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平成19年2月 第2262号(2月14日)

エッセイC 健康感とは

  聖路加看護大学理事長 日野原重明

 人間には完全な健康はありえないこと、体の一部には何かの欠陥があっても、他の部分が代償してよく働くか、または外部のストレスによく対応することができれば完全な健康でなくても、うまく生きていけることを前に述べた。
 今回は健康感が本当の健康だということを書きたい。
 日本では人間ドックと呼ばれる定期的検診システムが普及している。何となく体に自信がないとか、疲れやすい、または気力がない感じを持つ人が忙しい仕事の間に時間を割き、一定の金額を払って健診を受ける人は多い。
 受診者が健診を終わって結果の報告を医師から聞く時に、別に何の異状もなかったと、簡単な言葉で言ってしまわれると、折角時間とお金を払って受診したのに、もっと詳しく説明をしてほしい気分となる。それなのに何も発見されなかったと不満に感じる人が少なくない。
 医師から何かの所見を告げられたとき、たいしたことはないので、別に気にしなくてもよいと言われると、当人は何となくさえない思いを持つことが多いようである。
 医師はまず健康だよと言っても、当人には健康感がないので、気持ちはさえないのである。
 ところが、診察を受けて糖尿病や高血圧であり、コレステロールが高めだと言われても、一日一回の錠剤を摂れば、また多少の食養生をすれば、日常生活はまず普通にできるとなると、その範囲で生活すると、何のハンディキャップもなく、自分の仕事が順調に発展し、社会的に高く評価され、しかも家庭内に問題がない人は、晩まで夜勤をして疲れても、翌朝目覚めた時は今日はこんなことができる、自分の好きなオペラの切符が入手できた、音楽を専門にして留学した孫が帰ってくるといったことがあると、爽やかに目覚めることができるのである。
 朝目覚めた時に爽やかな気分を感じ、今日の生活に張りがあると考えると、例え肉体的には疾患があっても、その人のムードは非常によく、心には「健康感」が感じられるのである。
 この健康感は幸福感に似ている。土地や財産や勲章があっても、あればあるほどもっと多くを持ちたいとの欲望には切りがなく、幸福感の敷居が高くなる人が多い。
 一方、どんなに貧しくても、僅かなものが与えられると、幸福感が持てる人がいる。これは幸福のバーが低いからである。
 日米戦争中空襲下で食べる物がなかった時は、一握りのお米でも、僅かな砂糖でも与えられると、近くに住む皆と分け合って楽しく食べた時は、貧しさの中に幸福感を持っていたのである。以下に幸福感と健康感が相性の私の詩を紹介したい。

*  *  *

健康とは
健康には二つがある―
一つは 外へ向かうからだの健康
もう一つは 内へ向かうこころの健康

体が病むと心がうずき
食欲もなくなり
人は生きる気力を失う

たとえ病気や加齢で体力が衰えても
内なる自己に 今日も生きることを許されている特権に
感謝を捧げることができれば
君にはまだまだ生きるエネルギーがからだに生じる

体は病んでも
また老いても
心の中にいのちの健康感が漂えば
そこに健康が実存する

健康とは
つまるところ 湧き出でる健康感なのだ

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