平成20年2月 第2305号 (2月20日)
■新年おめでとうございます/子年の感懐
私は昭和十一年の子年の生まれであります。戸籍上の出生日は二月二十六日、この日は首都で皇道派の陸軍の青年将校たちが国政の改革を求めて蹶起した、いわゆる二・二六事件の日にあたります。その失敗から以後は軍部の統制派が主導権を握り、その後の日本の辿った路は歴史の示すところであります。言わば近代日本の転機となった年であり、日であります。
私の実際の出生日は二月二十日。二・二六事件の写真等の映像が伝えるように、この年の冬(と言っても立春を過ぎていますが)は雪がとても多かった年です。本籍地の三重の山奥も雪が多く、祖父が規程の二週間以内の届け出ができず、幾らかの「罰金」を払えば可能だったらしいが、当時はそういう面ではルーズで歳末に生まれたものの多くが元旦を誕生日としたケースも多くあった時代、それで日をぎりぎりに遡らせて二月二十六日を出生日としたとのこと。二月二十日は、かの不滅の巨人軍の大スター・長嶋茂雄の出生の日、脚光を浴び続けるこのスターについては、往時は年々その年次の運勢をメディアが報じます。血液型も同じB型とあって、いつも自分自身のその年の命運を重ね合わせたものです。
閑話休題。本学二松學舎大学は、昨年十月に創立一三〇年目を迎えました。明治十年十月十日、学祖・三島中洲によって漢学塾として発足して以来のことです。爾来、わが国の学術、思想、教育の分野で一定の役割を担い、使命を果たして参りましたことは大方の認めるところであります。文明開化以来、近代化=欧米化の風潮のなかで、主流ではないが決して傍流ではない、アジア圏に勢力の進出を図る国策に乗じたような時流にのったものでもない、日本の精神文化の基底に脈々と流れる、人間形成の実践的倫理思想としての漢学(儒学)と、文章と審美の規範を培った漢文学の伝統を受け継ぐものです。本学の第一の課題は、そうした建学の理念・精神を時代に敷衍し、時代の求める人材の育成を図るということにあります。依然として西欧文化・思想・価値観の偏重にある時代に、それが容易でないことは認識しています。藩校、塾、寺子屋らならばこそ為し得た師弟相伝の薫陶を旨としていかねばならぬと思っております。
教育機関としての使命を抜きにして、否、使命を有するからこそその実現のためにも、少子化、大学激増、乱立の時代のなか「生き残り」を図らねばなりません。そのためには本学も都心回帰―九段(千代田区)集約化を図っていきます。先行する大学に遅れをとっていましたが、幸い法人の努力も相俟ってその第一段階の実現に入っています。引き続き、なろうことなら間髪を入れず手をうって都心回帰、集約化を果たしたいと考えています。
周辺の大学を見渡しますと、本学は財政、学生数、学部・研究科数のいずれもが規模が小さく、数量的に太刀打ちできません。いまさら拡張主義も採れません。それでいてCOEに採択されている学術の高さ、少人数で目の行き届いた、一人一人の資質を伸ばす、質的に高い、密度の濃い教育を実施し、小さくともキラリと光る大学を目指して参ります。