平成19年2月 第2263号(2月21日)
■駿河台大学の地域との連携 −2−
駿河台大学(埼玉県・竹下守夫学長)は一九八七年に設立され、開学。当初から「開かれた大学・地域に密着した大学」を目標として掲げている。以来、地域での取組を加速させ、「学生参加による〈入間(いるま)〉活性化プロジェクト」としてそれまでの取組を組織化し、平成十六年度(第一回)の「現代的教育ニーズ取組支援プログラム」に採択されている。このたびは、同プロジェクトの中核を担う地域ネットワーク推進支援室の室長である、吉田邦久同大学副学長に、多様な取組と教育の効果について、寄稿して頂いた。
さらに、「中国語/韓国語しゃべり場」と称して、中国語や韓国語に興味のある市民や、中国や韓国からの留学生が参加して、交流した。留学生にとっては、一般市民とのふれあい、日本の地域の生活や行事を実際に見たり聞いたりすることができたことがよかったと思われる。
AFM番組、CATV番組の制作
FM番組制作では、入間市にあるFM放送局の「FM茶笛(チャッピー)」の毎月第四土曜日に放送の一五分番組「発信!駿大・いるプロ情報局」を制作した。内容は、放送局の職員の指導の下、「いるプロ」の活動の現場紹介や入間市の商店などの紹介などである。
CATV番組制作は、学生達自身が企画・撮影・取材・編集などを行って、「入間ケーブルテレビ」で毎日放映される「発見!駿大いるプロ情報局」という番組を制作するものである。二週で一本というペースで番組を作り続けるもので、内容は、学生達の視点から見た入間のまちの紹介をメインとし、地域行事や地域の人々の活動、まちで評判の商店の紹介などの他、「いるプロ」の活動や大学祭などの紹介であった。
FMやCATVの番組の制作は、社会へ提供される商品の制作であり、内容の正確さとわかりやすさ・魅力を備えていなければならないうえに、大きな責任を伴う。しかも、常に期限に追われる。従って、この活動から得られる教育的効果は大きいものがあり、機材の技術的なノウハウの獲得もさることながら、企画、アポ取り、インタビュー依頼などを経験することで、実行力・行動力を養うとともに、共同作業による協調性やコミュニケーション能力を培うことができたと思われる。また、いろいろな現場を訪問し取材するので、地域をより深く理解することができたようである。
参加学生の声を紹介すると、「学生の私たちが企画・構成・編集した番組を、同世代の学生だけでなく、市民の方々にも聞いてもらえることが嬉しい」、「番組で話すときには、リスナーに聞きやすい話し方をしなければなりません。ここで学んだことは、社会に出てからも役立つと思いました。活動に参加して、テレビ・ラジオの見方、聴き方が変わりました」。エピソードとして、インタビューで得た情報の不正確さから、間違った説明をTV放送して、始末書を書き、お詫びに行ったり、訂正を入れたり、指導教員も含めて後始末に追われた。放送の責任の重大さを改めて認識し、誤ったことをしたときにどう対処するかなど、失敗の経験を通じてグループとして大いに学ぶことがあったようである。
B地域IT化サポート
これには、市民対象の初心者のためのパソコン講座、中級IT講座、小学校のパソコン授業サポートなどがある。これらを行うにあたっては、入間市や小学校と綿密なすり合せを行った。
初心者のためのパソコン講座は、大学のパソコン教室で、土曜日に一日八時間の演習を八回にわたって行うものであったが、市民には爆発的な人気で、受付開始から三〇分で定員の数倍の応募者があり、急遽、講座を二つに増やして対応した。
テキストの作成、講座の主任講師、ティーチングアシスタントなど、すべて学生が中心に行い、教員は脇役に徹し、必要最小限の助言を行うにとどめた。学生は、教える側ではあるが社会人としての先輩である市民と接することによって、コミュニケーションの方法について学び、社会性の涵養につながったと評価できる。
参加した市民からは、「学生さん達は、生徒が年長でさぞ緊張もされ、神経も遣われたことでございましょう。誠心誠意、真面目に取り組んでおられる姿を目の当たりにして、私の中の大学生像が変わりました」という声もあり、これを読んで学生達も大いに感激した。
小学校のパソコン授業のサポートは、総合授業の時間に行われる一年生から六年生までのパソコン授業のサポートを行うものであった。児童たちや小学校教員とのコミュニケーションを通じて、教育において一定の役割を担うことの責任感を学ぶことができたと思われる。それは参加学生の「私たちが教えることもたくさんあったけど、それ以上に教えられた気がしました。子どもと触れ合う楽しさや喜びを感じたと同時に、子どもと触れ合う難しさや言葉の通じない大変さを知ることができました」という声からもわかる。
C学生によるリサーチ
学生によるリサーチは、企業の商品企画部門が行う仕事の一部を学生が体験するという試みである。すなわち企業から依頼を受けたテーマに関して、課題設定・調査・分析を行い、依頼主に対して分析結果を踏まえた具体的提案を行うという一連の過程を学生が体験することが可能となる。
