平成19年6月 第2276号(6月13日)
■授業における出欠管理の教育効果 −上−
−携帯電話での出欠確認2年間の効果と今後−
学生の授業出席率を上げるために、これまで多くの試みが大学でなされてきたが、大規模システムの導入はコストがかかり過ぎたり、「代返」が容易にできてしまったりと、今も頭を悩ます問題である。青森大学では、学生の携帯電話を使って出欠確認するシステムを開発。メディアで報道されたこともあり、二年以上経った今日まで、問合せや見学が後を絶たない。同大学経営学部の福永栄一准教授に仕組みや導入の経緯を寄稿して頂いた。
【大学の教育課題】
大学生の学力低下が問題になっている。「大学全入時代」、「九九が出来なくても大学に入れる」といわれる時代である。三〇年前に「嗚呼!!花の応援団」(どおくまん)という漫画が流行った。その舞台となる大学の応援団には「分数の足し算ができない学生がいる」という話があり、当時受験勉強していた私には、衝撃が走った。それが漫画ではなく、現実になりつつあるということであろう。
学力向上には、教員による講義と自習が必要である。講義は、学生を一箇所に集めて教員が授業で行う。そこで学んだことをより深く広く理解するために、学生が自ら勉強するのが自習である。その効果を高めるために試験を行う。試験だけでは学期末まで学習意欲を継続できないため、随時レポートなどを課す。小学校から大学まで、この方法に大きな違いは無い。
しかし、これらは学生が授業に出席することを前提とした方法であり、学生が授業に出てこなければ全く効果が無い。にもかかわらず、この方法が小学校から大学まで、今日まで続けられてきた。その理由は、小学校から高校までは、学校を休むことを社会的に“悪”と位置づけ、「何が何でも学校だけは行くべし!」という考えが浸透しているからだ。もちろん例外はあるが、児童や生徒は、無理やりにでも学校に行かされる。だから授業に出席しているのだ。
しかし、これまでの大学に対する考え方は違っていた。授業をサボっても誰も怒る人はいなかった。学生が遅刻しても教員は気にせず授業を続けていた。出席しない学生や遅刻が多い学生を大学が指導することはなかった。指導されるのは高校生までである。事実、大学生が昼間にゲームセンターにいても補導されることはない。
これは、大学は“自由な環境の中で自主的に勉強する”という考え方が世間に認められているからだ。世間は大学生を大人扱いし、仮に授業をサボって卒業できなくとも、それは本人の責任という考え方があるからだ。しかし、高校三年生と大学一年生では、何故これほど世間の扱いが違うのであろうか。
それは、一八七七年(明治十年)に唯一の大学として設立した東京大学以来、大学生が優秀だった時代が長く続いたからではなかろうか。当時はもちろんであるが、昭和三十五年でも大学と短大合わせた進学率は一〇%程度であった。一〇人に一人しか進学しなかったのである。天才とはいわないまでも非常に優秀な者しか進学しなかったはずである。彼らなら、少しぐらい授業を怠けても、後から挽回できたかもしれない。仮に挽回できなくても、単位さえ取って卒業すれば、間違いなく日本に貢献できる一人となったはずである。非常に乱暴な言い方であるが、高校を卒業した時点で一〇人に一人の学力を有しているのだから、大学で勉強しなくても社会に出れば優秀には変わりなかったのだ。
しかし、高等教育機関(大学、短大、専門学校)への進学率はその後右肩上がりで上昇する。昭和五十三年から昭和六十二年にかけては五〇%前後で安定するが、それ以降再度上昇に転じ、平成十七年には七五・四%に達している。四五年間で進学率は六五%も上昇しているのである。四人に三人が進学するのだから、必ずしも優秀な学生だけが大学に入学するわけではない。数字から明らかなように三人に一人は平均以下の学生が入学している。以前は「学力が足らず進学できないから就職する」といわれたが、現在は「就職難で働くところが無いので進学する」というケースも増えている。
一〇人に一人ではなく、一〇人に七・五人が進学する時代である。以前は進学しなかった六・五人が進学する時代である。これにより大学の主役である学生の質が変わったのである。主役が変わったからには、大学も対応を変えないといけないのではなかろうか。従来の「最高学府だから、出席など関係なく、自由に学び、試験さえできればいい」という考えを変えないといけないのではなかろうか。
【青森大学の対応】
このように考え、青森大学では、学生の教育支援をテーマとして、全学部、全授業での出欠確認に取組んだ。学生に、四年間とことん勉強してもらうために。そのための第一歩は全ての授業に遅刻せずに出席することと考えたからだ。また、学生の出欠状況を管理し、休みがちな学生を支援することができるからだ。
しかし、出欠確認には多大な努力と時間が必要である。少人数クラスはよいが、五〇人を超えると飛躍的に作業量が増える。全学部、全授業での出欠確認は人手で出来る作業ではない。そこで、コンピュータシステムを導入することにした。いくつかの大学統合パッケージソフトを検討したが、いずれも授業中に出欠確認できる機能はなかった。学生証をスキャンするシステムも検討したが、このシステムを使うと、出席登録しても教室に入らないで帰ってしまう学生が増えることが分かった。残念ながら、手間をかけず、代返を防止して出欠確認できるシステムは無かった。
そこで本学独自で、学生の携帯電話を使って、出欠確認するシステムを開発した。そのシステムの条件は、@低コストで、A使いやすく、B効率的に出欠確認ができ、C代返が防止できることであった。特にこだわったのは、授業での出欠確認作業が極力簡単なことである。携帯電話を持っていない教員もいる。学生も必ずしも携帯電話に慣れているとは限らない。そのような教員と学生でも、授業中に出欠確認できるよう考えた。その結果、教員は操作しないで出欠確認するように作った。具体的には、図のように、学生に携帯電話で出席登録のWeb画面にログインさせ、教員はその場で思い付いた一桁の番号を告げる。学生はその番号を画面で選択し、教員が「登録して下さい」と言うと、全員同時に登録ボタンを押す。慣れれば一分以内に終わる。また、教員が思いついた番号を、同時に登録できるのはその教室にいる学生だけなので、代返も防止できる。仮に学生が二〇〇人いても、五〇〇人いても一分で出欠確認ができるのである。
導入した二〇〇五年度に新聞やTVで何度も報道されたこともあり、二年以上経った今日まで、問合せや見学が後を絶たない。本年二月にも二校の大学が青森まで見学に来てくれた。見学した先生方は例外なく「これなら大丈夫。これまで検討した時間が無駄だった」といってくれる。私は、このシステムが、学生の出席を促すことで、大学教育改革に広く薄く貢献できると信じている。改革の実現には、多大な努力と労力が必要であるが、それが継続できないために挫折することが多い。本学の出欠確認は、僅か一分の努力と労力で効果が出せるので、二〇〇五年度四月から二年三ヶ月、今日まで全学部、全授業で使い続けている。本年度から、大阪電気通信大学でも使われている。先生方の評判もよく、当初使う予定が無かった学部でも、急遽予定を変更して使っている。
(つづく)