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平成19年2月 第2262号(2月14日)

駿河台大学の地域との連携 −1−

  駿河台大学副学長 地域ネットワーク推進支援室長 吉田邦久

 駿河台大学(埼玉県・竹下守夫学長)は一九八七年に設立され、開学。当初から「開かれた大学・地域に密着した大学」を目標として掲げている。以来、地域での取組を加速させ、「学生参加による〈入間〉活性化プロジェクト」としてそれまでの取組を組織化し、平成十六年度(第一回)の「現代的教育ニーズ取組支援プログラム」に採択されている。このたびは、同プロジェクトの中核を担う地域ネットワーク推進支援室の室長である、吉田邦久同大学副学長に、多様な取組と教育の効果について、寄稿して頂いた。

 駿河台大学は、平成十六年度(第一回)の文部科学省の現代的教育ニーズ取組支援プログラム(略称「現代GP」)に、「学生参加による〈入間〉活性化プロジェクト」(通称「いるプロ」)を応募し、採択された。以来、その実施に取り組んできた。今年は三年目で、支援は打ち切りとなるが、大学としては、本プロジェクトは本学と地域との間の新たな関係を切り開いた画期的なプロジェクトと評価し、今後も継続して取り組むことを決めている。

 1、「学生参加による〈入間〉活性化プロジェクト」とは

 「いるプロ」の概要を簡単に述べると、本学・入間市・入間市商工会の三者が協定を結び、さらに商店街や市民団体と共同して、入間市で展開されているさまざまな催しや取組に学生を参加させ、まちを教室として学生に体験学習させることによって、コミュニケーション能力や社会性、現実的な職業観を涵養するとともに、地域の重要性を認識し、大学として地域の活性化に貢献するというものである。「いるプロ」は、アウト・キャンパス・スタディと大学の地域貢献という二つの側面を持っている。
 @アウト・キャンパス・スタディ
 従来の大学教育は、教員による教室での知識の伝授を中心に行われてきたために、社会性や職業観の涵養が等閑視されてきた。そのような反省から、大学の外の社会(入間市)を教室にし、地域社会のさまざまな職業・年代・考えを持った人たちとの交流を通じて学び、単なる知識ではなく生活・人生を体感させる教育(アウト・キャンパス・スタディ)が必要であるとの結論に至り、「いるプロ」を立ち上げたのであった。入間市の中心市街地に設けた「駿大ふれあいハウス」を拠点に、ボランティアやいろいろなまちの活動に参加することによって、講義やゼミナールで学んだ知識、パソコンなどの技術・能力を活用して血肉化するだけでなく、企画・運営やリサーチを通して問題を発見し解決する能力や人々との交流によってコミュニケーション能力を身につけることが目指された。
 社会からは即戦力が求められ、今の学生はなかなか自信が持てずに立ちすくんでしまう。そんな彼らが少しでも自信を持ち、生きる力を身につけるために、肩を押してやる、そんな教員の気持ちも込められている。
 A大学の地域貢献
 もう一つの目的は、大学の地域貢献である。本学は「地域社会の中核を形成する人材の養成」を中心的な教育目標にしており、その実現のためにも、地域の人々に開かれた大学として、地域の社会、経済、文化に貢献し、地域と共生することが必要不可欠だと考えたのである。それには、卒業生が地域で就職し、地域企業や自治体で活躍することも含まれ、「ものづくり、まちづくり、ひとづくり」において地域と協力していくことが目標であった。

 2、「いるプロ」の特徴

 「いるプロ」の特徴として、産・官・学・民の連携であること、全学態勢での取組であること、そして、正課の中に組み入れたものであることの三つを挙げることができる。
 @産・官・学・民の連携
 特徴の第一は、産・官・学の連携の下、市民活動団体や商店街が一体となって進められていることである。本学と入間市役所・入間市商工会は、「いるプロ」のためにパートナーシップ協定を締結した。この協力体制は本プロジェクトのためににわかに作り上げたものではなく、三年前から、本学経済学部と入間市・入間市商工会は、「元気な入間ものづくりネットワーク」をつくり、共同で入間地域でのものづくりの活性化に努力してきたのである。その実績を踏まえ、今回は三者に商店街・地域通貨などの市民団体を加え、まちぐるみで「ものづくり、まちづくり、ひとづくり」に取り組む体制ができあがったのである。
 A全学態勢での取組
 地域との連携は今多くの大学で取り組まれ始めているものの、特定の教員や研究室、学科単位の取組がほとんどである。それに対し、「いるプロ」は、本学の全学部(法学部・経済学部・文化情報学部・現代文化学部)が参加し、全学態勢で取り組まれていることが特徴である。副学長を室長にした地域ネットワーク推進支援室が直接の担当組織となった。実行委員会は数名の本学教員と産・官・民からの学外委員とからなり、実行委員長は申請責任者の経済学部長がつとめた。それに各プロジェクトの責任者・副責任者を加えて運営委員会が設けられた。さらに、全学部の教員の四割に当たる五〇名近くがプロジェクト委員として学長に任命され、活動に参加したのである。
 このような全学態勢が実現したのは、本プロジェクトを本学のアウト・キャンパス・スタディの最重要な柱と位置づけ、正課の教育に組み入れることにしたことが大きい。
 B正課の単位に認定
 「いるプロ」のもう一つの特徴は、学生の活動を、『まちづくり実践』(二単位)、『インターンシップA』(体験実習型、四単位)、『インターンシップB』((理論学習型、二単位)などの科目の単位として認めるところにある。おおむね二四時間以上の活動実績、活動日誌、活動報告書の提出を求め、プロジェクト担当の教員の評価を受けることで、二単位の取得が可能とした。そして、これらの科目は、全学部の学生が履修することができるようにしたのである。
 学生は、まちを教室に、ボランティアやインターンシップを体験学習することにより、さまざまな人々を指導者とする、地域社会という学校で、大学の教室では学ぶことのできないコミュニケーション能力、社会や職業に対する認識を身に付けることができるのである。