具体的には、地元企業が開発した天然素材を用いた脱臭液の市場化を検討するプロジェクトである。教員から商品の特性について説明を受けた後、使用対象・方法について各自が考え「プレリサーチ報告書」を提出させる。その後に、商品サンプルを渡して、実際にキャンパスという若者の集まりの場を通じて使用し、効果を検討するモニタリングを行い、中間報告書を提出させる。これによりマーケティング・リサーチの実習ともいうべき体験が可能になる。そして、それぞれの報告書に対して教員が専門的立場からコメントをつけて返却し、さらに各自が検討し、「最終報告書」を提出するという形で進められる。各自の最終報告書は担当教員が加筆修正し、依頼主に提出された。
学生によるリサーチでは、この他、企業訪問インタビューや消費動向調査も行った。こうして、現実の地域社会で起こっていることを自らの目や足で確認して、現実の課題を認識するとともに、多くの人との接触を通じてコミュニケーション能力を育てることができたと評価している。
参加した学生の感想には「インタビューする前に消費動向調査報告書を読んで行ったが、調査結果と現実に起こっていることにはかなりの誤差があるように思った」、「大型店に対抗するために、一つのお店ごとに対策を練るのではなく、近くにある商店や商店街同士が協力しているのが魅力的だった」などがあった。
D地域インターンシップ
地域インターンシップは、学生に地域の企業や自治体などの実際の職業環境で働くことを体験させて、「働く」ことの意義、自分の職業上の適性、将来の進路を真剣に考える機会を提供することを目的として行われた。このプロジェクトは、地域の活性化に貢献するというよりも、地域の教育力を活用するという側面が強いものである。
学生はまず大学において職場のマナーや仕事の意味や職業観などについて十分な事前の授業を行い、その後で、夏休み期間に、各企業で一〇日から二週間のインターンシップ実習を行う。実習中には「実習日誌」をつけさせ、また、担当教員が実習先を訪問し、様子を視察する。終了後は「実習日誌」を点検し、事後研修を行い、レポートとして報告書を提出させる。さらに、最後に参加者全員が「地域インターンシップ報告会」で体験のプレゼンテーションを行う。この報告会には受入れ先の方にも参加してもらい、コメントをいただく。報告会でのコメントの多くは、アルバイトでは得られなかった体験の数々、研修に参加して得られた喜び、達成感が生き生きと伝わってくるものであった。
このように、本学の地域インターンシップは、単に学生を各自の希望する受入れ先に送りこんで職業体験させる(受入れ先は青田買いの効果を期待する)というものでなく、大学と地域企業・団体との緊密な連携と協力の下で行われるキャリア教育の一環として、学生各自が現実を踏まえた職業観を獲得し、地域社会の重要性を認識し、自分の進路の検討に役立てるために行うものである。
従って、参加学生数には限度があるし、協力してくれる企業・団体にも限りがある。受入れ側にとっては、営業中に学生の指導をしなければならないという負担が増えることになるからである。しかし、受け入れ企業や自治体の側からも、「学生の指導に当たる社員や職員が、仕事を系統立てて教えることを通して、自分達の普段の仕事をチェックすることになり、意識改革につながる可能性がある」、「業務改善や業務改革を考える端緒になりそうだ」、など、プラスの効果があったという意見もいただいた。
5、各プロジェクトの選定と評価
以上のように、「いるプロ」は多様なプロジェクトから成り立っていた。それは、当初の企画の他に、地域からの要請が加わったからであったが、どの活動を加えるかは原則として実行委員会と運営委員会での検討を経て行った。
なかには単なる労働力提供に終わりかねない活動要請があり、実行委員会や運営委員会としては、あくまでも学生に対して教育的効果が期待できるかどうかを選択の基準とした。そのために、要請側の期待に応えることができず、感情的なもつれを生じて、苦労したこともあったし、内部の意見対立もあった。活動の問題点、評価については、年に一、二回の(外部委員も加えた)評価委員会を行い、その提言に基づき必要な軌道修正を行った。
6、「いるプロ」成功に至るまでの道のり
このプロジェクトによって、大学が得たものはきわめて大きいが、大学と地域とがこのような関係をもつことができるようになった過程は、そう簡単なものではなかった。また、大学内には地域との関係について必ずしも共通の認識をもつ者ばかりではなく、今もまだ努力の途中であるということができる。少しそのあたりについて、過去と到達点を振り返っておくことにしたい。
@設立当初から公開講座
本学は、今年で設立以来二〇年目を迎えた。設立の母体となった駿河台学園は、予備学校部門で確固たる地位を築いていたが、大学を創ることは学園創立者である故山ア寿春氏(現山ア春之総長の父)のかねてからの悲願であった。そして、その遺志を受け継いで現総長の山ア春之氏が、学園の建学の精神である「愛情教育」を実践する大学を東京近郊に設立することを模索していた。一方、ここ埼玉県飯能市は緑と清流のまちとして、学園都市にしていこうという構想があり、大学の誘致計画を進めていた。東京近郊に立地する広大な自然のなかの大学というのが春之氏の描いたキャンパスの構想であったので、まさに両者の構想がぴったり一致したのであった。従って、設立当初より、地域社会に貢献するということは大学の大きな努力目標の一つとなっていた。
(つづく)