平成19年5月 第2272号(5月9日)
■天災は忘れたころに そのとき我々は何ができるか −2−
日本私立大学協会(大沼 淳会長)では平成十八年十月十八日から二十日まで、静岡県浜松市において平成十八年度事務局長相当者研修会を開催した。当日は二二五大学から三〇〇余名が参加し、「私立大学の社会的責任とマネジメント」をメインテーマに講演、報告、班別研修等が行われた。本紙ではそれらの中から、「天災は忘れたころに そのとき我々は何ができるか〜阪神・淡路大震災の体験をもとに〜」と題して、宮本善弘神戸学院大学理事長補佐からご講演いただいたものを数回に分けて掲載する。
しかし私ども全員が素人集団です。たまたま一二号館、一三号館を建設している最中で、学内に竹中工務店の事務所がありました。工事関係者は責任感が強いですね。かなりの関係者が来ておりました。
工事の最中ですから、自分達の工事現場がどうなっているか知りたいと見に来たのです。我々職員と一緒に震度三や四の余震が続く中、建物の点検を行いました。ガタガタガタと音がする中、また足元が揺れる中をみんなで手分けしながら、被害状況を写真におさめたり記録を取ったりしました。
電気、ガス、上下水道関係、ライフライン関係の調査は大変でした。高圧から低圧に変える特高受電所が被害を受けていなかったので、本部のある一号館だけに送電を行いました。これも大事なことですが、大学から徒歩一五分ぐらいのところにインターナショナルハウスがあります。外国人客員教授や留学生がいます。地震体験のない客員教授はすっかり怖がってしまっていました。何が起こったか分からない状態でした。説明しましたら、こんな日本にいられないということで契約途中だったのですが、すぐに帰国しました。三月末までの給与を全部払えということで全部払いました。
それから、やはり二次被害が怖かったので、栄養学部と薬学部の一部の教員に、大学に出校するように学長が命じました。それと一号館以外の建物には水道の送水が止まっていますから残っているのは屋上タンクです。各建物のトイレ用に水を使ってしまったら飲み水が無くなる。だから、トイレの使用は一号館以外の建物は使用禁止。その一号館の一階・二階のトイレ用の水は、屋上のタンクの水は使わずに、約五〇〇リットルのポリ容器に防火用水の水を使用して、手酌で水を流しました。こういうところまで飲料水を確保するための努力をいたしました。
さらに、安全を確認するまで、学生及び地域住民の学内立入りを禁止しました。門扉のところで全部対応しました。余震の程度や安全状況が分からないのでどこでどのような二次災害が起こるか分からないことから、むしろ学内に入れない方が安全だということでそのような対応をしました。
一号館はたまたまLPガスと都市ガスを併用していました。都市ガスは供給が止まっておりますので、LPガスの配管を全部、ガス漏れがあるかどうか、確認をしました。幸い使用が可能な状態なので、暖を取ることができました。もちろん漏電チェックも行っていきました。テレビ・ラジオは、断片的にしか情報が入ってきません。本部要員としてのスタッフは私ども総務課と人事課の約二〇名で対応して、それ以外の部署のある建物には、電気を送っていませんから、職員を日没までに帰宅させました。総務関係職員は、全員、自宅の被害の大小にかかわらず、当分の間、出勤と残業を命じました。よく頑張ってくれたと感謝しています。電話はまだ不通でした。
国立大学出身の人はご存知かと思いますが、激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律(昭和三十六年)があります。これは財政援助ですから、激甚災害を受けたところは、後で補助金が出ます。だからそのときの証拠写真を全部撮っていったのです。改修してからだと説明がつかないということを知っていた人がいたのです。
二日目です。電話が復旧しました。もちろん応急処置を継続します。建物の漏電チェックや復旧作業も続けます。そうこうしていると、文部科学省の担当者から、すぐ連絡が入り、RI施設の状況等について問い合わせがありました。もちろん亀裂がいっています。さらに稀釈槽の亀裂や、パイプの破損、これを申し上げましたら安全確認するまで使用しないでくださいということでした。それから、入学試験の願書受付期間を延長しました。後期定期試験の開始日を決め、その間は休講としました。一日目に続いて、教職員や学生の安否確認を行いました。
