平成20年2月 第2306号 (2月27日)
■月並みな戦略
私は一九三六(昭和十一)年生まれの子年の年男である。この原稿を依頼されるまで、今年は子の年であることをそれ程意識していなかった。
子年というと、幼い頃聞いた「田舎のねずみと都会のねずみ」という寓話を思い出す。大学の「ヴィジョンと戦略」について述べるようにとのことであるが、実は、私は来る三月をもって任期満了につき学長職を退任することになっている。それはともあれ、大学の社会的使命は大きく、特に、私学の存在は、それぞれの建学の精神をしっかり踏まえた教育・研究活動を展開することによって、大学の特色が発揮される。同時に、大学の固有性に比例してそれぞれの大学間の特色の多様性が、日本の社会を豊かにすることは疑いない。
大学教育にとって重要なことは、建学の精神とその精神を具現化する教育目標が持続的に且つ発展的に遂行されることであり、その営為によって大学の大学らしい伝統が形成される。その伝統の中で培われるものは、先ず人であり、人として生きていくために自分にとって、同様に社会にとって必要とされる働きが期待される。
何年ぶりかで、一昨年から学部で二クラス教えるようになった。毎学期、授業評価を実施しているが、実際に自分が教えてみて、学生の授業評価が正当であるかどうか、はなはだ疑わしく思った。米国の専門家の間でも学生の授業評価についての評価が、実施されることに意味を認めるが、その結果については学生の主張が正しいわけではないことを裏付けている。
現在の学生はおしなべて学習能力の質の低下が目立つ。大学に入る前の彼らが受けた教育についての頭突きの循環批判をしても始まらない。全入時代を迎えた今日、多様な学生が入ってくるということは、二〇〇〇年頃をピークに一八歳人口が減少することにリンクして了解ずみである。
そういうことであれば、そのような学生を一人前にするのは大学の責任であると言わざるを得ない。私がこれまで学内で強く言ってきたことは、リメディアル教育を徹底する必要がある、ということである。
国際化の時代の中で、英語と自国語である日本語運用能力をつけさせることが肝要である。早い時期に大学入学が決まる傾向があるが、高大連携で基礎学習を始めさせることも実現可能なプログラムである。大学教育の基本と目標は人格の完成を目指し、そのために質の高い教養教育と専門基礎教育をしっかり行う必要がある。そのあたりのことがきちんとできていると世界的に通用する人材の育成が可能となる。
教育の基本は人間形成にあることを肝に銘じておきたい。