 3、「いるプロ」の全体としての成果

 次に、「いるプロ」の全体的な成果について述べたい。結果的には、のべ数百名の学生が本プロジェクトに参加して活動し、地域への理解、コミュニケーション能力の育成、社会性と職業観の涵養という初期の目標を達成することができたと言える。それは、彼らが自ら新入生への呼びかけのために編纂したパンフレット『SandI』(駿河台大学の頭文字Sと入間市の頭文字Iをとった)にふんだんに盛り込まれた学生の報告や感想、そして地域住民から寄せられた感想からうかがい知ることができる。さらに、参加した学生のうちの数人は、実際にこの地域の企業に就職し、地域の中で活躍を始めており、それも成果の一つとして挙げることができる。
 また、「いるプロ」に取り組む中で、入間市、あるいは周辺地域にある大学(本学、大妻女子大学、西武文理大学、城西大学、武蔵野学院大学、尚美学園大学など)の間で共同の取組を行う気運が芽生えたことが挙げられる。入間市という地域を介したミニ大学コンソーシアムともいうべき共同の地域連携活動が始まった。具体的には、これらの大学が入間市生涯学習フェスティバルで交流したこと、地域企業の合同説明会を共同で企画・実施したことなどの成果があった。
 こうして、「いるプロ」によって、本学は地域に貢献し、地域に育てられる大学、すなわち「地域と共生する大学」に変貌することができたと言うことができよう。

 4、「いるプロ」の具体的内容

 「いるプロ」には実に多様な活動が含まれる。それは、当初大学側が企画した取組に、開始後に次々と出されてきた地域からの要望が加わり、それを実行委員会で教育的な効果がどのくらい期待できるか、希望する学生がどの程度いるかなどを具体的に検討し、取捨選択、あるいは手直しして取り組んだからである。
 その主なものを挙げると、「駿大ふれあいハウス」での活動(「パソコンクリニック」「子どもパソコンクラブ」「子どもボランティア」「中国語/韓国語しゃべり場」などを含む)、地区のPTAなどが実施している小学生の通学合宿のサポート、祭りや商店街のまちおこしイベントへの企画段階からの当日までの参加、入間市にあるFM放送局とCATV局の番組制作、市立児童館にあるプラネタリウムで上映する作品の制作、市民や小学生のパソコンの指導を学生・教職員が行う地域IT化サポート、地元企業が開発しつつある商品についての学生によるリサーチ、学生が大学周辺の自治体、企業、商店などで体験実習する地域インターンシップなどが含まれる。以下に、これらの中からいくつか具体的に取り上げたい。
 @「駿大ふれあいハウス」の役割
 まず何と言っても、拠点となった「駿大ふれあいハウス」の存在が大きな役割を果たした。「いるプロ」が採択されて間もなく、中心市街地のシネマ・ビルの一角に五〇平方メートルほどの場所を借りることができた。中心市街地の開発に取り組んできた「都市開発株式会社」が、大学との連携の意義を高く評価され、利益を度外視して、最適の場所を提供していただいたのである。
 開始以来、「駿大ふれあいハウス」は、原則として、定休日の木曜日以外は一〇時から一九時まで開いて、市民活動をしている市民の中から募った数名のスタッフが分担して常駐し、市民と学生の交流、文化・情報の発信・交換、各種イベントへ出て行く拠点などとして、多様な活動が展開されてきた。
 そこでは、「パソコンクリニック」と称して、学生やスタッフがパソコンの使い方や疑問・トラブルなどの相談に乗っている。また、「子どもパソコンクラブ」の活動も行われ、小学生を対象に、教材の作成・教え方・運営まで学生が自主的に行った。さらに、学生が近隣の保育園や託児施設で保育の手伝いを行う「子どもボランティア」も行った。
 こうして、毎日のように、市民や子どもがこの場に足を運ぶようになり、いつしか二〇人ほどの市民の「常連さん」もできた。そして、市民が学生にパソコンを教わり、学生が市民から話しかけられ、いろいろなことを教わるという場面が日常的に見られるようになった。温かい雰囲気に包まれることもしばしばで、学生にお菓子や食事の差し入れを行ってくれる市民も少なくなかった。学生は、子どもや保護者や様々な市民など、年齢の離れた人々と接することで、コミュニケーション能力や社会性を培うことができ、マナーや一般常識もまた身に付けることができたと思われる。
 また、そのような雰囲気の中から、大学の教員から色々なことを教わりたいという市民の要望が伝えられ、それを受けて、教員が毎週代わる代わる二〇人ぐらいの市民を相手に専門に関わる内容の話をするという市民ゼミナール(「豊岡プチ大学」と称した)も継続的に行われるようになった。数人の学生もこの企画の運営に協力した。
(つづく)

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