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平成20年1月 第2300号(1月9日)

「世替わり」の中を50年

沖縄大学理事長 新崎盛暉

 今年(二〇〇八年)六月十日、沖縄大学は、創立五〇周年を迎える。
 沖縄は、一九七二年の日本復帰までは、米軍政下に置かれていた。戦場にされて廃墟となった沖縄に、一九五〇年、米軍指令によって琉球大学が設立され、次いで、一九五八年、初の私立大学として沖縄大学が設立された。
 沖縄大学は、琉球大学と共に、少しずつ復興の兆しを見せ始めた沖縄社会の向学心に燃える若者に、勉学の場を提供した。とりわけ沖縄大学は、若者たちにとどまらず、戦争とその後の経済的窮乏の中で、学びの場を奪われていた社会人学生・勤労学生に学習や資格取得の場を提供するという大きな役割を果たした。
 日本復帰に際しての最大の問題は、琉球政府立琉球大学をはじめ、沖縄の大学すべてが、日本の大学設置基準を満たしていなかったことである。戦争被害から立ち直りきれないまま軍事優先の米軍政下に置かれた沖縄では、教育や民生面への配慮が後回しにされざるをえなかった結果である。
 復帰に際しての政府の政策は、琉球大学は国立大学とし、私立大学は一校に統合することを条件に財政支援を行うというものであった。建学の精神を異にする私大統合には、強い抵抗感があり、結局沖縄大学は、統合受け入れ派と、規模を縮小して自主存続を追及する立場に分裂した。
 さまざまな紆余曲折を経て、沖縄大学は、旧沖縄大学と、復帰後認可された新沖縄大学を接続させる形で存続を維持した。
 しかし、この間の経緯は、高校現場に沖縄大学の将来に対する不安感を生み、また、大学側もこうした不安感を払拭するだけの理念や実践を提示できないまま、入学者の減少によって存亡の危機に立たされることになった。
 そうしたどん底状態の一九七八年、沖縄大学は、学生・教職員お互いの顔が見えるという小規模大学の特色と、私立大学としてのフットワークの軽さを活かし、全員参加の下に「地域に根ざし、地域に学び、地域と共に生きる開かれた大学」という理念を確立し、さまざまな教育実践を積み重ねていくことになった。その具体的内容は、紙幅の関係で割愛せざるを得ないが、こうした努力の甲斐あって、昨年沖縄大学は、特色GP、現代GP、社会人学び直し、学生支援GPの四つのプログラムすべてに採択されるという成果を生むまでになった。
 いま、大学冬の時代といわれる。とりわけ、地方の小規模な私立大学は、厳しい条件下に置かれているという。確かにそれは私たちの実感するところではあるのだが、私たちは、それを逆手にとって生き抜いてきたようにも思う。

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