部が描いた桐壺帝の第二皇子・光源氏の栄華と苦悩の生涯)の成立が一〇〇八年頃ではないか(最古の文献資料「式部日記絵詞」がある)と述べた上で、今日までの変遷を語った。
貴族文学の時代であった平安期には、更級日記の作者の菅原孝標女なども読者であった(御物本『更級日記』)や国宝『源氏物語絵巻』(複製)「御法」(第四〇帖)絵と詞(書風第1類)などがある。また、注釈(藤原伊行『源氏釈』)も始まり、物語の要約や出典などが記されるようになった。
鎌倉・室町時代には写本が盛んになり、学者と貴族・武士にも読まれるようになった。「源氏見ざる歌詠みは遺恨事也」(『六百番歌合』建久五年 判詞)とあるように歌人にとっては必読書となった。
本文には、藤原定家が旧字本を書写校訂した「青表紙本」系統と古典学者・源光行親行父子が対校して校訂した「河内本」系統、さらにその他の諸本として「別本」がある。
江戸時代になると、木版印刷によって大量に作られ普及していった。嫁入本が流行したり、工芸品として俵屋宗達の国宝『源氏物語関屋・澪標屏風図』なども作られた。
そして、明治・大正・昭和のマスメディア時代になって、現代語訳が出版されるようになり、平成の今日では、高度情報化の流れの中で、CD・ROM化、DVD化され、さらにウェブ化されるに至っている。
現在、源氏物語は世界二三の言語で翻訳され、全世界で読まれている。
(講師の渋谷教授の研究テーマは「藤原定家と『源氏物語』の書写校勘に関わる研究)