三日目です。三日目は、先ほど言った客員教授や留学生がいるインターナショナルハウスが、断水のため、大学の防火水槽から五〇〇リットルの大きなポリ容器で水を運びました。全部、職員がやりました。それと私どもは文科省の私学行政課に被害状況を電話で報告しました。報告したのは、私どもの大学が最初だったそうです。
次に、予定していた会議は、全部お流れです。当たり前の話です。当分の間は、災害対策本部に権限を委譲するということが決定されていました。三日目も安否確認、被害状況報告といわゆる対応方法の検討が続きます。また、交通や道路条件やライフライン関係の復旧の情報収集をしないと、学事計画の対応ができません。しかし、なかなかこの情報は集まりません。行政も大変ですし、マスコミから流れる情報も非常に慌てていますから、あいまいです。
(2)災害対策本部解散までの対応(約一か月)
これからは本部解散までの約一か月間、我々が何をしたかということを話します。まず、高等学校が兵庫区という一番震災をもろに受けた所ですが、取引銀行が倒壊しております。そうなりますと、教職員のデータが全部入っておりますので、給料の支払いができません。大学の取引銀行を通じて仮払いをして暫定支給をいたしました。
そして中国からの留学生二名が被災し死亡しました。これはかわいそうでした。兵庫署から連絡を受けて私どもで遺体を引き取りに行って、大学近くの寺に約二週間安置して中国大使館を通じて遺族に連絡し、一月三十一日に大学の関係者でお別れの会をしました。中国は土葬で、荼毘にふさないと連れて帰れません。遺骨を親が受け取りに来られました。これは非常に淋しい出来事でした。親の旅費やお別れ会などの一切の費用を大学で負担しました。
次は、後期定期試験中止決定に伴う課題です。これはもう非常に大きい問題を残しております。先ほど全権を対策本部に委譲するということを決めましたので、平常時のレポート、出欠、臨時試験で評価できない場合は履修者全員に認定評価をする、N評価をすることを本部で決定したのです。ところが一部教授会が反対しました。専門教育科目では評価できない場合はレポートを提出させるということでした。本部の決定に従わない。それならば一切手伝いするなということでしたが、教授会は実施しました。結果としていまだに課題を残しております。それは被災地のど真ん中におる学生もこの中におります。教員の中にもレポートを評価することが難しい被災を受けている方もおられました。本当にそのレポートがどのくらい公平に評価ができたかというのはいまだに疑問ですし、本部の決定に従わない学部の対応には大きい問題を残しております。
また、短大(長田区)と高校(兵庫区)も飲料水が不足しておりますので、私どもがポリ水槽で五〇〇リットルを二つずつ運びました。事務職員が全部運んでいます。地域の人たちから飲料水を下さいという要請、薬の天秤はかり貸し出しなど、このことは薬学部をお持ちのみなさんは、よくご存知なのですが、ほとんどデジタルです。けれども、学生の実習用には薬学部は全部天秤はかりを用意してあります。薬剤師が足りない、派遣してくれ、これも派遣しました。インターナショナルハウスは客員教授が帰ったりして空いている部屋がございました。地域の住民が倒れかけた家が怖いから、避難所として貸してくれと言われすぐOKしました。
ところが大学がOKしてもダメなのです。区役所、県が事前に来て安全を確保しないとOKできないという。避難所というのは小学校、中学校、高校、公立大学、国立大学はあらかじめ避難所として指定を受けております。本日おられる私学の中でもあらかじめ行政から避難所として指定を受けている場合は良いのですが、指定を受けていない学校はすぐ自分のところでは判断できません。行政が必ずかかわります。難しい問題でございます。
次に、私どもの大学は交通が寸断されていますから東側の京阪神地区の入試ができません。しかし、おかげさまで大阪学院大学と京都薬科大学の協力を得て、入学試験を行うことができました。そのほか行政等の対応についてですが、窓口をつくりながら、誰がどのように対応するかをあらかじめ決めておりました。本日ご出席の多くの大学のみなさんからお見舞いをいただいたり、もちろん日本私立大学協会からもお見舞いに来られました。多くの方からの電話や訪問応対もしなくてはいけません。
次に緊急復旧工事です。これも入学試験や四月からの受け入れなど、いろいろなことがございますので、早急に復旧工事を行いました。また下宿の確保も非常に重要です。(つづく)