平成19年11月 第2294号(11月7日)
■研究成果を地域へ還元 −1−
沖縄国際大学(渡久地朝明学長)の南島文化研究所(小川 護所長)は、一九七八年の創立以来、沖縄諸島を中心とする琉球列島とその周辺の東アジア地域を研究対象に、「南島」文化圏(中国福建省、韓国、沖縄〈琉球〉)として認識し、基層文化と自然環境について文化人類学、歴史学、文学、自然科学などの分野の研究を積み重ねている。さらに、これら様々な研究成果を講演会(市民講座等)、研究会(シマ研究会、南島研セミナー)といった市民向け事業を通して地域社会へ積極的に還元している。昨今の「沖縄ブーム」もあり、今日では沖縄屈指の「資料センター」として大いに利活用されている。そこで、同研究所の活動内容について、崎浜 靖専任所員に執筆いただき、三回にわたって連載する。
(一)南島文化研究所設立の経緯
沖縄国際大学は、沖縄が「日本復帰」した一九七二(昭和四十七)年に開学した。南島文化研究所(以下、南島研)は、その六年後の一九七八(昭和五十三)年四月に、地域の強い期待を背に受けて、「南島地域の社会と文化の総合的研究」を目的として設立された。
研究所名にある「南島」とは、奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島を含む地域の古名であるが、本研究所では、とくに「琉球」の別称として用いている。
研究所設立の直前に書かれた「南島文化研究所設立の趣旨」には、「文化」の研究には総合的・学際的な共同研究が求められているにもかかわらず、共同研究の条件が整っていないために、境界領域の研究が大幅に遅れているとの指摘がある。当時、学長であった安里源秀先生を筆頭に、初代南島研所長を努めた宮城栄昌教授(歴史学専攻)、副所長の高宮廣衛教授(考古学専攻)等、南島研設立に深く関わった本学教員の多くは、研究体制の遅れを意識しながらも、総合的・学際的な研究所の設立に強い熱意を持っていたことが、「研究所設立の趣旨」からは伺える。ちなみに設立当初の所員は、歴史学、社会学、地理学、言語学、経済学、法学などを専門とする一八名であった。
また研究所設立に関わる内部の動きとは別に、当時の沖縄では、琉球文化の総合的研究を進める学術研究機関の設置を求める「声」も高まっていた。本土では、すでに法政大学において沖縄文化研究所が設立され、精力的に総合研究を進めていた。それに影響されて、復帰後数年を経た沖縄において、県民の多くが政治的、経済的困窮から脱する中で、沖縄のアイデンティティを求める世論の動きが高まっていた。学術研究機関設置の要望は、これらの外部からの要請も強く働いていたことが背景にはある。そのような沖縄社会の求める期待と連動しながら、南島研の設立が早期に実現されたといえる。
(二)研究方法と研究体制の確立
南島研の事業の柱は、「琉球列島の調査研究と周辺地域との比較研究」を推進することである。これまで、奄美諸島から宮古諸島、最近では八重山諸島の地域研究を行ってきた。おおよそ三〜四年の間、調査地域となる島や行政区域を決めて、専門分野を異にする研究者を集めて総合調査を進めてきた。今年度は、与那国島総合調査の三年目である(二〇〇八年三月末終了の予定)。
また、一九九〇年代からは、韓国、中国福建省、台湾といった沖縄と関係の深い海外の地域においても総合調査を進めている。
設立当初の南島研では、足もとの琉球列島の島々の自然・文化・歴史についての共同研究が企画され、まず国頭・与論島調査が開始された。その後、共同研究を基本とした研究活動を中心に据え、琉球文化圏内の基礎研究を柱に置いた総合調査が行われるようになった。当時、研究を支える事務体制は手探りの状態からのスタートであったが、事業計画・調査計画などの研究事務全般については、主に事務主事が担当し、制約の多いなかでの研究活動であった。ところが南島研の研究活動が活発化する中で、一九八四(昭和五十九)年からは専任所員が配置されることが決まり、調査研究が幅広く展開できるようになった。初代の専任所員は、事務主事を担当していた仲地哲夫助教授(当時)がその任にあたることになった。この専任所員の配置が、後の研究所における研究活動において大きな推進力となり、事務課長の配置を含めて事務組織の確立がなされるようになる。なお専任所員が配置されるまでは、主事と事務補佐員、非常勤職員で南島研の諸業務をこなしており、事務職員以外の多くの所員の献身的な援助があった。これら所員と事務職員とが密接に連携して、何とか諸事業を展開することができた。
南島研では、創設以来、調査地域については「琉球」に限定せずに、歴史的・文化的に関係の深いアジア諸地域へも視野を広げて、「周辺地域」との比較文化の視点を重視してきた。その理由として、琉球文化は、長い歴史の中で絶えず周辺地域と接触しながら、その影響を受容し、今日みる独自の文化を形成してきた。そのためアジア周辺地域との関係を抜きには、琉球の歴史や文化を理解することが困難であるといった基本的命題があったからである。南島研の研究方法は、「総合」「学際」といったキーワードに加えて、「比較」の視点を設立当初から意識して活動を行っている。これらの視点は、次稿以降で紹介するが、一九九〇年代以降の海外調査において結実することになる。
(三)研究成果の地域還元
南島研では、これまで研究成果については報告書(『地域研究シリーズ』)や紀要(『南島文化』)において、所員や特別研究員の論文を多数掲載してきた。共同研究の事例としては、「共同売店」、「人頭税」、「ヘリ墜落事故」等に関する学際的な研究で大きな成果を残すことができた。南島研ではこれらの研究成果を、講演会(市民講座、調査報告講演会)、研究会(シマ研究会、南島研セミナー)といった市民向けの事業を通して、地域社会へ還元するよう力を注いできた。この点に関しては、私立大学の利点である「地域密着型」の人的交流がベースとなり、結果としては大学の広報活動の役割を兼ねた事業展開となっている。
また、南島研では、これまで多くの沖縄関係の史資料を収集してきたが、研究者以外の一般の方々の利用には制限があった。とくに昨今の「沖縄ブーム」の影響もあってか、県内外からの当研究所へ電話、メール等を通して、情報収集する方々が増加している。そのようなことからも、いっそう工夫をこらした一般向けの沖縄情報の発信を考える必要がある。沖縄屈指の「資料センター」として成長した南島研であるが、新たな事業展開を検討する時期にさしかかっているともいえる。